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第五話:薙沢茜

 

 翌日。今日は休日なのでのんびりしようと思っていたのだが、一本の電話によって予定を変更することになった。


 この街に来るとき以来の電車を使って、空港へと向かう。


『えっと、何行きに乗ればいいのかな? 空港行きなんてないよ』


『あそこに駅の一覧があるわよ。空港にいくには……まず五番線で中央に出ないといけないみたいね』


『五番線……あ、これか』


 慣れていないことなのだが、頼りになるフィアと相談を繰り返し、電車を乗り間違えるということも無く、僕らは空港にたどり着いた。


 空港の国内便の、電話で指定された場所で待っていると、飛行機到着のアナウンスが流れた。


 僕は座っていた席から立ち上がり、僕を呼び出した人が出てくるのを待った。


「あ、玲治君! 久しぶりー! フィアちゃんも!」


「お久しぶりです茜さん、フウも」


 茜さんもこちらを見つけて手を振りながら近づいてきた。僕が手を振ってこたえると、二人は笑顔を返してくれた。


 フウ・ライアは茜さんの契約精霊で、とっても元気な女の子である。


 フウはまるで姉妹のようにフィアを慕っており(もちろんフィアが姉)、僕はそのフウにまるで弟のように扱われている。


 今もフウはフィアにひっしと抱き付いた後、僕の頭をなでなでしている。お姉さんぶりたい小さな女の子にしか見えない。


「――とは言っても茜さんとは電話で何度か話してますけどね」


 フウに先を越されてほんの少し拗ねながら、茜さんが僕の頭をなでるので、照れ隠しに小さく反論した。


「いいのよ。直接会うのは久々なんだから」


 当然のことながら、そんなことで茜さんが気分を害すわけもなく、僕をなでて満足したのか健康的な笑顔を浮かべた。


「じゃあ行こっか。あ、これは持たなくていいわ。玲治君には他に持ってもらいたいものがあるから」


 僕が茜さんの荷物を持とうとすると、茜さんはそう言って自分で荷物を持ってすたすたと歩きだした。僕はわけも分からないまま後ろをついて行く。


 連れていかれたところは、ベルトコンベアに乗って荷物がくるくると回っている場所だった。


 僕は何だこれはと思いながらついて行くと、茜さんはそのうちの一つの前で立ち止まった。


「私の荷物の残りがここに流れてくるから、それを持ってね」


「はい。分かりました」


 なるほど。荷物を預けるサービスでもあるのかな、と思って荷物を眺めながら待った。すると、周囲の荷物とは明らかに違う、異様な荷物が流れてきた。


 長さは二メートルに届かないくらい、幅は二十センチほど、厚さは約五センチで、20センチ程度の長さの棒がついている直方体状のもの。それが白い布でぐるぐる巻きにされたものが流れてきたのだ。


 なんだありゃ、と思いながら眺めていると、茜さんが「あ、来たわね」と言って、すぐ近くにあったトランクを自分で持ち、あの異様な長物(ながもの)を指さして、「あれを持ってほしいの」と言った。


 とても重いので注意という張り紙が張ってあったそれを僕は肩に担ぎ、周りの人々に見られながら空港を後にした。




 それはびっくりするほど重かった。普段通り強化を封印したまま持ち上げようとしてできなかったそれを、僕は魔力の抑制を解放した、自然な状態で持ち上げ、それでも重いなと感じたほどだ。


 それを茜さんの言葉に従って肩に担いでついて行く。


 そのまま電車、ということは無く、茜さんが呼んでいた荷台がとても大きい車にそれとトランクをのせ、僕らもそこに乗り込んだ。


 そう長くもない間車に揺られ、到着した場所は、とても大きなマンションだった。


 はー、と短い感嘆のため息を漏らし、僕は車から謎の物体を担いでマンションに入る。


 謎の物体はなかなかの重さだったが、エレベーターは特に抵抗を示さず、普通に乗り込むことができた。


「何階ですか?」


「十七階よ」


 言われた通り、僕はRと書いてあるボタンの一つ下、十七階のボタンを押した。


 エレベーターを降り、茜さんの後ろについて歩く。


「茜さんの部屋は何番なんですか?」


「この階全部よ」


 茜さんはあっさりとそんなことを言って、「あ、その部屋にそれ置いといて。鍵は開いてるはずだから」と言って奥の方へ歩いて行ってしまった。


 僕は「どうせ使わないくせに無駄遣いを……」と呟いて、すぐそばの扉を開け玄関からすぐのところに巨大な物体をそっと下ろし、茜さんの後を追った。




 茜さんの荷解きを手伝い、ひと段落したあたりで、僕らは一度休憩することにした。


「ほら、二人はそこに座って。お茶入れるわ。フィアちゃんは何にする?」


「私は何でもいいわよ。何か珍しいものがあればちょうだい。食べてみたいわ」


「そう言うと思って、こんなもの買ってきたわよ」


 茜さんが取り出した箱には「八つ橋」と書いてあった。開けてみると、なんだか白い粉のついた皮みたいなのが入っていた。


 フィアと顔を見合わせて、とりあえず食べてみることにする。


「「いただきまーす」」


 僕らはそろってパクリと食べてみた。


 なんだか不思議な味がする。


 茜「どう? あまり食べたことない味と食感でしょ?」


 玲「うん、不思議な感じ。おいしいよ。……えっと、これはおやつだよね?」


 茜「おやつじゃないなら今出さないわよ」


 フ「そういえばレイジ、おやつもってきたの?」


 玲「あ、持って来てないや。今度持って来るね。そんな大したものじゃないけど」


 茜「あ、分かった。そのへんで買ったスナック菓子ね?」


 玲「何で分かるの!?」


 フ「レイジは単純だからね」


 そんな会話をしながら、僕らは八つ橋を楽しんだ。




 基本的に精霊が完全に実体化するほど精気を得た例は確認されていない。通常通り精気を得る程度では、生涯をかけても間違いなく完全な実体化はできないだろう。


 大抵は周りから認識されたり、多少の質量を得られるくらいである。


 だが、フィアはほぼ完全に実体化している。その理由は間違いなく特殊な契約のせいである。そうでなければ、精霊がたった数年で実体化し始め、ついには声が出せるようになるなどありえないからだ。


