第四話:平和な日々、そして初めてのテスト
「さて、魔戦大会まで残り一か月を切ったわけだが――」
入学してから既に一か月たった。これまで色々あったわけだが、ここでは割愛しておく。
放課後の魔戦部の活動前、顧問の久下先生が皆を集めて、いつもの激励に加えて一か月後の大会の話をしていた。相変わらず重要なことは無いが、最近はこの当たり前のことの確認も大事である……かもしれないと思うようになった。
「――以上だ。では各自練習を始めるように」
「「「はい!」」」
各自、とは言っても、最初は同じメニューである。
最初は強化無しなので、僕は他の人よりもかなり遅れることになる。
「天崎先輩! ファイトです!」
僕が強化無しの走り込みをしていると、後ろから声援が聞こえた。
振り向くと、最近話すようになった、後輩の谷久住括という女の子が走り寄ってきていた。
「ありがとう……ククリも頑張ってね」
「はい!」
ククリは嬉しそうにうなずくと、そのままさっそうと走り去った。
その背を見送って、僕は軽く息を荒げながら終わりを目指して走る。
僕はまだ一か月だが、後輩は既に二か月走りこんでいるので、慣れ始めている人もいる。ククリもその一人で、強化無しならもう僕よりも早い。
多分だけど、僕はもう一か月たってもほとんど早くならないと思う。僕は色々あって、身体強化……というより、魔法無しだとポンコツなのだ。
何とか強化無しの走り込みを終わらせ、次のメニューに移る。
型はさすがに慣れてきて、それなりにはなった。だが、特にキレが良くなったわけでもないので、周りに残っている一年生に紛れる程度である。
それが終わると、やっと強化有りに移る。
僕は今までとは別人のようにさっさとメニューを進める。
ククリを含む一年生や、他の二年生を抜いて基礎トレをあっさり終わらせた僕は、相変わらず早い日向さんのところへ向かった。
「日向さんは相変わらず早いね」
「そんなことはないさ。玲治の方こそ、相変わらず前半と後半で別人のようだな」
軽く挨拶をかわし、持って来ていたボトルを開けて、冷たいスポーツドリンクを口に流し込んだ。
「……そろそろ、そういう時期か」
日向さんの呟きの意味がすぐには分からなかったので、視線を追って基礎トレの様子を見る。それでもやっぱりわからないので日向さんに視線を戻した。
「分からないか? 先月と変わったことがあるだろう」
僕の疑問を見て取ったのか、日向さんがヒントをくれた。
もう一度先月と比べることを意識して基礎トレの様子をよく見ると、ばてている一年生が減り、一年生に抜かされる二年生の姿がちらほら見えた。
――世代交代、的な?
変わったことが分かっても、日向さんの言いたいことが分からず、日向さんの方をもう一度見た。僕と目が合った日向さんは微笑みを浮かべた。
「相変わらず素直だな、玲治は。つまり、そろそろ才能ある一年生が芽を出し始めるころだってことだよ。
もちろん才能がある晩成型もいるが、早ければそろそろ目に見えてくるころなんだ」
なるほど、と思いながら、視線をククリに向けた。
彼女はその筆頭だろう。
そんなことを考えていると、歩美さんや他の二年生が基礎トレを終えて、何人かでこちらへ向かってきていた。
「相変わらず早いね、二人とも」
僕は日向さんと顔を見合わせて小さく笑った。さっき日向さんにかけたような言葉を歩美さんからかけられたので、なんとなくおかしく思ったのだ。
「それで、こっちを見て何の話をしていたの?」
それに首をかしげながら、歩美さんが疑問を口にした。
「ああ、それは……」
僕がさっきの話をしようとしていると、ちょうど基礎トレを終えたらしいククリがこちらへ向かってきていた。
「天崎先輩! 私だいぶ早くなりました!」
そしてまだ余裕だとばかりにこちらへ走り寄ってきた。
「あ、うん。そうだね。ほんと急に早くなったと思うよ」
「はい! 先輩のおかげです!」
何のことかというと、先日身体強化の事で悩んでいたククリに、僕が助言してあげたことである。
僕が教えたのはコツのようなもので、一度掴めばすぐに改善できるだろうと思っていた。それを最近掴めたらしく、今日初めてその成果を発揮できたようだ。そしてその効果は、僕が思っていたよりもずっと劇的だった。
「こういう時期だって話を玲治としてたんだよ」
と、日向さんが途切れた僕の言葉を継いだ。
歩美さんはたったそれだけで理解したらしく、なるほどとうなずいている。
「先輩! 他にこうした方がいい、とかそういうのないですか?」
ククリが目を輝かせて迫って来るが、今は特に思いつくことは無い。
「いや……今は特にないかな。基礎の反復練習も大事だよ。この調子で頑張って」
「はい!」
「あ、そうだ。基礎トレ終えてもまだ余裕があるなら、先生の所へ行けば、特別メニュー組んでもらえるかもしれないよ」
「本当ですか!? 行ってきます!」
ククリはそれを聞くなり元気に走って行ってしまった。
思わず目を丸くしてククリの背を見送ってから、日向さんと歩美さんに向き直ると、二人も小さく笑っていた。
「ずいぶんと懐かれたな」
「そうなんですかね? すごく感謝されているのは分かるんですけど、大したことは言っていないので、なんだかくすぐったい感じです……」
「この前教えてあげてたことが、うまくいったってことだよね。よかったね」
「はい。よかったです」
