黄昏の帝國「渦中(1)」
アレンの目の前でライザの形が変わっていく。
漆黒の不気味な仮面。
「だれだよあんた?」
「隠形鬼……ト名乗ッテ置コウ」
姿を現したのは隠形鬼だった。
ライザとは似ても似つかない姿。変装というレベルではなかった。声、姿、思考までもライザをコピーしていた。
「オンギョウ〝キ〟ってことは鬼兵団かよ?」
「ソウイウ事ニナル」
「俺をどうするつもり?」
「未ダ解ラナイ。くらいあんとノ依頼デハ、生ケ捕リニシロト命ジラレテイル」
命令があるにも関わらず、まだ解らないとはどういうことだ?
「少シ御喋リガ過ギタカラ、偽者ダト気ヅイテイタノカ?」
「いんや、はじめから気づいてたけど?」
「流石ダナあれん」
〝流石だな〟という言葉は、比較対象があっての言葉だ。アレンの情報は収集済みということだろうか。
「ところでさ、あんたここのことどうやって知ったわけ?」
「フフフッ」
不気味な笑いだった。仮面で何を考えているのか、表情からではわからない。
「なんだよ、なにがおかしいんだよ」
「其レヲ答エル義務ハ無イ。今ハ〈すいしゅ〉ヲ探ストシヨウ」
「俺といっしょに探す気かよ?」
「此処デハ御前ガ頼リダ」
「頼られてもなぁ。記憶が曖昧だし、たぶんそういうの知らずに暮らしてたし」
少しずつ蘇ってくる断片的な記憶。
ここでの生活は穏やかなものだった。
気候は常に安定しており、食べる物にも困らなかった。
アレンがまず向かったのは小屋だった。この家でアレンは暮らしていたのだが、今に思えば不思議な家だ。
《お帰りなさいアレン》
中に入ると声がした。
外観も内装も木や石など自然の素材で造られているが、置かれている物の中には〝失われし科学技術〟の品々も多い。台所などはなく、冷蔵庫などもない。食べ物は時間になると箱の中に置いてあった。
「なんで俺こんなとこにいたんだろうな?」
その問に答える者はいなかった。
謎の包まれた生活。
なんらかの研究目的だったのだろうか?
それとも保護されていたのだろうか?
アレンは必死になって思い出そうとした。
「疑問も抱かず、ただ生きていただけだった。同じような日々の繰り返し……それが終わったのは……思いだせねえ」
アレンは頭を抱えて蹲ってしまった。
「第五次世界大戦ガ起キタノガ、丁度一〇〇〇年前ノ話ダ。其ノ戦イニヨッテ此ノ都市モ滅ビノ道ヲ歩ンダ。アノ戦イデ滅ビタノハ此ノ都市ダケデハナイ。世界モ文明モ一度ハ滅ビタ。砂漠化ガ急激ニ始マッタノハ、アノ戦争ノセイダト云ウノガ通説ダナ、フフフフッ」
「詳しいな、あんた」
「砂漠化ト言エバ、其ノ要因ヲ魔導炉ノセイダト騒ギ立テテイル奴ラモ居ルナ。特ニじーどト名乗ル過激組織ハ、帝國ノ魔導炉ヲ破壊シタソウダ。ソノ報イヲ受ケテ、我ラガ帝國ニ代ワッテ制裁ヲ下シタ訳ダガ」
「俺を挑発してんの?」
「否、世間話ダ」
「惨い殺され方だったけど、俺が敵討ちをする話じゃない。挑発しても意味ないぜ」
お互いの間にまだ殺気はない。隙さえあれば仕掛けるという雰囲気もなかった。
家の中を探してみたが、〈スイシュ〉らしい物はなく、そのヒントも見つからなかった。
「あんた〈スイシュ〉がありそうな場所知らないの?」
「知ラナイナ」
「ここのこと知ってたのに?」
「存在ヲ知ッテイタト言ウ程度ノ記憶シカナイ。〈すいしゅ〉ニ関シテ言エバ、其レガ装置ノ核デアルトシカ知シラナイ」
水を生み出す装置。その核となる〈スイシュ〉。宝玉と云うのだから、その形をしているはずだ。
この地下世界には川が流れていた。
もしかしたらと思い、アレンは川の上流に向かった。
