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魔導装甲アレン  作者: 秋月瑛
第2幕 黄昏の帝國
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黄昏の帝國「アレン始動(2)」

 クーロンの住人にも忘れられてしまった廃れた教会。

 神父が亡くなってからは、より廃れる一方だった。

 三ヶ月前までは建物自体も崩れ落ちそうなほどだったが、今ではある者の援助によって、壊れた箇所や痛んでいた箇所が修復され、小綺麗な教会に生まれ変わった。

 建物が生まれ変わっても、住人たちの心は変わらず、迷った仔羊すら教会に訪れる者はいない。

 そんな教会であっても、シスター・セレンはこの場所を見放すことはなかった。

 セレンもまたシュラ帝國に仇をなし、顔もこの場所も知られている。指名手配こそされなかったものの、教会に留まることは危険極まりない行為だった。

 覚悟を決めてセレンはこの場にいる。

 あれから三ヶ月経つが、なぜか未だに帝國はこの場に姿を見せることはなかった。その沈黙が逆に恐ろしくセレンを不安にさせる。

 今日か、それとも明日か、寝ても覚めても帝國が現れることに恐怖する。

 とても辛かった。

 慕っていたシスターが亡くなり、神父も亡くなり、独りになってしまってから、これほどまで独りということが恐ろしいと感じたことはなかった。

 短い間であったがアレンたちと行動し、危険な目に遭って命を失いそうにもなった。

 ――それでも今の方が何倍も苦しい。

 もしかしたら、アレンやトッシュとの関係が切れたから、帝國が現れないのかもしれない。

 何を選ぶのかと訊かれたら、セレンは教会を選ぶ。

 そのためなら、独りでも耐えられる。

 セレンはだれも見ていなくても、笑顔を忘れない。

 いや、だれも見ていないわけではない。

 教会の裏庭に咲き誇る花々――彼らがちゃんと見守っていてくれる。

 今のセレンの心を癒してくれるのは、この花々だった。

 枯れた大地に色とりどりの花は珍しい。

 クーロンは大都市で水もほかの地域に比べればあるが、それでもこんなに綺麗な花は珍しい。

 セレンが水をやり、ときに鼻歌を聴かせ、丹念に育てた花。

 それはセレンの心を癒すと共に、生活費として生きる糧にもなっていた。

 ほかの町や村では人々は花になど見向きもしないだろう。貧困層にとって、花など腹の足しにはならない。クーロンは貧困層も多いが、富裕層も多く済んでおり、生活落差の激しい町だ。富裕層には少なからず、花を買ってくれる者がいるのだ。

 花壇の横には水路がある。クーロンの井戸などの水は浄化しなければ飲めないが、ここの水が水源が違うのか、澄み切った綺麗な水だった。

 そして土も違う。

 水は元々この場所に湧いていたものだが、肥沃な土は神父が遠くから運んできたもので、さらにそこへ動物の死骸や野菜の残り滓を埋めて肥料にして育てた土だ。

 少し心配な顔をしてセレンは花々を見つめた。最近、花の育ちが悪い。土のせいか、水のせいか、原因はわからない。

 セレンは水を汲み、やかんを改造したジョウロで水を撒きはじめた。

 先端を蓮口に改造されたやかんからは、シャワー状の水が優しく噴き出る。

 甘い風の匂い。

 上機嫌になったセレンは鼻歌を歌い出した。

 このときは帝國の恐怖などすっかり忘れている。

 警戒心もなく、心穏やかに花と向き合う。

 だから近付いて来た気配にまったく気づきもしなかったのだ。

「こんにちは」

 優しい女性の声だった。

 驚いてセレンは振り向いた。

 そのとき、ジョウロの水が相手のドレスに!

「あっ、ごめんなさい!」

「大丈夫ですよ、この花も水が欲しかったのでしょう」

 気品のある顔つきの女性は、そのドレスも大輪の花のように美しかった。

 セレンはハンカチを持っておらず、自らの服で女性のドレスを拭こうと慌てた。

「本当にごめんなさい。突然だったもので、驚いてしまって、ごめんなさい」

「ですから、大丈夫ですよ。このドレスも綺麗な水が頂けて喜んでおりますわ」

 花のような笑顔だった。

 その笑顔に同性ながらセレンはドキッとした。

 すぐにセレンは女性に見られていることが恥ずかしくなってきた。

 同じ女性として、向こうは美しい花のようなドレスを着こなし、こちらは雑巾のように薄汚れた質素な尼僧服だ。

 この尼僧服が気に入らないわけではない。愛着を持って大事に着ている。それでも、こんな美しいドレスを見せられてしまったら、羨ましく思ってしまうのは仕方がないことだった。

