黄昏の帝國「砂の海に沈みし都(4)」
呆れた顔でライザは目の前のアレンを見つめていた。
「本当によく食べるわね。胃の許容量を完全に超えていると思うのだけれど?」
もともと日数をかける作戦ではなかったため、食料はあまり積んでこなかったが、そのすべてがこの小柄な〝少年〟に食い尽くされそうだ。
兵士がそっとライザに耳打ちする。
「もう非常食量までなくなりそうなのですが……?」
「いいわ、全部出しちゃいなさいよ。今日中には城へ帰れるように、さっさと仕事を片付けましょう」
そして、ついにアレンはすべての食料を腹に収めた。
「喰った喰った……次は昼寝でもするか」
「させないわよ」
間髪入れずライザは言った。
二人が向かい合って座るテーブルの上が片付けられる。
アレンには常に銃口が向けられている。まるで尋問室だ。
頬杖を突いたライザが身を乗り出してきた。
「では話を聞かせてもらいましょうか?」
「べつに話すことなんてないけど?」
「そちらから話さなくても、質問に答えてくれればいいわ」
「嫌だと言ったら?」
アレンの頭に左右からライフルの銃口が突き付けられた。それがライザからの答えだ。
動じないアレンを見るライザは楽しそうだった。
「銃を離しなさい。この子に脅しは無意味よ」
頭から銃が離されたが、銃口は狙いを放さず指は引き金に掛かったまま。
ライザは椅子に深く腰掛けた。
「まずアナタたちの目的から伺おうかしら」
「なんか俺もよくわかんないんだよね。トッシュに聞けば?」
「彼は捜索中、そのうち見つかるんじゃないかしら。それまでの間は、アタクシとアナタでお話ししましょう」
「ならそっちが話しなよ」
「そう、なら話そうかしらね」
一息ついてライザは仕切り直し、話をはじめることにした。
「古代都市アララトの発掘調査を帝國が行ったのは、先代の皇帝の時代、アタクシがやってくる前の話よ。調査では数々の〝失われし科学技術〟が見つかったけれど、多くはすでにその場から持ち去られていたらしく、これと言った発見はなかったらしいわ。それでもずいぶんと帝國の役にはたったみたいだけれど。だからここには何も残っていない筈……なのにどうしてアナタはやって来たのかしらねぇ?」
「なにかあるから来たんじゃねえの?」
「人事みたいに言うのね。アタクシはアタクシなりに過去の資料を調べてみたのよ、それで見つけたわ〈スイシュ〉というオーパーツを」
「知ってるなら聞くなよ」
ライザは微笑んだ。相手に目的を認めさせたのだ。
さらにライザは話を続ける。
「帝國は結局〈スイシュ〉を見つけられなかったわ。もしかしたらここにないのかもしれないわね。アタクシはこの手で〈スイシュ〉を研究してみたいわ。手がかりがあるなら教えて頂戴。教えてくれなくても良いわ、アナタたちが見つけて来てくれれば」
「俺らが先に見つけてあんたに渡すと思ってんの?」
「それは力尽くで奪えばいいわ」
「言うねぇ~」
たとえライザは科学者としての興味であっても、帝國の手に渡ることには変わりない。帝國は水を生み出す装置をなにに使うだろうか?
