27.作者の目線・読者の目線・第三の目線
何事に置いても第三者の目線に立つということはとても大事なことであると同時に、
言葉で簡単に言える程実現は容易では無い。
消費者の目線で商品を開発・宣伝する。
視聴者の目線で映像を作る。
読者の目線で小説を執筆する。
これらは作者と相手との一対一のコミュニケーションであり、それに欠かせないのが第三者の目線(客観視)することである。
ここ小説家になろうではユーザーが自由に一個人の小説を投稿することができるが、それは作者対読者の一対一のやりとりであり第三者が介入することは無い。
これが書籍化をして出版社などがつけば話は変わってくる。
なぜなら作者対読者の間にそのやりとりを客観的に見る第三者(担当者)が作品に介入することになるからだ。
校正はもちろんのこと、作品の傾向を分析し昨今の市場の需要や流行から作品の展開、宣伝のアプローチを探る。既にネット小説内で人気がある場合はなかなか無いかもしれないが作品の内容や登場キャラクターに変更を加える場合もあるかもしれない。
これが第三者の目線で作品を見る、作品を客観視するということに繋がる。
しかし当然ながら多くのなろうユーザーには出版社がつくことは無く、第三者が作品に介入することは無い(読者目線以外でアドバイスしてくれる人が近くにいる場合は別だが)。
ユーザーの大多数が自分一人で作品を作り上げ、自分一人でその作品を面白くしなければならない。
これは飽くまで個人的な考えだが、作者目線のみで作品を面白くすることはできないと筆者は考えている。
自分一人の目線だけで作品が評価されるのは芸術家などといった方々くらいだろう。ピカソやゴッホなどの天才、鬼才とまで謳われた方々は恐らく視聴者目線にも第三者目線にも立つことなく、自分一人の目線だけの世界を惜しみなく作品に反映していたのだと思う。それ故に冷静な一般の目線からしてみると理解に苦しむ作風が生まれだのではないだろうか。
「いやでも言ってることおかしくね?書籍化作家だってもとは出版社が付く前に一人で小説書いててそれがヒットしてるわけだから、作者目線だけで作品を面白くできてるじゃん」
と、思われた方もいるではないだろうか?
それはその通り。書籍化作家ももとは一人で作品の設定からなにからを組み立てて物語をゼロから創り出し、それが多くの読者に評価されて書籍化・アニメ化を果たしている。
しかし一つ考えてもらいたい。
それらの作者は、本当に自分一人、作者の目線だけで作品を作り上げていたのだろうか?
作品を面白くするのは"作者の目線"では無く、"読者の目線"でも無い。
それは、客観的に作品を俯瞰することができる"自分自身"なのだ。
今週は平日深夜2時00分に更新します。




