第六話:誤解の解消
少し長めの休日が終わり、今日からまた学校に登校する。
HRの時間、教壇に立って話をする先生を視界に収めつつ、ぼんやりと聞き流していた。
「えっと、今日の休みは日野だけか? 他に休んでいる人は――」
眠くもないのにあくびが出そうになるのをこらえつつ、視線だけは先生に固定しておく。
何かを考えているわけでもないのに、先生の話は右から左に抜けていく。
「――それと、いつも通りテストの結果を上位百名だけ掲示板に張り出しておく。テスト自体は教科の先生の授業の時にそれぞれ返してもらえるそうだ。じゃあ、起立」
号令がかかったので、どこかぼんやりした思考を引き戻し、ガタガタと椅子を鳴らして立ち上がった。
日直の「礼」に合わせて頭を下げる。
先生が教室を出ていくのをまたぼんやりと見送っていると、日向さんと歩美さんが歩み寄ってきた。
「何だか今日はぼんやりしているな。どうかしたのか?」
「……あー、うん。僕は普段学校でどう過ごしてたかなって思って」
僕が自嘲気味に笑うと、歩美さんが小さく笑った。
「ちょっと、あんな短い連休で休みボケ? しっかりしてよ」
僕は「休みボケ」なる単語を知らなかったが、なんとなく雰囲気から意味を察して、そうかもしれないなと思った。
「玲治のことだ、部活が始まればしゃきっとするだろう。それよりも、授業が始まる前に名前があるか見に行かないか?」
「……えっと、何を?」
僕が困った顔でそう聞くと、日向さんと歩美さんは苦笑した。
「テストの順位だよ。上位百名しか掲示されないが、私と歩美はそれを目標にしているからな。これでも常連なんだぞ?」
「へー、そうなんですか?」
僕は少し気の抜けた返事をした。
決してどうでもいいと思ったわけではなく、点数を他人と競うという実感がわかなかったからである。
二人はそれを誤解しなかったらしく、顔を見合わせ、しかたないなとばかりに笑みをかわした。
「まあ、とりあえず行こう」
僕は二人に連れ出され、教室を出た。
「「…………」」
「あ、僕の名前有りました」
掲示板には大きな紙が張り出されており、一番左上に『1位 天崎玲治 591』と書かれていた。
1位はともかく、591ってなんだろう? と思っていると、僕の様子を見ていたフィアが、ちょいちょいと僕のほほをつついた。多分「繋げ」という意味だろう。
僕は最近やっと維持するのに慣れてきた、繋がりを薄くする意識を解く。するとすぐにフィアに疑問が伝わった。
『まあ普通に考えれば点数じゃないの? 受けたテストのいくつかは50点満点なんでしょ』
『あ、そっか。テストって100点満点じゃないときもあるもんね』
僕はなるほどと頷いて、ふと二人が呆れたようにこちらを見ていることに気が付いた。
「えっと、何ですか?」
「いや……もはや玲治に驚かされるのも慣れてきたと思ってな」
日向さんはともかく、歩美さんが苦笑しながらではあるが、頷いて同意するのを見て、僕は何かやってしまったのだろうかとフィアに視線を向けた。
『今回に関してはレイジは全く悪くないわ。ただ、周りからは頭は良くなさそうだと思われていたんでしょうけど』
『それってなんだかひどくない!?』
僕がフィアに心の中で抗議の声を上げる。だがフィアは肩をすくめて見せるだけで、こちらをちらりとも見なかった。
「玲治は勉強が得意だったのか?」
だが、そのフィアの予想は正しかったようで、日向さんから『意外だ』とでも言いたそうな雰囲気を感じる。
まあ確かに、「僕ら」にとって得意ではあっても、「僕」にとっては得意ではないかもしれない。
「えっと……まあほとんどフィアのおかげかな?」
というのも、この前言った勉強法、光の文字を空中に書き出す方法。あれは覚えるということに関しての効率がすさまじく、あれで覚えればほぼ忘れないのだ。
目で見て、手で書いて、口に出して、それを後から思い出して記憶に定着させる。というのが普通のやり方だと思う。覚えようとするとき複数の手段で覚えようとしたり、特に思い出すという行為は、脳が「これは大事な事なんだ」と思って記憶を定着させてくれるのに効果的であるらしい。
ここで僕の場合はというと、そもそも物を見るという段階で情報量に凄まじい差がある。その上で光の文字として三次元に置き換え、投影することによって、最初に覚えこんでから思い出すまでの作業を、何倍もの密度で何倍もの回数やっているのと同じ効果があるのだ。
そもそも、その程度の情報量をちゃんと覚えられないなら、光を操ってどうこうなんてことはできない。どこを操ってどうすればどの位置からはどう見えて、なんてことを全部考えつつ記憶通りに光を操らなければ人の視覚をだますなんてことはできないからだ。
とはいっても、覚えるのに一度投影しないと、つかみきれないというのは僕の至らない部分ではあるのかもしれない。
――ということを頭の中で考えつつ、説明するのが大変そうなので『フィアのおかげ』という一言ですませた。
二人は今までの付き合いで大体のことを把握しているので、そういうこともあるか、と納得してくれたようだ。
ちなみに、二人とも名前があったようで、日向さんが11位、歩美さんが36位だった。
そんな話をしていた時、するりと僕ら三人の横を通り過ぎていった生徒がいた。
別に通り過ぎるということ自体は普通なのだが……その生徒と魔力が触れあった瞬間、パチリと魔力がはじけた。
そちらに視線を向けると、飯岡君が歩き去って行く姿が見えた。
聞いたところによると、点数の内訳は、数学、国語、魔法学、外国語、理科、社会、それぞれ100点ずつのようだ。
いくつか授業を終え、帰ってきたテストを見ると、数学Ⅱ50、国語92、魔法学100、外国語99だった。
あとは数学B、物理、化学、生物、地理、歴史だが、合計点から既に全部満点だということは逆算して明らかだ。
外国語のミスはすぐ修正できたが、国語は相変わらずよく分からない。そのうち茜さんにでも聞こう。という結論を出すと、早々にテストについてやることが無くなった。
授業中は何をするでもなくぼんやり過ごしたが、そろそろ切り替えたいところだ。僕は早く部活始まらないかなと窓の外を見ながら思った。
数日かかってテストは返却され、逆算により分かり切っていたことだったが、あれ以降返ってきたテストは全部満点だった。
部活はすでに始まっており、日向さんの言うようにシャキッとはしたが、とりあえず満点のテストを長々と解説されるのはとても疲れる。
ただ、この後の授業は久々の魔法実技だ。部活も面白いのだが、いろいろな魔法が見られる魔法実技も僕はそれなりに好きだった。