ライザは席を立った。
「食後の散歩なんてどうかしら?」
「めんどくさい」
「そう言わないで、少し付き合ってくれないかしら?」
「はいはい、わかりました」
アレンは銃で小突かれ、仕方なく席を立った。
数人の兵士を引き連れてヘリの外に出る。そこからジープに乗り変えて都市の中心――巻き貝の塔へ。
色褪せた塔の内部。
外観と同様、装飾の数々は海を思わせ、かつての美しさの片鱗が感じられる。
そこからさらに奥へと入っていくと、一変して金属的な作りになっていく。
「エレベーターは動かないから非常階段から降りましょう」
先頭を切って歩くエルザが非常階段を降りはじめた。
長い長い螺旋階段だ。
途中にフロアへ出る扉などはなく、渦巻きがずっと底まで続いている。
五分ほどかけて階段を下り、やって来た部屋はコンピュータールームだった。
巨大なスクリーンや機器類は部品が外され、分解されて持ち去られてしまったのだろう。動力があったとしても、もうここは使い物にはならない。
部屋の中心でライザが立ち止まった。
「ここから先がわからないのよね。調査によると、この下まで建物が続いているのだけれど、入り口がないのよ。構造上、あるとしたらこの部屋なのだけれど、それらしい物はない。どう、アナタなら探し出せるかしら?」
顔を向けられたアレン。
「なんで俺なんだよ?」
「アナタならもしかしてって思っただけよ」
「俺にできるわけねえじゃん。こんなとこ来たこともねえし」
「それならそれでもいいわ。なにか手がかりがないか、アナタも探してくれないかしら?」
アレンはその場を一歩も動かない。なにかを探す動作もしない。決して銃を突き付けられているからではない。動けない理由があるのだ。
それをライザは言い当てた。
「嘘が下手なようね。アナタは入り口を探すことができない。だって探すフリになってしまうのだものね」
「はぁ? なに言ってんのアンタ?」
「惚けるのも下手ね。さあ、入り口を開けて頂戴。アナタは知っているはずよ」
「あんたの言ってること意味わかんねえよ」
アレンはライザから目を背けた。
この遺跡に来たときからアレンの様子は変だった。
――俺……あの天辺の部分、見たことあるような気がする。
それはいつ、どのような状況で見た光景だったのか?
本、写真、映像、幻、夢の中……それとも実際にその目で見た光景だったのか。
ライザはなにを知っている?
「〈ノアの方舟〉」
と、ライザは囁いた。
アレンは顔色一つ変えなかった。
さらにライザは付け加えた。
「〈ノアの方舟〉と呼ばれる施設がこの地下には存在している。なにか思い出したかしら?」
「いや、ぜんぜん」
「あらん、最後までアタクシに言わせる気かしら。人払いをして置こうかしらね、さっ、アナタたちこの部屋から出てってくれるかしら」
ライザを兵士たちを下がらせた。
二人っきりなり、アレンが逃げるのも今がチャンスかもしれない。
〈ピナカ〉の銃口はアレンを狙っている。
一発目さえ防げれば、あとはアレンの駆動力で乗り切れるかもしれない。
しかし、アレンは何も事を起こさなかった。
「最後までって言ってたけどさ、なに言うつもりなんだよ?」
「それはアナタ次第ね」
「俺次第って言われても、なんもしんねえし」
「〈ノアの方舟〉は言わば隔離施設だった。すべては秘密裏に、アララトの研究者たちもほとんど知らなかったわ。アタクシもその存在に気づけなかった、今もその真の目的がわからないわ。ただ一つはっきりしていることは……そう、〈ノアの方舟〉はアナタが過ごした施設ってこと」
「ふ~ん」
鼻を鳴らしただけのアレン。人を喰った態度だ。
ライザは黙ったままアレンを見つめた。相手が口を開くまで待つつもりだ。
沈黙の中、時間が過ぎ去っていく。
こういう間にアレンは弱かった。
「話すよ、話せばいいんだろ。実はさ、記憶が曖昧なんだよ。ホント断片的にしかここのこと思い出せなくてさ、それもさっきやっと思い出したって感じで。入り口なら知ってるよ、たぶんだけどな」
「記憶が……そう……とにかく早く開けてもらおうじゃない。アナタの楽園への入り口を」
「はいはい」
アレンは迷うことなく壁にある隠しパネルを見つけ、そこに両手を押し当てた。