川の上流には湖があった。ここが水源らしい。
「この底にあるとかないよな?」
「水底カラ高度ノ魔力ヲ感ジル」
「マジかよ、俺泳げたっけか……昔は泳げた気がするなぁ」
と、言いながらアレンは熱い眼差しを隠形鬼に贈った。
「私ハ全ク泳ゲナイ」
「ちっ、俺が行くしかないのかよ」
頭を掻いたアレンは観念して服を脱ぎはじめた。
隠形鬼がすぐそこにいることなど気にせず、全裸になるアレンだったが、じっと見られているような視線には気になった。
「俺の躰ジロジロ見て、ロリコンかよ?」
「私ハろりこんデハ無イ」
隠形鬼の口から〝ロリコン〟という言葉が出ると不思議な感じだ。
「じゃ、こっちが気になるわけ?」
アレンは金属でできた右胸を叩いた。
「両方気ニナル」
「やっぱロリコンなのかよ!」
「否、人間ノ躰ト、機械ノ躰ノ両方ガ融合シテイル姿ガ、興味深イト言ウ事ダ。一度詳シク調ベテ診タイ」
「やだよ、ロリコンなんかに指一本でも触れられたくない」
「私ハろりこんデハ無イ」
ロリコン論争はおいといて、アレンは準備体操をはじめた。
枯れた大地で暮らしていると、泳ぐ機会なんてあまり訪れない。水泳は金持ちの道楽だ。
準備体操を終えたアレンは、頭から湖に飛び込んだ。
透明度の高い水中。水深もあまりなく、地の底まで見ることができた。
アレンの泳ぎはというと、はじめは少しぎこちなかったが、だんだんと調子を掴んできたようだ。
水底に輝きが見えた。
一度アレンは水面に向かって泳ぎだした。
水飛沫を上げて水面から顔を出したアレン。
「ぷはーっ!」
潜っていた時間は三分ほど。まだ余裕があった。
大きく息を吸いこんで再び湖に潜る。
湖の中心に向かって泳ぐ。
台座の上でそれは淡く輝いていた。
透き通ったブルーの輝き。
宝玉と云うが、その輝きは宝石の物ではない。
もう手を伸ばせば取れてしまいそうだ。
しかし、アレンは躊躇った。
これを取ってしまっていいものなのだろうか?
水を生み出す装置の核となる物。
湖に蓄えられた水。
アレンはその宝玉を手に取った。
そしてすぐに水面へ上がり、岸に向かって泳ぎだした。
陸に上がったアレンは宝玉を確かめた。水が出ているような感じはしない。台座から放したからだという可能性もあるが――。
「本当にこれが〈スイシュ〉なのか?」
「確証ハ無イガ、其ノ可能性ハ高イト思ワレル」
「だったらこれで俺の役割も終わったし、これ奪う気?」
「〈スイシュ〉ヲ手ニ入レル依頼ハ受ケテイナイ」
「でも俺のことは生け捕りなんだろ?」
「今ハ其ノツモリモ無イ」
「は?」
隠形鬼が何を企んでいるのかわからなかった。
〈スイシュ〉も奪わず、アレンも捕まえないとなると、何もせずにアレンを行かせるということなのか?
「依頼ハ受ケテイルガ、何時何処デトハ決メラレテイナイ」
「なんだよその屁理屈」
アレンは呆れた。
「其レヲ少シ貸シテクレナイカ?」
「やっぱ奪う気じゃんか」
「少シ調ベルダケダ」
相手は敵だ。しかも何か考えているのかわからない。
迷ったが、アレンは宝玉を手渡した。
受け取った隠形鬼は一秒とせずに返した。
「えっ、もういいの?」
「本物ダ」
「はっ?」
「其レガ〈すいしゅ〉デ間違イ無イ」
「今のでわかったわけ? そんなの信じられるかよぉ~」
「信ジル信ジナイハ御前ノ自由ダ」
違う物だという証拠もない。とりあえずはこれを持ち帰るしかないだろう。
アレンは〈スイシュ〉を地面に置いて着替えはじめた。
置かれている〈スイシュ〉を奪うような気配は見せなかった。本当に隠形鬼はなにもしないつもりなのだろうか?