魔法実技はテストはないのか? と聞かれれば、あるというのが答えであるが、他のテストとは時期が色々ずれているため、今は行われない。
まず学年が変わってすぐに一度、夏休み終わりに一度、冬休み前に一度、学年末に一度の計四回だそうだ。
つまり何が言いたいかというと、今からやるのは授業の一環だということである。
「はい、じゃあ属性ごとに分かれて。天崎、『光』担当は戸塚先生だ」
皆はすでに何度か経験しているようで、迷いなくそれぞれの先生の元へと歩いて行く。僕は指示された通り戸塚先生の元へと歩いてきた。
「みんな揃ったようだね。天崎君はもしかすると初めましてかな。これからもたまにあると思うけど、属性ごとに分かれて行う実技で、光属性を担当する戸塚です。よろしく」
「よろしくおねがいします」
僕はぺこりと頭を下げた。
戸塚先生はにこにこと笑顔を浮かべている、優しそうなおじさんだった。失礼かもしれないが、もしかするとおじいさんに差し掛かっているかもしれない。
そんなことを考えながら、先生の指示通りその場に座った。
その場に集まった生徒は僕を含めてたった七人だった。周りを見渡せば、他の場所には一目では数えきれないくらいの人数がいる。
「さて、じゃあこれから始めようかと思うんだが、天崎君は先生から何をやるか聞いているかい?」
「あ、いえ、聞いてないです」
考え事をしているときに声をかけられ慌てて返答すると、戸塚先生はにっこりと笑った。
「わかりました。皆さんはわかっているとは思いますが、軽く説明しましょう」
「お願いします」
座ったままではあるが、ぺこりと頭を下げる。
「とはいってもそう特別なことはほとんどありません。いつもやっていることを、属性ごとの特色に合わせて行うというだけの話です」
いつもやっていることというと、強化ありのバスケや卓球、サッカーのことだろうか。
僕が今までの魔法実技のことを思い出している間も先生の説明は続いていた。
「いつもは全員に共通する身体強化などを中心に、それを利用したスポーツなどで魔法を使う感覚を覚えてもらっているわけだが、やはり個人ごとに使える能力はばらばらだからね。いつもというわけにはいかないが、たまにこうしてたくさんの先生に集まってもらって、それぞれの個性を伸ばせるような授業をする、というわけなんだよ」
僕は顔を動かさずにもう一度辺りを見渡してみた。いつもは三,四人程度しかいないはずの先生たちが、今日は光を除けば最低二人はいる。
僕は先生に意識を戻し、なるほどとばかりに何度かうなずく。
すると戸塚先生はにっこりとほほ笑んで僕から視線を外した。
「さて、前回から日数もたったことですし、今自分に何ができるかを皆に披露してください。自分ではわからなくても、周りから見れば変わったことが分かるはずです。自分の成長を確かめてみましょう。名前順だと天崎君……は最後にするとして、じゃあ桐崎君」
「はいはい」
僕と同じクラスの桐崎君は、手のひらからほど近い場所に野球ボールくらいの光の球を作り出した。
彼の能力は確か、最大で電球くらいの明るさを放つ球体を自分の周囲約5メートル内で自在に動かせること、だったはずだ。
彼はその球をくるくると自分の周りを遊ばせて、手のひらの上に戻した。
「より自然に動かせるようにはなったと思うし光量とかは増したかもしれないけど……周りから見てどうかっていうのはちょっと自信ないな」
「うんうん。よくなったんじゃないかな?」
先生がうなずきながらそうコメントをするのを見ても、そうなんだ。としか思えなかった。僕は桐崎君に限らず、皆の前回の時の実力を知らないので、何とも言えないからである。
続いて桜坂さん、須藤さん、立花君、長谷川さん、南君の順に魔法を披露した。この中で同じクラスなのは長谷川さんだけだ。
順に、指先を光らせる(明るさはペンライトくらい)、拳を光らせる(明るさは直視すると目が痛くなるくらい)、向き合わせた手のひらの間が一瞬だけすごく光る(溜めに数秒かかる)、全身を淡く光らせる(ホタルイカくらい)、レーザーを出せる(「白色の」レーザーポインター)という能力だった。
……正直に言わせてもらえば、すっごく微妙な能力――誤解のないように言うなら、精霊の能力という意味でなく、契約者の実力――ではないだろうか。世間一般では「光属性の魔法は戦闘に向いていない」とされているが、まさかみんなこういう能力だからなのだろうか。
はっきり言って、戦闘ができるようになると思えるのは二人しかいない。もちろんこれは魔法の扱いに習熟して、さらに戦闘訓練などを積めば、の話である。
ちなみに、戦闘というのは魔物との戦闘のことである。
「よし、じゃあ最後に天崎君」
当たり前だが、僕だけないはずもなく僕の番が来てしまった。
僕はとても困ってしまった。はっきり言って、何を見せればいいのかわからない。ほかの人と比べると、僕はあまりにもできることがありすぎた。
「…………」
「どうした?」
先生から不思議そうに言われて、僕はフィアと顔を見合わせた。そもそも同じクラスの人がいる時点で、ある程度のことは知られている。その中で何かわかりやすいものを見せればいいだろう。
僕はそう思って、少し悩んだ後に、『これでいいですか?』と空中に文字を浮かべた。
「「「「おおー」」」」
同じクラスの人は見慣れた光景だが、違うクラスの人は初めて見たのだろう。
僕がそんなことを頭の隅で思いながら先生のほうを見ると、先生は優しく首を横に振った。
「これはもちろん素晴らしいとは思いますが、今は成長などを見るために全力を出してください。聞いた話では、ノートの中身を光文字で空中に書き出していたとも聞きました。それにほかのこともできるとも」
僕はまたフィアと顔を見合わせた。
ここで本気を出す、なんてできるわけもないし、いつも通り適当に、なんて考えでは手を抜いているとみられるかもしれない。
さて、先生やほかの生徒が納得する僕の本気とはどの程度なのか。
この問題に対するフィアの答えは簡潔だった。
『今までやったことがないことを、さもすごそうに見せてやればいいのよ』
『……そ、そうだね』
フィアは『僕が体得した技術』を見せることに対してはとても寛容だった。魔力量も契約の特殊性も関係ないものは、確かに隠す必要性はない。だが、それを見せる必要性もないのだが……
フィアは最近イライラしているようで、特に飯岡君に対して怒ってもいるようだ。
おそらくそれが理由で、ある意味開き直ったように、シークレット以外の部分を見せることを肯定してくれているのだと思う。
