逆襲の紅き煌帝「不気味な足音(2)」
クーロンは今、軍隊に包囲されてから3日、小康状態に入ってから24時間以上経っていた。
もともとシュラ帝國の領土内にあったクーロンは、自治は独立したものとして、自由の名の下に繁栄と陰を築き上げてきた。生活水準や科学水準もほかの都市に比べ飛躍して高く、スラム街ですら近隣の村よりもよい生活をしていた。
シュラ帝國が自然解体された今、クーロンを我が手中に収めようとする者が出るのは必然。今まではシュラ帝國の報復を畏れていた新興国が、クーロンに攻め入ってきたのだ。
武装には武装。
新興国軍との緊迫状態が続いているのは、クーロンが軍事都市の顔を持っているからだ。
都市を高い壁で囲むのは、古代から行われてきた防御策である。クーロンの市壁は強固な合金でつくられており、壁、見張り塔、市門から成り立っている。高さは3階建ての建物を優に越し、厚さも大人が手を広げたほどだ。
見張り塔からには砲台も備え付けられている。火薬などではなく魔導砲である。1発で都市供給の電力を食いつぶし、辺りを焼き尽くすほどである。それが5機、都市の周りに備え付けられている。新興国軍がなかなか攻め入ってこないのこのためだ。
しかし、すでに1機破壊されている。
それによって敵は甚大な被害を被り、3千を越える多くの死傷者を出したが、クーロン側も大きな痛手となった。守りが薄くなった箇所をどう守るか。敵はまだ2万以上の師団を組んでいる。
現在、クーロンの電力は完全にダウン。防衛に必要な最低限の電力は確保されているが、市民たちのライフラインは完全に停止させられている。
ときは夕刻。日が暮れればクーロンは劣勢に追いやられる。
シスター・セレンは聖堂にて祈りを捧げていた。
普段は寂れた教会であるが、今日ばかりはひとが多かった。
市内放送のラジオで状況を確認しながら、人々は疲弊して怯えている。
シスター・セレンはそれらの人々を励ましながら、夜に向けて蝋燭の準備などを着々と進めてた。
いつまでこの状況が続くのか?
外壁都市は戦いが長く続けば続くほど、物資が枯渇していく。魔導炉によって、都市で自家発電はできるが、物資はそうもいかない。
教会に集まって来た者はスラム街に住む者たちが多い。彼らは食料の蓄えもない者たちだ。シスター・セレンは教会ので蓄えていた食料を少しずつ分け与えているが、とてもじゃないがそれでは足りない。先ほどもひとりが食料を奪って独占しようとして、最終的には袋だたきになって、教会の外に身ぐるみ剥がされ放り出されたばかりだ。
敵は外だけではなく、ひとの心の中にもいる。緊迫状態が続けば、ひとの心は乱れ、中には暴動を起こす者も出てくる。敵がいれば一致団結できるなんてことはない。危機的状況だからこそ、ひとは自分のために他を犠牲にすることもあるのだ。
物資が枯渇し、都市内部で暴動が起きはじめ、今や電力供給のストップし、市壁の一部も守りが弱くなっている。そして、外には2万を越える軍隊。
セレンは礼拝堂の外に出た。
ひと気はない。
都市は静まり返っているが、異様な空気感と緊張感が漂っている。
そんな中にありながら、庭の花々は美しく咲き誇り、セレンの心を癒やしてくれた。
「シュラ帝國がなくなって平和になるなんて嘘だった……。はじめのうちはよかった。この教会を支えてくれるひとたちが増えて、とくにトッシュさんにはたくさんお金を寄付してもらっているし、物資だって定期的に届けてもらってる」
花々は気高く咲いている。
「この庭が泥に埋まってしまったあと、だれかがこんなにもすばらしい庭園をつくってくれて、なんだか世界もこれからよい方向に変わっていくと……信じていたのに」
世界の情勢は悪くなるばかり。
「どうして人間同士が争わなくてはいけないの」
戦争の原因はさまざまであるが、今回は宗教や思想の対立によるものではない。シュラ帝國亡きあとの覇権と資源を巡っての戦いだ。
進行国軍がクーロンに攻め入ってきたのは、その都市資源を奪うためだ。のどから手が出るほど敵が欲しているのは、ロストテクノロジーだろう。クーロンはロストテクノロジーによって、下支えされているが中でも飛び抜けているのが、魔導炉の存在である。
この場所にロストテクノロジーの魔導炉があったからこそ。砂漠のど真ん中に存在するこの都市はここまで繁栄することができた。