僕らがしばらくククリのことを話していると、千代紙先輩から「二年生は次へ」との指示があったので、僕らはそれぞれ特別メニューを始めることになった。
翌日、朝からしとしとと雨が降っていた。
雨が降ったところで学校が休みになるわけもなく、普段通り登校する。
こういう緩い雨の時は、傘をさしても足元が濡れる。
僕は視線を落として裾を見ると、案の定水を吸って、黒がより濃くなっていた。
「天崎君、おはよう」
後ろから唐突に話しかけられて振り返ってみると、日野さん――日野春香さん――が、こちらに向かって小さく手を振っていた。
「おはよう日野さん」
僕も小さく手を振り返して、日野さんが隣に並ぶのを待って歩みを再開した。
隣に並んだものの、特に話題があるわけでもない。無言のまましばらく歩く。
寮から学校まではそう離れていない。すぐに校舎にたどり着いてしまった。
「あ、じゃあ私、職員室に用があるから、これで」
「あ、うん、じゃあまた」
職員室は逆方向なので、日野さんとは靴箱で分かれて、一人で階段を上る。
『……最近、いろんな人に声をかけられるようになったわね』
階段を上っていると、隣に浮かんでいたフィアが、まるで独り言のようにつぶやいた。
『そう……かな。まあ確かに、入学したころよりかは声をかけられていると思うけど、それって自然な成り行きじゃない?』
僕はそう返したのだが、フィアは全く納得していなさそうである。
『そうね……まあレイジがいいのなら、私が言うことは無いけれど』
フィアが何を言いたいか分からないまま、一方的に話を打ち切られてしまった。
階段を登り切り、一番近く、自分の通う教室であるAクラスの扉を開く。
「あ、おはよう、玲治君」
「おはよう」
「おはよー」
歩美さんや日向さんをはじめ、何人かの生徒が口々に挨拶をくれる。
僕は挨拶を返し、席に着いた。
僕ら三人は、朝必ず話をする、というわけではない。
登校してくる時間がバラバラで、僕が来る頃には、他の二人は既に来ていて、既に何かしている場合の方が多いのだ。
今回もそのようで、日向さんや歩美さんは複数人で何か話している様子。
僕は化学のノートを取り出して、まだやっていなかった暗記分野の復習をすることにした。
まず覚えるべき部分を見つけ出して、それを空中に光の文字でメモしていく。
それを維持したまま、次の覚えるべき部分を探して、さらに書き足していく。
こうすることで、僕はすぐに物事を覚えることができる。
書き取りやら音読やら、色々な暗記法を試したが、僕にはこの方法が一番合っているようだった。
この光景を初めて見たクラスメイト達は一様に驚いていたが、その様子に気づいた僕が慌てて魔法の光を消すと、キレイだし休み時間だし別にいいよと言ってもらえた。
それからは邪魔にならない程度の範囲、自分の頭上にだけ書き込むことにしている。
まだ暗記できていなかった範囲が終わり、ついでだから前の分野も忘れていないかどうかだけチェックしておこう。とページをめくったところで、声がかかった。
「天崎、集中しているところ悪いんだけど、そろそろそれ持っていかないと」
それ、と言って指さされた先には、朝提出の宿題がカゴからはみ出るほど積んであった。
指差した人を見れば、安達彩也香さんが苦笑を浮かべて立っていた。
「忘れてた? 今日は私たちが日直」
「あっ! ごめん忘れてた!」
僕は慌てて立ち上がり、宿題が積んである所へ向かった。
『レイジ、自分の宿題も出してないわよ』
「あ、ほんとだ」
僕は一度自分の席に戻って鞄から提出用のノートを取り出し、山の一番上に置いた。
「出すのも忘れてたの?」
「うん、そうみたい。あ、僕が持つよ。安達さんは集めてくれたんだし」
僕はそう言ってノートを抱えた。
身体強化をすればこのぐらい簡単なことである。
「あ、ちょっと……それじゃあ流石に悪いし、カゴから出そうな分くらいは持つから」
安達さんはそう言って、カゴから落ちそうな数冊……を通り越して十数冊を取った。
「あ……と、ありがとう」
「それはこっちのセリフ。じゃあ行こう」
安達さんが扉を開けてくれたので、僕は教室を出た。
『……まあ、気づかないくらいだし。気にしてないんでしょうね』
フィアの独り言は、僕に伝えられなかった。
放課後、いつもの通り魔戦部に向かっていると、珍しく僕のケータイが呼び出し音を響かせた。
僕は数秒ほどそれが自分のケータイだと気付かなかったが、一緒にいた日向さんに「出ないのか?」と言われて慌ててケータイを取り出した。
「もしもし、どなたですか?」
「あ、玲治君? 久しぶり」
出だしは、会話になっていなかった。
「……えっと、そうですが、どなたですか?」
「え? あ、ごめんごめん。茜です。出張から戻ってきたから、連絡しとこうと思って」
「茜さん!? お久しぶりです!」
電話をかけてきたのは、薙沢茜さん。僕は茜さんと呼んでいる。
茜さんとは僕が入院している時に知り合い、以来僕のことをずっと心配してくれている人だ。
まだ二十歳過ぎくらいのはずだが、お父さんと付き合いがあり、その関係で僕の魔法の先生になってくれた人である。
『魔法戦には関わるな』やら、『好きなものを見つけること』といったことを僕に言った、例のあの人である。
「それでどうかしたんですか?」
僕は電話口でそう言いながら、二人に「先に行っといて。ごめんね」と空中に光で文字を書いてメッセージを送った。
二人は笑っていいよと言ってくれた。
