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誰も知らないくせに  作者: 青井在子
02, いつかのその日まで 小田良輔
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 そして俺がカオルに本を借りたのは、結局その一回きりだった。


俺たちは高校三年生になり、本格的に受験と向き合わざるを得なくなった。ジャズ部は五月にある市民会館でのコンサートを以て三年生が引退を迎え、カオルは以前にも増して勉強に打ち込むようになった。六月に受けた全統模試の結果も良かったらしく、良い意味で教師から呼び出しを受けていたようだ。


俺はと言えば夏の大会が引退試合になる。それまでは最後の試合に向けて必死で練習する必要があった。それを言い訳にして、ほとんど今までと変わらない熱量でしか勉強をしていなかった。


 俺たちの間にすれ違いがあることを明確に意識したのは、今年度に入ってからだ。二年生の三学期を間もなく終えるという頃、東北で大きな地震があった。このあたりも揺れはしたが、被害は無かった。それでも毎日テレビで放送される被災地の様子を見ると、絶望的な気持ちとやるせなさに苛まれた。


カオルは俺よりももっとしんどそうだった。噂では、教師が震災の話題を取り上げた際には過呼吸を起こして保健室に運ばれたらしい。俺の部屋でテレビを見ているときでも映像が流れようものなら、平然を装ってチャンネルを変えた。どうしてあそこまでアイツがショックを受けるのか、わからなかった。カオルはいつものように語りたがらなかった。


 春休みが終わり、ついに三年生になると、部活が休みの日に誘ってみても勉強をしなくちゃいけないから、と断られることが目に見えて多くなった。一緒に勉強することはあっても、そこに以前のような会話は無かった。


俺の目に映るアイツは必死だった。

ただでさえ勉強ができるのだから、何もそんなに追い込まなくてもいいのにと思うほどに。


 一学期末の三者面談が、たまたま同じの同じような時間帯になった。部活も休みだし普段より早く下校できるのだから、とカオルと一緒に帰る約束をした。

知らされていた面談の終了時刻より遅れて駐輪場にやって来たカオルは、今までに見たことがないくらい疲れた顔をしていた。


それでも俺の姿を見つけた瞬間、微笑んで見せる。

どうして。と頭の中で声がした。悲痛すぎる声だ。俺にはその疲れた顔を見せたっていいのに、その理由を話してくれていいのに、甘えて、頼ってくれていいのに、どうして他のヤツらに向けるのと同じ笑顔をするんだ。


「カオル」

「ごめん。お待たせ」


胸ポケットに入った携帯をちらりと確認する。


「お腹すいちゃった。どっか寄ってこうよ」


久しぶりのカオルからの誘いだった。それだけで俺は少し安心した。多少なりともまだカオルにそばにいることを許されていることに。他のヤツらより俺が少しだけ特別なことに。


「いいよ。どこ行く?」

「甘いもの食べたいからなー」

「甘いもの、いいね」

「リョウスケ、今日時間ある?」


ある。カオルのためならいくらだって時間を作ることができる。そんなふうに思っていることを、目の前の恋人は知らない。


「……ある」

「スタバ行きたい」


電車で一本で行けるところにあるショッピングモールのなかにスタバがある。駅前の駐輪場に自転車を並べて停めて、電車に乗った。同じ制服を着た男女をちらほら見かける。友だち同士っぽいグループもあれば、男女二人のカップルらしき組み合わせもある。皆何かを喋っていた。そのなかでカオルだけが釣り革に捕まったまま、窓の外の飛び去っていく景色をぼんやりと眺めていた。


 もうすぐ学期末のこの時期は、面談のために早く授業が終わる高校が多い。そのせいでショッピングモール内でも様々な学校の制服を見かけた。

二人は真っ直ぐにスタバに向かった。いつものように若者を中心にした列ができていて、席も空いていそうになかった。


「席探してくる」

「ありがと」


カオルを列に並ばせておいて、次に席を立ちそうな人を探そうと店内を見まわした。若い夫婦のテーブルの上のカップは二つとも空だ。奥さんのほうが携帯をバッグにしまい、旦那さんがカップを手に取る。そのテーブルにすっと寄っていき、空いた途端にバッグを置いた。中から携帯と財布だけ取り出してカオルの元へ戻る。


「席、ありそう?」

「あったあった」

「ほんと? リョウスケって席見つけるのすごく上手いよね。やっぱ動体視力が鍛えられてるからかなー」

「それ、関係あんの?」

「知らないけど」


カオルがふふふ、と笑って、手に持った大きなメニューに目をやる。


「何にしよっかなー」


俺も一緒になって覗きこむ。スタバに来てまで普通のコーヒーを飲んでたんじゃ、なんかもったいないような気がする。それに俺にはスタバのコーヒーは濃すぎる。


「やっぱダークモカチップかなー」

「いっつもそればっかじゃん」

「好きだからいーの。カオルは?」

「あたしは……、うーん」


カオルはいつも優柔不断だ。メニューを決めるときも服を買うときも迷う。


「どうしよっかなー」


なかなか決められないカオルにとっては、注文するまでにこれくらい列が出来ていたほうが返って好都合なのかもしれない。俺は俺であれやこれやと悩むカオルを見ているのが楽しくて飽きないから、良い。


