逆襲の紅き煌帝「智慧の林檎(5)」
それは刹那であった。
アレンがアダムに〈ピナカ〉を放ったのだ。
ここはどこか?
周りになにがあるか?
そんなことは関係なかった。
アレンの目と鼻の先にアダムがいた。
迸るエネルギーの直撃を喰らったアダムが背中を反らせながら大きく吹っ飛んだ。
アダムが落ちたのは芝生。だが、音はまるで金属が響き。
風もないのに揺れる木々と匂い立たない花々。
ホログラム映像の部屋だ。
なにもないはずの空間から、木の根が飛び出してきた。地面からではなく、真横からだ。
「招かれざる客だわ」
フローラの声だった。
植物を身に纏いしフローラの攻撃。木の根の槍が襲ったのはセレンだった。
セレンは身を守る術を持たない。当然アレンが動かざるを得ない。
再び〈ピナカ〉が放たれた。
笑うフローラ。
彼女の前に現れた天然ゴムが瞬時に固まり壁を作った。
ゴムの盾は〈ピナカ〉の電気エネルギーは通さなかった。だが、熱エネルギーによってゴムはいとも容易く溶けてしまったのだ。
溶けた盾の先にフローラはいなかった。
盾は囮だ!
地面を這って忍び寄っていた蔓がセレンの足を取られた。
「きゃっ!」
それの蔓は瞬時にセレンの躰を雁字搦[がんじがら]めにしていた。
アレンは〈ピナカ〉を構えたまま、その動きを止めてしまった。
ゆっくりと起き上がるアダム。
「衝撃で吹き飛ばされはしたが、私に〈ピナカ〉が通用しないぞ」
アダムの服が焼け焦げ、その腹部分が露出されていた。白い肌だ。白銀のメタリックな肌だった。そこに傷ひとつついていない。
ホログラム映像が消えていく。
芝生がただの金属の床へ、一本の木が円筒形の機器に、ただの無機質な部屋になった。
2対2。
しかし、セレンは人質に取られ、アレンは手出しができない。
隙をつくるしかあるまい。そこでアレンが口を開く。
「なあ、ここどこだよ?」
「私の要塞〈ベヒモス〉だ」
アダムが答える。フローラには隙ができない。
会話を続けることにした。
「場所は?」
要塞が重要拠点であり、それが秘密裏にされているのならば、答えづらい質問であるが、アダムはすぐに口を開いた。
「今はクーロンだ」
「クーロンですか!?」
声を上げたのはセレンだった。
アレンが『おまえは黙ってろ』というような顔でセレンを睨み、アダムに向き直した。
「クーロンにいつの間に基地なんかつくったんだよ?」
「新たなに造ったのではない。この場所に移動してきたのだ」
「移動?」
「地中を通って移動してきたのだ」
帝國が誇るキュクロプスも空飛ぶ要塞を云われていた。そうに違いない。アダムの要塞〈ベヒモス〉は地中を移動できる要塞なのだ。
セレンはクーロンのことを考えていた。自分が逃げ出してから、街はどうなったのか?
焼かれる街、逃げ惑う人々、そして魔導炉から放出された謎の発光体。
またアレンに睨まれて構わない。セレンは身を乗り出して口を大きく開けた。
「魔導炉を使ってナノマシンウイルスをばらまくつもりですね! 人間を機械化するなんて、人間の尊厳をなんだと思ってるんですか!」
アダムの眉がピクリと動いた。
「ナノマシンウイルスによる機械人化は、魂の自由までも奪うものではない。人間の尊厳とは魂だ。我ら機械人も魂を持っている。姿形など入れ物に過ぎない。我ら機械人は過去の大戦において、機械人としての尊厳を人間に踏みにじられたのだ。私は人間が機械人化され、姿形が変わった上で、自分たちの魂と向き合ってもらいたいのだ。そして……」
それ以上は言わず、アダムは口をつぐみ、少し間を置いて再び口を開く。
「その娘はナノマシンウイルスに感染させろ。この場は私に任せ実験室に連れて行くのだ」
アレンの前に立ちはだかったアダム。その後ろでフローラが、セレンを捕まえながらこちらを向いたまま、後ろ歩きで部屋の外へと移動していく。
躰に巻き付いた蔓からセレンは必死に逃げようとする。
「いやっ、機械になんてされたくない! 私は自分が好きなんです! 怪我も病気もするけど、自然のまま生きて、死んだら土に還りたい! 私は人間として死にたい!」
アダムがセレンを睨みつける。
「御前は機械の存在を否定するのか、我々も生きているのだ!」
「違うっ、あなたたちを否定するつもりはありません。自分らしく生きるために、わたしは最後まで人間として、生まれたままの姿で生きたいだけです。その権利をなぜあなたは奪うんですか!」
「早くその娘を連れて行け!」
今がチャンスだとアレンが動いた。
フローラはアダムの後を継げるか?