 ともかく、ほぼ完全に実体化しているフィアは、物を食べることもできれば、全くの他人と話すこともできる。


 魔物が実体化すればこの世界のものを食べられるように、精霊も実体化が進めばこの世界のものを食べられるようになる。更には、声まで出せるようになるのである。


 補足しておくと、実体化によって消化器官やら発声器官が発生したわけではない。現実への生物としての影響力を手に入れただけで、実際には魔物と同じく質量のある物質の塊である。もしCT検査にかけたとしたら、真っ黒に映ることだろう。


 概念的な存在である彼らは、この世界の生物の概念に影響されて、この世界に干渉することができるようになったのだが、この世界の生物と全く同じにはなれないということなのかもしれない。


 そういうわけで、僕達は普段、他人がいる前では契約を使って声に出さずに会話しているのである。


 ちなみに、そういうことがまだ何にも分からなかったころからの知り合いである茜さんには、全てが知られているため普通に会話しているのである(そもそもそういう常識的なことを教わったのは茜さんからだ)。


 また、当たり前の話であるが、僕とフウは直接話すことはできない。話すときはフィアに中継してもらうか、茜さんからまた聞きしなければならない。


 それでも僕とフィアの繋がりが厚いので、しようと思えば遅滞なく会話することもできる。




 休憩を終えた僕らは、さっさと荷物を整理にかかった。


 実体化しているとはいえ、流石に重いものを持つことはできないので、手伝うというわけにもいかなかったフィアは、フウの相手をして魔法で遊んでいた。


 フィアやフウなど、ある程度格(異世界での大きさのようなもの。他の生命を取り込めば大きくなる)が高い精霊だと、契約者を介さなくてもほんの小さなものなら魔法を使えるのである。


 そもそも、特に手伝いが必要というわけでもない。身体強化を使えば荷解きなど会話をはさみながらできるような簡単な作業である。


 僕は茜さんに何をどこに置けばいいか聞きながら作業をしていたのだが、ふと気になったことを尋ねてみた。


「そういえば茜さん、これ荷物だいぶ多いけど、いつまでいるつもりなの?」


「あれ、言ってなかった? 玲治君が卒業するまでよ」


「え!?」


 僕は作業を放り出して振り向いた。驚きのあまり言うべきことを見失ってしまった。


 僕が固まっていると、どこか呆れた様子でフィアが口をはさんだ。


「……なんとなくそう思ってたけど、それは心配性すぎるんじゃない? 私がいるんだし、そうそうひどいことにはならないと思うのだけど」


「あのねフィアちゃん、三条さんと辻さん? だったと思うけど、既に二人に色々ばれてるわよね? フィアちゃんがいながら」


「う……それを言われるとつらいわね……。確かに私が甘かったのは認めるにしても、多分茜がいても同じ結果になったと思うわよ?」


「……否定しきれないところが玲治君の玲治君たる所以(ゆえん)よね」


「それは少し用法が間違っている気がするけど、言いたいことはしっかり伝わったわ」


 ひどい言われようである。……だが全くもってその通りであると自分でも思ってしまったのだから、ひどいとは言えないかもしれない。


 僕は何も聞かなかったことにして作業を続けることにした。できればその話は早く終わってくださいと念じながら。


「ともかく、許可は問題なくおりたし、いいのよ。この前の魔物騒動も、私がここにいれば玲治君が出ていかなくても倒せたはずなんだし、何も変わらないってことは無いでしょ」


「……そうなると、戦場になっていた市街地は丸ごと炭になっていたでしょうけどね」


「う……そうかもしれないけど、どちらにしろ地下は崩れちゃったんだし、壊滅したことに変わりはないでしょ!?」


 だが、僕の願いはむなしく、その話題から離れそうで離れない。僕の作業が茜さんに聞かなければ進まないところまで来て、いまだにあーだこーだと言っている茜さん(フィアは茜さんをたしなめるでもなく反論だけしている)に話しかける決心をした。


「あの……これはどこに?」


 僕は終わりそうにない会話をぶった切って、おずおずと自分の持つ段ボール箱を指さした。茜さんは「あ、それはその部屋に置いといて」と短く答えて、会話ではなく作業に戻った。


 僕はほっと息を吐いてその箱を言われた部屋に入り、既に置かれていた数個の箱の横に置いた。


「――そういえば玲治君」


「はいっ」


 急に低くなった声に呼ばれ、反射的に背筋を伸ばして振り返った。


「三条さんと辻さんの話、まだ聞いてなかったわね」


 ゆっくりと近くまで迫ってきた茜さんが、無表情のまま僕の顔を覗き込んできた。


「ちゃんと私が納得出来る話なんでしょうねぇ?」


 僕は二歩、三歩と後ずさりして距離を取ろうとしたが、すぐに壁に背中が付いた。


「そそそれは多分としか言えないですがきっと納得できますから怖いです近いですごめんなさい!」


 僕は必死に説明した。




「なるほど。ほぼ私の予想した通りってわけね。やっぱり私がいれば何とかなった可能性は高いと思うんだけど」


 僕の説明を聞いて、茜さんは既に知っていたかのような態度でそう言った。実際には『予想した通り』と言っているわけだから知らなかったはずなのに、まるで『当然そうなるよね』と言わんばかりだ。


