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誰も知らないくせに  作者: 青井在子
03, 追いつけない親友 高瀬遥
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 二年生の始まりに起こったあたしとカオルの、一方的な戦いは夏休みが終わるころにあたしの負けという形で結末を迎えた。そしてその頃にはあたしにもわかることがあった。カオルは運動はまるでダメだけれど、勉強はそこそこできるのだ。とくに英会話教室に通っているせいもあるのか、英語の成績は学年でも良い方らしい。カオルのお母さんによればテスト期間が近づけば部活で帰宅が遅くなっても、そこからさらに勉強をしているらしい。溜息が出そうになる。


あたしとカオルが元のような関係に戻る頃、あたしに人生初の彼氏ができた。サッカー部の林という人だ。女子たちは仲間はずれと悪口の次に、恋愛話が大好きだ。あたしと林の話題は女子バスケ部のなかでしばらくホットなトピックとなった。


「どっちから告ったの?」

「てか二人ってそんな仲良かったっけ?」


練習後に校門を出たところに皆で集まってそんな話をした。付き合うとかそれまでの相談はすべてカオルじゃなくてユイにしていた。これにはカオルを避けたいとかそういう意図は微塵も含まれていなくて、単にあの子が恋愛に対して関心が無さそうに見えたからだ。


「告ったのは林ー」


あたしが答えると歓声が上がる。輪の中で一人訳知り顔でにやにやしているユイは、カオルと違って恋愛に積極的だし、この前元彼と別れて新しい彼氏ができた。


「やばーい! どうやって仲良くなったの?」

「なんか突然向こうにアド聞かれてさ、そっからー」

「えー、じゃあ林はずっとハルカのことが気になってたってこと?」

「んー、それは聞いてない」


恥ずかしくて適当にはぐらかす。輪の中にいるカオルは他の女子たちと同じように顔を輝かせながら聞いている。

彼氏を作る、なんてことはカオルにはできないことだ。あたしにできて、あの子にできないこと。そう思うと口が勝手にベラベラと、もう少し秘密として取っておこうと思ったことまで喋り出す。


「すごいねー。ハルカ、もう彼氏できたんだ」


帰り道で二人きりになるとカオルがぽつりと零した。


「まあねー」


横目で表情を探りながら曖昧な返事をする。


「良かったね。林、あんま喋ったこと無いけど、優しいって聞くし。末永くお幸せにね」


続いたことばが、「あたしも彼氏ほしい」じゃなかったことに落胆した。

どうして? わかっていないのだろうか。あたしが自分より一歩も二歩も先を進んでいることを。そしてこれからもその差は開き続けるかもしれないと言うことを。

何故だかその事実をカオルに認めさせないと気が済まなくなった。


 だから翌週末、林に家に誘われたときは二つ返事でオーケーした。テスト前だから一緒に勉強しようという分かりやすい口実に騙されたふりをして、持っている服のなかで一番気に入っているものを着て、林の家に向かう。


住宅街のなかの新しそうな家の前のカーポートが空だった。偶然か必然か、それすら好都合だった。インターフォンを押すことにも抵抗は無い。少し間があって開けられたドアから顔を覗かせる彼氏は、落ち着かなさそうだった。あたしが本当に来たことを喜びながらも後悔しているらしい。


「おじゃましまーす」


玄関で声を張り上げてみたけれど、新しい壁や家具に吸い込まれて終わった。どうやら本当に家族は出かけているらしい。


「こっち」


林に案内されるがまま、二階へ上がる。そこにもいくつかドアがあった。その一つに入る。勉強机とベッド。壁にはサッカー日本代表の選手のポスター。本棚には兄の部屋でも見たことのある漫画が並んでいる。掃除をしたばかりなのだろうか、全体的に想像よりも片付いていた。中央にぽつんと置かれたローテーブルの脇には、この部屋に不釣り合いな和柄の座布団が二枚敷かれていた。