魔導炉の原理は現在の科学では解き明かせないが、おそらく半永久機関であると考えられている。絶え間なく供給されるエネルギー。このエネルギー資源を敵が放っておくわけがない。
敵は都市ごと欲しいと思っている。そのために破壊は最低限に留めている思われる。そうでなければ、もっと戦いは激化して、空からの攻撃で都市が爆撃されて火の海に沈んでいただろう。
目尻の涙を拭いたセレンは教会に戻ろうとした。
「食料も底をついてしまいそう。貯金を切り崩していっても、少量価格が信じられないほど高騰しているし……」
肩を落として歩いていると、微かな気配を感じてセレンは振り返った。
突然、目の前に現れた影。
下着姿の男だ。変質者ではない。身ぐるみを剥がされた〝男〟だ。
「さっきはよくも!」
〝男〟は怒鳴りながらセレンを押し倒した。
「きゃっ!」
完全な逆恨みだ。
セレンは平等に食料を分け与えていたし、この〝男〟が袋叩きにされているのですら止めに入ったのだ。
怯えるセレンの頬が殴られた。
血走った〝男〟の眼は狂気に駆られている。相手が女子供だろうが、聖人だろうが関係ない。この〝男〟はもう自ら止まることはなく堕ちるところまで堕ちていくのだ。
〝男〟はセレンを羽交い締めにしながら、礼拝堂の中に入っていった。
暗い面持ちをしていた人々が顔上げ、驚きと共に瞳を〝男〟とセレンに向ける。
視線を注がれセレンは気丈に微笑んだ。
「だいじょうぶですから、なにも心配ありません」
だが、〝男〟によって髪の毛を引っ張られた。
「うっ!」
「この偽善者がっ、うるせー黙ってろ!」
この〝男〟を袋だたきにした奴らは、腰を浮かせて今にも飛び出しそうだ。けれど、それを抑えているのはセレンの存在だ。
〝男〟は要求をする。
「食料を全部出せ、あと服もだ。おい、そこのあんた、服を脱いで俺に渡せ!」
命令されて顔を伏せて椅子に座っていた若者が立ち上がった。青年だった。
「シスターには手は出さないでください。僕の服であればいくらでも差し上げますから」
少し怯えた声で、青年は上着を一気に脱ぎはじめた。
へそが見え、頭から服を抜こうと顔が隠れたとき、〝男〟は度肝を抜いた。ほかの者たちもそうだ。
青年だと思っていた者の躰に豊満な胸があったのだ。
いや、服の上からはそんなものなどなかった。だからみな驚いたのだ。
服を脱ぎ捨てた青年。そこにあったのは青年の顔ではなく、金髪の女の艶笑であった。
「この躰はタダじゃないわよ」
女が言った刹那、〝男〟は後頭部から脳漿を噴き出して倒れていた。
遅れてセレンが叫ぶ。
「きゃぁぁぁっ!」
目の前でひとが死んだ。
〝ライオンヘア〟は銃を構えて微笑んでいた。
男を殺し、セレンを救ったのはライザだったのだ。どういう技術を使ったのかわからないが、ライザは青年の躰に変装していたらしい。よくリリスも同じことをしていた。
ライザは何事もなかったように、床に落ちていた服を再び着る。
場は完全に凍り付いていた。
ライザは辺りを見回した。
「だれか屍体を片づけておいてちょうだい。アタクシはシスターとおしゃべりがあるから、それでは失礼するわ」
呆然と立ち尽くすセレンの腕を強引に引っ張ってライザが歩き出す。
教会の奥へと進み、適当なドアを開けて、部屋の中に入った。
セレンはパニック状態でなにがなんだかわからなかった。
一方、落ち着き払っているライザは、ベッドに腰掛けて座って足組をした。
「久しぶりね、元気にしていたかしら?」
「え……あっ……助けてくれてありがとうございました」
お礼を言う顔は暗い。自分を救ってくれたとはいえ、目の前でひとが死んだ。自分のせいで死んだとセレンは心を痛めていた。
「暗い顔しちゃって、アタクシがシスターになにかすると思って?」
「いえ……そういうわけでは……」
「過去にいろいろあったことは認めるわ。今回は取り引きなしに、アナタに協力して欲しいことがあるの」
「なんでしょうか?」
「単刀直入に言うわ。一匹狼さんと連絡を取りたいの」
「トッシュさんのことですか?」
「ええ」
これまでライザとトッシュの間には因縁がある。反乱分子だったトッシュは、帝國のライザに何度も命を狙われていた。それは本気だったかどうかはさておき。
セレンは口を結んだ。
それを見取ってライザは微笑む。