「一匹も逃さずに殲滅出来たって? まあ確かに逃がす可能性は低くなったでしょうけど……自分がタイミング悪く出張に行っていて悔しいのは分かるけど、私がそれに『そうでしょうね』って答えて何かが変わるの?」


 話しかけられレたフィアはというと、どこか疲れた様子で、それでも律義に答えた。これは恐らく、いい加減にしなさいという意味だろう。


 茜さんは苦虫を噛み潰したような顔をしたが、すぐに一つため息をついて自嘲気味に笑った。


「そうね。何も変わらないわ。ごめんなさいフィアちゃん」


 簡潔だが心が込められた謝罪に、フィアは「気にしてないわよ」と笑って返した。


「……でも、だからこそ次は私がいるっていう状況にしようと思って、ここに来たのよ」


 茜さんは僕の頭に手を置いてほほ笑んだ。


「卒業までは近くにいるから、何かあったら頼りなさい。いいわね?」


「……うん」


 僕は小さく頷いた。




「あ、そうだ、忘れるところだった」


 荷物整理はほぼすべて終了し、箱やらの後片付けをしている最中に、突然茜さんが声を上げた。


「どうしたの?」


 茜さんの方を見れば、壁掛け時計の時間を合わせている最中だったらしく、手に持ったままの時計を壁に戻し、もう一方の手に持ったケータイの画面を見ていた。


「ちょっと待ち合わせの約束があって……後三十分くらいであの重いのを持って精察本部まで行かないといけないんだけど……」


 茜さんはそう言って僕の方を見た。


「玲治君持ってってくれない?」


「いいですよ」


 断る理由もなく、僕は即承諾した。




 そして今、一人で精察本部へとやってきていた。


 誤解の無いように言っておくと、当初は茜さんも一緒に行くつもりだったようなのだが、唐突にかかってきた電話による出動要請のため、僕が一人で行く羽目になったのだ。


『というか、茜さん、非番じゃなかったんだ……』


『それは知らないけど、非番でも緊急事態なら呼ばれるんじゃない?』


 茜さんは、僕らには申し訳なさそうに、それでいて誰かには怒ったような様子で家を出ていった。


 僕は茜さんを見送ってすぐ、渡されていた合鍵で戸締りをきっちりしてから、謎の物体を持って精察へ向かっている、というわけだ。


 休日だからなのか、それとも休日で少なくてこれなのかは分からないが、まだ夕方前なので日も明るく、人通りが多い。


 僕の持っているこれはどでかいので、人に当たらないように気を配る必要がある。ただ、フィアとの契約の関係上、背後などの死角は見えるので無くなっている。そのため特に頑張ると言うほどでもなく、僕らは精察へ向かっていた。


 精察本部の前まで来たのはいいものの、そういえばどこで会うのかを聞いていない。


 僕らはとりあえず中に入ってみることにした。


 正面入り口から中へ入ると、正面に改札機みたいなのがあって、そこを通る人はカード状の何かを改札機についている画面に付けて、扉を開けて通っている。


 視線を巡らせると、改札機の手前、右の方に、受付があるのが見えた。


 僕がとりあえず受付で話を聞こうと思って一歩踏み出すと、誰かがこちらに近づいてくるのが見えた。受付と逆の、左の方の椅子に座っていたその人は、とても頑丈そうな体つきをしたおじさんだった。


「もしかしてあんたが『玲治君』か?」


 想像通り茜さんの待ち合わせ相手だったようだ。


「そうです。初めまして。僕は天崎玲治で、こっちがフィル・アイネです」


 僕はとりあえず自己紹介をして、フィアと一緒に頭を下げる。


「おっと、ご丁寧にどうも。俺は(れん)(じょう)(はる)(ひろ)、こっちはディグ・アグリーニだ」


 おじさんもそれに続いてぺこりとお辞儀をした。精霊はおじさんの肩の上でうつぶせにぐでーっと伸びている。


 僕はちらりとディグと呼ばれた精霊に視線を送った後、連城さんに視線を戻した。


「えっと、これお届け物です」


 僕はおそらく持つところであろう棒の部分を持って肩に担いでいたそれを、肩から降ろして両手で差し出した。


「ああ、ありがとよ」


 連城さんはそれをしっかりと両手で受け取り、それから僕と同じように片手で棒の部分を掴んで肩に担いだ。


「そういえばそれ、何なんですか?」


 そういえば、僕は包みの中身を知らなかったことを思い出した。


「ん? 聞いてなかったのか?」


 連城さんはそう言うと、その場でその布を外し始めた。


 現れたのは武骨な金属のきらめきだった。


「これは剣だよ。ちょいと修理に出してたんだ」


「修理……」


 言い回しはともかく、それが普段の機能を失っていたんだろうことは見れば分かった。


 まるで焼け焦げたような部分があり、それが全体に広がっている。


「かなり脆くなっちまったらしいけど、新しくすんのにはそれなりの金がかかるからな……俺にはそんな余裕はなかったんだ……」


 何とも世知辛い話だ。


 僕が何も言えずにいると、連城さんは時間をおかずに僕の様子に気づいたようだ。


「すまん、なんでもない」


 と一言はさんで、その話を終えた。


「とにかく、ありがとよ。茜は呼び出しくらったんだろ? 電話で聞いたよ」


「はい。なんか緊急らしくて断れないからって言ってました」


「あー……まあ緊急というかなんというか、お怒りの電話だったんじゃねえの? あいつはこっちでの仕事を無理やり引き抜いたらしいし、すでに今日から仕事入れてんだろ。なのに家でダラダラしてるから呼び出し代わりに緊急性の高いもの振られたんだろ」