 ぼうっとセレンがしていると、女性の声が現実に引き戻した。

「どうかなさいましたか?」

「あっ、いえ、美しい方だなぁって……はっ」

 セレンは息の呑んで口を噤んだ。つい口に出して言ってしまった。

「ありがとう、嬉しいわ」

 嫌みのない笑みで女性は答えた。

 この場の空気と女性は見事に溶け込んでいる。それがセレンには複雑な思いだった。

 教会を今まで独りで守ってきて、自分の居場所はここしかないのに、一瞬にして花のドレスを着た女性は、咲き誇る庭園を我が景色にしてしまった。

 セレンは気負いながらも、静かに対抗心を燃やした。

「あの、この教会のなんのようですか?」

 あくまで女性はこの教会の住人ではない。何かの用で訪れた客人だ。

「花の匂いに誘われて……わたくし花が大好きで、花を売っている方がいると聞いて、ここまで出向いたのですが?」

「そうなんですか!」

 セレンの心に花が咲いた。

 自分の育てた花がもらわれていくのは、寂しくもあるが、それ以上に嬉しいことだった。

「どの花になさいますか?」

 笑顔でセレンは尋ねた。

「そうね、二本ほどあなたが選んでくれるかしら。できれば、土ごと頂きたいのだけれど、よろしい?」

「はい! 鉢がないので、新聞で土を包むことになりますけど大丈夫ですか? あっ、溢れないように何重にもして、丈夫に包みますから」

「あなたにお任せいたしますわ」

「ちょっと待っててください新聞紙を取りに行って……?」

 セレンが走り出そうとしたとき、地面が少し揺れた。

 だんだんと揺れが激しくなる。

 地響きが聞こえた!

 立っていられなくなったセレンが地面に手をつく。

 地の底で何かが流れているのがわかった。

 眼を丸くしたセレン。

 地の底から水柱が天に昇ったのを目撃したのだ。

 まさに土砂降りであった。

 地中から水と共に噴き上がった土砂が、空から降ってきた。

 それだけではない。

 なにが起きたのかわからぬまま、セレンは鉄砲水に呑み込まれ流されてしまった。

 叫び声すらあげられない。口を開ければ泥水が口の中に入ってくる。

 流されたセレンは教会の壁に激しく打ち付けられた。

「うっ」

 徐々に水が引いていく。

 泥だらけになりながらセレンは立ち上がった。

「ああ……そんな……」

 絶望的な声をセレンは漏らした。

 美しく力強く咲いていた花々が刹那にして土砂に埋もれた。

 同じく泥だらけになった女性がセレンに近付いてきた。

「大丈夫ですか?」

「はい、大丈夫です。あなたこそお怪我はありませんか? ドレスもそんなに汚れてしまって」

「ご心配なく。それよりも……」

 女性は少し離れた地面に視線を向けた。

 同じ方向を見たセレンは、あまりの驚きにそれが現実だと思えなかった。

「アレンさん!」

「水といっしょに噴き上げられてきたらしいですわね」

「そんなことが……それよりも今は!」

 セレンはアレンに駆け寄った。

 泥だらけのアレンは気を失っている。

「アレンさん! アレンさん!」

 セレンの呼びかけにも答えず、蒼白い顔をしてまるで死んだように動かない。

 慌てながらセレンはアレンの呼吸と脈を調べたがよくわからない。

「脈が取れません!」

「慌てないで、落ち着いて、わたくしに代わってくださる?」

 改めて女性がアレンの呼吸と脈を確かめた。

「まだ生きているわ」

「本当ですか!」

「ええ、辛うじて」

「……あっ」

 セレンの目の前で女性はアレンに唇を重ねた。

 その行為は人工呼吸というより、ただの接吻に見えた。

 静かに唇が離された。

「脈も呼吸も正常に戻りましたが……可笑しいですわね」

「可笑しいってなんですか?」

「息を吹き返さない……この子、半分死んでいるわ」

「……半分」

 その言葉にセレンは思い当たることがあった。

 鼠色の金属に覆われたアレンの右半身。

「なにか心当たりが?」

 女性に尋ねられ、セレンは少し戸惑った。

「いえ、その……」

 あのことを言っていいものなのかわからない。

 たしか……セレンがアレンの身体を見たのは、この教会での出来事だった。あのとき、金属の半身を見られたアレンは平然としていた。まったく隠すそぶりも見せなかったが、見られたあとだから開き直ったのかもしれないし、アレンの了解を得ずに話すことは躊躇われた。

