黄砂に舞う羽根「いにしえの少女(4)」
白銀の長方形の箱。切れ目も繋ぎ目もない箱。その中にトッシュとリリスはいた。
先ほどまで薄暗い坑道の中にいたせいか、眩しい光で目が霞む。
目が落ち着いてきてもなにも変わらなかった。やはりなにもない部屋。
ざっと辺りを見回したトッシュが呆れた声を響かせた。
「なんだここは?」
期待していたものがなにひとつない。
空っぽの部屋の床に、トッシュは胡坐をかいて手に顎を乗せた。
「俺様はここになにをしに来たんだったか?」
苦笑する横で老婆の声でリリスが笑う。トッシュがヘルメットを取っているのに対して、リリスはまだフルフェイスのヘルメットを被っていた。
「ほほほっ、現代人は古代人よりも頭が悪くなったのかね。エネルギープラントはこの部屋の床下に眠っておるのじゃ」
「なにっ?」
「あの時代はなんでも収納して隠してしまうのが流行での、エネルギープラントも隠してあるのじゃ」
「この部屋のどこにもスイッチは見当たらないが?」
トッシュの言うとおり、部屋のどこにもスイッチはない。凹凸すらなく、切れ目すらない部屋のどこにモノを隠せるのか?
未だ武装兵の格好をしたリリスは、優雅な足取りで部屋の中心に向かった。果たして、フルフェイスの奥に隠されたリリスの顔は今?
部屋の中心で足を止めたリリスは床に肩膝を付け、右手を天井高く上げ、床に向かって振り下ろそうとした刹那、リリスの動きが止まった。
床すれすれでピタリと手を止めながら、リリスは部屋の入り口に視線を移動させた。
腰を曲げて頭を下げた巨人が部屋の中に入って来た。
立ち上がった男の背の高さは三メートルを越えていた。上半身裸の巨人の胸板は鉄板のようで、そこから伸びる腕は丸太のように太く、そして理想的な逆三角形のボディが美の輝きを放っている。だが、その上についた頭はなんと醜悪なことか。
殴られた瞬間みたいな顔をした坊主の頭の巨人が、手に持った金棒でブンと風を切った。
「オラノ名前ハ金鬼ダ。水鬼ヲ殺シタ奴、許シテオケネエ。ドコノドイツダベ?」
胡坐をかいてるトッシュが首を横に振り、リリスもぬけぬけと首を横に振った。
「わしじゃないよ。水鬼なんて奴の名前、はじめて聞いた」
「嘘付クデネエ、オマエラノ仲間ガ水鬼ヲ殺シタノハワカッテル。オラ怒ッタ!」
突然金棒を振り回し暴れ出そうとした巨人を近くにいた兵士が止める。せっかく開いた〈扉〉の中で暴れられ、施設を破壊されてしまっては元も子もない。だが、暴れまわる巨人を静止させることはできなかった。
金棒が轟々と風を唸らせ、兵士のヘルメットの中味を砕いた。銃弾を弾き返すヘルメットも、中味は打撃による衝撃に耐えられなかったのだ。地面に倒れた兵士のヘルメットの中は崩れた豆腐のようになってしまっている。
さすがに身の危険を感じた残りの兵士はライフルを構えようとしたが、その前に殴打され地面に沈んだ。巨人の割には動きが早い。
仲間殺しをした巨人金鬼は地面に足音を響かせながら、胡坐をかくトッシュの前に立った。
「オマエガとっしゅカ?」
「ああ、俺様がトッシュ様だ」
トッシュは立ち上がったが、巨人との体格の違いは明らかだ。これでもトッシュは体躯もよく、身長も一八〇センチを越える。それでも、まるで大人と子供に見えてしまう。
首を曲げて上を向くトッシュと金鬼の視線が合致する。どちらも負けず劣らずの鋭い眼をしている。
「とっしゅト言ウ男ヲ殺セ言ワレテル」
「殺れるもんなら、殺ってみな!」
遥か頭上から振り下ろされる金棒を後ろに飛び退き躱したトッシュは、愛用のハンドガンを抜いて引き金に手を掛けた。
火を噴く銃口。
放たれた銃弾は三発とも命中した。
トッシュが眼を剥いた。
「嘘だろ」
金鬼は胸板で銃弾を受け止めたのだ。そして、金属音を立てた銃弾は虚しく地面に転がった――金鬼の胸に傷ひとつ付けることもできず。
トッシュも持つハンドガン――〈レッドドラゴン〉は、五センチの鉄板を貫通する威力を誇る大口径の銃だ。それが肉すら皮膚すら貫通できなかった。
「オラノ身体ハ鋼鉄ヨリモ硬イ。銃弾ナンテ恐クナイゾ」
つまりトッシュのハンドガンは武器としての意味を成さなくなった。
頭を抱えるトッシュがリリスをチラリと見るが、
「年寄りのわしを扱き使う気かい? わしはここでおぬしらの戦いを見ておるから、思う存分戦うがよい。幸い、この部屋はおぬしらがいくら暴れても壊れんようになっとるでな」
視線を巨人に戻したトッシュは床を駆けた。
敵と距離を取りながら、作戦を練る。が、武器の効かぬ相手とどう戦う?