 ……あれ、今なんか色々聞き捨てならない情報が……。いや、それは後で本人に聞くことにしよう。


「ええっと、ダラダラは……してなかったと思いますよ?」


 休憩はしていたが、不必要に休んだりはしていなかった。他のことに関しては否定材料を持っていないし、茜さんならあるかもしれないと思ったので否定はしない。


「いや、荷物置いてすぐ来るくらいじゃないとダメなんだよ」


「……そう、なんですか」


 僕は常識に疎いので、そう言われると否定しづらい。


「つか、本当に持ってこれたんだな。『玲治君に持って行かせるから』って言われた時は、正直無理だろうって思ったんだがな」


 連城さんはそう言うと、僕の体をじろじろ見まわした。


「特に鍛えてるってわけでもなさそうだし、相当身体強化がうまいんだな」


 連城さんがにやりと笑うのを見て、僕は今さらながら自分が持ってくるのはまずかったんじゃないかと思った。しかし、そもそもこれを頼んだのは茜さんである。その程度のことは考えているはずだ。……僕と違って。


 僕は少し考えてみた。茜さんと連城さんの関係や、連城さんのことを、茜さんの性格や連城さんのセリフ、今の状況から類推してみる。


「……連城さん、僕のこと、なんて聞いてます?」


「なんとも。『玲治君が行く』とだけ」


「そう……ですか」


 十中八九何かしら聞いているとは思うのだが、証拠もないし、もし外れていた場合は藪蛇もいいところだ。


 だけど、茜さんはこの人を信用しているみたいだし、僕にわざわざ剣を持って行かせたことにも何かしらの理由があるような気もする。


 だけど僕は茜さんから何も聞いていないし、連城さんも何も言ってこない。


 ――なら、特にやるべきことがあるわけではないのだろう。


 そう結論付けた僕は、「では僕はこれで」と告げ、ぺこりと頭を下げて、連城さんに背を向けた。


「おう。ありがとよ。あいつにもお礼を言っといてくれ」


「はい。分かりました」


 僕はもう一度振り返ってお辞儀をすると、扉をくぐって外に出た。




 本日も晴天なり。


 梅雨入りしていることが信じられないような快晴で、気温も6月と思えないような暑さだ。


 僕はクーラーもつけず、特に暑いとも感じずに快適に過ごしていた。


 僕はかなりの長期間、空調のしっかりした病室で過ごしたせいで、気温の変化に弱いのだが、簡単な解決法がある。もちろんフィアの力を借りることだ。


 何のことだと思ったかもしれないが、身体強化は、場合によっては生身で炎の直撃を受けたりしても大丈夫なほど熱耐性を上げられるのだ。


 普通はそんな長時間強化を維持するのは大変だし、何より疲れるはずなのだが、僕は自然にしていればそうなるというのは既に伝えた通りである。


 部屋に温度計があれば、三十度を超える数値を指していると思われる部屋にいながら、汗一つかくことなくケータイをいじっていると、そのケータイが呼び出し音を鳴らした。


 僕はすぐに通話ボタンを押してケータイを耳に当てた。


「もしもし、どなたですか?」


「……前も思ったんだけど、私の番号を登録したでしょう? 名前が出てるはずよね?」


 ケータイを耳から離し、その画面を見て見れば、確かに『茜さん』と書かれていた。


「えっと、茜さんですか?」


「はい。そうですよ」


「……一応言っておきますけど、こういう画面って僕にとっては凄く見にくいんですよ?」


「分かってるつもりよ。でも、ちゃんと目でも見なさいっていつも言ってるでしょ?」


「う……それを言われると、言い返す言葉もないです」




 僕は、目ではなく、魔力で光を見ている。


 その二つがどう違うのかというと、例えば、目の前に机があり、その上に鞄が乗っている光景を思い浮かべてみてほしい。


 机は何色か、形はどんなのか、鞄はどうか。そういうことを考えてもらえたと思うが、果たしてその光景を、一方面から見た光景だけでなく、あらゆる方向から見たときどう見えるかを考えた人はいるだろうか。


 目で見る、ということは、自分か、見ている物体が動かない限り、見えている光景は今自分がいるその場所から見た光景だけで、いわば一枚の写真と同じように見えているわけなのだが、僕が見ている光景は、さっき例に挙げた、あらゆる方面から同時に見ている光景のようなものである。


 難しいことを言えば、写真を何枚も並べたように見えているわけではなく、脳内で情報が統合されて見えているわけなのだが……つまりは、机が合って鞄が合って、その裏側や中身など、光の届くあらゆる部分が見えているということである。


 そこで何が問題になるかというと、写真や、テレビ、ケータイの画面など、普通の人が見ている光景、一方向から見ている光景と同じように見えるよう設計されたものを見たとき、自分の見ているものと違いすぎて、正しく認識できないことがある、ということ。


 例えば、複雑な絵を白黒で見たとき、何が書いてあるか分からない。でも、他の人がそれが何なのかを教えてくれたり、色を塗ってくれたりすると簡単にわかるようになる。そんな経験はないだろうか。


 僕が画面を見たときに受ける印象はまさにそれで、いつも見ているものと情報量の差がありすぎて、うまく認識できなかったりする、というわけである。




「それはともかく、どうしたの? 何か用事?」


 僕がそう尋ねると、電話口から小さく笑う音が聞こえた。


「違うわよ。今日はちゃんと休みもとったし、遊びにおいでっていうお誘いよ」


「……うん、分かった。今から行くよ」


 何処か引っかかったが、せっかくのお誘いを断るわけもなく、僕は肯定を返して電話を切った。




 茜さんと遊ぶ、というと、半分はまだ退院していないときのことで、主に病室でのおしゃべりであり、もう半分は退院してからのことで、そのうちの半分は僕の実家でのおしゃべりで、残り半分はショッピングである。