「教えたくないってわけね。しかし、トッシュに危害を加えるつもりはないわ。と言っても信じてもらえるかはわからないけれど」
セレンは口を開かない。
自虐気味にライザは鼻で笑った。
「ぜんせん信用されていないのね。べつにいいけれど嘘つきなのは認めるわ。最近も大きな嘘をついたもの。ねえ、帝國が水に沈んだあと、アタクシがどうなったか噂を耳にしたかしら?」
「死んだもの噂されていました。だから大臣も今では好き勝手に軍を率いて侵略行為を……。私はライザさんが生きているような……ほかのひとたちもそうだと思っていましたが」
「そう、生存者はひとりも確認されていないものね。だから、アタクシもそれに便乗して死んだことにして身を隠していたのよ。なのに、どうやら最近生きていることがバレてしまったらしく、いろんな敵に追われ命を狙われて、人生でもっとも最悪だわ」
溜め息を落としてライザは前髪をかき上げると、さらに話を続けた。
「どうして身を隠していたかわかる?」
「どうしてですか?」
「帝國が滅亡すれば、煌帝がいなくなれば、世間が荒れるのは目に見えていたわ。当然、アタクシを邪魔だと思う輩が狙ってくることは容易に想像できたわ。でもね、そんな奴らは小者よ、小者。あっという間にアスラ城が水の底に沈んだとはいえ、生存者が確認できないっておかしいと思わない?」
陰謀を予感させる言葉だった。
ライザは妖しげな笑みを浮かべつつ、その眼は鋭くなった。
「最終的には水責めで溺れ死んだ者が大半だけれど、その前に多くの兵士たちが何者かに殺され、退路という退路も断たれ破壊されていたのよ。逃げ場を失い右往左往している間に水の底」
「ライザさんはどうやって生き延びたんですか?」
「手の内はあまり明かさない主義なの。言えるのは自分一人で精一杯だったということ」
苦虫を噛み潰したような顔をライザはした。すべて捨てて逃げたのだ。
多くを失ったライザは新天地を求めた。
「最近、トッシュは英雄として貧困層から絶大な支持があるみたいね。彼を支えようと革命軍も戦力を伸ばしているみたいだけれど、まだまだ弱い。けれど支持する人数は多い。アタクシはべつに世界平和を願ったり、自分がトップに立って世界を支配する気なんてないわ。ナンバー2くらいが自由に動けて良いもの。だからアタクシは今後誰に付こうかと考えて、トッシュに決めたのよ。アタクシの身の安全を確保してもらう代わりに、アタクシの頭脳を革命軍に提供するわ。素敵な取り引きだと思わない?」
「本当にトッシュさんがどこにいるか知りません。連絡はたまにありますけど、各地を転々として逃げ回ってるみたいで」
「各地を転々としているらしいのは知っているわ。でも逃げ回るというのはなぜ?」
「英雄なんて祭り上げられるのは嫌なんだそうです。革命軍のリーダーになってくれとも言われているみたいですが、一匹狼が自分の性分に合っているって」
「まだリーダーではなかったのね。声明で彼の功績が伝えられているけれど、実際は各地で彼の名前が勝手に使われているだけなのね。そうだとは思っていたけれど」
噂に尾ひれがつき、やがて英雄は神格化される。革命軍の思惑は、いかにトッシュを祭り上げ、人々を引き込んでいこうというのがあるのだろう。
「革命軍に名前を使われるだけではなくて、悪いことにも自分の名前が使われるってトッシュさんが憤っていました。ある村で自分の名前を語った偽物が、金品を要求したり、女に言い寄ったりして、腹が立ったから自ら出向いてボコボコにしてやったと、こないだの手紙には書かれていました」
「居場所がわからなくても、こちらから連絡はできるのでしょう?」
「いいえ、それがいつも一方的な連絡で」
「最近、どのあたりにいるかも見当つかない?」
セレンは首を横に振った。
――突然の爆音!
小康状態が破られ敵が攻めてきたのか!?
急いでセレンは礼拝堂に走った。
そして、思わずセレンは絶句した。
燃えていた。礼拝堂が燃えていたのだ。天井には攻撃を受けた穴が空いていた。
逃げ惑う人々。瓦礫の下敷きになった者。床に転んでいる少年。
セレンは少年に手を貸そうとした。だが、その手はライザによって引かれ、強引に礼拝堂の外に出されたのだ。
都市は騒然としていた。
夕焼けよりも赤く染まる都市。
空から次々と炎が降り注いでくる地獄絵図。
クーロンは一瞬にして戦渦に沈んだのだった。