「学校の様子が気になってね。何か面白そうなこと見つかった?」
「えっと、まだです」
「そう……じゃあ部活は? どこかに入ったの?」
僕は思わず口ごもった。止められていた魔戦部に入ったとは言いづらい。かといって他に何か伝えられるようなことがあるわけでもない。
「ええっと……まだ茜さんに言えるようなことは……何もないです」
「ふーん……じゃあ友達はできたの?」
「あ、はい。そっちはちゃんとできました」
「そう、それは良かった。あ、じゃあその子にちょっと代わってくれない?」
「え?」
「『え?』じゃなくて。ちょっとだけよ。いいでしょ?」
僕はさっき見送ったばかりで少し離れたところにいる二人の方を見る。なぜここにいることが……あ、さっきの二人の返事が聞こえていたのか。という思考をたどり、結局代わることにした。
ずっと入院していたせいで、どうしても常識に疎い僕は、それに疑問を覚えず二人を追いかけて呼び止めた。
「どうした?」
「えっと、茜さん……僕がお世話になった人なんだけど、その人が代わってほしいって」
「え……私にか?」
「えっと、二人に」
僕はそう言って、とりあえず日向さんにケータイを渡す。
日向さんは歩美さんと顔を見合わせて、ケータイのボタンを一つ押した。
「もしもし、お電話代わりました。三条日向です」
「あ、私は辻歩美です」
二人はケータイを耳に当てず、胸元に持ったまま話し出した。
「あら、二人とも女の子? ああでも、玲治君は同い年の男の子とは気が合わなさそうだし……」
そしてケータイからは耳に当てていないのに聞こえるボリュームで、茜さんの声が流れた。
僕がひそかに、『そんな機能が……』と感心しているうちに、話は進んでいく。
「玲治君色々抜けているところあるし、迷惑をかけたりしてない?」
「あー、えっと……かけられていないとは言えませんが、私も玲治に助けられたりしていますし、お互い様です」
「私は迷惑かけられた、って思ったことはありませんよ」
日向さんは正直に答えたが、歩美さんは優等生な答えを返し、日向さんに小さな笑みを向けた。まるでしてやったりとでも言いたげである。
「そう、それは良かった。それはそうと、二人に聞きたいことがあって」
茜さんの話をちゃんと聞きながら、日向さんは無言で緩いデコピンをお見舞いして、何事もなかったかのように電話に向き直った。珍しい光景である。
「なんですか?」
「――玲治は、どの部活に入ったの?」
「……っ!」
珍しい光景だとか言っている場合じゃなかった。僕は慌てて止めようとするが、間に合うはずもなく。
「魔戦部ですが……それは本人に聞けば……ああ、大体わかりました」
ケータイに伸ばした手はそのままに、顔を上げてみれば、日向さんがこちらを向いて何とも言えない顔をしていた。
「えっと、玲治君に変わりましょうか?」
歩美さんが困惑しながらも恐ろしいことを言った。
僕が首を左右にぶんぶん振るが、「どういう事情かは知らないけど、しょうがないよ」と言って、ボタンを一つ押した後、僕にケータイを渡した。
恐る恐るケータイを耳に当てて、「もしもし」と言ってみるが、茜さんは無言である。
僕はもう一度小さな声で「もしもし」とだけ言った。
「玲治、何か言い訳があるなら聞くけど?」
平坦な声だった。
「いやその違くて、僕は誘われたから行ったんだけどいつの間にか入ることが決定してて、いやほんとは断ればよかったんだけど興味はあったし茜さん好きなこと探せって言ってたしごめんなさい」
言い訳などできようはずがなかった。いや、言い訳はしようとしたけど全く理由になっていなかった。
分かっていたことだが、茜さんの話をまるっきり無視したのとおんなじである。
『理由は分からなくてもいいから、魔法戦にだけは関わらないでね』とそのような内容の話を何度か言われていたのだが、実際は入学初日から入部している始末だ。
数秒間の沈黙が流れた後、「――はぁ」と、小さなため息が聞こえた。
「全く……昔から素直な割に、妙なところで人の話を無視して……私が心配して言ってることだって分かってるよね?」
「分かってます……」
「うんうん、分かっているのに無視したと。――喧嘩売ってるの?」
「違いますよ! いえ事実はそうなんですけど――」
「事実は喧嘩を売っていると」
「だから違いますって!」
僕が必死に謝っていると、日向さんが「代わってくれ」という意味であろうジェスチャーをしている。
「ちょ、ちょっと日向さんに代わるね」
「あ、こら――」
僕は急いで日向さんにケータイを渡した。
「あ、お電話代わりました。三条です。少しだけ玲治君を擁護してあげたくなりまして。………………はい。彼を魔戦部に誘ったのは私です。少々強引だったと思います。………………いえ。………………それは………………そこまで隠すようなことなのでしょうか。…………分かりました、玲治君にお返しします」
日向さんはなんだか不穏な会話をして、ケータイを僕に差し出した。
受け取るのが怖いが、受け取らないわけにはいかない。
僕はまた、恐る恐るケータイを耳に当て、「もしもし」とだけ言った。
「……ちょっと玲治、三条さんはどこまで知ってるの? まさか色々ばれてるんじゃないでしょうね?」
「うぇ? なななんのこと?」
「…………」
僕のちょっと舌がもつれてしまった返答を聞いて、茜さんは黙り込んでしまった。
冷や汗がだらだらと流れ落ちるが、沈黙は続く。