 そして僕は欲しい物なんてほとんどないので、大抵は茜さんの付き合いである。


 ただ、今日は茜さん主体で僕の買い物に来ていた。


 最初はマンションでくつろぎつつ、忘れずに持ってきたスナック菓子なんかを食べたりしていたのだが、僕が


「(ショッピングセンターには)日向さんや歩美さんに教えてもらっただけでまだ行ったことないなー」


 というと、


「ん、じゃあ今から行きますか」


 となったのである。


 前後の流れは、全く覚えていない。とても唐突な流れだったような気がする。


 まあ世間話なんてそんなもんである、といわれればそこまでだが。


 そして今、茜さんとフィアが選んでいるのは、僕の私服である。


 フィアは茜さんの肩に座り、小声でしゃべっている。


「これなんかどう? かっこいいと思うんだけど」


「いいんじゃない? 似合ってると思うわ」


 僕は服のセンスなどかけらも持ち合わせていないので、全く良し悪しが分からない。それに関してはなぜかフィアの方が詳しいくらいである。


 なので僕の買い物のときは、きっぱり諦めて着せ替え人形に徹することにしていた。


 ちなみに、いつも騒がしいフウは、僕が腰につけたポーチの中で眠っている。


 フウはあまりこういうことに興味がないらしく、遊びまわれないショッピングでは、僕で遊ぶか、僕のそばで眠っていることが多い。そのため、ショッピングの時はこのポーチはほぼ必須である。


 しばらくすると満足するものが見つかったのか、茜さんとフィアは買い物袋を一つ持ってお店から出てきた。


「お待たせ」


 茜さんはそう言って、僕が座っていたベンチに座った。フィアは茜さんの肩から僕の肩へと移り、体をそらして伸びをしている。


「そろそろ三時だし、喫茶店にでも入っておやつにしよっか」


 茜さんが大きなディスプレイに表示されていた時間を見ながら言うと、伸びをしていたフィアが小さくあくびをした。


『そうね。どこかで休憩しましょう』


「うん。今日は暑いし、何か冷たいものを食べようよ」


 僕が肯定すると、茜さんが立ちあがった。


「じゃあいこっか。……ところでフィアちゃんはどうして眠そうなの?」


「あー、その……昨日の夜、お父さんにパケットとやらについて聞いたり音楽をダウンロードとかしていたんですけど、僕が途中で寝ちゃって、残りをフィアがやってくれていて……」


「……相変わらず玲治君にダダ甘ね」


「……わるかったわね」


 フィアはついと視線をそらしながら、とても小さな声でつぶやいた。


 茜さんはニヤニヤと、僕は苦笑しながら、喫茶店の方へ歩き出した。




「あら、二人とも早いのね」


 茜さんがそう声をかけたのは、僕らが向かった喫茶店で待っていた、日向さんと歩美さんに向かってだった。


「……え?」


 僕は状況がつかめず、間抜けな声を漏らした。


 もちろんだが、僕はこの二人を呼んだりしていないし、あの電話を除けば二人を茜さんに紹介したりもしていない。


「こんにちは。お待ちしていました」


「こんにちは。えーっと、茜さん、でいいんですよね?」


 二人が立ち上がり、日向さんはどこかかしこまって、歩美さんは少し困惑気味に僕らにあいさつした。


「こんにちは。三条さんに、辻さんね。辻さんは初めまして、私が薙沢茜です。……とりあえず座りましょうか」


 茜さんが着席を促し、自分も席に座る。


 僕は驚きつつも、フィアに促されて席に着いた。


「さて、とりあえず何か頼みましょうか」




 僕はソーダフロート、茜さんと日向さんははホットコーヒー、歩美さんは紅茶を頼んだ。


 ウエイトレスさんが去って行くのを見送ってから、僕がまず口を開いた。


「えーっと、これはどういうこと?」


「……三条さんはね、私の上司の娘さんだったのよ。あ、分かってるとは思うけど、最近上司になった人の、ね」


「あ、そういえば日向さんの家は精察のお偉いさんなんだっけ?」


「……言い方はあれだが、まあ間違ってはいないな」


 日向さんは苦笑しつつその話を認めた。詳しくは聞いていないけど、ふわっとしたそういう話を聞いた覚えがある。


「それで日向さんのことを知って、僕の電話で話した人と同一人物だってことが分かって、ここに二人を呼んだってわけか」


 僕はなるほどと思って頷いた。


「そうそう。それで二人を呼んで、玲治君の隠し事がこれ以上ないか、なんてことを聞き出そうと思ったわけよ」


「うええ!? いや、茜さんへの隠し事はもうないよ!」


 僕は慌ててそれを否定し、わたわたと手を振って取り乱す。実際隠し事はもうないので、特に慌てる必要はないはずなのに、なぜか慌てて否定してしまった。


「まあ、多分ないだろうなあとは思ってるけどね。二人には玲治君の学校での話とかを聞きたいなと思ってね。あ、もちろん私が呼びつけたんだし、飲み代くらいは奢るわよ」


 好きなだけ頼むといいわ、と茜さんは二人に笑いかけた。




 学校での生活はまだ一か月しかたっていないし、そう長くたたないうちに話題は歩美さんの質問で僕と茜さんの話に移ることになった。


「――私から質問いいですか?」


「どうぞ」


 茜さんは頷いて続きを促し、コーヒーを口元に運んだ。


「薙沢さんと玲治君って、そもそもどういう関係なんですか? 名字が違うし、姉弟じゃない……ですよね?」


 歩美さんは最後の方で一瞬口ごもったが、質問を最後まで言い切った。


「ふふ、そうね。私と玲治君は姉弟じゃないし、結婚して名字が変わった親戚っていうわけでもないわ」


 茜さんは柔らかく笑って、コーヒーカップを置くと、少し思案顔になった。


「そういえば改めて聞かれると、私と玲治君の関係って、適当なものがすぐには浮かばないわね」


「……そうかな? 僕にとっては、茜さんはお姉さんみたいなもんだよ。お姉さんがいたら、きっとこんなんだろうなって思ったことあるし」


 僕が迷う素振りもなくそう即答すると、茜さんは珍しく驚きの表情を浮かべた。そしてすぐにいつもの笑顔になって、


「そうね。私たちは姉弟ね」


 といって僕の頭をわしゃわしゃと撫でた。そして視線を二人に向けて、また僕に戻した。


「まあその、身も(ふた)もなく言うと、私からすれば師匠の息子、玲治君からすれば自分の家の門下生の一人ってことになるかな。この子の家は一種の道場みたいなとこだからね」


