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誰も知らないくせに  作者: 青井在子
01, She left me behind 市川ふみ
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01


 同級生が自殺した。

彼女はいつもたくさんの人たちに囲まれ、その真ん中で笑っていた。私は彼女に対する悪口を聞いたことなんて一度も無い。学生も教授たちも皆彼女のことが好きだった。

彼女は特別人の目を惹くような美しい容姿をしていたわけじゃない。学内にはそれこそテレビや雑誌にも出られそうなモデルのような女子たちもいたが、彼女はそうではなかった。丸みを帯びた輪郭に低い鼻。笑うと線のように細くなる二重の目。誰もが気軽に近づけるような雰囲気こそが、彼女の一番の魅力と言えるのかもしれない。


 彼女の名前は(モリ)(カオル)

私がカオルと出会ったのは今から三年くらい前のことだ。私たちは同じ大学の同じ学科に合格し、入学式後のオリエンテーションで初めて名前と顔を知った。そのときは特に印象に残らなかった。他の学生と同じようにスーツを纏い、名前と一言だけの短い挨拶をしただけだった。

それ以降もカオルと私は特に接点を持たなかった。同じ学科に所属しているとはいえ、国際教養学科は一学年で二百五十人を越える学生がいたし、とくに話す機会も必要性も無かった。


 カオルの周りにはいつだってたくさんの人が集まっていた。教室でも食堂でも中庭でも。キャンパス内を歩けば、彼女の名を呼びながら手を振ったり駆け寄ってきたりする人たちがいた。それでも少し意外なことに、カオルはどのサークルにも部活にも所属していなかったらしい。ただ私が所属する軽音サークルのスタジオ練やライヴを見に来ていたことがあったし、そうかと思えばテニスサークルに混じってラケットを振っている姿も見かけたことがあった。要するにカオルは誘われればどのサークルの集まりにも参加しているようだった。


 私自身はとくにカオルと関わることの無い大学生活を送っていたけれど、私の友人のなかにはカオルと食事に出かけたことを自慢するかのようにSNSに載せたり語って来たりする人もいた。

まるでカオルと仲良くすること自体が一種のステータスであるかのように。


 私は彼女のことを好きでも嫌いでもなかった。ただ一生関わることのない人種だろうと思っていた。

そんな私が初めてカオルを意識したのは大学一年生の五月のことだった。入学して一月が経った頃にはカオルはすでに絵に描いたようなリア充女子大生になっていたし、誰もが彼女と仲良くなりたがっていた。毎日しっかりと髪を巻いてメイクを施し、ヒールのあるパンプスを履いて登校し楽しそうに友人たちと話して、笑っていた。

たった一ヶ月で私は彼女との間に線を引いていた。


 空気が孕む湿気がいよいよその割合を増してきたころ、私は市内のライブハウスに来ていた。キャパが五百人くらいの地元の音楽好きなら誰でも知っているような会場で、私の好きなバンドと他に二組のバンドが出演する対バン形式のライヴがあったのだ。当時私がハマっていたバンドの出演順は最後だったし、一組目は数曲知っている程度のバンドだったからライブハウスの後ろの、一番混雑している場所から離れたところに立ってステージをぼんやり見つめていた。一組目のバンドの演奏が終わり、観客たちが立ち位置を変える。二番目のバンドを目当てに来ていた観客たちができる限り前に行き、一組目のバンドの客は少しだけ下がる。その人ごみの移動の中に私は彼女の姿を見つけた。


染めたことの無いような自然な割合で黒と茶が混じった髪が今日は巻かれていない。いつもの白に鮮やかな色の花が散りばめられたワンピースでは無く、黒地に白文字でバンド名が書かれたTシャツにスキニーデニムとコンバースのスニーカーを履いている。首からはグッズのスポーツタオルが下がっている。

普段キャンパス内で見かけるのとは正反対の姿をしていても、それがカオルだと気づくことができた。

どうやらカオルは次に出てくるバンドが目当てらしい。ライブハウス内の後部から少しだけ前に移動した。それでも最も混雑する場所には入ろうとはしなかった。SEが止まり、一瞬照明が消える。歓声が上がる。観客が集まる層がより薄くなる。人と人の隙間が消える。頭の上に突きだされる腕とタオルとリストバンドたち。

ボーカルが一言。


「こんばんは。レフウィルです!」

すぐにドラムの音が続き、演奏が始まる。

曲に合わせて観客たちが腕を振る。頭を振る。歓声や掛け声が上がる。

そのなかでカオルはほとんど動かなかった。足で小刻みにリズムを取っていたが、それだけだった。ほとんど瞬きもせずに、真っ直ぐにステージを見ていた。その姿はバンドのどんな姿も奏でる音も見逃しも聞き逃しもしないと必死になっているように見えた。楽しんでいると言うよりはむしろ命がけでそこに立っているようだった。


私はそのバンドにそこまでの興味がなかったのと、その異様な姿のせいですっかり興味はカオルに向いてしまっていた。レフウィルと略されることの多いそのバンドは計六曲演奏して捌けていった。ステージ上手側にいた、ギターとシンセサイザーを演奏するメンバーが最後にステージから姿を消すまで、カオルは動かなかった。また照明が変わる。教室を照らすのと同じような味気の無い黄色と白の間のような光だ。その現実的な光を浴びたことで魔法が解けたかのように、カオルはゆっくりと瞬きをして、またライブハウスの後部へと下がる。

私はレフウィルの演奏中ずっと、彼女の横顔の右側を少し離れた場所から見つめていた。視線に気が付いたのか、カオルがこっちを見た。しっかりと目が合う。


カオルは一ミリたりとも微笑まなかった。

私が同級生であると言うことに気づいていないはずがない。私は今日と同じようなスキニーパンツにTシャツ姿で登校することも少なくなかったし、彼女は仲が良かろうがそうじゃなかろうが、見知った顔と目が合えば必ず挨拶をするか、少なくとも微笑みかけていた。それこそが彼女が人を引き寄せる要素でもあるのだ。私も特に仲がいいわけではない彼女に突然挨拶をされて戸惑った覚えがある。

そのまま彼女は自然に視線を外し、行きたい方向へと歩いていく。それ以上カオルを見つめてもその顔がこちらに向けられることはなかった。


 キャンパス内では一人でいる姿を見かけたことがほとんど無かったカオルが一人きりでライヴを見に来ていたことにもまず驚いたし、こんな音楽ファンしか知らないようなバンドが好きなことも意外だったし、なにより私と目が合ってあえて無視をするようなその態度が一番の衝撃だった。

そのショックが大き過ぎたせいか、私は自分の目当てのバンドの出演順が回って来ても観客の渦に飛び込むことができなかった。


 カオルにシカトをされたことで傷付いたとか、そういうわけではない。それによって彼女を嫌いになったとかそういうわけでもない。ただ見てはいけないものを見てしまったような気がして、なんとなく恐ろしい心地がした。


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