黄砂に舞う羽根「夢見(5)」
意識は微かにあった。
薄く開けた瞼の先に見えるライトが眩しく、視界がぼやけ、黒い人影が自分の顔を覗きこんでいるのに、誰だかまったくわからない。
「エーテル体が不足しているようだわ」
誰の声なのかわからない。
前にもこんなことがあったような気がする。
もしかしたら意識は戻っていないのかもしれない。
過去の回想かもしれない。
アレンにはどちらでもいいことだった。
「エーテル体の流出が激しいようじゃな」
――過去と現在がリンクする。
「オリハルコンとの合金を――」
「オリハルコンの合金のようじゃが――」
過去の声と今の声が交差する。
「わたくしの力で――」
「わしの力で――」
凍てついた手術台の上にひとりの少女が横たわっていた。
一糸纏わぬ少女の身体は紅い血で覆われ、右脚も右腕も欠損し、内臓も飛び出してしまっている悲惨な状態だった。
凍てついた手術台の上にアレンは寝かされていた。
服を脱がされ、鼠色の金属が右半身を覆い、右腕はルオとの戦いで失われていた。
造り変わる身体。
造り直される身体。
過去の偉大な魔導師は、死人からヒトを創った。
現在の偉大な魔導師は――。
「これで完璧じゃ。修理だけでこれほどまでに身を削る思いをするとは、此奴を創った者は……」
そこでリリスは口を噤んだ。その表情に刻まれた皺は深い。
手術台の上で寝ていたアレンが、ゆっくりと瞼を動かした。
「……胸糞悪ぃ」
機械の右手をゆっくりと天井に向けたアレンが、自分の右手を眺めながら状態を起した。
「あんたが直してくれたのか?」
「わし意外に誰がおる?」
しんと静まり返った金属の部屋にはリリス以外の者はいない。さきほど聞こえていた声も、やはり幻聴だったようだ。
「あんたが直したのか……。これでひとつはっきりしたことがある。やっぱあんたじゃねえ」
「なにがじゃ?」
「別にぃ。あと、あんたと初めて会ったとき、初めてじゃない気がしたけんど、あれ俺の気のせい」
死人からヒトを創った偉大なる魔導師は誰か?
その問いはアレンに解けることはなかったが、ひとつだけはっきりしたことがある。
――リリスではない。
手術台から飛び降りたアレンはリリスから服を受け取ると、素早く着替えて帽子を被り、最後にゴーグルを頭の上に乗せた。
「あんがと」
そう呟いてアレンはリリスを残して部屋を後にした。
部屋の外は長方形の筒のような廊下が続いていた。
所々が茶色く錆びている廊下を照らす明かりは、等間隔に天井にぶら下がっている裸電球だけで、廊下全体が薄暗いために遠く先は闇だった
見覚えのある廊下だった。
「アレンさん、あの、もう大丈夫なんですか?」
部屋の外でアレンに声をかけたのはセレンだった。その表情は沈痛な面持ちだ。
それに対して、アレンの言葉は素っ気無いものだった。
「へーき」
「……わたし心配してたんですよ。それなのに、そんな返事……」
「心配すんのはあんたの勝手だろ。それとも『ありがとう』とか言って欲しいわけ?」
「別にそうじゃありませんけど」
「じゃ、ちょーへーき。これでいいだろ」
「…………」
セレンは言葉を失った。
悲しいとか、怒りといった感情を越え、ただ唖然と言葉を失ってしまった。アレンの神経構造が、セレンの理解の範疇を越えたのだ。
そして、アレンは前の話がなかったように、
「つーかさ、ここどこ?」
「トッシュさんの隠れ家だそうです」
「やっぱね。どーりで見覚えがあったと思った」
アレンがここに来たのは二度目だった。その二度とも、意識を失っているときに運ばれた。
自分勝手に歩き出したアレンが、いきなり後ろを振り向く。
「で、トッシュはどこにいんの?」
「えっと、そっちじゃなくて、こっちです」
セレンが申し訳なさそうに指を差したのは、アレンがいるのとはまったく逆の方向だった。
「早く言えよ」
「だって、アレンさんが勝手に歩き出したのが悪いんですよ」
「気が利かねえなぁ」
ぶつくさ言いながらアレンはセレンに連れられて廊下を歩いた。
いつもよりもアレンの機嫌が悪いことをセレンは感じていた。自分の知らないうちに、なにかあったのかもしれない。けれど、なにがあったのかは想像も及ばなかった。セレンにとって、アレンは未だ正体不明なのだ。
廊下に二人の足音が響く中、アレンは点々と割れた電球たちに目をやった。その電球はエヴァの封印が解かれたときに割れたものだ。エヴァの解放はクーロンの街に大きな爪痕を残したのだ。
だが、アレンは感じていた。
――まだだ。
封印は解かれても、覚醒めてはいない。
幾星霜を経て眠りから醒めたが『少女』が、真に覚醒めるとき、世界にどのような影響をもたらそうか?
