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誰も知らないくせに  作者: 青井在子
02, いつかのその日まで 小田良輔
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 カオルは頭が良かった。それになんというか、独特の世界を持っていた。夜に電話をして、何をしていたのか尋ねると、大抵は本を読んでいたとか映画を見ていたとかと答えられた。

珍しく俺とカオルの部活の休みが重なった日、一緒に帰る約束をした。それなのに急に顧問から呼び出されたせいで俺はカオルを待たせる羽目になり、急いで謝罪のメールを入れた。


 教室で待ってるから、全然良いよー。


その返信を読んで、せっかく一緒に下校するチャンスを不意にしなくて済んだことに安心し職員室へと向かった。部員たちと同じようなスポーツ刈りの顧問の話は、要するに進路に関することだった。

気が付けば高校二年の夏を迎え、カオルと付き合い始めてから半年が経過していた。けれどまだ二年生だ。本格的な受験モードは来年から始まるはず。毎日部活と課題と友だちとカオルのことでいっぱいなのに、未来のことを考えろと言われてもいまいちピンと来なかった。顧問がいくつか俺の今の実力で行けそうな大学と、目指すべきランクの大学を上げた。とりあえず夏休みの間にどこかのオープンキャンパスに行くことを約束させられて、やっと解放された。


 まだ灯りを点けなくてもも明るい廊下を歩きながらぼんやりと考えた。大学。頭の中で呟いてみる。進学することなんて考えたこともなかった。だからと言って一年半後には社会人として働くことも想像できなかった。


カオルはきっと大学へ進むのだろう。あれだけ英語が得意だし、外国語とか国際関係の道に進むかもしれない。そしてそれはおそらく俺とは違う大学で、俺には手の届かないランクの大学なのだろう。もしかしたらどちらかが地元を離れる可能性だってある。


カオルと一緒にいられる時間は、想像より短いのかもしれない。


その考えに行きついて急に恐ろしくなった。とぼとぼと歩いていた廊下を駆けだす。どこかで教員に見つかって注意されることになったって、構うものか。とにかく一秒でも早くカオルに会いたい。


二年一組の教室を覗く。教室は静かだった。冷房に護られた静寂のなかで、カオルは文庫本を読んでいた。右手で髪を掻き上げて耳に掛ける。それは俺が好きな癖だ。

窓越しにこのまま眺めているのもいいかもしれない。目の前にいるカオルは、今俺の知らない世界にいる。そこに辿り着くまでには大きな隔たりがある。アイツにはそれを簡単に跨ぐことができたとしても、俺には無理だ。


ただときどきその圧倒的な隔たりなんて無いのだと思いたくて、思い切りぶつかりに行く。

がらがらと音を立ててドアを開けると、カオルが俺に気が付いて文庫本に栞を挟んだ。


「ごめん。遅くなった」

「平気だよ。本読んでたし」


そう言って小さな文庫本を軽く振る。

カオルの隣の席に腰を下ろす。


「何読んでたの?」

「え?」


カオルが驚いた顔をした。まさか俺が本に興味を持つことがあるなどと思ってもみなかったのだろう。えっとねーと呟きながら丁寧にブックカバーを外す。黄色の表紙の厚みの無い本だった。赤くて細い文字でタイトルが書いてある。


蛇にピアス。金原ひとみ。


俺は滅多に読書はしなかった。本屋に足を運ぶことさえほぼ無かった。夏休みの課題の読書感想文をなんとか終わらすために苦しみながらようやく一冊読む程度だ。


そんな俺でもそのタイトルには聞き覚えがあった。


「何か知ってるような気がする……。なんだっけ、これ?」


机の上で裸にされた本を手に取り、ぱらぱらと捲る。白いページが黒い文字で覆われているのを見るだけで頭が痛くなってくる。前にカオルが読んでいた本はもっと分厚くて、もっとページが真っ黒だった。あそこまで行くともはや手に取ることさえ嫌になってくる。


「ちょっと前に映画になったからじゃない?」

「映画? やってたっけ……」

「吉高由里子が主演でさ……」

「ああ」


そういえばクラスの男子たちが騒いでいたような気がする。吉高ちゃんまじやべぇって。何がそんなにやばかったのかは、覚えていないが。


「面白いの?」

「うん。面白い」

「どんな話?」

「どんな話って……」


カオルは分かりやすく簡潔にあらすじを語ってくれた。舌に穴を開ける行為も、刺青も、並行して複数の男と関係を持つことも、何もかもがカオルと真反対なように思えた。それなのにアイツは溜息を吐きながら言う。


「あたしこれ読むの二回目なんだけど、なんかすごくルイの気持ちがわかる気がするんだよね」

「どのへんが?」

「うーん……」


カオルは少し悩んでから困ったような笑顔を浮かべた。


「ぜんぶ」


その笑顔と短いことばに、カオルが本心を隠したことを俺はなんとなく悟っていた。


「でも気持ちがわかる、なんて言ったらルイにも金原さんにも何もわかってないくせに、って言われちゃいそうな気がするけど」


そう言って今度は本当に笑う。


俺はまたぱらぱらとページを捲る。例えばこの本を全て読んだら、カオルと主人公の共通点を見つけることができるだろうか。もっとカオルのことを理解するためのヒントを発見できるのだろうか。


そんなことはできないような気がした。カオルと同じものを同じように読んだとしても、俺とアイツじゃ感じるものはまったく違う。俺はいつもカオルが感じたものを完璧に理解することができない。


そしてカオルは、理解されたふりをして笑うだけだ。


「読んでみる?」

「今読んでるとこじゃないの?」

「一回読んだことあるからストーリーも結末も知ってるし、いつでも読み返せるから」

「……じゃあ借りてみよっかな」

「うん。……ね、そろそろ行こ」


カオルのことばに誘われ、文庫本を自分のエナメルバッグに入れて、教室を出た。


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