濡れたまま着替えたので、服は少し湿ってしまった。それも外に出ればすぐに乾くだろう。この地下世界を出れば、世界は砂漠で覆われているのだから。
「私ハ行コウ。又何時カ会ウコトニナルダロウ」
隠形鬼がアレンの目の前で霞み消えた。まさにそれは消失だった。
そして、地面には〈グングニール〉が残されていた。
「……変な奴」
ボソッとアレンは呟いた。
セレンの前に現れたのは火鬼だった。
「探した探した、もうわちきはくたびれて、戦う気力も失せたでありんす」
トッシュは〈レッドドラゴン〉に手を掛けた。
「だったら帰ってくれないか、べっぴんさんよォ」
「わちきもそうしたいのは山々でありんすが、首の一つも持ち帰らないと、依頼主に面目が立たないでありんす」
「だったら自分の首でも持ち帰えんな!」
トッシュと共に〈レッドドラゴン〉が吼えた!
この至近距離で火鬼は鉄扇により弾を弾き返した。
「おやおや、血の気の多いお兄さんだこと」
余裕の笑みを浮かべた火鬼。
トッシュは驚きのあまり、すっかり次の行動を忘れた。
弾を受けたこともさることながら、鉄扇が弾を受けても破損しないことも驚きだった。
鉄扇と言っても、それは武器の総称であり、実際に鉄でできているとは限らない。
トッシュは振り返ってリリスを見た。
「リリス殿、少しばかり手を貸してはいただけないか?」
「断るよ。わしは性根の腐った女だろうと、どんな女だろうと、女として生きてる以上は其奴に手を出さん主義でな」
これを聞いて火鬼は狂気に侵された笑みを浮かべた。
「わちきとは真逆の考えを御持ちのようで」
刹那、鉄扇から炎が放たれた。
狙われたのは――セレン!
「きゃーーーっ!」
セレンの叫びは炎に包まれることはなかった。
炎はセレンの前に立った妖女リリスの前で消滅したのだ。
「妾は女に手は出さぬと言うたが、守らぬとは言うておらぬ」
妖女と化したリリスを見てしまった火鬼は息を呑んだ。
先ほどまではたしかに老婆だったはずだ。混乱する火鬼は眼を剥いたまま口をわなわなと振るわせた。
「許せない、許せない、許せない、こんな美しい女が存在しているなんて許せない、キィィィーッ!」
奇声をあげた火鬼は巨大な炎を撃ち放った。
「炎は美しい。じゃが、汝の心は醜いのぉ」
またも炎はリリスの目の前で消滅した。
火鬼は構わず炎を撃ちまくった。
嗚呼、虚しいだけだ。
決してリリスは傷つかない。
火鬼の中で何かが完全に切れた。
「ぶっ殺してやる糞尼ァッ!」
野太い男の声が木霊した。
炎を宿した鉄扇がリリスの首を狙う。
ついにリリスが動いた。
敵と同じく炎を宿す。
刹那、リリスは炎を宿した手で火鬼の顔半分を鷲掴みにした。
「ギャアアァァァッ!!」
耳を塞ぎたくなる絶叫。
肉の焼ける臭い。
火鬼は顔面を手で覆いながら後ろによろめいた。
「顔が……わちきの顔が……アアアアッ!」
地面に膝を付いた火鬼は戦意を喪失させた。周りすら見えていない。精神的な衝撃に耐えかね、喚くことしかできなかった。
リリスはすでに妖婆に戻っている。
「女のままでいれば手は出さぬつもりじゃったが……」
呟いたリリスを中心に強風が吹き荒れ、瞬く間にまたも妖女の姿に変貌した。
トッシュもそれを肌が痺れるほどの感じていた。
「だいぶ下がってろ」
トッシュはセレンを遠くに行かせた。
急いで逃げたセレンは物陰から二人を見守った。
そして、現れる黒い影。
そいつはトッシュの影から這い出してきたのだ。
驚きながらもトッシュは影に向かって銃弾を喰らわせた。
まさかの出来事にトッシュは眼を剥き、激しい激痛でその場に転倒した。
撃たれたのはトッシュだった。
刹那にして影と自分の場所が入れ替わり、自らで自らの腹を撃ち抜いてしまったのだ。
――隠形鬼。
目にも留まらぬ早さで、リリスは隠形鬼の胸に掌底突きを喰らわせ吹っ飛ばした。
次の瞬間には、リリスはトッシュの傷口を見えない糸で縫合し、さらに氣による治療を施していた。
トッシュの傷は深い。肉をそのまま鷲掴みにされ、抉られたような穴が開いていたが、どうにか縫合と氣によって出血は抑えている。それでもまだ瀕死の重傷だ。
まだトッシュから手を離せないが、敵はすぐ目の前にいる。
隠形鬼が静かに近付いてくる。
「久シブリダナ……りりす」
「久しぶり……じゃと?」
リリスは眉をひそめ記憶を辿った。
漆黒の不気味な仮面の主。
その下に存在している顔は?
