黄砂に舞う羽根「帝國の影(9)」
帽子の上から頭を掻きながら、大あくびをしたアレンは、湖の畔で目を覚ました。
上半身を起したアレンはすぐに辺りを見回す。
「どこだよここ?」
水底の砂まで見える透き通った湖の周りに、ナツメヤシなどの草木が生い茂り、その先に広がる砂漠を見て、ここはオアシスなんだと、アレンは頷きながら納得した。
でも、どうして自分がこんなところにいるのか、皆目見当が付かない。
寝ている間に置き去りにされたのかもとアレンは考えたが、その理由はピンと来ないような気がした。
辺りには人の気配もなく、湖の水面は波風一つ立っていない。
アレンは頭を悩ますばかりで、これが〈蜃の夢〉だということに、まったく気づいていなかった。
しばらく考え込んでいたアレンであったが、考えるのは彼女の性に合わないらしく、地面の上に寝転んで蒼空を眺めはじめた。
「腹減ったなぁ」
と、こんなときでも少女の口から出るのは、こんな言葉だった。
鼻先をポリポリと指先で掻いたアレンは、雲ひとつない蒼空を眺めながら、自分の喉が渇いてることに気づいた。その渇きは通常の渇きよりも激しく辛く、まるで血を欲している吸血鬼のような渇欲だった。
――苦しい。
喉を掻き毟りたくのを堪えながら、アレンは急いで水辺に駆け寄ると、頭から水の中に顔を突っ込んだ。
口から吐き出される幾つもの気泡が、水面で弾け飛んでは消え、そしてまた消え。儚い夢のように消えて逝く。
光差し込む水の中で、アレンは眼を大きく見開き、夢の中で夢を見た。
アレンの口から大量の紅い血が吐き出され、水を真っ赤に染めていく。やがて、紅色に変わってしまったスクリーンに、紅よりも紅い血塗れの少女が映し出された。
年の頃はアレンよりも若い、六、七歳の可憐な少女が血塗れになって倒れている。少女の右脚が股間からもがれ、右腕も肩から同じくもがれており、右脇腹から内臓がはみ出してしまっている。この悪魔の所業としか思えぬこの光景を、凄惨と言わずしてなんと言う。
手足を失った少女が、この世のものとは思えぬ苦痛の中で死んでいったことを、アレンは知っていた。
生きたままもぎ取られた腕や脚は、少女の見る前で貪り食われた。涙はでなかった、恐怖も感じなかった。残ったのは憎しみだけ。
そして、少女の心臓はたしかに鼓動を打つことを止めた。
だが、ここにいる。少女はここにいた。
アレンは自分の心臓を鷲掴みするように、胸を強く強く握っていた。その瞳からは、自分でも知らぬうちに涙が流れ、止まることなく頬を伝って流れ落ちる。
水の中にいたはずのアレンは、いつの間にか闇の中で独りぼっちになっていた。
長い間、独りだったような気がする。
多くの人とも出会ったが、みんな別れの時が来た。
最後はいつも独りだった。
闇の中で独りぼっちになっていたアレンの手を誰かが掴んだ。
それは天使?
それとも悪魔?
それは光だったかもしれない。
それとも闇だったかもしれない。
手を引かれるアレンは導かれるままに黄泉がえった。
人ではない、機械ではない、その中間の存在として、科学と魔導の申し子として。
最大の罪。
偉大なる大魔導師は、死人からヒトを創ったのだ。
嗚呼、夢が溶ける。
闇の壁がチョコレートのように溶けはじめ、光の世界が目を覚ます。
夢の中の夢が目覚め、〈蜃の夢〉が発狂した。
そして、アレンは還った。