「ああ、それは玲治にちらりと聞いた覚えがあります」


「また聞きですけど、私も聞きました。それじゃあ、道場に入門した時に仲良くなって、そのままって感じなんですか?」


「……まあそうね」


「その時はまだリハビリの最中だったし、知り合ったってくらいかな。仲良くなったのは退院してからだよ」


「……あ」


 僕のその発言を聞いて、茜さんは困ったように笑い、歩美さんはしまったとばかりに口元に手を当てた。


 その反応に疑問を覚えつつも、話を続け……ようとして、フィアから短く『魔法はだめよ』と忠告が入った。


 一瞬の停滞の後、退院後魔法に関して茜さんに師事したことを言いそうになっていることを、僕の思考を先読みしてフィアが指摘してくれたことに気づき、慌てて話す内容を修正した。


「……えっと、退院した後、入院していた時の遅れを取り戻すために、茜さんに教師をやってもらったりしたんだ」


 実際の比重的にも、魔法より勉強を見てもらうことの方が多かった。しかし、魔法のことを知っているからこそ茜さんが選ばれていて、さらには魔法の方が楽しく印象的だったため、魔法のことを言いそうになってしまったのだ。


 退院した後、自分の年齢でいえばまだ中学二年生くらいのはずだ。そのころすでに契約しているというのは普通ではない。


 ばれているならまだしも、積極的にばらすような事柄ではない。


 僕が内心焦っていると、茜さんが助け舟を出してくれた。


「私たちの出会いはそうだったわけだけど、二人のことも聞きたいわね。あなたたちはどう仲良くなったの? 玲治君が中心で二人を引き合わせたってわけではないんでしょう?」


「あ、はい、私たちは――」





「あら、もうこんな時間ね」


 茜さんがそう言って時計を見た。確かにそれなりの時間がたっているはずだ。


「二人は時間大丈夫なの?」


「はい。私は大丈夫です」


「私も大丈夫です」


 二人は自然な笑顔でそう答えた。


「そう……私はちょっと用事があるのよ。ごめんね」


「あ……いえ、気にしないでください」


 茜さんは鞄と荷物を持ってすっと立ち上がった。直後、「あ」と声をもらした。


「どうしたの?」


 何かあったのかと思い、僕が茜さんに尋ねると、茜さんは鞄の中からメモ用紙を取り出した。


「ちょっと買わなきゃいけないものがあったんだけど……今から用事があるのよね。玲治君、代わりに買って家に持って帰っておいてくれない?」


「うん、いいよ。そこに書いてある物を買っておけばいいんだよね」


 茜さんからメモを受け取り、内容をざっと確認する。僕が分からないものは特になさそうだ。


 僕は自分の鞄を持ち上げ、三人に向き直り、


「じゃあまたね」


 と短い挨拶をして、売り場へと向かった。




*****




「あ、じゃあ私たちも――」


「待って」


 私と日向が立ち上がろうとしたところで、薙沢さんに呼び止められた。


「私の用事は、あなたたちと話すことよ」


 そして、続く言葉に虚をつかれ、一瞬意味が分からなかった。


「……つまり、玲治がいないところで私たちに話がある、と?」


 日向がそう繋ぐと、薙沢さんは頷いて「まあ座って」と着席を促した。


 私と日向は促されるままに席に着き、いつの間に注文したのやら、ウェイターさんが新しく紅茶とコーヒーを二つ持ってきた。


 ウェイターさんはそれを机に置き、冷めた飲み物を持って下がっていった。


 日向は無言で出されたコーヒーを飲んだ。なんとなく私もそれにならう。


「……なるほど、本来の用事はこちらで、さっきまでのは私たちを見ていた、ということですね?」


「まあそうなるわね」


「…………?」


 二人の会話について行けず、困っていると、薙沢さんがこちらを見て小さく笑っていた。


「大丈夫よ。別に取って食おうなんて思っていないから」


 薙沢さんは、私の困惑を不安と受け取ったようだ。


「そうね……二人は、玲治が抱えている秘密について、どう思う?」


 唐突にそう問われ、困惑が深まる。とりあえず疑問点は置いておき、聞かれたことについて考えようと、玲治君の秘密について考えてみる。


「えっと……大げさじゃないかなあ、とは思いますけど」


「……質問が具体的でなさ過ぎて、何を答えればいいか分かりません」


 私が馬鹿正直に答えると、日向は解答(ことば)を濁した。


「私が聞きたかったのは辻さんの答えと同じようなものよ。普通はそうだと思うわ」


 薙沢さんは、言葉を整理するように視線を上に向け、すぐにまっすぐ私たちを見た。


「これは二人へのお願いなんだけど、玲治の秘密を守ることに協力してやってほしいの」


 薙沢さんは真剣な表情で、私たちを交互に見つめる。


「バレても何とかなるだろう、と思える以上のことを、知ったり知られるような状況にならないようにしてほしいの」


「えっと……?」


 そして、そのふわふわしたお願いにまた混乱した。


「状況に、ならないように?」


「そう。そういう状況になったら、私を含めて、誰もあの子を止められなくなるでしょうし……気弱そうでいて、あれでとてつもない頑固者だから」


 薙沢さんはそう言って悩ましげにため息をついた。


「……話は分かりました。もちろん否やはありませんが、やはりどうしてもそう深刻にとらえきれません。よければそれが発覚した時どうなるか、くらいは教えていただけませんか?」


