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誰も知らないくせに  作者: 青井在子
01, She left me behind 市川ふみ
3/23

03


 辿り着いたのは個室の居酒屋で、そこでもカオルは生ビールを頼んだ。メニュー表を見て悩む私に笑いながら時間をくれた。

ジョッキに入った生ビールとシャンディガフが届いて、私たちは乾杯した。

お通しの塩キャベツをつまむカオルを横目に、私は年齢を確認されなかったことに安心していた。カオルは平気な顔で食事のメニューを眺めている。もしかしたら彼女はこの店が年齢を確認しないことを知っていたのかもしれない。

もしかすると毎回ライヴ後はこうやってどこかの居酒屋で一人で飲んでいるのかもしれない。


 ジョッキのビールが減っていく。幸せそうな溜息がバランスの良い唇から零れた。


「カオルちゃんはレフウィルが好きなの?」

「うん。……てか呼び捨てで良いよ」

「え? でも……」

「あたしもフミちゃんのこと、フミって呼ぶから」

「あ、うん……」


グラスに口を付ける。甘いのに後味にビールの苦みが香った。


「結構意外だった。バンドのライヴ見に来るのとか。とくにレフウィルって結構マイナーだし」

「そうかな? 高校のときにレフウィルにハマって、それから結構一人でライヴとか見に来てたよ。リリースのイベントとかも行ったことあるし」

「そうなの? へー。しっかりファンやってるんだね」

「そうそう。なんか食べる?」


メニューを捲るカオルのネイルは夜空のようなネイビーにネオンサインのような蛍光のピンクや黄色のアルファベットが書いてある。一本の指に一文字ずつ、SLAWと入っていた。

SLAWというのは、She Left A Willの略称だ。ネットやファンの間ではレフウィルと呼ばれることも多い、カオルのお気に入りのバンドを表すアルファベットだ。

She Left A Will、通称レフウィルは2010年に結成された五人組みのバンドで、曲調はポップ・ロックとかインディ・ロックのものが多い。メンバーは男性三人、女性三人でテレビで見かけることは無いが、邦楽ロックファンの間ではじわじわと人気が出てきている。


「フミは? バンドとか詳しそうだよね」

「うん。詳しいほうかなー。自分でもバンドやってるしね。一応」

「あ、そうだよね。あたし何回か軽音サークルのライヴ見に行ったことあるよ」

「知ってる。見かけたもん」

「あのとき、東京事変のカバーしてたよね。あれ好きだったな」

「あれねー。ありがと」

「東京事変好きなの?」

「うん。もともとお姉ちゃんが林檎ちゃん聞いてて、その影響でさ。バンド好きになったきっかけも事変かも」

「そうなんだー。あたしあんまり詳しくないけど、入水願いとか好き」

「え! 入水願い知ってるとか、結構詳しいと思うけど」

「ほんと? そうなの?」

「うん。そんでもってまた暗い曲を選ぶね……」

「そうなの。好きになる曲が暗いの多いからさ、カラオケ行ったときとか地味に困るんだよね」

「あー、なるほどね」


カオルが綺麗に飾られた指先で呼び鈴を押す。遠くから店員のはぁいという声がした。


「フミはカラオケとか得意そうだよね」

「全然! 私は聞く専門だし」

「えー? 嘘だぁ」

「もう皆、バンドやってるって言うと歌上手なんでしょ、とか言うけど、私ベースだからね。ボーカルだったらまだしもさ……」

「それでも一般人よりはリズム感だってあるでしょ」

「リズム感があっても声が出なきゃ意味無いよ」

「聞いてみたいけどなー。フミが歌うの。て言うか、フミのライヴ行きたい!」


失礼しまぁすという男の声とともに、個室の引き戸が開けられる。お待たせしましたぁと店員がテーブルに置いたのは唐揚げとフライドポテトが山盛りになった皿だった。すぐに戸を閉めようとした店員に向かって、カオルが声を掛ける。


「生一つ」


空になったジョッキを滑らす。生お一つぅとだけ言って店員はジョッキを持って消える。私はなんとなく慌ててグラスを傾けた。


「ほんとライヴ来る? 来るんだったら近々やるんだけど……」

「え、そうなの? 行きたい!」

「また詳しく決まったら伝えるね」

「うん。よろしく」


再び失礼しまぁすという声がした。生ビールを持ってきたのは女性の店員だった。ありがとうございます、と言ってカオルがジョッキを受け取った。


「何でレフウィルが好きなの?」


なんとなく思いついた質問だった。どうしてもレフウィルのステージを食い入るように見つめる彼女の姿が脳裏にこびり付いて離れないせいでもあったかもしれない。


「んー」


カオルは口元に白い泡を付けることもなくビールを飲む。


「なんだろ……。結構曲調はポップで明るめなのに、言ってることは悲しかったり寂しかったりするところかな。レフウィルの曲ってさ、一曲も完全に幸せなだけの曲って無い気がするんだよね」