ただ、そこにどんな因果関係があるのかは僕にはわからない。
『えっと……そしたら光球でいっか』
『そうね。ただ、魔力でやらずに太陽の光でやりなさいよ』
『もちろん分かってるよ』
僕はうなずいて目を閉じ、同時に上空に魔力を広げていった。
しばらくしても何も起こらないので、先生が僕に声をかけようとした時、不意に辺りが薄暗くなった。
7人の生徒だけでなく、この場にいるほかの班の生徒や先生までもが空を見上げる。
薄暗く、とはいってもそんなに暗いわけではない。夕方の空が赤くなった時くらいの明るさだが、空は依然青色だ。まだ日は沈んでいないし、雲もかかっていない。
「あ」
誰かが声を上げた。その生徒は空の一点を指さしている。
僕の頭上10メートルくらいの位置に、黒い影のような球体が見えたはずだ。
それはまるで、周りから何かを吸収しているかのように、黒い靄のようなものを吸い込んでいく。
下から見れば大きくは見えないが、実際には直径1メートルくらいなそれが吸収をやめたとき、僕はその拘束を完全には解け切らないよう調節して緩めた。
周囲を覆っていた闇が消え、元の明るさに戻るや否や、その球体から光が溢れた。
「うわっ」
「まぶしっ」
元々の明るさよりももっと明るく、まるで周りの世界が白く染まったかのような明るさに包まれた。
幾人かが肌に若干の熱さを感じたあたりで、唐突に世界は元に戻った。
世界は何事もなかったかのように普段通りで、突如出現した黒い球体も、光を放つ球体も、そこにはなかった。
「……えっと、今のは?」
先生が恐る恐るという言葉が当てはまりそうな様子で僕に質問した。
「えっと、まず周辺の光を球体状に集めて、それを下に向けて放射状に時間をかけて発射しました」
それだけです。と僕が言うのを、先生は目をぱちくりとしながら聞いていた。
すごそうに思えるが、フィアが言うには僕とフィアが普通に出会っていても使えたであろう技だそうだ。実際魔力はほぼ消費していないし、制御も楽だ。
ただ、何か……出会ってからの時間とか相性とかそういうことを考慮していないような気が……いや、フィアが言うなら大丈夫なのだろう。
「す……すげー」
どこからか感嘆の声が聞こえた。そしてそれを皮切りに、ほかの人からも「すごいな」とか「さすがー」なんて声が上がりだした。
僕がちらりとフィアの様子をうかがうと、なぜかフィアが得意そうにしている。別に胸を張ったりはしていないので周りから見てもわからないだろうが、僕から見れば明らかだ。
僕はそんな様子に苦笑して、とりあえずさっきの魔法はそんなにすごいことではないよという説明をしようと口を開いた。
――いや、開こうとした。
「いや別にすごくないだろ」
いやに響く声で、そう遠く離れていない場所から否定の声が上がった。
同時に不快感が流れ込んできて、顔をしかめる。『ごめん』という一言とともに、それはなくなった。
ふう、と一息ついて、声が聞こえた方を見てみると、飯岡君がいた。だがこちらに体の側面を向け、こちらを見てもいなかった。
飯岡君の周囲は小声で「おい、やめとけって」などと飯岡君に言っているが、当人はじっと見つめる僕の視線に気づいたのか、その人を押しのけて前に出てきた。
「なんだ? 怒ったのか?」
「え、いや……今から別にすごくないよってことを説明しようとしてたから、少し驚いただけだよ」
僕はそう正直に答えた。
飯岡君は一瞬顔を引きつらせて、すぐに元の薄笑いを浮かべた。
「まあそりゃそうだろうな。そもそも光属性なんて時点で使えないことこの上ない。その中で多少優れていようがどうってことないよな」
「な、ちょっと飯――」
その発言に、今まで黙っていた飯岡君の近くにいた先生が、飯岡君を止めようとして、すっと出された手に止められた。その手の主――日向さんは、じっと僕を見ている。
僕はその視線の意味が分からず首をかしげつつ飯岡君に意識を戻す。(魔力で見ていて顔を動かしていないので視線ではない)
先生の介入が止められたことで、飯岡君の言葉は止まらずに続きを紡ぐ。
「今のだって見た目は派手だが多少眩しかっただけだしな。目つぶしならもっと簡単にできるだろ? 大体光なんて火でも雷でも出せるぞ」
飯岡君がそこまで言うのを聞いて、ようやく飯岡君の勘違いに気付いた。
「えっとさ、飯岡君は勘違いしてるよ。さっきのは目つぶしじゃなくて、ちゃんとした『攻撃魔法』だよ」
それを聞いた飯岡君は一瞬呆けたように黙った後、嘲笑を浮かべた。
それを聞いていた周りの人たちも驚いてはいるようだ。
「は? お前バカなの? さっきのが攻撃? 痛くもかゆくもなかったぞ。大体攻撃力が皆無な光でどうやって攻撃すんだよ」
「いやその、そもそも魔法に攻撃力が皆無って時点でおかしいんだよ」
僕のその返答に、飯岡君はいら立ちの混じった顔になる。
「あーはいはい、微々たる攻撃力はありますね。それがどうしたんだよ。お前子供のパンチくらい続けて痛み感じるか? ただでさえ身体強化で衝撃に強い俺らが? それと同じだろ」
飯岡君のその返しに、僕はどうやれば理解してくれるのかを考える。
「……飯岡君は、『雨だれ石を穿つ』ってことわざ知ってる?」
「は? 知ってるよ」
僕はそれを聞いて、考えをまとめながら話す。
「雨だれってさ、人が一粒受けたところで衝撃なんかほとんど感じないと思うんだ。でも、石みたいに硬くても、ずっと続けていれば目に見えるダメージを受けるってことは、一粒でのダメージは確かにあるってことなんだよ」
「だからどうした」
「だからそれと同じで、光魔法でも同じようにダメージは確かにあるって言いたいんだよ。ダメージを感じていないだけで」
「はっ」
飯岡君はそれを鼻で笑った。またざわりと不快感が流れ込んでくる。
「それなら別の属性でいいだろ。わざわざ弱っちい光なんぞで攻撃しなくても、例えば俺の雷で打ち抜くだけで光を何時間と当て続けるよりも多大なダメージを与えてやるよ」
そういって飯岡君は右手を胸の前に持ち上げ、ボールを持つようにした手のひらの上に、バチバチと電撃を閃かせた。
同時にぱちりと、さっき僕が魔法を使う際に広げた魔力と飯岡君の魔力の間で何かがはじけた。
そこでやっと気づいた。この現象には見覚えがある。そして茜さんによると、これは――敵意……いや、害意だったか。
魔力にはある程度意思が乗る。そして意思が乗るからこそ魔物に効き目があるのだろう。
だから、害意があればこうやって魔力同士で弾かれたりする。