ケータイを耳から離して通話を切ってしまおうか、いやだめだもっと怒られる……という葛藤を三度ほど繰り返したとき、ようやく「……はぁ」というため息が電話口から聞こえた。
「仕方ない。今度そっちへ行く用事を作るから、その時四人で会いましょう」
「う……はい」
選択権は僕になかった。
「まさか、他にもばれている人がいるんじゃないでしょうね!」
「いやいないよ! ……いない……はず……」
「はずってなに!? ……ちょっと玲治、今度会ったらお説教だけじゃすまないからね!」
「うええぇ! いやいないです! いないから! ねえ!」
通話はすでに切れていた。
「……擁護しようとは思ったんだが……藪蛇だったようだ」
日向さんは僕から目をそらしながら、そんなことを言った。
僕は肩を落とし、ケータイを鞄にしまった。
僕は意識の切り替え……というより、開き直りは得意である。特に何か集中できるものがあれば、それに集中してしまうことができる。
なので僕は魔戦部の基礎トレに集中した。
基礎トレをさらっと終えて特別メニューに入ろうとしていると、「あなたはこっち」と千代紙先輩に連れ去られた。
基礎メニューを終えた後の特別メニューは、入学してからずっと佐藤先輩との強化無しの組手をしてきた。
しかし、体力こそ少々ついたかもしれないと思うものの、体を動かす技能については全く進歩がなかった。
手を抜いているつもりなど全くないが、進歩がないというのも自分自身どうかしているとは思う。
公言はできないが、これも契約の副産物だ。
身体強化をしない、ということは、他の人にとってはそのままの意味で身体強化をしないことなのだろう。
だが僕にとっては、フィアとのつながりを抑え、魔力が漏れださないように抑えなければならない。
その二つをして初めて、『身体強化をしない状態』になれるのである。
普段から色々とばれないようにその二つは抑え気味にしているのだが、それだけでは抑え方が足りないのである。普段通りの抑え気味の状態で軽く壁を殴れば、簡単に壁を陥没させてしまうほどだ。
つまり身体強化をせず格闘しろというのは、例えるなら右手で左手をおさえつけたまま踊れと言われているようなものである。
出来ないことは無いが、不恰好になるのは仕方がないと思ってほしい。
もしかしたら器用だったり体が柔らかかったりすればそういうのもできる人がいるのかもしれないが、少なくとも僕にはできなかったようだ。
――で、何が言いたいかというと、そのメニューが変わったのである。
千代紙先輩に連れられて向かった先には、顧問の久下先生とククリがいた。
そこで言われた久下先生の話を要約すると、次のようになる。
「欠点を補うよりも長所を伸ばそう。だから括と強化有りで組手をやれ」
とのこと。
ちなみに、佐藤先輩が僕に慣れだしていたので、他の男性に交代する丁度いい機会だということらしい。
「お前の身体強化無しの組手は、別に特別メニューを組まなくてもたくさんやる機会はあるしな。それよりもお前の教授能力を活かして括を指導してやってくれ」
「……はい、分かりました」
一瞬匙を投げられたのだろうか、とも思ったが、そういう雰囲気ではなさそうである。
僕は鋭い方でもないので早々に邪推などやめて、ククリと二人でメニュー消火に向かった。
「えっと、そういえば僕『指導よろしく』と言われたけど、具体的にはどうすればいいんだろう……」
「あ、先生は『とりあえず組手をやってみて、まずどこがどう問題なのかを玲治に見てもらえ』と言ってました!」
「あ、そうなの? じゃあやってみよっか」
僕はすぐさま構えを取った。
ククリは一瞬の停滞の後、素早く構えを取った。
…………。
数秒間の沈黙。
「えっと、ククリ、僕はククリの動きを見たいから、できれば打ち込んできてほしいな」
「あ、はい! すみません!」
ククリは慌ててぺこりと謝り、構えを取り直した。
「では、行きます!」
掛け声とともに、ククリが鋭く踏み込んでくる。
まずは様子見のため、こちらから攻撃することはもちろん、ククリの攻撃も捌かずただバックステップで距離を取って避ける。
距離を取ればもちろん近づいてくるので、また距離を開ける。
それを何度か繰り返すうちに、バックステップでは避けられない攻撃が飛んできた。僕がそれを片手ではたいて外させる。
そこで距離を取るのはいったん止めて、今度はククリからの攻撃をさばき続ける。はたき落としたり、手を添えて逸らしたり、上体を小さく後ろにそらしてかわしたり。
それにも限界が訪れる。頭を狙ったと見せかけた拳が、軌道を曲げてお腹を狙ってきた。かわせないと判断しつつも、体を傾けて拳をわき腹で滑らせるようにしてダメージを殺し、ククリのおでこを人差し指でグイッと押した。
「あうっ」
ククリはのけぞったままおでこを押さえて二、三歩後退し、僕の「ストップ」の声に反応して顔をこちらへ向けた。
「……うん、まあ大体わかったよ」
僕はどう説明したものか……と少し悩んだのち、期待に満ちた目を向けてくるククリに顔を向けた。
「まず、ククリは身体強化について、もしかしたら少し誤解しているのかもしれないね」
「誤解……ですか?」
ククリは小さく首を傾げた。
「身体強化は感覚的に操るものだから分かりづらいかもしれないけれど、強化したらただ漠然と『強くなる』わけじゃないんだ」
ククリはさらに疑問符を浮かべて困惑している。僕は説明方法を変えることにした。