「林檎ヲ与エタノハ誰ダ?」
「だ、だれ……じゃ……いったい?」
妖女リリスともあろう者が言葉を詰まらせた。見開かれた瞳に浮かぶ驚愕。
「御前ハモウ解ッテイル筈ダ。シカシ、其レハ答エノ半分デシカナイ」
「誰であろうと構わぬ、世界の脅威は滅するのみ!」
リリスはトッシュから手を放し攻撃を仕掛けた。
しかし、まさかリリスが後ろを取られるとは!?
後ろを取られただけではない。隠形鬼は刹那うちにリリスを後ろから抱きしめていたのだ。
「答エヲ知リタイカ?」
「おのれぇッ!」
リリスは妖気を宿した手で隠形鬼の仮面を鷲掴みにしようとした。
その仮面は一瞬のうちに顔になっていた。
それを見てしまったリリスは攻撃を止めざるを得なかった。
「莫迦な……まやかしめ!」
「そう、たしかにこの顔はまやかしよ」
隠形鬼に声は玲瓏たる女の声になっていた。
すべてを見守っていたセレンの位置からでは、隠形鬼の顔は見ることはできなかった。
セレンが見たものは、隠形鬼の胸の中でリリスが一瞬にして消えたという事実。
「あっ……き、消えた!?」
もうリリスはいない。
残されたセレンはどうすることもできない。トッシュは瀕死のまま。
すでに漆黒の仮面に戻っていた隠形鬼が、セレンのほうを向いた。
「生ケ捕リガ命令ダ。無駄ナ抵抗ハスルナ」
逃げるという抵抗すら今のセレンにはできなかった。足が震えて立っているのもやったのだ。
隠形鬼はトッシュの横に膝をついて、その傷口に手を添えて何をしはじめた。
穿たれていた傷が見る見るうちに塞がっていく。肉が増殖しながら蠢き、血の痕だけを残して傷を完全に塞いだのだ。もう血を拭き取ればどこに傷があったのかわからない。
「シバシ待テ、客人ガ来ルヨウダ」
上空を飛んでやって来る一台のヘリコプター。
それはこの場にゆっくりと降りてきた。
地面に着陸したヘリから降りてきたのはライザだった。
そして、続いて威風堂々と姿を見せた皇帝ルオ。
隠形鬼は膝をついて頭[コウベ]を垂れた。
高い位置からライザは隠形鬼を見下した。
「アタクシの偽者がいると聞いて来てみたら、鬼兵団の二人がいた。どういうことか説明してくださる?」
「サテ、何ノ事カ?」
「惚けないで、なにを企んでいるの?」
「此ノ通リ、我々ハ依頼ヲ果タシテイタマデデ御座イマス」
気を失っているトッシュと物陰でこちらを見ているセレン。火鬼は蹲ったまま震えている。
ライザは一通り見回した。
「老婆と坊やがいないみたいだけれど?」
「サテ、りりすハ何処ニイルヤラ。あれんナラバ、未ダ此ノ遺跡ノ何処カニ居ル筈デ御座イマス」
話を聞いていたルオは笑っていた。
「君の偽者疑惑は晴れないようだ。まあよい、あの小僧との決着はまだついていなかったね。まだ残っているのなら、朕が直々に剣を交えよう。鬼兵団はこのまま仕事を続けるといいよ」
「ルオ様!」
ライザは口を挟んだ。
さらにライザが続ける。
「この者たちを信用するなんて、どうか考えを改めてちょうだい!」
「君だって本物か偽物かわからないんだ。ここは朕が指揮を執らせてもらうよ」
帝國を走る不和。
自分たちがかく乱されていることに怒りを覚え、ライザは唇を強く噛みしめた。