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魔導装甲アレン  作者: 秋月瑛
第1幕 黄砂に舞う羽根
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黄砂に舞う羽根「いにしえの少女(6)」

 待遇としては牢屋に入れられなかっただけマシだろう。それが自分を慰めるセレンの考えだった。

 部屋は一人でいるには広く、床には金糸と銀糸の刺繍がされた赤絨毯が敷かれ、テーブルや椅子といった家具にはこみいった曲線模様の細工がされ、部屋は華やかな色彩を放つロココ様式にまとめられていた。

 豪華絢爛なこの部屋にもてなされるのは、普段であれば一流の貴族に違いないが、今この部屋にいるのは、汚れた僧服を着た十五歳の小娘だ。釣り合いが取れていないのが目に見えて明らかだ。

 こんな部屋に入れられている以上は、立派な客人として迎えられていると思いきや、どうやら違うらしい。ドアは鍵が掛けられておらず開きっぱなしになっているが、その先には見張り役の男が立っており、窓はもとから開かぬように嵌め殺しの窓になっている。これでは逃げようがない。

 セレンは部屋中を意味もなく歩き回った。やることがないのだ。

 窓の外に広がる光景は、朱色に染まったクーロンの街だ。朱色に染まった空へ街から吐き出される黒い煙が伸び、街はすでに地震から立ち直り、二十四時間眠らぬ街にふさわしい活気を取り戻している。

 セレンはクーロン地下坑道からここ――〈キュクロプス〉艦内への空間転送に巻き込まれてしまった。そして、すぐにこの部屋で軟禁状態にされ、『少女』がどこに連れて行かれたか知らない。

 部屋は今セレンがいる場所の他に寝室とシャワールームがある。なに不自由ない部屋だが、それは囲いの中の自由だ。こんなところにいられない――というのが、セレンの気持ちだった。

 どこでどう運命を見誤ってしまったのか。アレンと出会わなければ、もっと平凡なシスターとして一生を終えていただろう。いや、アレンと出会う前の時点で、裏路地に入ってさえいなければ、あの時間にあの道を、買い物を――運命の鎖を辿れば尽きることない。

 部屋を歩き回っていたセレンはシャワールームに足を運んだ。シャワーを浴びるためではない。逃げ道を探すためだ。

 天井を見上げた視線の先に、通気孔の入り口が見えた。蓋が閉まっているが、簡単に外せそうで、小柄なセレンならば中に入れるくらいの大きさだ。

 天井までの高さはそれほど高くないが、セレンが両手をめいいっぱい上げてジャンプしても届きそうもない。

 部屋の外の見張りに悟られぬように、セレンはそっと椅子を一つ運んで来ると、通気孔の真下に置いた。

 椅子に乗ったセレンが両手を上に伸ばすと、楽々と天井に手がついた。これで上に登れる。

 通気孔の蓋を開けたセレンは、暗闇の中に恐る恐る手を入れ、縁に手を掛け、肘を掛け、踵が少し浮いた。

 ぐっと細い腕に力が入り、踵がゆっくりと椅子の上に降りた。

「登れない」

 肘を掛けたところで足が浮いてしまい、それ以上動けない。筋力のないセレンには、とても通気孔までよじ登ることができないようだ。

 小さな口元から、ゆっくりと息を吐いたセレンは、心の中で数を数えた。

 三、二、一――。

 椅子を踏み台にしてセレンが勢いよく飛び上がった。

 片足が椅子の背もたれに引っかかり、椅子が大きな音を立てて床に倒れた。

 通気孔の中に両肘を掛けられたのはいいが、足場を失い、力も入らず、セレンは足をバタつかせながら、その場から動けなくなってしまった。

 やがて部屋の外から物音を聞いて駆けつけて来た見張り役の兵士に、ライフルの銃口を向けられてしまった。

「そこでなにをしている? 早く降りて来い!」

 セレンからは下にいる兵士の顔が見えなかった。顔を通気孔の中に突っ込んでいる。

 声に命じられるままにセレンは降りようとしたが、下が見えないために床までの距離が掴めず、

「すみません、降りるの手伝ってくださいませんか?」

 と暗い通気孔の中に声を響かせた。

 どこからかため息を吐くような声が聞こえ、セレンの両足が抱きかかえられるように掴まれた。

「ゆっくりと手を放して降りて来い」

「ありがとうございますぅ」

 床の降ろされたセレンは、そのまま腕を掴まえれ、リビングまで歩かされると、銃口を向けられ椅子に座らされた。

「じっと座っていろ」

「はい」

 力ない声でセレンは返事をした。

 状況は完全に悪化した。

 手足を縛られることはなかったが、椅子から一歩も動けず、常に自分に銃口を向ける兵士が凛とした態度で立っている。セレンは目を伏せ、重いため息を吐いた。――逃げ出そうなんて考えなければよかった。

