黄砂に舞う羽根「夢見(6)」
月光が鋼色の機体に反射する。
けたたましい爆音を静かな夜に鳴り響かせながら、巨大な鉄の塊が砂煙を上げなら空に舞い上がる。
魔導を動力源とし、巨大なエンジンに膨大なエネルギー送り込む。
全長は三五〇メートル以上もの巨体が宙に浮いた。
シュラ帝國が世界に誇る、世界最大級の飛空挺〈キュプロクス〉が、夜空を支配しようとしている。
幾つものライトを灯台の光のように撒き散らし、〈キュプロクス〉が天へ天へと昇っていく。
風が少し強い。
まるで風が唸り声をあげているようだ。
〈キュプロクス〉が目指す航路は、夜空に燦然と輝く巨星――エヴァのもとへ。
艦内では慌ただしく兵士たちが動いていた。
武器の整備から小型飛空機の整備に時間を追われ、ひとりの『少女』を捕獲するために万全の準備が進められていた。
皇帝ルオの前での失態は許されない。それは死に直結するからだ。それゆえ、兵士たちの士気は高まり、『少女』捕獲の準備は万全に万全を期した。
艦内のほぼ中心部にある広い司令室では、皇帝ルオが艦長の椅子――つまりルオの特等席に脚を組んで座っていた。
「ライザ、どうするつもりなんだい?」
ルオは斜め上を見上げて、不機嫌そうなライザに尋ねた。
「アタクシといたしましては、捕獲を第一優先事項、それができなければ破壊を推奨いたしますわ」
「破壊は勿体ないね」
まったくそのとおりだとライザは思っていた。破壊と口にはしたが、ライザはエヴァを破壊する気など毛頭ない。
「では、人型エネルギープラント捕獲のために、『黒い翼』を投入いたします」
「朕は参謀ではないから、君の好きなようにやってくれればいい」
「御意のままに」
ルオに軽く頭を下げたライザは、前方の席にいるオペレーターに命令を下した。
「『黒の翼』に出動の命令をなさい」
それだけを言った。そう、すでに作戦は決まっていたのだ。『黒の翼』を投入することは最初から決まっており、艦内ではそれに沿って準備が進められていたのだ。
シュラ帝國のエースパイロットで構成された、小型飛空機の精鋭部隊が『黒の翼』である。彼らの任務は常に戦闘の最前線に立つことであり、空での仕事を一手に引き受けるスペシャリスト集団でもある。『黒の翼』は常に模範でなければならないのだ。
『黒い翼』の名のとおり、黒い翼を持つプロペラ型飛空機の周りには、黒尽くめの服に身を包む隊員たちが出動の要請を待っていた。
格納庫で待機していた『黒の翼』部隊長に通達が下る。
通信機を口元から下げた部隊長が、すぐさま隊員たちに指示を下す。
隊員たちが慌ただしく動き、格納庫になんともいえぬ緊張感が走る。
月明かりの下での作戦は困難を極める。その困難さと危険さは昼間の比ではない。それでも彼らは行く。ある者は愛する者のため、ある者は名誉や誇りのため、ある者は己のために空を翔け巡る。
飛空機を運ぶための昇降口が開かれ、一機目の飛空機が飛空挺上部の発着場にエレベーターで運ばれていく。
開かれた昇降口の先は闇だった。暗い夜空が広がっている。星々の煌きだけでは心もとない。それでも機械制御のエレベーターは上へと向かう。
長く伸びる甲板の上から観える星はいつもよりも騒がしく輝いていた。
――二一時ちょうど作戦開始。
プロペラが高速で回転し、助走をつけた飛空機が夜空へ飛び立った。
後に続けと次々と黒い機体が空に飛び立つ。
六機の黒い機体が群れをつくり、魔鳥のごとく夜空を舞う。
星よりも、美しく輝く月下の『少女』――エヴァ。彼女は未だ夢現であった。
『黒い翼』が近づいてくるのに気づいているのかいないのか。エヴァの瞳は遠くを見据えていた。
六機の雲に映る黒い魔鳥の影が迷いなく、船を導く灯台のように輝くエヴァに向かって飛んでいく。
『黒の翼』に課せられた任務は、エヴァの破壊に非ず捕獲だ。だが、どうやって宙に浮かぶものをプロペラ型飛空機が捕獲するのか?