金鬼は金棒を無鉄砲に振り回しトッシュを追いかけてくる。巨人の割には意外に動きの素早い金鬼だが、トッシュの動きの方が素早さでは上回っている。それに金鬼の武器が金棒ということもあって、近づかれなければ負けることはない。だが、いつまでも逃げ回っているわけにはいかないだろう。
部屋中を駆け巡りながらトッシュは金鬼の金棒を見ていた。あの威力は先ほど目の当たりにしている。一発でも喰らえばアウトだ。それでもトッシュは接近戦を目論んでいたのだ。
床を蹴り上げたトッシュが速攻を決める。
金鬼との距離を一メートルに縮めたところで、トッシュが〈レッドドラゴン〉を構える。だが、金棒が地面を割るように振り下ろされて、トッシュの鼻先を通過して地面を叩いた。
グォォォン! と床が唸り声を上げるが、床にはなにひとつ傷が付いていない。リリスの言うことは本当だったらしい。
肝を冷したトッシュは再び金鬼を間合いを取っていた。
「ふぅ、死ぬところだったぜ」
冷や汗をぬ拭ったトッシュが再び速攻を決めた。
狭まる金鬼との距離。
トッシュには振り下ろされる金棒がスローモーションに見えた。
遥か頭上から振り下ろされた金棒は鼻先を通過し、床を力強く叩こうとしていた。トッシュはこの刹那に全神経を集中させた。
――僅かな隙を突く。
〈レッドドラゴン〉の照星を通して照準が定められた。
引き金が引かれ、銃口が火を噴き、また火を噴いた。
「ギャアァァァァァッ!」
奇声をあげた金鬼は金棒を投げ捨てて、両手で顔面を覆って床に膝を付いた。
続けざまに発射された銃弾は確かに金鬼を貫いたのだ――金鬼の両眼を。
指の間から血を滴り落とす金鬼は床の上を転げまわりながら泣き叫んでいた。これほどまでの苦痛は、この鉄巨人にとって初めてものだったのだろう。
仰向けになって天井に咆哮する金鬼の口の中に冷えた金属が突っ込まれた。
「俺様の勝ちだ」
金鬼の口に突っ込まれた銃口がなんども叫び声をあげた。
飛び散る血飛沫が〈レッドドラゴン〉を持つトッシュの手を紅く染める。
やがてカチカチと音を鳴らした銃は弾切れを起し、トッシュは血まみれになった金鬼の口から銃身を引き抜いた。
もうすでに金鬼は息を引き取っている。それも最初の数発目には息を引き取っていた。それがわかっていながらトッシュは撃ち続けたのだ。
屍体の傍らに跪いたトッシュは、血だらけになった手と銃を金鬼のズボンの布で拭った。普通の神経を持つ者がする行為ではない。トッシュの持つ名――『暗黒街の一匹狼』の由縁は、トッシュが単独行動を好むためではなく、誰もトッシュと組みたがらないために付けられた名前だったのだ。
立ち上がったトッシュの視線に三人の人物が目に入った。
「なんでその女と一緒にいる?」
トッシュの問いはすっ呆けた顔をしたアレンに向けられたものだった。
「一時休戦」
簡潔に述べるアレンをすぐさまセレンがフォローする。
「あ、あの、わたしの命を保証してもらう約束もして……そのぉ」
フォローになっていなかった。
鬣を靡かせながら『ライオンヘア』が一歩前に出る。
「一時休戦して、お互い無意味な争いはやめたのよ。それにしても、前よりヒッドイ顔ね、この莫迦鬼」
床に転がる屍体にライザは言葉を吐き捨てた。決して仲間とは思っていない口ぶりだ。
屍体の横を素通りしたライザはリリスの前に立った。
「アナタが〈扉〉を開けてくださった方かしら?」
「いかにもそうじゃ、ライザちゃん」
「あら、アタクシの名前を知っているだなんて、光栄だわ」
なにもない部屋を見回したライザが言葉を続ける。
「ところでエネルギープラントはどこにあるのかしら?」
「わしが目覚めさせようとしたところで、そこで眠る木偶の坊が邪魔に入ったのじゃ」
「あら、なら殺されて当然ね。では、さっそくだけどエネルギープラントを出してくれないかしら?」
「よいじゃろう」
部屋の中心まで歩いたリリスが足を止め、再び床に肩膝を付け、先ほどと同じように右手を天井高く上げ、床に向かって振り下ろそうとした。
その刹那、床に付いたリリスの手を中心して強風が吹いた。リリスの一番近くいたライザが後ろに吹き飛ばされたほどの強風だ。
風はその勢いを増し、光の波紋が部屋の中心から放たれ、光の通過した床には魔方陣らしき紋様が描かれていた。
「娘よ、お目覚め!」
リリスの声が響いた。妖女リリスの声がフルフェイスのヘルメットの奥から響き渡った。
部屋中が目も開けられぬほどの眩い光に包まれ、それが合図となって部屋中からモーター音が轟々と鳴り響いた。
光の渦の中で歯車もまた、なにかに共鳴するように激しく回転していた。