《認証が完了しました》
床からエレベーターがせり上がってきた。動力が生きていたのだ。
エレベーターに乗り込んだ二人。
問題なく稼働したエレベーターは、扉が閉まると同時に自動的に下へと向かった。
ほどなくして止まり、扉が開かれた。
なぜライザは楽園と称したのか、その答えは広がる光景にあった。
地下施設にも関わらず、ここは人工太陽に照らされ、大地が広がり草木が育っている。ここにあるのは植物だけではなかった。動物の群れが遠くに見える――あれは羊だろうか、砂漠には珍しい長い毛に覆われた動物だ。
ほかにも多くの動物たちと、鳥たち、昆虫や、流れる川には魚たちもいた。
地下とは思えない広大な施設。
どれだけ長い年月、幾星霜の年月をこの動植物たちはここで過ごしてきたのだろうか。
ライザはこの世界を見回しながら言った。
「どう、ふるさとに帰ってきた気分は?」
「さあね、あんま覚えてねえし」
「そう、じゃあ感慨にふける必要はないわね。さっそく〈スイシュ〉を探しましょうか?」
「それはいいんだけどさ……一段落ついたから聞くけど――」
アレンの瞳がライザを射貫いた。
そして、こう言ったのだ。
「あんただれ?」
――数時間前のこと。
玉座に座るルオの前に、ある女が姿を現した。
「どうしたライザ?」
〝ライオンヘア〟は毛羽立って乱れ、後頭部を押さえて苦しそうな顔をしているライザ。
「何者かに襲われて、今までバスルームに監禁されていたのよ。この城の内部に敵が侵入していることは間違いないわ」
「ほう、客人とは珍しい。ほかに情報はあるかい?」
「鬼兵団との連絡がつかないわ。それと〝アタクシ〟がある場所に、兵を引き連れて向かったらしいわ」
「君が?」
「ええ、ここにいるのに」
「なかなか面白い話だ。どこに向かったかわかるかい?」
「それはすでに調べがついているのだけれど、問題は派遣された部隊とも連絡がつかないことだわ」
「ますます面白い」
この状況を楽しむルオ。
笑いながらルオは頬杖をついた。
「このまたとない面白い状況を愉しむには、ここに残るべきか、その場所とやらに行ってみるか」
「敵がまだ城の内部にいる可能性は十分あるわ。貴方には城を守る義務があるのではなくて?」
「それがつまらない、じつにつまらない。朕は城の中で退屈なのだ」
「わかりましたわ。ルオ様不在の指揮はアタクシが執りましょう」
「しかし、君の方が偽物だったらどうする?」
それこそが敵の作戦かもしれないと考えるのは当然。ルオを厄介払いできれば、城を落とすのも容易くなるだろう。ルオはシュラ帝國の絶対者なのだから。
ライザは頷いた。
「その可能性は十分に考慮するべきだわ。少なくともアタクシが二人は存在している以上、偽者が必ずいるということなのだから」
「君が本物だと証明できるかい?」
「それは難しいわ。偽者がどの程度アタクシを再現しているかわからないもの。DNA検査をするにしても、時間が掛かるわ」
「つまり君も信用できないわけだ」
「そういうことになりますわね」
あっさりと認めた。
ここにいるライザは本物か偽物か?
一人の偽者がいるとしてら、二人目がいる可能性もある。
ライザの偽者がいるのなら、ほかの者の偽者もいる可能性がある。
疑えば切りがなくなる。
ルオが玉座から立ち上がった。
「ならば二人でその場所に行くとするか」
「それでは侵入している敵に、どうぞ自由にしてください、と言っているようなものですわ」
「簡単に墜ちる城など敵にくれてやるよ」
「うふふふっ、貴方らしいお言葉ですわ」
こうして二人を乗せた帝國の誇る空飛ぶ要塞――巨大飛空挺〈キュクロプス〉がアスラ城を飛び立った。
大事故から生還した二人は、呆然としながら壁にもたれて座っていた。
天地がひっくり返り、大地震が起きたような気がした。そのあとの記憶はあまり覚えていない。セレンはまだ少し痛むおでこを押さえた。
「死ぬかと思いました。もしかしたら死んでいるのかもしれません」
「だったら僕も死んでることになっちゃうけど」
横に座るワーズワースは側頭部を押さえていた。
燦々と照り輝く日差しを避け、日陰で休んでどれくらいが経っただろうか?