「ククリ、ちょっと僕の攻撃をガードしてくれない?」
「あ、はい。分かりました」
ククリはすぐに、ボクシングのガードのような構えを取った。
僕はククリがいつも身体強化に使っている程度の魔力を、掌と腕に集中させて強化を施した。
「いくよ」
短い掛け声の後、掌底をガードの上にたたきつけた。
バシッと音はするものの、ククリはその場から動かず普通に耐えた。
「今のが、いわばいつものククリの攻撃だよ。もう一度構えて。次はしっかり踏ん張ってね」
「――はい」
ククリは短く返事をして、もう一度同じ構えを取った。
僕はさっき身体強化に使った程度、よりも少し減らした魔力を、今度は全身にくまなく巡らせた。
「いくよ」
短い掛け声の後、掌底をガードの上にたたきつけた。
ズドンッと重い音がして、ククリは二、三歩後退した。
「……分かった?」
僕は自信なさげに聞いた。
「……えっと、前と後では、後の方が流れるように動いてた……じゃ、ないですよね、すいません」
ククリも自信なさげにそう答えた。
僕の求める答えとは違ったが、意図せずそうなったのは確かだろう。
「そうだね。合ってるよ。じゃあどうしてそうなったかは分かる?」
僕はあえて否定せず、答えに誘導することにした。
「えっと……分からないです。そもそも私には、前の方が魔力が込められているように感じたので……あ、制御できるようにもっと少ない魔力でってことですか?」
近づいてはいるが、このままだとたどり着かないだろうと思ったので、助け船を出すことにした。
「少し惜しいな……じゃあ、ちょっと話を戻して、ククリが勘違いしているんじゃないかって話に戻るよ」
「はい」
ククリはすぐに思い出せたらしくすぐに頷いた。
「例えば身体強化で、三メートルぴったりジャンプしてって言われたら、たぶん最初は無理だよね?」
「はい」
「何度か飛んで、どの程度の力を込めればどれくらい飛べるかを考えて、三メートルがどの程度かをしっかり確認して、まあいつかはぴったり飛べるようになると思うよ」
「そうですね」
「つまり何が言いたいかというと、『三メートルぴったり飛びたい』と思いながら強化しても、それ以上の力が出たりそれ以下の力が出たりするって言いたかったんだ」
「…………?」
ククリはまた首を傾げた。
「ククリは多分、こう思ってるんじゃない? 『全力で強化すれば、魔力が多ければ多いほど強くなる』って」
ククリは軽く目を見開いた。多分僕の予想が合っていたんだと思う。
僕は話を続けることにした。
「ククリはまず、攻撃するときに攻撃する部位に魔力を集めるのをやめた方がいいよ」
「え?」
「次にどういう攻撃が来るのかが相手にわかるし、攻撃自体の威力も落ちるから」
「え、そうなんですか?」
「うん。例えばさっきの掌底を例にとると、腕と掌に魔力を集めたんだけど、他の部分との力が違うからフォームが崩れて威力が小さくなったし、掌底は腕と掌だけで攻撃しているわけじゃないからね。武術はできるわけだし、ククリなら分かるよね?」
僕が問うと、ククリはコクリと頷いた。
「確かに、言われてみればその通りです……先輩、ありがとうございます! ちょっと練習してみます!」
ククリはそう言ってすぐに練習を始めた。
僕がこの前教えたのは、身体強化にはいろいろ強化できる項目があるっていうことだけ。どの項目をどう強化できるのかは自分で見つけるしかない、ということを教えてあげただけである。
ククリはそれだけの助言で、それもたった数日で改善させていた。今まで無駄に強化していた部分を減らしたようで、何をどう強化しているのかは分からないが、今までよりも圧倒的に持久力を伸ばしていた。
だから、もしかしたら今回もかなり早い段階でコツをつかむのではないかと思い、黙って様子を見ていることにした。
すると全身に均一とまではいかなくても、すぐに偏りがかなり少なくなった。
「うん、いい感じ。でも背中とか、後ろががら空きだよ?」
「え、あ、すみません」
ククリが慌てて後ろにも意識を回して、全身に魔力がいきわたらせた。
「そうそう、そんな感じ」
数分は練習を続けてもらっていると、そろそろ全体練習の時間が迫っていた。
「ククリ、そろそろ時間だし、軽く一本組み手でもしておく?」
「あ、お願いしたいです。よろしくお願いします」
ククリはすぐに魔力操作を中断して、ぺこりと頭を下げた。
「僕が構えたら、好きな時に初めていいよ」
僕はそう言って、すぐに構えを取った。
「では、行きます」
ククリは掛け声とともに、鋭く踏み込んできた。
流石のククリも、たった数分では癖を修正しきることはできなかったらしく、攻撃の瞬間、攻撃を繰り出そうとする手や足に魔力が寄っている。
牽制のパンチをかわすと、本命の回し蹴りが迫って来る。
僕は近づくようにして飛んでくる足とは反対側に移動し、すれ違いざまに軸足を払った。
どたっと倒れたククリの額を二本指で押さえて、「はい、一本ね」と宣言した。
ククリは慌てて立ち上がって、「ありがとうございました!」と言って、お辞儀をした。
少し早く終わり過ぎたが、あまりここでやりすぎるのも全体練習に支障が出ると思い、やめておくことにした。
「じゃあ、今日はここまでにしておこうか」
「ありがとうございました」
ククリはもう一度頭を下げた。
「あ、そういえば先輩、ひとつ聞きたいことがあったんですが」
「なに?」
「先輩って、魔力が見えているんですか?」
…………?