この手の任務は他に類を見ないと思いきや、『黒の翼』はこれまでに数多くの捕獲作戦を成功させていた。
『黒の翼』のターゲットは必ずしも人や機械だけではない。中には宙を泳ぐ空魚や、巨鳥、空竜などもいた。この手の作戦をさせたら、『黒の翼』に優る飛空部隊はいないだろう。だが、今回の作戦は今まででもっとも困難が予想された。
〈キュプロクス〉艦内の司令室にいるライザが、オペレーターに向かって喚くように指示を出す。
「無傷で捕獲するのよ!」
そう、『無傷』で――という言葉が今回の作戦を困難なものにさせていた。しかも、相手はあくまで『生物』ではなく、『機械』なのだ。生物であれば、麻酔弾で眠らせることもできるが、姿形がいくらヒトに似ていようと機械に麻酔弾が効くはずがない。
宙でじっとしているエヴァに近づいた『黒い翼』は、陣形を崩さぬまま減速する。
エヴァに動きは見られない。逃げることもなく、戦う気配もなく、魂が抜けてしまっているようだ。
黒い機体を操縦する部隊長が通信機を通して仲間に指示を出す。
《魔導ネット発射!》
これを合図に六機の飛空機がエヴァを取り囲み、機体の先端から七色に輝く捕獲ネットを六機同時に発射した。
輝く捕獲ネットは蜘蛛の巣のように広がりエヴァの身体を捕らえ張り付く。
現代科学技術と『失われし科学技術』のアンバランスな融合。プロペラ機が超科学の粋を使っているのだ。
伸縮自在の魔導ネットは見事エヴァを捕獲して捕らえた。
エヴァはなんの抵抗もしなかった。それゆえに作戦がスムーズに進んだのだ。
並んで飛ぶ六機の飛空機の先端から垂れ下がる六本の紐の先には、七色に輝く魔導ネットに包まれ毛糸玉のようになってしまっているエヴァがいる。あとはエヴァを〈キュプロクス〉まで運べば、作戦のほとんどが終了する。だがしかし、エヴァは空竜などとは違い麻酔弾によって眠らされていない。ただ、夢現なだけ。
自由の象徴である翼を無理やり丸められ、身動き一つできないエヴァが、やっと目を大きく開けた。
魔導ネットを破り白い翼が出た、紅い翼が出た。万が一、空竜が目を覚まし暴れても破れないはずの魔導ネットが破られた。紅白の翼から零れる煌きが、魔導ネットの力を中和させてしまったのだ。
星よりも、月よりも、世界に昼をもたらす太陽よりも、エヴァは力強く燦然と輝いた。
あまりに眩しすぎる輝きは、エヴァを包んでいた魔導ネットを、煌く炎によって燃やしてしまった。
燃えがる炎の中でエヴァは巨大な翼を力いっぱい広げた。
『黒い翼』の一機を光の柱が下から突き上げるように貫いた。
夜空に儚い爆発音が響き渡る。
エヴァの身体から幾つもの光の筋が放たれ、無差別に世界を照らし、上空で火炎の華が咲き乱れる。
六機の機体は、花火のように儚くも美しく散った。
〈キュクロプス〉の司令室で、『黒の翼』が壊滅させられたことを聞いたライザは、苦い顔をして皇帝の顔をちらりと覗きこんだ。
ルオは素っ気無い表情をしていた。
「やっぱり駄目だったようだね。君も無理だとわかっていたのだろう?」
「はい、わかっておりました」
『無傷』でエヴァを捕らえるなど無謀だった。それはライザも十分承知していた。だが、そうとわかっていても、彼女はエヴァを無傷で捕らえたかったのだ。
前の席に座っているオペレーターが後ろを振り返った。
「ターゲットがカメラの撮影可能圏内に入りました」
「すぐさまスクリーンに映像を出しなさい」
ライザが指示を出すと、前方の巨大スクリーンに白一色の映像が映し出された。スクリーンの故障かと思われたが、すぐに白はその大きさを縮め、闇に浮かぶ光球を映し出した。エヴァの身体は光の膜――球体状のバリアによって優しく包まれていた。
オペレーターが激しく振り切られたメーターの針を見て叫んだ。
「測定不能のエネルギー反応を検出!」
魔導師でもあるライザは背中に冷たいものを感じた。本能がなにかを恐れている。そして、彼女は発狂するように声をあげた。
「最大出力で防御フィールドを張りなさい!」
スクリーンを見ていたライザは眼を見開いて言葉を詰まらせる。
皇帝ルオは不気味に笑う。
「来るよ」
ルオは畏れてなどいない。彼は心から楽しんでいた。危機的な状況の中に彼は至福を感じるのだ。
夜空に浮かぶ光の玉は膨張し、縮んだ。
エネルギーの集束。
そして、放出。
巨大なエネルギー光線がエヴァから放たれた。
轟々と唸る光線は大気を燃やし、よりいっそう輝きを増して〈キュプロクス〉の真横を掠め、全長三五〇メートルを越す巨艦を激しく揺らした。そう、巨大な光の光線は〈キュプロクス〉を外れたのだ。
だが、それだけでは終わらなかった。
巨大な光線は輝きを増しながら〈キュプロクス〉の横を抜け、地上に向かって降り注ぐ。その先には巨大都市クーロンがあった。今、巨大な光は巨大都市を呑み込もうとしていたのだ。
街に住む人々は、誰もが空を見上げ慌てふためいた。――巨大隕石が振って来る。そうとしか思えない巨大な光だった。