 それについては私も気になっていた。そもそも玲治君自体、あまり本気で隠そうという気でないように感じる。それもあって、秘密自体に大したことが無いのではないかという意識が働くのだと思う。


「……そう……ね。ちょっと待ってくれる?」


 薙沢さんは顎に手を当てて数秒の間考え込んだ。


「もし、世間や権力者に、ある程度を超える秘密が明らかになったら、その時点であの子は、自分の人生を選ぶ権利を失うわ」


「……それは、持つ者の義務では――」



「場合によっては……人権を失うかもしれないわ」


 日向が言い切る前に割って入った薙沢さんの言葉に、私たちは絶句した。


「大げさだと思う? じゃあ少しだけ、たとえ話をしましょう」


 私たちが二の句を継げないでいると、薙沢さんは私たちの反応を待たず話を続けた。


「例えば、料理人風の男が、厨房で包丁を持っている。これは普通よね? じゃあ、ボロボロの服を着て髪もぼさぼさ、そんな人が包丁を持って外を歩いていたらどう? 怖いわよね。何かする気じゃないのかって」


「「…………」」


「例えば、どこかの大統領が、核ミサイルの起動スイッチを握っている。これはもちろん怖いし、納得はいかないかもしれないけど、今の現状国を守るためには仕方ないと言われているから、それを押さない限りは問題は起きないでしょうね」


「「…………」」


「じゃあ、その核ミサイルのスイッチを、一般人の高校生が持っていたら、どうなると思う?」


「「――っ!」」


 まさか……まさか。


「まあでも、これだけなら何とかしてそのスイッチを取り上げれば済む話よね。でも、それがもし、その高校生以外には使えず、しかも物理的距離は無視してスイッチを押せるとしたら……」


 薙沢さんはそこで少しだけ溜めて、


「周囲の人間は、どうすると思う?」


 そう言った。


 まさか、これが玲治君のこと? いやでも、そんなに規模が大きいはずがない。そう思っても、薙沢さんの顔は真剣だ。無意味な反論は差し控えるしかない。


 とりあえず、これはたとえ話だ。質問に答えなくては。


 どこかまとまらない思考を引きずりながら、その状況を想定してみる。


「ち、近くにいるなら、逆に安全なのでは? 近くで起爆すれば自分も巻き込まれますし」


「歩美、周囲って言うのはもっと広い範囲の話だ。それにこれはまだ玲治の話じゃないぞ。どこぞの一般的な高校生がそういうものを持っていると世間にばれた場合、例えば、テレビで知った、というような状況だ」


 日向の説明にはっとなり、もう一度考えてみる。


 見知らぬ誰かが、複数使えば地球すら危うくするという恐ろしい兵器を意志一つで使える。


「……恐ろしい、ですね」


 高校生ならば、分別(ふんべつ)くらいついているだろう。そう考えてもやはり、国すら相手にできる兵器を個人が持つというのは、どう考えても危険である。


「……玲治が抱える秘密は、そういうものだということですか?」


 日向が真剣な目つきで薙沢さんを見つめて――にらんでいる。


 薙沢さんはそれを見つめ返して……不意に表情を崩した。


「あくまでもこれは例え。もちろん玲治君は起動スイッチなんか持っていないしね」


 薙沢さんは肩をすくめて笑って見せた。


「それで、そんな人と友達になって、その子がとてもいい子だとしたら、あなたたちはどうする?」


 薙沢さんは笑みをたたえたまま、そう私たちに聞いた。


「…………」


 日向は薙沢さんの方を向いたまま、何も言わないで沈黙している。


 私は……私は――――


「私は、特に何もしないと思います」


 二人がこちらに視線を向ける。私は薙沢さんの方を向いた。


「薙沢さんがたとえ話であげた、最初の例と同じです。料理人が包丁を持っていても怖くない。それが人に向けられないって信じられれば、それは武器ではないと思います」


 薙沢さんが言っていた、『これはたとえ話だ』というのを聞いた時、私は急に冷静さを取り戻した。


 そう、これはたとえ話。玲治君の話じゃない。


 多分大きな力という意味で使用された、『人を殺すための兵器』である核爆弾を、玲治君が所持しているわけではない。何かしらの秘密を抱えていても、それは包丁と同じ、武器にもなるというだけのただの力である……はず。


 もちろんこれはただの想像。そもそもの話、その秘密とやらを私は知らないのだ。想像するしかない。


「私は、包丁を他人に向けるような人を友達に選んだりしません。私は、自分の判断と自分の目を信じます。だから、その人はただの友達。そういうものを持っていようが、友達は友達です」


 私が何処(どこ)かすっきりとした心持(こころもち)でそう答えると、薙沢さんと日向は目をぱちくりとさせて驚いていた。


「そもそも薙沢さん、玲治君の秘密が何なのかは知りませんけど、たとえ比喩であったとしても、核ミサイルに例えるなんて流石にあんまりじゃないですか?」


 薙沢さんが深刻そうに言うから深刻な話かと思ったけど、ちょっと考えて見れば、友達のお姉さんが弟を心配して弟のことをよろしくと言われているのと同じだ。何も深刻なことは無い。


 薙沢さんは未だに目を真ん丸にして固まっている。日向の方は、口元にうっすらと笑みを浮かべていた。


「私と玲治君は友達です。わざわざ言われなくても、困っているなら助けますよ。確かに本人はちょっと……というかだいぶ抜けてますから、周りが気にしてあげないとダメだっていうのは分かっているつもりです。まあその、フィアちゃん……じゃなかった、フィルちゃんはかなりしっかりしているみたいだから、そんなに心配はいらないとは思いますが」