僕は(害意が)弱すぎて分からなかったなあと思いつつ、飯岡君を眺めながら少し考える。
「例えばさ、火属性と雷属性とを比べて雷の方が強い、なんてことは言わないよね?」
「は?」
突然話題を変えられて、飯岡君が困惑していた。
「どうなの?」
「いや、まあ……常識的に、そんなのは比べる意味はないだろ」
「どうして?」
飯岡君がまたイラつきを顔に出し始めたので、僕はもう答えを待たずに続けることにした。
「火よりも雷の方が普通は早いよ。同時に打てば雷の方が早く相手にあたるはず」
「だからなんだよ」
「でもさ、大体の雷は制御が難しかったり大体の火は範囲が広かったり色々要因があって、一概にどちらが有利とかは言えないわけだよ」
僕はそこで言葉を切って、少し言葉を整理してから続ける。
「光もおんなじだよ。一概には言えないけど、『光の性質』として、ほかのどの属性より早いし、邪魔さえなければ直線に進んでくれるし、攻撃はまず外れない」
視界の中で幾人かが――先生も含めて――ピクリと反応するのが分かった。
「まあ人間に効果が低いのは確かだね。光でダメージをしっかり与えるなら熱を利用したり目を狙うしかないから。でも、魔物にはこれでも『意思』をしっかり乗せればそれなりに有効なんだよ」
いやまあ、理論上の話であって、威力が低くても通用するかどうかは確かめたことはないけれども。
そんなことを内心で思いつつ飯岡君の様子を窺えば、どこで余裕を取り戻したのか最初の薄笑いに戻っていた。
「おいおい、対象が魔物でどうすんだよ。精察なんて一部のエリートしか入れないだろうが。そういえば三条と仲が良かったな。お世辞かなんかで自分も対魔士になれるとでも勘違いしたのか?」
「…………?」
後半、飯岡君が何を言っているのかがわからなかった。
「えっと、どちらかといえば相手が人の方が簡単だと思うよ。人は感覚の8割を視覚に頼っているから、視界を潰すだけでこちらのペースになるよ」
とりあえず前半の話を受けて返答すると、飯岡君が舌打ちする。
「飯岡は玲治が魔戦部に入ったことを知らないんだよ」
なにやら先生と話していた日向さんが、話を終わらせたのかこちらに歩み寄りながらそう言った。
僕がそれでも疑問符を浮かべたままでいると、飯岡君が鼻で笑った。
「魔戦部に入ったのか? おいおい、攻撃もろくにできないやつが使い物になるわけないだろ」
「いや。玲治は魔戦部の三番手……かもしれない実力者だ。周りに知られていない分、次の大会では切り札になるだろうな」
「はあ? 魔戦部も落ちたもんだな」
日向さんがそうやって煽るようなことを言ったからだろう。少しずつ冷めてきていたはずの飯岡君のいらだちが再燃したようだ。また魔力がぱちりとはじけた。
だが飯岡君の友達らしき人たちが、「もうやめとけって」「先生もいるんだぞ」と言って飯岡君をなだめている。
特に『先生』の一言で周りに先生たちがいることを思い出したのだろう。飯岡君はちらりと様子をうかがって、自分の元いた場所へ戻ろうとした。
「待て待て、このままじゃ納得できないだろう? どうせならここで魔法戦でもやってみたらどうだ?」
それを、日向さんはわざわざ呼び止めてそう告げた。
「……え?」
日向さんの煽りはすごく露骨だった。だがそれを、誰も止めようとはしなかった。
「は? そいつ魔戦部なんだろ? なんでそいつの土俵で――」
「何を言っている。光属性は攻撃に役に立たない、弱っちい属性だとか言っていなかったか?」
言葉をさえぎって放たれた日向さんの言葉に、飯岡君は言葉に詰まった。
「……まあ、そうだな。だけどそんなこと、先生が許すのかよ。それって喧嘩だろ?」
「いやいや、何を言っている。私がわざわざ『喧嘩にならないように』魔法戦を提案しているじゃないか。通常の魔法戦のルールであれば問題ないと許可もとってある。もちろん怪我をしそうになったら介入するが、それ以外は普通の魔法戦だ。たまに授業でもやるだろう?」
「な、どうやってそんな許可とったんだよ」
それを聞いた日向さんは、なぜかこちらをちらりと見て、いつものいたずらを仕掛けるような笑みで、
「魔法戦というルールで戦ってみて、ついでに属性の違いやら、魔法の使い方の工夫をみんなで学べるようそれを観戦してはどうかと提案しただけだ」
そう宣った。
いやいや、絶対そんなわけないですよね。大体なぜ先生の目の前で私闘の許可がこうも素早く決まるんですか、ありえないでしょう! 何やったんですか!
……と言いたくなったが、僕は黙ったままジト目で日向さんの背中を見るだけにとどめた。なぜなら僕はいい加減、フィアを不快にさせるこの人のことを、不快に感じ始めていたところだったから。
「……まあいいけどな。それで? 今からやるのか?」
「さすがにここではできないさ。ただ、今からやるというのは正しい。許可もとれたようだし、魔戦競技場に移動しよう」
日向さんはそう言って、僕らを先導するように歩き出した。
僕は着替えをさっさと終えて、日向さんと歩美さんのところに来ていた。
「それで、これはどういうことなんです?」
「どういうこともなにも、見たままの状況だと思うが」
日向さんはいつも通りの、まるで今から部活が始まるかのように平然とした様子でそう答えた。
そのあまりの自然さに僕が言葉を詰まらせていると、歩美さんが苦笑しているのが視界に移った。
「……歩美さんも、どうして協力しているんですか……」
協力というのは、さきほど日向さんが『許可もとれた』と言っていたとき、ちらりと視線を校舎の方に向けたのだが、そこに歩美さんがいたのだ。おそらくだが、直接許可を取ったのは歩美さんだろう。
「えっとね……言いたいことは分かるんだけど、こういう悪だくみしているときの日向には従っておいた方がいいよ」
「おい、悪だくみとは人聞きが悪いじゃないか」
「とにかく、いつもと同じように日向の作戦を聞いて、それから判断しようよ。日向、そろそろ説明してくれるんでしょ?」
日向さんの苦言を呈する声を華麗に無視して、歩美さんは作戦の説明を求めた。
日向さんはわずかな間だけ憮然とした表情を浮かべたが、小さく息を吐くと、いつも部活で作戦会議をする時の真剣な顔つきになった。
「そうだな。確かに作戦内容を説明すべきなんだろうが……今回はその作戦の概要を、玲治が知らないことが作戦成功に関わってくると私は考えている」
ガチャリと音がした。そちらを見ると更衣室から飯岡君が出てくるのが見えた。
「この通り時間もないし、今は私を信じてもらうしかないわけだが――」
「いいですよ」
