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誰も知らないくせに  作者: 青井在子
02, いつかのその日まで 小田良輔
7/23

07


 カオルと初めてしっかり話をしたのは高一の夏で、それまでは顔と名前を知っている程度だった。アイツは入学してからだんだんと有名になっていった。

そして二学期を迎えるころには同学年どころか、学校中でカオルのことを知らない生徒も教師もいないようだった。


カオルは特別に美人っていうわけじゃなかった。アイツより脚が細かったり胸がデカかったり目が大きいヤツは他にたくさんいた。それでもカオルは周りの目を引いていた。目立つグループに所属する派手なヤツとも陰キャラみたいなヤツともわけ隔てなく接して、笑顔を向けていた。


そして誰もがその笑顔が自分に向くことを望んでやまなかった。そんな気がする。


 学校生活は、運動ができるヤツが勝ちだ。少なくとも高校生までは。運動ができて抵抗なく異性と話すことができれば、大抵のことは上手くいく。

俺自身がその内のひとりだった。中学生のころから人並み以上に運動ができたおかげで体育の授業や部活では目立った。それがそのまま高校に入っても続き、俺はいわゆる派手なグループに、クラスの中心的存在にいるようになっていた。


 俺は野球部で、カオルはジャズ部に所属していた。俺たちが通っていた高校には吹奏楽部がなくて、夏になると運動部の応援にはジャズ部が来ていた。

高校生として初めて迎える夏の大会で、俺を含めた一年生とスタメンに選ばれなかった先輩はスタンドで応援をしていた。


そのすぐ隣でジャズ部は演奏していた。楽器の名前はトランペットぐらいしかしらない。どれがサックスでどれがトロンボーンかなんてわからなかった。ただ夏の鋭い陽射しを受ける金属の塊を抱えて必死に息を吹き込む姿を見ると、そっちのほうが倒れないか心配で、応援したくなるような気がした。

煩いぐらいの合奏に負けないように声を張り上げる。グラウンドに立つよりここにいるほうが汗が流れるようだ。


試合はうちの学校が勝っている。もともと相手は格下だし、今バッドを握っている三年の先輩はエースだ。何も問題は無い。とにかくこの暑さから一瞬で良いから逃がしてくれ。

そんなふうに思って、ふとスタンドの上のほうの席に目をやった。

ジャズ部の後列に、他の楽器と生徒たちに隠れるようにしてアイツはいた。

長い黒髪を低い位置で二つ結びにして、うちの高校のマークが入ったキャップを被っている。ジャズ部Tシャツに制服のスカート姿で、前髪が汗で額にくっついている。

カオルはキーボードを演奏していた。

必死に応援していると言うよりも、ただ鍵盤を弾くことが楽しくて堪らないという様子で黒髪が揺れる。

その姿に釘づけになった。大き過ぎると感じていた楽器の音も叫び過ぎて枯れた野球部員の低い声も、焼き尽くさんとする陽射しもなにもかも気にならなくなった。

グラウンドなんて目に入らず、ただ立ちつくしてカオルがリズムに合わせて動くのを見ていた。


 その日家に帰るやいなやカオルと同じ中学で同じクラスのユウヤにメールをした。森薫の連絡先を教えてくれ、と。

とりあえずカオルに聞いてみるわ。と返信が来たときには苛立った。一刻も早くカオルに連絡したかったのと、俺が知らないアイツの連絡先を当たり前のようにユウヤが知っていたことと、ユウヤが「カオル」と呼び捨てにしていたせいだ。

翌朝、といっても昼近くになってようやくユウヤからカオルのアドレスが書かれたメールが届いた。

俺は一瞬の迷いも無く、すぐにカオルにメールを打った。


 やっほー。一組の良輔だけど、わかる?