 そもそもセレンひとりで逃げられるわけがない。それに逃げる途中で銃弾に晒される可能性は大いにある。そう考えると、セレン身体をゾクゾクとさせて身震いをした。

 最初から殺す目的なら、こんなところに閉じ込めておくはずがない。じっとしていれば殺される心配はない。そう思ったセレンは運命に身を任せることにした。

 だが、しばらくしてセレンは足をムズムズと悶えるように動かしはじめた。

 妙な動きをするセレンに対してライフル銃を構え直した兵士が聞く。

「どうした?」

「あの、えっと……トイレに行きたいのですが?」

 顔を真っ赤にしたセレンは恥ずかしそうに言った。そう言えば、ずっとゴタゴタに巻き込まれ、トイレに行く暇などなかったのだ。

 尿失禁しそうな強い尿意を催し、寒気がして鳥肌が立ったセレンは、相手の承諾を得る前に立ち上がった。

「ごめんなさい、我慢できません!」

「仕方ない、俺の前をゆっくり歩け」

 背中に銃口を突きつけられ、トイレに向かってゆっくりと歩き出した。早く歩きたいのは山々だが、ゆっくり歩けと命令されている上に、走りなどしたら恥ずかしいことになってしまいそうだった。

「扉は開けたままにしろ」

 トイレの前に来たところで、兵士がとんでもないことを言い、セレンは顔を真っ赤にして眼を剥いた。

「な、なんでですか!?」

「可笑しな真似をしないとも限らない」

「窓もない密室から逃げられるわけないじゃないですか!」

「わかった、ドアは閉めていい。その代わり早く済ませろよ」

 ドアを閉めて密室の中でひとりになったセレンは、僧服の裾を巻く仕上げパンティを下ろすと便座に腰掛けた。

「はぁ」

 自然と安堵のため息が漏れ、セレンはふと天井を見上げて、大きな目をいつも以上に大きく開けた。

 トイレの外で待っている兵士はライフルの銃口を天に向けて構え、微動だにせずセレンのことを待ち続けていた。

 三分の時間が流れ、五分を過ぎた。

 なにか可笑しいと思った兵士はトイレのドアを強く叩いた。

「早く出て来い!」

 少し強い口調で言ったが、応じる答えはなく、しーんと静まり返っている。まるでなかに人がいなようだ。と、ここで兵士ははっとした顔をしてドアノブに手を掛けて、壊れんばかりに強く廻した。

「返事をしろ!」

 返事はない。ドアも開かない。――してやられた!

 兵士は足を上げてドアを蹴破ろうとしたが、足跡が付いただけでびくともしない。

 已む無く兵士はライフル銃を構えた。艦内での銃の使用は基本的に制限があるが、これは緊急事態だった。

 ドアノブに三発の銃弾を喰らわせ、ドアを蹴破り中に突入した兵士は辺りを見回した。

 一般人には不必要と思える大きな個室には、洗面台が設置され、便器の蓋は閉められ誰も座っていない――もぬけの殻だ。ただ、びゅうびゅうと風の音が鳴っている。天井の通気孔が開いていた。そこからセレンは逃げたのだ。

 通信機でどこかに連絡をした兵士は、閉まっている便器の蓋に足を掛けて、すぐに通気孔の中に入っていた。

 そして、少し経ったところで、洗面台の下に設置されていた棚の蓋が内側から開かれ、セレンがひょっこり顔を出した。彼女はずっとトイレの中で息を潜め、じっと兵士が通気孔に入ってくれるのを祈っていたのだ。セレンの作戦にまんまと敵は嵌ったわけだ。と言いたいところだが、これは不幸中の幸いがもたらした出来事だった。

 本当は通気孔から逃げようとしたのだが、またしても背が足りなかったのだ。セレンが右往左往していると、外から兵士の怒鳴り声が聞こえ、慌てて彼女は棚の中に隠れたのだ。そして、運は彼女を味方した。

 だが、これから先、セレンはこの敵陣の中からどうやって脱出する気なのだろうか。運もそうは味方してくれないだろう。そして、セレン自身も自分の運が、人よりも悪いことを身に沁みてわかっていた。

 頭を抱えたセレンは重い足取りで歩きはじめた。

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