何かヘマをしたのか、と一瞬思ったが、魔力が見えているという事実はない。
「いや、見えてないけど、どうして?」
「いえその、教えてもらっているとき、まるで見えているんじゃないかな、と思うようなことを言ってたような気がしたんです」
ああ、と僕は納得した。ククリの抱える問題点に気づいたり、背後の魔力が薄いと指摘したことを言っているのだろう。
「それは別に見えていたわけじゃないんだ。魔力は光を反射しないし、手で触れることもできないからね。でも、魔力でなら触れられるんだよ。だから、魔力で触って調べただけだよ。そのうちククリにも出来るんじゃないかな?」
僕はあっさりと種明かしをした。
「なるほど! ありがとうございました。またいろいろ教えてください」
ククリはもう一度一礼して、全体練習の集合場所に向かった。
ククリとはチームが違うので集合場所は別だ。
僕も集合場所に向かって歩き出した。
ちなみに、他人の魔力感知は高等技術である。
教科書に載るような事柄ではあるが、経験によるところが大きい技術で、載ってはいるが実践では全く触れられない技術でもある。
前者の理由は自分の魔力を完璧に操り、他の魔力と干渉したことを知覚する必要があるためで、後者の理由の大部分は教える側に魔力感知ができる人間が少ないためである。
ただし、自分の肌など、自分にごく近いところの魔力なら、多少才能が有れば、特に訓練などをしなくても漠然と感じられる人はそれなりにいることはいる。だが、自分から離れた場所となると、相当鋭敏な感覚が必要となるのだ。
戦闘が主である職業に就くときにはすぐに教えられる技術ではあるが、決して全員ができるわけではないし、もちろん精霊と契約して一年で使えるような技術でもない。
天崎玲治は既に契約して十年たっているが、契約して数か月の谷久住括が使えるような技術でないことは確かである。
無論どこにでも天才はいるが、谷久住括がそれかどうかはまだ不明だ。
ちなみに、彼があっさりとそれを明かした理由は、この技術の取得理由が契約の特殊性ではなく、時間経過による経験から会得したもので、契約の特殊性は関係ないから大丈夫、と深く考えなかったせいである。
そしてフィル・アイネは、「その程度のことは今さらだ」と考えているため、特に口出ししなかったのである。
翌日。雨こそ降っていないものの、空は黒っぽい雲に覆われている。
学校に登校してみれば、なんだかみんないつもと違うような気がした。
どうしたんだろうと思いつつも、自分から話しかけたりはせずに席に着いた。
特にすることも無いので、フィアと楽しく世間話をしていたら、唐突に「ずいぶんと余裕だな」と、話しかけられた。
顔を上げると、同じクラスの飯岡智紀君が不機嫌そうな顔で突っ立っていた。
「余裕……って言われても、フィアとおしゃべりしてただけだよ?」
「それが余裕だって言ってんだよ」
飯岡君は返答が気に入らなかったのか、いらだっている様子だ。
僕が困り顔でどうすればいいのか迷っていると、飯岡君は何も言わずに自分の席に戻っていった。
安堵の息を小さくはいて、何だったのかを考えていると、背中をつんつんと突っつかれた。振り向くと、その席の主である神田君がこちらを向いて座っていた。
「ちょっと話が聞こえちゃったんだが……もしかして天崎、今日がテストの日だって忘れてないか?」
「テスト? あーうん。覚えてるけど?」
先日聞いた話では、確か今日が中間テストとやらの日である。
「あれ、そう? じゃあやっぱ余裕なの?」
そしてなぜか神田くんまで僕が『余裕』に見えるようだ。
「えっと、そんなに余裕に見える? 僕としては普段通りのつもりなんだけど……」
「そう、それだよ。天崎いつも通りじゃん。余裕ってことじゃないの?」
僕はそう言われて周囲を見渡すと……いつもしゃべっている人や、遊んでいる人たちが熱心に勉強していた。
なるほどと思いつつも、なんだか僕と『テスト』の認識がずれている気がするので、確認もかねて神田くんに聞いてみることにした。
「えっと……テストってさ、『普段の勉強での理解度を確かめる』ためにやるんじゃないの?」
「え? まあそうだけど……なんていうかさ、成績はいい方がいいだろ?」
「……そうかな?」
僕は直前に勉強して点数を底上げする利点を考えてみたが、特に思いつかなかった。
「なんだか、本末転倒なことをしているようにしか思えないけど……」
僕は独り言のようにそう呟いた。
僕にとってテストは、家庭教師に来てくれていた茜さんが唐突に行う抜き打ちテスト以外になかった。
そのテストで出来なかったところ、時間がかかったところ、迷ったところ。そういう場所が苦手だったり、勉強が足りていなかったりする場所である。
それを復習したり、はたまた間違いを正したりして、勉強する。勉強するとはそういうことで、テストはそのためにやるんだ、とは茜さんの弁である。
直前に詰め込めば、自分の苦手を覆い隠してしまうし、ただ暗記したことなんてすぐに忘れてしまう。
僕はそう思ったが、神田くんには「教えてくれてありがとう」とだけ言って前を向いた。
僕は少しだけ迷ったが、結局フィアと世間話に興じた。
部活はテストのために休みらしい。
そもそもテスト直前まで部活動があること自体が珍しいそうだ。
しかし学校が早く終わったからと言って僕にやることがあるわけでもなく、日向さんと歩美さんは勉強するそうなので、僕は仕方なしに街に繰り出していた。
『フィアはどこか行きたいところとかある?』
『無いわね。そう言うレイジはどうなの?』
『僕もないかな……あ、でも茜さん来るんだったら、なにか出すもの買っといた方がいいかな?』
『あんた茜をどこに呼ぶつもりなのよ。男子寮に呼ぶ気じゃないでしょうね?』
『あ、そっか。そうだよね……』
『そうよ。どちらかといえば私たちがお土産をもらう側だわ。……でも、軽いお菓子くらいなら持って行けばいいんじゃない? いつ来るかもわからないし、日持ちするやつね』