「そうだっけ?」

「うん。どんなに幸せそうな曲でもどこかしらに寂しさだったり不安だったりを感じさせる歌詞がある。……なんかそのほうが信用できるんだよね」

「信用?」


私が聞き返すとカオルは静かに笑った。彼女のことばのような百パーセントの幸福では無い、疲労を孕んだ笑みだった。

その表情が一層私の好奇心を焚き付ける。


「そう。信用。……うまく説明できないけど、ただただ幸せで明るい曲を聞くより、安心するんだよね」

「なるほどねー」

「なるほどって、わかってないでしょ?」


またカオルが笑う。今度は楽しげだった。


「うん、わかってないかも」


私も釣られて笑った。いつのまにかグラスの中の液体はほとんど残っていない。


「フミ、酔ってるでしょ」

「酔ってないよ」

「顔、赤いよ。結構弱いんだね」

「そう。あんま飲めないんだよねー。カオルはお酒強いよね。ビール飲めるのも意外」

「そうかな……」


カオルがジョッキを傾ける。喉元が動く。そして机に置くと同時にスマホの画面を確認した。


「そろそろ時間気にしたほうが良いね。フミ、大丈夫?」

「うん。十二時ぐらいまでは終電あった気がするから……」

「そっか。やばくなったら言ってね? あ、おひや貰う?」

「ううん。カシスソーダ飲みたい」

「大丈夫なの?」

「平気平気」


さっきからカオルに押させてばっかりの呼び鈴を鳴らす。離れた所から店員の返事が聞こえた。


「レフウィルの曲のなかで何が一番好き?」

「うーん……」


カオルは髪を掻きあげる。露わになった耳は赤く染まっていた。


「一番って言われると難しいんだよねー」


掻きあげた髪をそのまま毛先まで梳く。その仕草は考え事をするときの彼女の癖なのかもしれない。

カオルが答えを決める前に、戸が開けられた。カシスソーダを注文する。カオルに指摘された通り酔いが回っているふわふわとした感覚はあったけれど、今日はいくらでも飲めるような気がした。彼女の前でこれ以上飲めないとは言いたくない気持ちもあった。


「んー……、一番はNobody Knowsかな。わかる?」

「あー……、うん。たぶんわかる」

「あの曲すきだな」

「私レフウィルはアルバム一枚と数曲しか知らないから、ちょっと真剣に聞いてみるわ。カオルの話聞いてたらめっちゃ興味出てきた」

「ほんと? ちゃんと聞いといてね」


声が掛けられて私が注文したカシスソーダが届いた。赤紫色が綺麗だ。ビールが混ざっているシャンディガフよりもだいぶ飲み易かった。

視界の端でカオルがスマホのホームボタンを押した。時間を確認しているのだろう。


「まあまあ時間やばくない?」

「今何時?」

「十一時四十二分」

「……やばいかも」

「もう。だから早く言ってって言ったのに」

「カオルは大丈夫なの?」

「私は十二時十分まであるから平気。はい、もう行こ」

「これ今届いたばっかりなのに」

「わかった。ざあ最後の一口飲んで」


カオルに促されてカシスソーダを飲む。私が置いたグラスをカオルが手に取る。そして一息に飲み干した。


「……はい、ごちそうさま」


私は呆然として何も言えないまま、レジへと歩いていくカオルの後を追った。


 会計を済ませて最寄りの地下鉄の駅まで歩く。なんとか終電には間に合いそうだった。カオルとは途中まで同じ方向のようで、ホームで並んで電車を待つ。カオルは隣でスマホを弄っていた。その指の動きから文章を入力しているのだろうと想像する。誰かに連絡しているのかもしれない。そこまで考えて、そういえばと思った。


「カオル、ライン交換しよ」

「あれ、知らなかったっけ?」

「うん。交換してないよ」

「じゃあ……」


カオルのスマホの画面がQRコードに変わる。私は自分のスマホでそれを読み込んだ。Kaoruというユーザー名と笑顔のカオルのアイコンが表示された。

登録が完了したところで地下鉄の車両がホームに滑り込んでくる。

私が降りる駅に着くまでの十分間、私たちは主にバンドについて語り合った。邦楽ロックファンの多くと同じように、彼女も好きなバンドのライヴに登場したりユーチューブの関連動画に上がってくる曲を聞いて好きになったりと言うバンドが多くあった。

電車のドアが開く。カオルに手を振ると、笑顔で振り返してくれた。


 私たちはそれから何度もライヴで会ったし、一緒にチケットを取って参戦したり、飲みに行ったりすることもあった。

けれど結局、カオルは一度も私のライヴを見には来なかった。


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