時間もないので、日向さんのセリフを食い気味に僕は信頼の言葉を口にした。
軽く驚く『フリ』をする日向さんをじっと見ていると、日向さんはすっと目をそらした。
「……うん、まあそう言ってもらえるとは思っていたが、照れくさいのは確かだ。……ともかく、やってもらいたいのはただ一つだ。お前のすごさと、『光』の強さを見せてやってくれ。出来れば観客にも」
そう言って日向さんはにやりと笑った。
なかなか無茶ぶりをしてくれるものだ。それにどうするかはこちらに丸投げ。
僕は思わずクスリと笑いをこぼした。なんだか僕まで今から部活での試合が始まるような気がしてしまった。
僕は笑ってしまった表情を、意識的に目をつぶって集中し、普段通りの表情に戻した。
「わかりました。出来るだけ手加減して圧倒します」
「ああ。怪我にだけは気を付けてくれよ」
日向さんはそう言って笑った。
「じゃあ私は観客席から応援してるから。あと、大丈夫だとは思うけど、日向みたいに玲治君との初戦のような真似はしないように」
「分かってますって。日向さんじゃないんですから」
僕は笑いながら手を振る歩美さんに、こちらも笑いながらそう返した。
日向さんがまた憮然とした表情を浮かべたのは言うまでもない。
「ではルールの確認を――」
「あ、ちょっと待ってください」
僕と飯岡君が配置につき、日向さんが学校の授業で行う際のルール――魔法戦の公式ルールに『ダウン後追撃なし』を加えたルール――を告げようとしたのを遮ったのは、僕だった。
日向さんは軽く驚いた後、「どうした?」と声をかけてくる。僕は日向さんをちらりと見た後、日向さんではなく飯岡君を見ながら続く言葉を発した。
「飯岡君。これはやっぱりフェアじゃないと思うんだ。僕はやっぱり魔戦部員だし、体力もそれなりにあるよ。普通のルールでやっても『僕が魔戦部員だから』ってなるだけだと思うんだ」
そもそもこの魔法戦が提案される原因となった、僕と飯岡君の言い合いの理由は、『僕が魔戦部にふさわしいか』ではなく、『僕が光属性だから弱い』、もっと言えば『光属性は弱い』という飯岡君の間違った認識が根底にある。つまりそこを訂正しないとどうにもならない。
日向さんも『光』の強さを見せてやれと言っていた。それならやはり、魔法を使って勝つ必要があり、さらにその勝利が魔法のおかげだとわかる必要もある。
このままのルールだと、魔法のおかげと分かるよう勝つにはどうしても長期戦になるだろうし、そうなれば体力勝ちに見えてしまう。
そこでフィアと相談――ではなく、契約を厚くして思考を共有し、作戦を考えた。
「3連戦にしよう。ただし、そのうち一度でも僕が負けたらその時点で飯岡君の勝ち。それと、3戦行う都合上、決着はダウンさせた上で有効打を寸止めで勝利……っていうルールでどう?」
僕がそう言った時、まず真っ先に日向さんから眉をひそめた。
日向さんは多分こう思ったはずだ。
――それだと飯岡の評価の基準である、『攻撃力の有無』という部分が証明されづらい。
と。
それを分かったうえで問題ないと、日向さんだけに見えるよう光文字でメッセージを送った。
日向さんはピクリとわずかに反応しただけで、反応は特に返さなかった。
そのうえで、飯岡君の方を見る。
「飯岡はそれでいいか?」
「いいわけないだろ」
飯岡君はすぐさま反対した。そして理由などを言おうとして口を開きかけたのを、僕は「ストップ」の声とともに手を軽く上げて遮った。
「言いたいことはわかっているつもりだよ。それだと強さの証明になっていないから納得なんかできるはずもないってことでしょ。だから、さっきのルールに一つ条件を足すよ」
僕は、さっき『僕ら』で考えたルールの核心部分を告げた。
「最後の戦闘のみ、僕が飯岡君をKOする、または飯岡君が降参することでのみ僕の勝利とする。もちろんだけど飯岡君は3戦すべて僕をダウンさせたら勝利」
ここでいうダウンとは、足の裏以外の部分が地面に1秒以上継続してついていることで、KOとはダウン状態になったあと、(追撃不可なので)10秒以内に二本足で立ちあがり、審判に試合続行の意思を告げることができなかった場合の状態のことである。
そのあまりのハンデっぷりに飯岡君がいら立つのが分かった。だから、『僕ら』で用意しておいた説得の言葉を告げる。
「もしこれで僕が負けても『ハンデのせいにする』と思うのなら、飯岡君だけ『ダウン後追撃あり』にしてもいいよ。僕は今のルールのつもりで戦うけど、審判には僕がダウン後に追撃された時点で僕のみ魔法戦の公式ルールで戦闘を行うってことにしてもらおう。じゃあそういうことで、日向さんよろしく」
「え? あ、ああ……分かった」
さすがに日向さんもこの補足ルールには驚いたのか、動揺をあらわにしている。
というか、外野が騒がしくなってしまった。特に教師陣が騒めいている。この静かな競技場では声が響くので、全員とまではいかないだろうが、声が聞こえたのだろう。
「…………」
飯岡君まで絶句していたが、このまま時間がたつと『僕ら』の見解では中止させられる可能性がある。
「プライドが許さないというなら、そもそも魔法戦のルールだと思ってればいいよ」
だから僕はさらにそう告げた。
飯岡君は怒っていても、どこか冷静なところがあり、相手の話を案外聞いているらしいとフィアから聞いた。僕もそう思う。
「そこまで言うならいいだろう。だがルールはお前が言った最初のやつでいい」
飯岡君は怒りに顔をゆがめつつもそう口にした。やはり最後の条件はのまなかった。のまれてもかまわなかったが、それは後々の飯岡君の立場を悪くするのでできれば避けたかったが……というか、追加ルールも流れで却下されてしまった。
……まあ、それも『僕ら』の想定内ではある。
そしてここからは、『僕』の仕事だ。
「分かった。じゃあ日向さん、そういうことで」
僕はそう言ってちらりと日向さんを見た後、視線を前に戻して契約を元通り薄くし直した。
ここからは手加減必至だ。一戦目と二戦目は予定だと全く問題ない。問題は三戦目だ。
「……では、これより変則ルールによる魔法戦を開始する! ルールはダウン後追撃寸止めでの勝利とし、3戦連続で行う。1戦ごとに初期配置につき、審判の合図のもと次の試合を始めるものとする。両者相違ないな?」
「ああ」
「はい」
「では、今からランプが点灯する。一番上の青のランプがともると同時に試合スタートだ」
飯岡君はちらちらとランプを見ているが、僕はじっと飯岡君を見つめていた。
順にランプが灯っていき、最後に青いランプがついた。
バチィ!!