『うん、そうだね。そうしよっか』
仕方なしに、とは言っても、最初だけの話だ。
切り替えに定評のある僕は、すぐに二人で談笑を交えながら歩き回り、結局お手軽なスナック菓子を三つだけ買った。
寮への帰り道、相変わらずフィアとおしゃべりしながら歩いていたのだが、会話が途切れたタイミングで、近くを消防車が通ったらしく、サイレンの音が聞こえた。
「どこかで火事でも起こったのかな……」
『…………』
思わず口から洩れた独り言に対してフィアは何も言わなかったが、言いたいことはすぐにわかった。
『分かってるよ。さすがにどこか知らないところで起こった火事にまで首を突っ込むようなことはしないよ』
『……そうして』
フィアは、身近なところでもそうして、とは言わなかった。
テストは三日間も続くため、本日もテストである。
特筆すべきことも無く、放課後も寮でおとなしく過ごした。
テスト最終日。
特に難しいとも思わず最終問題を解き終え、五分ほどボーっとしていると、チャイムが鳴った。
テストは回収され、短めのホームルームの後解散となった。
テストは終わったのだし部活があってもいいのだが、今日も部活は休みらしく、することが無い。
そして、日向さんは実家から呼び出しを受けたらしく、今日は遊べないとのことだった。先月と同じような内容なのかと一瞬危惧したが、僕の顔からそれを察した日向さんは笑ってそれを否定した。
特に事件は起きていないし、電話口からもそういう様子はなかったということだ。
疑う理由もないので僕らはそれを聞いて安心し、歩美さんと共に日向さんを見送った。
僕たちは特に用事もなく行きたいところもない。二人で寮への道を歩いていた。
「……そういえば、歩美さんと二人っていうのは珍しいですね」
「そうだね。大抵間に日向が入ってたから。言われてみれば、私たちって二人とも『日向の友達』って感じだもんね」
……つまり、僕らの関係は友達の友達……という意味だろうか。
「……そうですね」
自分で思っていたよりも沈んだ返事になってしまった。しまったと思って顔を横に向けると、歩美さんがこちらを見て小さく笑っていた。
「ほんとに、玲治君は分かりやすいよね。んー……ちょうどいい機会だし、二人でどこかに遊びに行かない?」
「えっと……どこか行きたいところでもあるんですか? というより、さっきお誘い断っていませんでした?」
お誘い、というのは、テストが終わり、三人で合流するとき、二人がそれぞれの友人から遊びのお誘いを受けていたことである。
「うん、そうだよ。まあ玲治君を一人にするのはあれだし、いい機会だと思ったから」
「僕が一人に?」
すぐには意味が分からず首をかしげる。
「例えばあの時私が誘いを受けて、『玲治君も一緒にどう?』って言ったら、玲治君はどうした?」
「それは……断ると思います」
僕はたいして悩みもせずそう答えた。
「うん。そうだと思った」
歩美さんはそうとだけ言って、視線を前に戻した。
既に女子寮と男子寮の分岐点はすぐそこだった。
「着替えてここに集合ね。行くところは歩きながら決めよう」
歩美さんは「じゃあね」と笑顔で手を振って、女子寮の方へ歩いて行った。
僕はそれを呆けたように見送って、数秒で気を取り直して男子寮へと向かった。
そして僕は、人生で初となるカラオケとやらに来ていた。
なぜカラオケに行ったことが無いのかと聞かれれば、そもそも僕の実家は田舎にあるので、カラオケ店など近くになかったということもある。
一番の理由は、フィア、茜さん以外と遊ぶ機会が無かったことが大きい。
「~~♪ ~~♪」
歩美さんは僕の知らない歌を歌っている。というか、僕は歌をほぼ知らない。
「今のはどうだった?」
「えっと、いいと思います」
「微妙だったかー。やっぱり楽しそうな曲が好きみたいね。ちょっと待って、今探すから」
お世辞を言うも、間髪入れずに見破られてしまう。今のは確かに好きだとは言いづらい曲だった。ただ、いいというのも嘘ではない。好きではないだけで、いい曲だとは思ったからだ。
ここに入った当初、僕がカラオケとやらに興味を示したのはいいが、歌をほぼ知らないということが判明して、すぐに「出ようか?」と言ってくれたのだが、僕が歩美さんの歌を聞いているだけできっと楽しいです、と言って今に至る。
もちろん嘘ではないつもりで言ったし、実際嘘にはならなかった。
歩美さんは歌がうまかった。それに歌を歌うことも好きなようで、僕が歌えないためにずっと一人で歌っているが、曲も尽きないし、なによりも楽しそうである。
「あ、これにしよう。『世界跳躍』」
歩美さんが入れた曲はすぐさま流れ出す。何しろ歌うのは歩美さんだけだ。
軽快な音楽が流れだし、僕も楽しくなってくる。
「~~♪ ~~♪」
そうして僕らは二時間ほどカラオケを楽しんだ。
テストで早く終わっているため、まだ外は明るかった。
ただ平日は門限が厳しいので、早めの外食をして早めに寮へ戻ることに決めた。
「どうだった? カラオケは?」
「楽しかったです! 次の機会があれば、僕も何か覚えて歌ってみたいです。それにしても歩美さん歌上手いんですね。聞いているだけでとても楽しかったです!」
「……ありがと」
歩美さんは照れているようだ。すごく分かりやすい。
「あ、着いたよ。そこがさっき言ってた定食屋さん。ちょっと量が多めだけど、おいしいんだよ」
「そうなんですか? 楽しみです」
僕は特にそれをからかうようなことはせず、笑顔で店の扉を開けた。
「らっしゃーい」
元気なおっちゃんの声が聞こえる店内を見渡すと、開いている席はすぐに見つかった。まだ少し早い時間帯なのもあってそれなりにすいている。
僕らは席についてそれぞれ注文し、カラオケの話に戻った。
「そういえばあの……『世界跳躍』でしたっけ? あれいい曲でした」