 私がそんな話をしていると、薙沢さんがふっと笑った。


 何かおかしなことを言っただろうかと自分の発言を振り返っていると、「ああ、ごめんね」と薙沢さんが短く誤った。


「そうね、確かにそう。玲治君とフィアちゃんに失礼だったわ。例えとはいえ、あんなものと一緒にされるのは心外でしょうから」


 薙沢さんはそう言って困ったような笑顔を浮かべた後、一度目を閉じ、開いた時には優しげな笑顔になっていた。


「ありがとう。あなたみたいな子が玲治君の友達で本当によかったわ。……ところで、三条さんはどうなの?」


 話の矛先を向けられた日向はというと、いつの間にかいつもの笑顔に戻っていた。


「こんな話の後で何を言おうが陳腐(ちんぷ)にしか聞こえませんよ。……私も気持ちは同じつもりです。玲治には多大な恩もありますし」


 日向はそこでこちらちらりとを見て、すぐに視線を薙沢さんに戻した。


「それはそうと、天下の勝負師『薙沢茜』でも、歩美の性格までは読めなかったようですね。歩美はこれでも、追いつめられると驚くほどの爆発力を誇る一種のスロースターターで、魔戦部でも上位の戦績を誇っているんですよ」


「それを魔戦部ナンバーツーの日向が言っちゃうの……? って、天下の勝負師? 何だかそのフレーズ聞いたことがあるような気がする……」


 私が記憶を探っていると、日向が半分驚き、半分呆れの表情でこちらを見た。


「何だ歩美、気づいていなかったのか?」


 私はその視線にムッとして、思い出そうとして見る。するとすぐに、思い出すことが出来た。それは――


「あっ……あーーー!!! 『薙沢茜』! え、同一人物!?」


「おい歩美! 声が大きい!」


 日向の言葉にはっとなって、周囲に謝ってから椅子に座り直した。


 薙沢茜、それはかなりの有名人の名前で、私たち魔戦部の、ましてや星城高校の魔戦部にとっては身近でもある――


「多分歩美が思い浮かべているのと同一人物だ。星城高校魔戦部OGで、史上一人しかいない、個人6人フラッグの三冠制覇者だ」


 なぜ今まで気づかなかったかと言われれば、『薙沢茜』という選手が活躍したころは、私はまだ魔法戦に関わっていなかったからだろう。それに、魔法戦の時はバーリースーツを着る。見た目の印象が変わってしまっていることも大いに関係があると思う。


 それでも偉業を達成した先輩であることに変わりはない。私はすぐに謝った。


「す、すみません、すぐに思い出せなくて……」


「気にしないで。普通はそんなこと思わないもの」


 薙沢さんにそう言ってもらって、私は何とか落ち着いた。


「……そういえば、『薙沢茜』選手が精察に入ったって聞いたことあったよ……」


「そうだな。精察に入っての活躍で、『炎姫の再来』なんて見出しでニュースもやってたな」


「う……」


 落ち着いたそばから日向にいじられる。しかも今回は何も言い返せない。


「まあまあ。私が気にしていないんだから、あなたも気にしないの」


「はい……」


 私は数秒かかって意識を切り替え、とりあえず落ち込むのを後回しにすることに成功した。


「ふう、それでえっと、何の話でしたっけ?」


 私がそう口にすると、薙沢さんと日向は軽く顔を見合わせて笑った。


「もう話は終わったわ。まとめると、玲治君をよろしくってことよ」


「あ、はい。それはもちろんです」


「もちろんです」


 私と日向が頷くのを確認して、薙沢さんは立ち上がった。


「さて、じゃあそろそろ帰らせてもらうわ」


「あ、じゃあ私たちも」


 薙沢さんに続いて鞄を持って立ち上がり、三人でレジに向かう……と思いきや。


「「「ありがとうございました」」」


 と、ウェイターさんたちがこちらに向かって挨拶をする。


「えっと、代金は?」


「もう払ってあるから大丈夫よ」


 薙沢さんがそう言って店の外に出てしまった。 日向は何だか気づいていた様子で、薙沢さんについて行く。


 私は慌てて二人に続いた。




 店を出てすぐ(といってもまだモールの中だが)のところで、薙沢さんは立ち止まっていた。


「あなたたちはこれからどうするの?」


「私は帰ります。用事は午前にすませたので」


「私も帰ります」


「そう。今日はありがとう。楽しかったわ」


 薙沢さんはそういって歩き出そうとして、もう一度こちらに向き直った。


「もしよければ、次からは日向さんと歩美さんって呼んでいい?」


「はい。もちろんです」


「あ、はい。もちろんです」


「ふふ。ありがとう。私のことも茜さんって呼んでくれていいから。じゃあね、日向さん、歩美さん」


「えっと、はい……茜さん。さようなら」


「ではまた次の機会に」


 私たちは挨拶をして、家に帰った。




*****




 茜さんの家に着き、荷物だけ置いてすぐに出てきた。


「じゃあ帰ろっか」


『そうね』


 周囲は暗くなり始めていて、すぐに真っ暗になるだろう。


「また明日から学校だね。部活も始まるみたいだし、やっとって感じだよ」


『そうね。最近はやることもなく暇を持て余している以外は茜の相手しかしていないものね』


 僕とフィアはてくてくと雑踏の中を歩いて行く。


「それはまあね。遊ぼうにも、人が多い場所で遊ぶなって言われてるし」


『そうね。このあたりでは人がいないところなんて無いし、羽を伸ばそうにも伸ばせるところがないものね。……それはそうと玲治、さっきから口に出しているわよ。まるで独り言をつぶやいているみたいだからやめなさい』


「ちょっ……」『ちょっと! もうちょっと早く言ってよ! 恥ずかしいなーもう』


 僕は周りを見渡して、こちらを見ている人がいないかを見てみたが、特にそんな人はいなかった。


 フィアは音を出さずに小さくため息をつくと、肩に乗ったままぺちりと僕の頬を叩いた。


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