 女性はそれ以上の追求をしなかった。

「まずは彼女を運びましょう」

「えっ、女の子だってわかったんですか!?」

「格好は荒くれの男のようだけれど、唇の柔らかさは誤魔化せないわ」

 女性は微笑んで、アレンの身体を抱きかかえた。大の大人ではないとはいえ、アレンをひとりで抱えるのは大変だろう。すぐにセレンも支えた。

「こちらです、教会の中へ」

 二人でアレンを教会の中まで運んだ。

 隅々まで掃除してあった廊下は泥だけになってしまったが、今はそんなことを気にしている場合ではないだろう。

「シャワールームは?」

 女性に尋ねられ、セレンは申し訳なさそうな顔をした。

「シャワーはありませんけど、お風呂場はこちらです」

 まずはこの泥を落とさなければ。

 風呂場に着くとセレンはポンプを動かし水を出した。そして、この場を女性に任せて部屋を飛び出そうとする。

「タオル持ってきます!」

 風呂場を飛び出し、急いでセレンは大きめのタオルをいくつも持って帰ってきた。

「あっ!」

 セレンは顔を赤くして目を伏せた。

「すみません!」

 再び風呂場に飛び込むと、女性もアレンも裸になっていたのだ。

「同じ女同士なのだから気にしないで。あなたも泥を流して着替えたほうがいいわ」

「あ、あっ……は、はい」

 少しセレンは恥ずかしそうにしながらも服を脱ぎはじめた。

 ふと、セレンの脳裏に思い出される過去の記憶。

 母のように、ときには姉のように慕っていたシスター・ラファディナ。昔はよく彼女とお風呂に入っていた。懐かしく温かい記憶だ。

 風呂場に飛び込んだ拍子に、二人の裸を見てしまったせいで考えが及ばなかったが、今さらながらセレンは気づいた。

「彼女の身体……驚かれましたか?」

 アレンの身体を見られてしまった。あのとき口ごもったことも、意味を失ってしまった。

「ええ、こんな人間がいるなんて信じられないわ」

 失われし科学技術』時代ならまだしも、今の時代にはありえない技術。医術と言うべきか科学と言うべきか、半身を機械に覆われた人間が存在していた事実。誰もが驚愕するだろう。

 自分たちとアレンの身体を洗い、バスタオルに来るんだアレンをセレンの部屋のベッドまで運んだ。

 セレンと女性はバスタオルを身体を巻いて、着替える間もなくアレンの看病をした。

 女性がアレンの様態を診る。

「様態は変わらないわ。良くもならず、悪くもならず、まだ半分死んでいる……」

「やはりお医者様を……でもお金が」

 医者を呼ぶという選択は、意識を失ったアレンを見つけたときから考えていた。だが、ネックだったのは治療代だ。

「医者は呼ばなくていいわ。わたくしの見立てでは、ただの医者では治せないでしょう」

「もしかしてあなたはお医者様なのですか?」

「多少の心得はあるけれど、医者ではないわ」

「そういえば、名前を伺っていませんでした。わたしの名前はセレンと言います」

「あなたの名前は伺っているわ。わたくしの名はフローラ」

「わたしの名前を?」

「この場所を教えて頂いたときに、あなたの名前もいっしょに」

 フローラは笑みを浮かべた。

「どなたから聞いたんですか?」

「うふふ、秘密。それよりも服を貸していただけるかしら?」

「ああっ、気が利かなくてすみません。尼僧服しかありませんけど、それでよろしいですか?」

「ええ、ありがとう」

 すぐにセレンは別の部屋に服を取りに行った。

 部屋に戻ってきたセレンが持っている尼僧服はラファディナの遺品だった。

「フローラさんのドレスに比べたら粗末な服ですが……」

「どんな服でも構わないわ」

 服を受け取り着替えをするフローラ。

 セレンも着替えを済ませ、アレンも着替えをさせることにした。やはり服は尼僧服しかなく、セレンの物を着せた。

 尼僧服を着たアレンの姿はセレンを驚かせるものだった。

「女の子みたい……あっ、はじめから女の子でした」

 あとは髪を切って梳かせば、より女の子らしく見えるだろう。振る舞いや格好は少年だとしても、やはり少女なのだ。

 セレンはアレンの手を握った。

「冷たい……このまま目を覚まさないなんてこと……フローラさん?」

 悲痛な表情でセレンはフローラを見つめた。

「わたくしにもわからないわ。その子の状態を看ることのできる方は、医術ではなく、その半身の機械に精通した方でしょう」

 アレンを助けるにはどうしたらいいのか?

 ――大魔導師リリス。

 その名がセレンの脳裏に浮かんだ。

 しかし、問題はセレンがリリスの居場所を知らないことだった。

 以前、リリスの家に行ったことがあるが、道はトッシュに任せていたために覚えていない。

 そうなるとまずはトッシュを探さなければならない。だが、セレンはトッシュに居場所すら知らなかった。『あれ』から会ってもいないのだ。

 アレンの意識が戻らないまま、様態が悪化してしまったら?

 リリスやトッシュを探している間にも、そうならないとは限らない。

「あの人がこの町にいるかどうかも……」

 独り言をつぶやいてしまったセレンにフローラは尋ねる。

「あの人? その方がこの子を治せる方なの?」

「あのっ、違います。治せる可能性がある方は別の方なんですけど、その方の居場所を知っている方がまた別の方で……トッシュさんって言う方なんですけど」

「『暗黒街の一匹狼』と呼ばれていた方かしら?」

 その通り名を出されてセレンは不味いと思った。評判の良くない名前だ。セレンまでも同じと思われ、距離を置かれる可能性もある。距離を置かれるだけならまだしも、災難が降ってくる可能性もある。

 不味いと思いながらも、セレンは消極的に首を縦に振った。

 その嘘を付かなかった行為が岐路を見いだしたのだ。

「その方ならよく存じ上げているわ。もちろん居場所も知っているわ」

「本当ですか!?」

「ええ、すぐに連絡をつけてみましょう」

「ありがとうございます!」

 こうして再び歯車は回りはじめた。

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