返事が来るまではいてもたってもいられなかった。何度かセンターに問い合わせをしてみた。テレビを見たって漫画を読んだって何も頭に入って来なかった。

カオルから返信があったのは、一時間後のことだった。


 三組の薫です。わかるよー。


一時間も待ったのにこんなに短い文章かよ、と若干がっかりもしたけれど、返事が来ただけでも堪らないぐらいに嬉しかった。


 それから毎日メールを送った。早い遅いはあったものの、カオルは必ず返信をしてくれた。授業のこと。部活。噂話。漫画。テレビ。たくさんの話をした。

夏休みが終わる頃にはメールをするだけじゃ足りなくなって、ケー番を聞いた。初めて電話を掛けた時は呼び出し音よりも自分の心臓の音のほうが大きいぐらいだった。早く出てほしいともこのまま出ないでほしいとも思った。


「もしもし」


耳元で俺だけが聞いているカオルの声がした。機械を通すことで加工はされていたものの、電話の向こうにいるのは紛れもなくカオルだった。


「もしもし。リョウスケだけど」

「うん。知ってるよ」


カオルが静かに笑う。何かを話さなければと思う。必死で回転させた頭が見つけたのは、夏休みが明けてすぐにあるテストの話題だった。実力を測るテストと言うのは名ばかりで、良い成績を取らなければ、その後にはそれなりのことが待ち受けている。


「もうすぐテストだよなー。俺まじやばそう」

「勉強してないの?」

「顧問が煩いから課題はなんとかやったけどさ、それ以上はなんもしてねー」

「ほんとー?」

「ほんと、ほんと。森は勉強とかどうなの? なんか得意そうだけど」


その頃の俺は、学校中のだれもがアイツのことをカオルと呼んでいるにも関わらず、まだ名前で呼べずにいた。


「全然だよ!」


そう言って謙遜したものの、俺はカオルの成績が悪いわけないことをなんとなく知っていた。課題は一度だって遅れずに提出し、授業中には居眠りなんてせずにノートを取る。そんなイメージがアイツにはある。


「得意な教科とかないの?」

「えー。うーん……」


少しだけ考えるための間が開く。


「強いて言うなら英語と国語が得意かな。数学と理科は駄目」

「英語できんの?」

「強いて言うなら、ね!」


カオルの得意教科を聞いて、俺は心のなかで小さくガッツポーズをした。何故なら得意科目も不得意科目も俺と真反対だったからだ。これを利用しない手は無いと、当時の俺は思った。


「俺逆に数学と理科は平気だけど、英語が壊滅的なんだよなー。過去完了とかハァ?って感じだし」

「あー。確かに過去完了のへんは意味不明だよね」

「でも英語できるんだろ?」

「うーん……。まあまあ」

「じゃあさ」


俺はここで大きく息を吸った。電話の音声に混じるざらついたノイズが急に静かになった。


「英語教えてよ」

「え?」

「代わりに数学と理科教えるからさ!」

「え? でも……」

「お願い! まじでテストやばいんだって! これであまりにも成績悪いと部活にも出させてもらえなくなるんだって!」


なんとしてもイエスと答えてもらうために必死だった。


「森、頼む!」


カオルに見えてもいないのにベッドの上で電話越しに土下座をした。


「……そんなにやばいの?」

「超やばい!」

「練習に出れなくなっちゃうほど?」

「うん!」


もう一度うーんと悩む声が聞こえた。この頃のカオルにとってはまだ俺というか、男子に個人的に勉強を教えるということはとても大きな決断が必要になることだったらしい。


「……いいよ」

「まじで!」

「まじで」

「よっしゃ!」


思わずそう叫ぶと、電話口で笑い声がした。

その小さな笑い声が、胸の奥の方を刺激して堪らなかった。カオルが可愛くて可愛くて仕方がなく思えた。


ドラムのように高鳴る鼓動と喉元まで競り上がって来た熱い塊をなんとか堪えて、図書館で勉強する約束を取り付けた。

俺はその日、携帯を握りしめたまま気がついたら眠っていた。


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