気を失っているトッシュはまだ目を覚まさない。
リリスは死んだように目を閉じて、壁にもたれて座っている。
唾を飲み込んだワーズワースが恐る恐るリリスの顔を覗き込む。
「お婆ちゃん死んでませんよねー?」
「おぬしらが死んでもわしは死なんよ」
「わっ、生きてたのか!?」
驚いたワーズワースは再びぐったりして壁にもたれた。
少し時間が流れ、セレンが口を開く。
「あのぉ、やっぱりアレンさんを探しに行ったほうが?」
すぐにリリスが反論する。
「こやつをどうする?」
トッシュのことだ。
じつはさっきも似たような話をしたばかりだ。
場所を移動するなら、この大柄で重そうなトッシュを誰が運ぶか?
小柄な少女のセレンには無理だろう。
ワーズワースも細身で筋力も体力もあるとは思えない。
二人の前で怪力を見せつけたリリスだが、このお婆さんに運んでくれと、セレンもワーズワースもなんとなく言い出しづらかった。
何かが起こらない限り、この場でこうして過ごしそうだ。
「わたしのどが渇いてしまったんですが……」
申し訳なさそうにセレンが言った。
「あ、僕はトイレに行きたくなっちゃいました」
立ち上がったワーズワースは小走りで姿を消した。
リリスはセレンに顔を向けた。
「車から取ってくればあるよ」
「……さっき出すべきでしたね。あの、いっしょに……」
「こやつはどうする?」
「……そうですよね、我慢します」
乾燥した暑さは口から水分を奪う。
セレンの唇はもうガサガサだ。
そんな唇にそっと指で触れたセレンは、急に沸騰しそうなほど顔を赤くした。
指で触れると、あのときの事故が思い出される。
車が大回転しながら建物に突っ込んだとき、セレンは思わずワーズワースに抱きついてしまい、その拍子に……。
顔を赤くしたセレンを妖しく微笑みながらリリスが見つめた。
「暑さにやられたのかい?」
「いえっ、べつに!」
なぜリリスは笑っているのだろうか?
たぶん見られていないはずなのに……。
セレンはさらに顔を赤くした。
あの出来事は自分の胸にしまって置こうとセレンは誓った。
けれど、ワーズワースもそうしてくれるだろうか。
心配のせいかわからないが、セレンは胸が苦しくなった。
悶々としているセレンに構わず、リリスはあの時の遠い空を眺めていた。
「またお客さんじゃな。今度のはおっきいよ」
ハッとしてセレンも我に返り、上空に目をやった。
瞳を丸くしたセレン。
「あれは……」
雲一つない広大な空を我が物顔で飛行する〈キュクロプス〉がいた。
この状況で、リリスはじつに愉しそうに笑っていた。
「あれが現れたということは、皇帝自らお出ましと言うことじゃろうな」
「そんな、なんで……」
そして、このタイミングでトッシュは目覚めようとしていた。
「……あ~っ……糞熱い……」
目覚めたトッシュの瞳に真っ先に映った物体。
「〈キュクロプス〉かッ!!」
眠気を引きずることなくトッシュは飛び起きた。
さらにトッシュは辺りを見回して、ほかの自体にも気づいた。
「アレンはどうした!? あの若造もいないぞ?」
まずセレンが答える。
「アレンさんはわかりません」
次にリリスが答える。
「若造なら便所に行ったよ。帰ってこない様子を見ると、迷ったか大便でもしとるんじゃろう」
〈キュクロプス〉の登場にトッシュは頭を抱えた。
「とにかく便所に行った大便野郎を待って、そのあとアレンを探しに行く。もしかしたらあの場所にまだいるかもしれん」
と、そのとき、この場に人が近寄ってきた気配がした。
セレンが振り返った。
「お帰りなさ……ッ!?」
現れたのは紅く艶やかな花魁衣装の女だった。