「抹茶フラペチーノもいいけど、甘いもの食べたいからなー」

「別にフラペチーノ飲みながらケーキ食べればいいじゃん」

「それはダメ。甘すぎると美味しくないもん」

「ふーん……」


迷いに迷ってカオルはソイラテとブルーベリーレアチーズパイを頼んだ。俺たちにとってスタバで食べ物まで注文することは充分贅沢に含まれる。飯を食うわけでもないのに会計が千円近くいく。

お互いの誕生日以外は、基本的には会計は割り勘だ。ときどき俺が奢ると言ってもカオルは断った。二人ともバイトもしてないし、稼いでるわけじゃないから、と。

俺が取った席に二人で座る。


「いただきまーす」


早速カオルはソイラテに手を伸ばす。

体育祭の打ち上げなんかでクラスの女子と食事に行って気づいたのだが、カオルは滅多に写真を撮らない。ツイッターを見ればいくらでもタイムラインにスタバのドリンクの画像が流れてくるが、そのなかにカオルのものは無い。友だちが撮った写真のなかにカオルがいることはあっても、だ。


それに対して俺はよくカオルの写真を撮った。SNSに載せることもあった。カオルはいつも恥ずかしいからやめてよ、とは言いながら本気で嫌がることはなかった。なにか残しておかないと怖かった。いつかカオルが本当にいたことを証明しなければならなくなる日が来るような気がしていた。

ブルーベリーのパイを美味しそうに頬張るカオルに携帯を向ける。


「ちょっと! やめてよ」


手で顔を隠そうとする。


「いいじゃん。ちーず」


持っていたフォークを置いて、右手で目元を隠して左手でピースを作る。なんだかんだでノリは良いのだ。


「ねー、食べてるとことかほんと恥ずかしいよ」

「大丈夫だって。カオルは、……」


可愛いから。と言いかけてやめた。そんなことをさらっと言ってしまったら軽い男だと思われてしまうかもしれない。


「あたしは、なにー?」

「なんでもない」

「なにそれ」


パイにフォークを刺しながら笑う。唐突にあ、と声を上げた。


「食べる?」

「一口ちょうだい」

「はい、あーん」


パイを口元まで運ばれる。周りの視線が気になりながらも、素直に受け取った。一口噛むと甘さが広がる。味付け以上の甘さが身体中に回っていく。カオルはご機嫌そうに笑っている。ときどきこうして大胆なことをするから掴めない。


 カオルがブルーベリーレアチーズパイを食べ終えて、一息吐く。そのタイミングで俺は切り出した。


「三者面談、何言われたの?」

「えー、大学の話だよ。どこがいいとか、あーだこーだって」

「……カオルってどこ狙ってるの?」

「あたし? ……適当だよ。親とか先生が行けって言うところ」

「それってどこ?」


カオルはソイラテのストローを口に含んだまま、しばらく黙った。


「んー、県内だとN大とか県大とか。県外だとS大とかかなー」


分かっていたつもりでも、実際に学力の差を見せつけられるとがっくり来る。N大は地元じゃ知らない人なんていないくらいの有名難関私立大だし、そのほかは国公立だ。そんなところを勧められるようなレベルなのだ。


「カオルはどこ行こうと思ってんの?」

「うーん、県外行くと結局国公立でもお金掛かるからさ、だったら県内行くべきかなと思ってるけど……」

「N大とか県大とかまじやばいじゃん……。やっぱカオルって勉強できるんだな」

「できるんじゃなくて、しなくちゃいけないんだよ。……あたしは」

「え?」


カオルは静かに頭を振る。


「リョウスケはどこ行くの?」

「俺はまだなんも決めてない」

「スポーツ推薦とかあるとこないの?」

「やってるとこはあるけど、もっと成績良くないとダメ」

「……そうなんだ。野球部結構強いのにね」


それから話は関係の無い方向へ、風に飛ばされる落ち葉みたいに転がっていった。


 二人揃ってまた高校の最寄り駅へと戻って、並んで自転車を漕ぐ。

この頃日没がだいぶ遅くなった。名残惜しそうに俺たちを照らすオレンジ色の太陽を眺めながらぼんやりと考えた。


例えば二人が別々の大学に行ったなら、俺たちは一体どうなるのだろう。このまま何事もなかったかのように続いて行くのだろうか。ときどき連絡を取ったり会ったりしながら。

毎日会えなくなったら、カオルはどうなるのだろう。

ただでさえアイツは霧の向こうにいるようなのに。


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