いや、鬼械兵団にアダムは必要である。アダムがいなければ、この組織は存在できないだろう。ならばセレンを救うよりもこの場でアダムを伐つ。
フローラもアダムがピンチに陥れば、人質の価値よりもアダムの価値を優先する可能性が高い。人質は1回限りしか使えない。つまり人質は生きているからこそ価値がある。人質を殺してしまうメリットはなく、枷がなくなればアレンは逆に自由な行動が取れる。
危険な駆け引きの争点は、アダムの存在の大きさだ。
アレンがアダムを追い詰めるほどの攻撃ができたとき、フローラがどう出るか?
〈ピナカ〉から3本の輝く矢が放たれた。
「私に〈ピナカ〉は効かぬと――避けろ水鬼!」
アダムに当たる寸前で3本の輝きは方向転換して、龍が長い首をうねらすようにフローラに向かって飛んだのだ。
違う!
3本の輝きは再びアダムへ方向転換した。
輝きの直撃を受けたアダムが大きく吹き飛ぶ。傷つけられなくても吹き飛ばすことはできる。それは先ほど証明済みだ。
――悲鳴をあげるような歯車の音がした。
アレンは地面に倒れているアダムの後頭部を足蹴にして、天井高くまで舞い上がった。その手には〈ピナカ〉がしっかりと握られている。
まだだ、アダムに当たったの1本だった。残す2本がまだ生きていたのだ。
アレンはまるで鞭のように〈ピナカ〉から伸びる輝きを振るった。
急にアレンの視界から光が消えた。
そして、爆発に巻き込まれてアレンが天井高くまで舞い上がったのだ。
いったいなにが起きた!?
宙から落ちてきたアダムが床に着地した。先ほどまで倒れていたのに、なぜ宙にいたのか?
アダムとアレンの場所が入れ替わっていたのだ。
そして、〈ピナカ〉の攻撃は床に直撃して、アレンの躰を上に吹き飛ばしたのだった。
床に倒れたアレンの服はボロボロになり、生身の躰からは血が、機械の躰からは火花が出ている。
「糞ったれ……100万倍で返してやる……」
威勢のいい言葉だが、アレンはその場から立ち上がれなかった。
倒れているアレンをアダムが上から見下ろす。
「これで最後の問いとしよう。仲間にならないか? 拒否すれば仕方あるまい、死を与えよう」
「何度も言わせんなよ……い・や・だ!」
アダムの片手に集まる高エネルギー。
このときセレンは蔓に引きずられ、部屋の外に連れて行かれようとしていた。だが、セレンの瞳に映ってるのはアレン。
「逃げてアレン!」
――歯車の音を立てなかった。
「あ~、腹減った」
ぼそりと呟いたアレンは笑った。
自分が助かることをアレンは知っていたわけではない。
しかし、この部屋に新たな風が吹いたのだ。
風の刃はセレンを拘束していた蔓を微塵切りにして、さらにアダムの服を刻みながら吹き飛ばしたのだ。
フローラが叫ぶ。
「風鬼!」
どこからともなく部屋に現れた風鬼ことワーズワース。彼の眼差しは真剣そのものだった。
「セレンちゃんひとりで逃げ延びて! ここは僕が押さえる、速く走って!」
戸惑うセレンは一瞬その場で硬直したが、すぐにひとりで逃げ出した。ワーズワースの言葉を信じたのだ。
恐い顔をするフローラと無表情のアダムにワーズワースは見つめられた。
「説明して、なぜこんな真似をしたの?」
「さあ、僕にもさっぱり、なんでだろうねぇ、不思議不思議」
「おどけて見せたってダメよ!」
フローラはすでに攻撃を放っていた。木の根の槍がワーズワースを襲う。
先に仕掛けたのはワーズワースである。戦いになることは覚悟の上だった。
カマイタチが木の根を切り刻み、さらに優しい風がフローラの鼻をくすぐった。
急にフローラが痙攣しながら倒れた。眼は見開かれたままだ。
にっこりとワーズワースが微笑む。
「君の得意な痺れ薬。僕のは科学的に合成した無味無臭のものだけど。君なら体内で解毒剤を精製して、10分ほどで動けるようになるかな」
「……な……ぜ……」
その一言だけを絞り出してフローラは完全に動けなくなった。
冷たい瞳でアダムはワーズワースを見た。
「裏切りの理由を問おう」
「セレンちゃんには手出しはさせない。おまけに、アレン君も助けられたらラッキーかな」
やっとアレンが床から立ち上がった。
「俺はおまけかよ」
腕を回して自分の躰を確かめる。まだアレンは動けそうだ。
ワーズワースはビー玉のような物体を一気に何十個とアダムに向かって投げた。
「アレン君逃げるよ!」
「逃げるのかよ!」
「僕にはアダムを倒すことはできないからね。あとセレンちゃんも心配だ」
「だったらはじめから3人で逃げればよかっただろ!」
「いっぺんに全員で逃げるのは難しそうだったから。とりあえずフローラとアダムは足止めしないとね」
ワーズワースの投げた物体はアダムの周りを取り囲み、点と点が結ばれエネルギーフィールドの檻をつくり上げた。
セレンがひとりで危険を掻い潜るリスクより、アダムとフローラに追われながら逃げるリスクを大とワーズワースはしたのだ。