開始早々飯岡君から先制攻撃が飛んでくる。僕はそれを悠々とかわした。
「なっ」
飯岡君は短く驚く。すぐさま魔法を連発するが、僕はひらりひらりとかわした。
当たり前の話だが、電撃を見てからかわすのは不可能だ。だから飯岡君は驚いているのだろう。
だが、天然ものの電撃と違って魔法の電撃は制御されている。しかも飯岡君はその制御がそれなりにうまかった。
だからこそ、魔力の感触が分かる僕には電撃よりも先に来る制御用の魔力から逃げるだけで、自動的に電撃も避けることができていた。
僕はタイミングを見計らい、魔物の大量発生事件の時にも使った透明になれる壁を展開し、同時に幻影を躍らせる。その隙に飯岡君の後ろに回り込むためだ。
その際、飯岡君以外の人には僕のことがはっきりと見えるようにすることも忘れずに。
そしてむきになって立ち止まったまま電撃を打ちまくる飯岡君を足払いして、驚愕で固まっている間に透明化を解いて追撃を寸止めした。
「そこまで!」
日向さんの声にはっとなった飯岡君が怒りの表情で立ち上がる。
「…………」
だが、何も言ってこない。
納得がいっていないだろう。完全に隙を突かれたとはいえ、魔法の用途はただ隙を作っただけだ。『光』の魔法に『倒された』わけではない。だからこそ、次は魔法で『倒れてもらう』
また、青のランプが灯った。
今度は僕が先制攻撃をかける。
周りにもわかりやすいよう、手を前に向けるという演出をかけて『今から攻撃しますよ』と伝えてからの――魔法の発動。
本来ならば飯岡君の周りだけでいいのだが、あえて競技場を覆うように魔法を展開する。そして光を、波打つように『見える』よう、曲げる。
僕からすれば正常なのだが、僕を除く全ての人には床が波打ち自分がゆがみ目の前が渦巻いているように見えるだろう。
飯岡君は即座に平衡感覚を失い、ふらふらとふらつきながら数歩後退したのち、尻餅をついた。僕は魔法を解除しつつ近寄って寸止め。これで2勝。
「……あ、そ、そこまで!」
この技は初めて使ったので、日向さんにもかなり効いているようだ。少し悪いとは思うが、これを普通にやると、はたから見れば飯岡君がただふらついて倒れたようにしか見えないので仕方がない。
「……っ」
飯岡君がどこかふらつきながら立ち上がる。まだ酔っているのだろう。
日向さんに「少しだけ時間をおいて開始して。ここで飯岡君が酔ってたら困るんだ」という旨のメッセージを飛ばし、飯岡君の様子を探る。
飯岡君はこぶしを強く握り、こちらをにらみつけている。
「飯岡君。一応言っておくけど、この3戦は僕なりの答えでもあるんだ」
飯岡君は返事をしないが、僕の言葉は届いているようなので続ける。
「1戦目は攻撃以外での光の有用性。2戦目は人相手の視界を利用した倒し方」
その時点で飯岡君がしっかりと立っているのを確認して、日向さんに『○』と送ると、即座にランプが灯った。
なんだか審判と通じている気がして卑怯に感じるが、実際には相手が有利になるようにしているわけだからセーフだと思いたい。
そんな一瞬の思考ののち、僕は言葉をつづけた。
「3戦目は、光の攻撃力の証明だよ」
青のランプが灯った。
*****
俺の視線の先で、天崎が何か言っていた。それは覚えている。いや、一瞬前まで確かにそこでしゃべっていたはずだ。
また小細工をされてはたまらないので、開始と同時に何か見せられる前に広範囲に電撃を放った……のだが、効果はあったのかなかったのか。
いや、きっとなんとかされたのだろう。そうでなければこの光景に説明がつかない。
――俺は今、細い塔のてっぺんに、命綱もつけずに立っていた。広さは半畳程度で、その周りは何もない。かなり高い場所らしく、周りのビルはかなり高そうに見えるのに足元よりかなり下の方に見える。
いや、そんなことはありえない。実際耳からは生徒か教師か、小さな悲鳴などいろいろな音が聞こえる。
明らかに体育館の中のままだ。
だが、どうしてもこの、圧倒的リアル感の前には恐怖を感じざるを得ない。
しかし、だから何だというのか。
俺は恐怖を務めて無視し、数メートル先に浮かぶように見える天崎をにらんだ。
「大丈夫だよ。僕は本物。その証明と言っちゃあなんだけど、声が聞こえるでしょ? 僕は光を操れるけど、音は操れないからね」
その言葉を聞き終わらないうちに、俺は広めの範囲に電撃を放った。これはかわせないはずだと思ったその電撃は、確かにかわせなかったようだ。
天崎はかわそうとするそぶりも見せず、俺の電撃を片腕で打ち払った。
俺は息をのむが、「いてて……」という小さなつぶやきが、バーリースーツのフルフェイスマスクの下から漏れるのを聞いて、思わず安堵した。
――って、何安堵してんだ俺は!
俺は続けざまに電撃を放とうとするが、突然浮遊感を感じてそれを中断した。
「うわっちょっ、うわあぁぁぁぁぁ!!!」
いつバランスを崩したのか、体の前面で風を受けるようにして地面に向かって落ちていく。
俺はとっさに目をつぶり体の前に手をやった。すると、嘘のように浮遊感が消え、体が平静を取り戻した。
「……うん、まあ、そうなるよね」
小さなつぶやきが聞こえた。
俺は目をつぶったままその声の方、先ほどと同じ前方へと電撃を放つ。
恐る恐る目を開ければ、今度はビルの屋上に立っていた。
それを確認したと同時に、周囲から一斉にカラスが飛び立ちこちらに襲い掛かってくる。
今度は意図的に目を閉じるが、カラスの羽ばたく音こそ聞こえないものの、今度は目を閉じていても腕などにひりつくような痛みが走った。
「ちょ、痛いぞ」
たまらず目を開けて見てみれば、カラスが自分の体にまとわりつくように飛び、嘴でつつき、かぎ爪でひっかいてくる。今度は鋭い痛みが各部を襲い、ついにはカラスのうるさい鳴き声まで聞こえてくる始末だ。
「やめろ! 離れろ! なんだよ! どれが本物なんだ!」
いや、本物などいないのかもしれない。頭のどこかでそう考えた気がしたが、無我夢中でカラスどもを振り払う。
そして十数秒後、足がもつれて転んだとき、唐突に体育館に戻ってきた。当然カラスもきれいさっぱり消えている。
『ダウン判定』となり、追撃は寸止め以外禁止になったからだろう。
そこまで思考が及んだ時、一瞬で意識は現実に戻り、目の前の状況を確認する。
天崎は……なぜか追撃せず、正面でじっと俺を見つめていた。俺はそれを確認して、警戒しながらゆっくりと立ち上がる。
そして電撃を放……とうとして、なぜか尻餅をついた。
――くそ、また何かやられたか。
そう思いながらもう一度立ち上がろうとして……立ち上がれなかった。
今度は何なんだ、と思うが、よく考えれば、今自分はダウンしている状況だ。追撃が効果を示せば反則になる。
そんなことを考えているとき、やっと、自分が荒い息をついていることに気が付いた。
「はあ、はあ、はあ……はあ」
自分の声が響く中、もう一つ悟る。まるで全力疾走した後のように、手足が重い。
天崎はこちらをじっと見つめたまま、その場を動こうとしない。
俺は歯を食いしばって何とか立ち上がった。
「はあ……はあ……」
カラスの幻影を追い払ったからか? 一番初めに叫ばされたからか?