封印を解いたリリスは知っているのだろう?
知らぬはずがない。
事の解決にはリリスの力が必要かもしれない。けれど、アレンはリリスに話しても無駄だろうと思っていた。――だったら、最初から封印を解いていない。それがアレンの考えだ。
しかし、リリスという女は気まぐれだ。物事がどう転ぶかはわからない。一寸先は闇だ。
電球が割れてしまっているせいで、普段よりも暗い廊下を進み、セレンはアレンをトッシュの部屋の前まで案内した。
「ここがトッシュさんのお部屋です」
セレンがドアをノックしようとすると、アレンがノックなしにドアを開けた。
「お邪魔しま〜す」
と言うくらいなら、ノックくらいすればいいものを。
ドアを開けると廊下に大量の光が流れ込んだ。
突然部屋に入って来たアレンの顔を見て、トッシュはあからさまに嫌な顔をする。
「ノックくらいしろ。どんな教育を受けて来たんだ」
「悪かったな、俺はガッコーも行ってねえよ」
小さなテーブルに着いているトッシュは、コーヒーを飲みながらアレンの右腕を見た。
「それで、腕は治ったのか?」
「直ったんだけど、そんなことより――」
「なにも言うな」
コーヒーカップに口を付けようとしていたトッシュの動きが止まり、空いている手をパーにして力強く前に突き出した。
「話くらい聞けよ」
「いや、聞かない」
断固として自分の意見を曲げないトッシュに詰め寄ったアレンは、彼のコーヒーカップを持っている手を下げて言った。
「聞けってば」
「聞かないと言っているだろう。俺様は二度もおまえを助けて、俺様のせいで危険なことに巻き込んだシスターもちゃんと助けた」
「じゃあ、ついでに」
「ついではない」
「じゃあ、そのついでのついででいいからさ」
ここでトッシュがため息をついて折れた。
「話だけは聞いてやる、言ってみろ」
「まずさあ、人型エネルギープラントはどうなったんだよ?」
「空の上に飛んで行った」
そう言ってトッシュは人差し指を立てて天を示した。
天に昇ったエヴァはクーロンの街からも見ることができ、今もまだ夜空で星のように輝いている。それ以上の動きは見せない。エヴァはクーロン上空で、ただじっとしているのだ。
アレンはトッシュの指差す方向を見た。そこには天井があるが、アレンはその先を見て、なにかを考えるように目を閉じた。
歯車が廻っている。
こんなに離れているのに、歯車が廻っている。
なぜ、歯車は廻る?
ゆっくりと目を開けたアレンはトッシュに尋ねた。
「あのさ、飛空機とか持ってないのかよ?」
「この街にそんな高価な代物を持っている奴がいると思うか?」
「あんただったら持ってそうだし。小型のプロペラ式でいんだけど?」
「だから持っていないと言っているだろう。それと、この街中を探しても無駄だと先に言っておくぞ」
「使えねえなぁ」
腕組みをしたアレンは、そのまま床に胡坐をかいて黙り込んでしまった。
「アレンさん、床に座るなんて汚いですよ」
「うっせーよ」
セレンに悪態をついたアレンは再び黙り込む。
少し顔を膨らませてドアの前で突っ立っていたセレンを押し退けて、リリスが足音も立てずに部屋に入って来た。
「空飛ぶ乗り物なら、この街の地下に眠っておる」
「マジか姐ちゃん!?」
床を叩いて飛び上がったアレンを、リリスは老女とは思えぬ艶やかな瞳で見つめた。
「ほほほっ、ついて参れ」