アダムが檻に触れた瞬間、火花が散ってその手を溶かした。手首から先を消失させたが、すぐにメタリックな手は再生された。
「無理に出ようとすれば、私とてただでは済まんな」
ワーズーワースが部屋を飛び出す。
「時間稼ぎにしかならないから早く!」
「今のうちにぶん殴っちまえばいいだろ!」
「アダムも外に出られないけど、君もアダムに手を出せない仕様なんだよ」
先を進むワーズワースを追って仕方なくアレンも部屋を飛び出した。
廊下でいきなり鬼械兵どものお出迎えだ。
ワーズワースの放った圧縮した空気で鬼械兵を押し飛ばす。だが、押し飛ばすだけだ。
「アレン君、なんか武器持ってないの? 僕の風じゃ鬼械兵は倒せない!」
「伏せろ!」
アレンが叫んで〈ピナカ〉を放った。
床に這いつくばったワーズワースの真上を輝く3本の矢が抜けた。
圧倒的な破壊力で鬼械兵が薙ぎ倒される。廊下の壁にも巨大な鉤爪のような穴が空き、先にある部屋が丸見えだった。その部屋の中にはカプセルベッドが並び、鬼械兵が眠りついていた。
新たな兵が起き出す前に早く逃げなくては。
ワーズワースが素早く立ち上がった。
「僕まで殺す気!?」
「だってあんた敵じゃないの?」
「もうこうなっちゃったから言うけど、二重スパイだったんだよ」
「二重スパイってどういうことだよ?」
「とにかく人間側、君たちの味方ってことだよ。ほら、さっさと逃げながらセレンちゃん探すよ」
廊下を再び走り出した二人の前に鬼械兵どもが現れた。
先にワーズワースは床に這いつくばった。
再び〈ピナカ〉で一掃だ。
「糞っ、なんだよ次から次へと出てきやがって」
「先に言っておくけど、要塞の中もこうだけど、外はもっと鬼械兵でいっぱいだから」
「はぁ!? そんなのどうやって逃げるんだよ?」
「ごめんノープラン。あの場を切り抜けるのが精一杯で、そもそもこの事態は予定外なんだよ。だって君たちがここに来るなんて思わないから」
ワーズワースは苦しげな表情で唇を噛みしめた。
そこへ新たな鬼械兵が現れた。今度は鬼械兵だけではなかった。花魁衣装に身を包んだ火鬼だ。
アレンは嫌そうな顔をした。
「なんだ、生きてたんだ。死んだと思ってほっといたのに」
「地獄から舞い戻ったでありんす」
その躰は顔の半分を残してすべて機械化されていた。その髪の毛の一本一本までもだ。
炎の攻撃にだけ注意すればいいと油断していた。
刹那だった。無数の針となった火鬼の毛がワーズワースの腹を貫いていたのだ。内蔵はボロボロになり、通常の手術ではもう手の施しようがない重傷。
――歯車が咆哮をあげた。
アレンの拳が機械化されていた火鬼の頬を変形させるほど抉り、そのまま首がもげた。
床に転がった火鬼の頭部。首から火花が散って、謎の液体を垂れ流している。
「小僧……め……」
眼と口を開いたまま火鬼は停止した。
すぐにアレンはワーズワースを抱きかかえた。
「だいじょぶか!」
「無理ですね……これ死にますよ」
「さっさとずらかって直してやるから我慢しろ!」
「そういう根性論無理です、僕理系なんで。本当にもう死にそうなので、頼まれごといくつか引き受けてください」
「早く俺の背中に!」
だが、もうワーズワースは壁にもたれ掛かり、座ったまま動くことができなかった。少しでも動けば、躰が崩れて横に倒れてしまいそうだ。
ワーズワースは床の上に垂れていた腕の先で、ゆっくりと手を開いて見せた。
そこに乗せられていたのは、小型メモリーと十字架のペンダントだった。
「まず、メモリーはジェスリーに渡してください。十字架はセレンちゃんに」
「自分で渡せばいいだろ!」
「頼みましたよ、ほらこれを持って早くセレンちゃんを探してください」
アレンは無言でメモリーと十字架に手を伸ばした。
手と手が触れた。まだワーズワースの手は温かい。そして、ワーズワースはアレンの手を強く握り締めたのだ。
「頼みます」
そう言ってワーズワースは残る片手で自分の腹に空いていた傷口に差し込んだのだ。
まさかの出来事にアレンは眼を剥いた。
「なにやってんだあんた!」
「これ僕の形見なんで、アレン君が使ってください」
ワーズワースが腹の中からえぐり出したのは、少し青みがかった透明の球だった。握った手が隠れそうな大きさだ。
「風を発生させる魔導具です。僕がつくったもので、本当は武器ではなくて送風機として、なにかの役に立たないかなぁって。僕がこれまでつくってきたものだって、レヴェナがつくってきたものだって、本当は戦いのためにつくってきたんじゃないんだ。でもね、レヴェナがつくったもので唯一の例外……それが…… く……ろ」
ワーズワースの息を止まった。
「糞っ」
小さく呟いてアレンはワーズワースの亡骸を背負った。重かった。アレンが背負うには重かった。
そして、アレンは走り出した。