自分がこうなったことの理由を考えるが、全く思い浮かばない。たったそれだけで、ここまで疲れるわけがない……はずだ。
「あ……えっと、飯岡君」
今まで黙っていた天崎が、唐突に口を開いた。
「僕はこの試合が始まってから、一歩もこの場所を動いていないし、魔法以外使ってないよ。飯岡君の魔法を受けたとき以外はまともに動いてすらいないしね」
そして、そんなことを、口にした。
その瞬間に、天崎のセリフを一つ思い出して、こう思った。
ああ、これが雨だれか。と。
*****
飯岡君は立ったまま呆然とこちらを見ている。僕はそれを見ながら、ここからどうなるのかを考えていた。
やはり調整は難しかった。
一番いい結果としては、一度目のダウンまでに足腰に力が入らず立てないけれど、意識はしっかりしているし深刻なダメージもない状態で、もちろん怪我がない状態が望ましかった。
……もちろん分かっているとは思うが、飯岡君の状態の話である。
今回の結果は、怪我、深刻なダメージなし、意識あり、体力には少しだけ余裕がある状態……に見える。
なぜ一度目までかというと、一度冷静になる仕切り直しの後で、時間稼ぎを含む幻覚の演出には手間がかかるからだ。
学習能力を持っていれば、一度騙されれば次からは警戒する。
「えっと、それで、続ける? 続けるなら審判に向かってそう宣言してほしいな」
いや、別にルールでは中断についての規定などなかった……というかそもそも中断などしていないが、自分の気分的な問題だ。別に襲い掛かってこられてもいいが、立ち尽くされるのは困る。
「お……前……どうやった……?」
「どうって……」
僕はどう答えたものかと少し考えた。
僕がやったことは、今まで行ったことを複合的に行っただけだ。
この場にいる全員に見せるために少し大規模にやったが、普通にやる分には本来大した手間もかからない。
まず幻覚については、競技場全体から光を奪い取り、見せたい景色を映し出すだけ。本来ならば対象の周りや動かないならば目の周りだけでもいいが、今回は全員に見せるために大掛かりになった。
雲の形に白く光らせてビルの形に色を付けて光らせる。
本来は太陽の光を反射して、それを人は見ているわけだが、光の強弱をしっかり同じにしてやれば、肉眼ではまず見分けられない。
そして次に、飯岡君に『痛くもかゆくもなかった』と言われた攻撃魔法。あれを天井の四隅に一つずつ、床の四方に一つずつ、合計八個設置する。規模はあれほど大きくする必要はないし、今度は周りから光を吸収する必要も、周りにそれを見せることも必要ない。
可視光線でも目に入らなければ一切見えない。だが現実の光は反射するため、わざわざ可視光線を使うこともないので、見えない光を1戦目の開始から、ダウンと中断している間以外はずっと当て続けた。
そしてほかの細かいところでは、臨場感を演出するため、塔から落とすところで魔力を吹き付けたり、カラスのところでは少し強めの光を一点集中させて熱によって痛みを発生させたりと小細工をした。
ただそれだけ。
人は感覚の8割を資格に頼っている。だから、思い込みやちょっとしたきっかけで残り二割をだましてしまえば、一瞬にしてそれが現実に置き換わる。
なぜなら、100%の感覚で感じているものとは、それこそ、人それぞれが感じている『現実』そのものだからだ。
僕は細かいところを省いて、ただし八つ置いた攻撃魔法のことはちゃんと話しつつ、なるべく分かりやすいよう説明してみた。
それで納得してもらえれば御の字だ。納得してくれなくても元々同じ手は通用しないだろう。
すると、それを聞いていた飯岡君は、どこか力なく微笑み、直後へたりと力なく座り込んだ。
「降参だ」
飯岡君がうつむきながら確かにそういった。
「そこまで! 勝者、天崎玲治!」
「「「うおおおおぉぉぉぉぉ」」」
日向さんの勝者宣言にかぶさるように、観客席から歓声が響き渡る。
僕は戸惑いながらも、近づいてきた日向さんに促されるまま観客席に手を振った。
その後、授業の一環ということで説明などを求めらた。特に秘密にするようなことはないのだが、周りから一斉に言われてもよく分からない。
とりあえず目があった人の質問を一つずつ、「魔力はそんなに必要ないよ。他の属性と違って効果を発揮するのに必要な魔力の量が少なくて済むから」「どうやって使いこなせるようになったか? うーん……なんていうか、感覚の革新が必要なんじゃないかな? 僕も練習を重ねているうちに、『これってこういうことじゃないかな』ってひらめきで急に成果が出たりするし」などと答えていった。段々と今回の魔法戦から話がずれて魔法全体の質問になってきたあたりで先生から待ったがかかり、やっと授業が再開された。
しかし生徒たちは浮ついているし、純粋に残り時間が少なかったこともあって、授業にならず、すぐに解散となった。
時間は放課後となり、部活の前に少し話していこうと日向さんに連れられて、校舎のそばにある花壇に来ていた。
「どうしてここに?」
「この場所は静かだからな。まあほかの場所に比べれば、と前置きがつくが」
「……まあ、そうですね」
言われてみれば、多少人の声が聞こえてくるものの、さわさわと風の音が聞こえる程度には静かだ。
「それで、改まって話なんて、いったい何ですか?」
わざわざ静かな場所に来て、しかも二人きりで話なんて初めてのことだ。
なにかまた問題が起こったのだろうか。それならなぜ歩美さんがいないのか。
とりとめのない思考を中断して、僕は日向さんの言葉を待った。
「……誤解しないで聞いてほしいんだが、玲治はその……会話をめんどくさがる時があるだろう?」
う、と一瞬言葉に詰まる。だがとりあえず『誤解しないで』と前置きがあった以上その言葉への解釈は捨て、「……まあ、はい」と肯定の言葉を返した。
「私や歩美は玲治の事情も少しは聞いたし、全部とはいかなくとも玲治の性格は大体わかっているつもりだから、会話が少なくとも省かれた部分を察することができる」
僕は小さく頷いた。
「だが、玲治と親しくない人にとってはそういうことは分からなくても不思議はない」
「……そうですね」
――えっと、今僕は怒られているのだろうか?