「そこ、座ってて」

「うん」


林が部屋を出て行く。あたしは荷物を置いて分厚い座布団に腰を下ろした。

明日の部活で皆に彼氏の家に遊びに行った、なんて言ったらまた盛り上がるだろう。だけどそれだけでいいのだろうか。彼氏の家に遊びに来て家族が誰もいないことなんて、そうそうあるとは思えない。もっと皆を騒がすようなネタを作っておくべきなんじゃないだろうか。


コンコン。ドアがノックされる。自分の部屋なんだから普通に入ってこれば良いのに。


「はーい」


林はお盆にジュースとスナック菓子を載せて戻って来た。少し感心する。こんな気遣いができるとは思わなかった。


「ありがとー」


林が正面に座る。注いできたばかりのコーラを呷った。緊張しているのが手に取るようにわかってかわいそうに思えてくる。少しでも落ち着かせるために持ってきたバッグから歴史の問題集を引っ張り出す。


「もうテストまじやばい」


あたしがそう言うと林もつられて勉強机から同じ問題集を取って来た。


「今回範囲広すぎない?」

「それなー」


しばらくそうして授業中に取ったノートと問題集を見比べるけれど、一向に進まない。歴史の授業を担当する先生は話のなかにやたらと、えー、を挟む人で、最初はそれが可笑しくて集中できないし、慣れてくると今度は異様に眠気を誘ってくる。おかげでノートにはミミズが這ったような線が大量発生している。

いつも聞き逃したところはカオルのノートを写していたのに、今週はそれどころじゃなくて頼むのを忘れていたんだった。別のクラスのカオルにわざわざノートを借りる理由は、他の誰のものよりもシンプルで纏まっているからだ。カラフルな蛍光ペンも噴き出しの付いたキャラクターも何も無い。ただ赤ペンとシャーペンで書かれた文字とときどき図が並ぶだけのノート。きっと今、あの子はテスト勉強をしているんだろう。今日は日曜日で部活も休みだし、自分の部屋で一人で。何が楽しくてそんなに勉強ばかりするんだろう。他にもっと楽しいことがあるはず。ああ、カオルも彼氏を作ってみればいいのに。恋をしてみればいいのに。あの笑顔が崩れるぐらいの失恋をすればいいのに。


手からシャーペンが転がって落ちた。


「高瀬?」


林もあたしも未だにお互いのことを名字で呼び合う。付き合って一カ月ちょっとの中学生カップルなんてこんなものなのかもしれないけれど、それじゃあ意味が無いように思う。


「……ねえ、林。……アツキって呼んじゃだめ?」


濃厚な沈黙のなかで、林の喉が上下するのが見えた。こんなことでいちいち緊張しないで。もっと強引になってほしい。ローテーブルの上に放置されたままの右手をシャーペンごと握る。


「あたしのこともハルカって呼んでほしいし」


この前廊下でALTのオーストラリア人の先生とカオルが英語で話しているのを見てしまった。発音のこととか正しい文法だったのかとか、そんなことは一切わからないけれどコミュニケーションが成立して、外国人先生は愉快そうに笑っていた。身長百九十センチの彫りの深い大男に見下ろされながら、カオルは他の子たちに向けるのと同じ笑顔を見せていた。


林の手からシャーペンを抜いて、テーブルの上に転がす。あっちへこっちへ泳ぐ目がやっとこっちを見る。


お願いだから、カオルが知らないことをあたしに教えてよ。


ローテーブルに肘を付いて身を乗り出す。やり方なんてあたしだって知らない。勢いに任せて唇を押し当てた。そこまでしてようやく目が醒めたかのように林が動き始める。一旦お互いの顔を離してテーブルを横へずらす。そして近づく。林の手があたしの肩に置かれる。もう一回唇を合わせる。鼻が邪魔で離れて行こうとする彼を捕まえる。このままもっといろんなことを経験させてほしい。あの子が到底辿り着けないところへ、行かせてほしい。何もかもを見渡せる場所に。たくさんのことを知って、何もかもを見透かせる目がほしい。そうしたらもっと好きになれるだろうか。

たったひとりの親友のことを。


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