自問してみるが、答えは得られない。
「ところで、この前のテストの話だが」
日向さんは急激に話題を変えた。
「確か、玲治はテスト勉強を一切していなかったよな? なぜなんだ?」
「え? えっと?」
僕は目を白黒させながらも、言われたことについて思考をめぐらす。
それは別に難しい問題でもない。自分のテストについての考え方を話す。実際間違えた部分は既にフィアと茜さん二人に質問をして解決済みである、ということも聞かれたので答えた。
「なるほどな……あと、玲治はいつ勉強をしているのか教えてくれないか?」
「えっと、朝学校についた後授業始まるまでとか、家に帰ったあととか。ほら、朝とか光文字でやってるの見たことあるでしょ? あんな感じです」
茜さんが来てからは何度かだけ見てもらったことはあるし、これからもあるだろうが、前回のテストの時はやっていなかったので言わなかった。
「……そういえば、合計勉強時間はどれくらい……いや、それはいいか。計算するのも面倒だろう。今の質問は忘れてくれ」
日向さんはそう言って肩をすくめた。
というか、この話は日向さんと歩美さんには話したような気がする……。
「そうだ。最後に一つ。飯岡についてどう思う?」
「飯岡君?」
その思考を遮るように、日向さんがさらに質問をぶつけてきた。
『どう思う?』って言われても、質問が漠然としすぎてすぐにまとまらない。
飯岡君についてそう詳しく知っていることもないので、とりあえず飯岡君と相対したときにどう思ったかを答えることにした。
「……えっと、まず、すごい自信家だなと思ったかな」
日向さんは小さく笑みを浮かべて頷き、「それから?」と続きを促す。
「それから、短気だとも思ったかな。あと、子供っぽいとも思ったよ」
テスト前飯岡君に怒られた時、なぜ怒られているのか理解していなかったが、フィアと契約を厚くしたときにフィアの考えが伝わり、そのときに子供っぽいと思ったのだ。
「なるほど」
日向さんは苦笑しながら頷いた。
「だけど……なんていうか、表面は短気だけど、『ここは超えない』っていう一線を守れる人だと思ったかな。あと、言葉は乱暴だけど、根はそうでもないと思ったかな」
「なるほ――いや、今のは……今の二つはなぜそう思ったか説明してほしいな」
「え? ……そうですね――」
その質問に、なんだか日向さんらしくないなと思いつつも、僕は正直に答える。
「――えっと、一つ目の方は、不満なんかを口にしつつも、直接的なことは何もしないし、日向さんが魔法戦を口にした時も、まず戦いが許容されるはずがないってところから話に入っていましたし、僕が提案したルールも、どこか冷静に、僕の提案をのみつつも、危険が少ないのを選んでいました。
二つ目の方は、さっきのに絡みますけど、僕が気に入らないけど暴力で解決するのは違うっていうのは思っていたんじゃないかと思うんですよね。ダウンなんて雷ならうまくすればすぐに取れますし。なにより、魔法戦が始まっても『害意』は大きくなったりしませんでした」
僕にしては長めの説明をしゃべり切り、一息ついた。
するとそれを見てまた小さく笑った日向さんは、僕から視線を外して校舎の方を見た。
つられてそちらを向くが、もちろん視界の中には誰もいない。普段契約を薄くし魔力を抑えているといっても、あることに変わりはなく、背後だろうと見えるためだ。
日向さんがなおも見続けているので僕も見続けていると、こちらからは完全に死角、しかも入ってすぐのところではなく、もう一つ向こうの角から飯岡君が出てきた。
僕が目をぱちくりさせながら日向さんの方を向くと、「すまない。立ち聞きさせたのは私だ」と片手をまっすぐ立てて顔の前にやる、簡易なごめんなさいポーズで謝られてしまった。
僕がもう一度校舎の方に振り替えると、飯岡君は校舎から出てきて僕から数歩分ほど離れた場所で立ち止まった。
「…………」
「…………」
飯岡君は何も言わないし、僕は状況把握がうまくいかずに黙るしかない。
そういえば契約を厚くして――『僕ら』になったとき、日向さんの作戦は僕と飯岡君の現状をどうにかする作戦だって分かったし、それについて僕は分からない方がいいようだから深く考えないようにしようとか思ったんだけど、多分これのことだろう。
だけど、ここからどうすればいいのかは分からない。
「……何か言いたいことがあって、出てきたんじゃないのか?」
日向さんは柔らかい表情で飯岡君に話しかけた。飯岡君は不機嫌そうな表情でちらりと日向さんをにらんだ後、僕に向き直った。
「……色々、悪かったな」
そうとだけ言って立ち去……ろうとして、校舎から出てきた歩美さんに止められていた。
「ほら、玲治も何か言ってやれ」
日向さんにそう言われるが、そもそも何を謝られているのかがピンとこない。
「えっと……僕は飯岡君に謝られるようなことはされてないよ。こちらこそ、その……大人げないというか、選手が素人に本気になってみたいで……そうしないと誤解が解けないような気がしたっていうのは言い訳だけど、その……ごめん」
僕のほうこそ悪いことをしたと謝った。
自分の行いを後悔したとか、次同じ状況になれば行動を変えるとかそういうことはないけれど、それが僕の勝手な都合で、誰かに良いとは言えない影響を与えたのなら、それは僕に責任がある。
「……やっぱりお前はむかつくやつだ」
飯岡君はそう言って歩美さんの横を通って校舎の中に戻っていった。
それを三人で見送った後、ふと何かに気付いたかのように、「あ」と歩美さんが声を上げた。
「そういえば玲治君、飯岡君に対しては最初からずっと敬語じゃないね。私たちに対してだって最近やっと敬語が外れてきてるのに」
そう言われてみれば……そうだった気がする。
「あれ、ほんとだ。どうしてだろ」
僕はちょっと考えてみる。
「……飯岡君が子供っぽかったからですかね? さすがに僕も年下には敬語を使わないので」
「おいおい……それは世間的に言って『侮っている』と言うんじゃないか? いや、玲治に相手を侮るというのが似合わないのは確かだが……」
「え? ……あれ? 僕飯岡君を侮ってたのかな? いやでもそんなことは……言われてみればそうかもしれないって思うかも……」
「おい! さっきから聞こえてるぞ! やっぱてめー嫌いだ!」
僕が恐縮しながら重ねて謝るのを、日向さんと歩美さんは小さく笑い合いながら見ていた。