「ふふ、気に入った? 今度聞いてみればいいよ」
「聞く、といっても、僕の部屋にはプレイヤーとかありませんし、多分実家にも無いですよ?」
「え? ……ケータイで聞けばいいんじゃない? あ、もしかしてパケットにしてないとか?」
「パケット? なんですかそれ?」
「あー、うん。今度いろいろケータイについて教えてあげるよ。とりあえず今は曲とかの聞き方だけね。それと、パケットについて分かるまで自分のケータイでやらないでね。多分大丈夫とは思うけど念のため」
「えっと、分からないですけど分かりました」
意味は全く分からなかったが、僕はしっかりと頷いた。
「じゃあまず、ここをこうして……」
「あ、ちょっと待ってください。そっちに行きます」
僕らは四人席に座っていたので、歩美さんの横が空いている。僕は席を立って歩美さんの横に座った。
「…………」
「どうしました?」
「あ、ううん。えっと、最初からいくね? ここをこーして……」
僕は一通り説明を聞き、何とか理解することができた。ついでなので歩美さんの持っていたイヤホンで、『世界跳躍』も聞かせてもらうことにした。
先ほども聞いた音楽が流れ、今度は歩美さんの声でなく歌手がその歌を歌う。
確かにいい曲で、歩美さんが歌っていたのと同じようにいい歌だと思えた。しかしやはり歩美さんの歌は上手だったようだ。こうして曲を聞いてもカラオケで聞いたのとそう変わらないと思える。
「~♪」
僕はこの歌がなかなか気に入っていたらしく、歩美さんが微笑ましそうに見守っているのにも気づかず、無意識に鼻歌を歌っていた。
「ほ~。なるほどそういうことだったのですねお二人さん」
唐突に話しかけられた。
僕らが振り向くと、歩美さんの友人――歩美さんを誘っていた人達――がいた。
「そりゃあこっちを取るでしょうねぇ――あたっ」
「こら、邪魔しないの。じゃあ私たち向こうへ行くから。お幸せに」
彼女らはそんな意味の分からないことを言って立ち去ろうとした。
「ちょ、ちがっ……違うからね!? 勘違いだから!」
だが、歩美さんが勢い良く立ち上がって否定の声を上げた。
歩美さんの耳からイヤホンが外れ、僕の頭に当たって座席の上に落ちた。僕はそれを拾って机の上に置き、歩美さんとその友人たちの間で視線をうろうろさせた。
正直何の話か全く分からないが、何か誤解を受けたのだろうか。歩美さんの様子を窺うと、怒ってはいないようだが……焦っているのだろうか? 僕はあまり人の感情に敏感ではないので分からなかった。
「いやいや、見苦しいよ歩美。さっさと認めなさいな」
「違うものは違うの! 正直私もどうかと思うけど違うの!」
「この状況で違うと言われても……」
歩美さんとしゃべっているのは主に一人だが、他の人たちも意見は同じらしく、頷いたりしてその一人に同調を示している。
しかし、会話を聞いていてもいまいち状況が分からない。
『フィア、どういう状況か分かる?』
『……まあ、なんとなくはね』
『ほんとに? すごいねフィア、僕は全く分からないんだ。ちょっと教えてくれない?』
『……会話の内容と、あの人たちから見た自分たちの姿を思い返してみなさいな』
フィアにヒントをもらった僕は、言われたとおり考えてみた。
歩美さんと一緒に定食屋さんでご飯を食べようとしていて、仲良く音楽を聞いている。これだけだと何のことかはわからないので、あの人たちの視線に立ってみると……
僕は気づいた。確かにこれは由々(ゆゆ)しき問題だと思う。
これでは、歩美さんは皆さんの誘いを断り、僕と遊びに来ているようにしか見えない。さらに言えば僕との約束の方が後である。それを知らないにしても、どちらにせよあの人たちから見れば、ないがしろにされたと思ってしまうのではないだろうか!
「――違うんだってば! ちょっと、玲治君も何とか言ってよ!」
「おっと、前から知っているとはいえやはり名前で呼ぶのはそういう――」
「だから違うってば!」
歩美さんが否定するのも分かる話だ。そんな誤解を受けてしまってはいけないと思い、「違うんです!」と僕も否定の声を上げた。
「歩美さんはその……僕のことを思ってくれただけなんです!」
僕はそう力強く断言した。
「ちょ、玲治君!?」
歩美さんが何やら焦ったような声を上げた。
『え』
フィアからはなぜか驚いているような雰囲気を感じる。
皆さんはなぜか「おおー」とまるで感心したかのような声が上がった。
僕はその反応の意味は分からなかったが、言いたいことを言いきることにした。
「だからその、歩美さんは皆さんをないがしろにしているわけではないので、あまり責めないであげてほしいのですが……」
「あ、そこは大丈夫、ないがしろにされたとは思っていないよ? ただ秘密にしてたことはちょっといただけないなと思ったけどね」
ニヤリとその人が歩美さんに笑いかけるが、相変わらず歩美さんは「秘密も何も誤解だって言ってるでしょ!?」と否定している。
秘密にしていた、と言うのはもちろん僕と出かけることだろう。秘密も何も出かけることはあの後決まったことなので、特に秘密にしていたというわけではない。完全な誤解である。
だが一方で、彼女らに歩美さんが言わなかったことがある。それはもちろん、僕が一人になってしまうだろうから、という理由だ。
歩美さんは優しいので、瞬時にそう考えたうえ、さらに僕の外聞に気を使ってその理由を言わなかったのだろう。
「その、それは、僕に気を使ってくれたんだと思います。僕自身は気にしないんですが、歩美さんは優しいですから」
「ねえ、玲治君!? さっきから何を言っているのかな!」
僕が何とか分かってもらおうと一生懸命説明しているのだが、なぜか先ほどから歩美さんが僕の話を止めようとしてくる。
「なるほどなるほど。おっけー理解できたよ。じゃあ歩美、私たちは邪魔しないよう二階席で食べるから」
「だから違うって言ってるでしょ!」
「あーもうそれはいいから。観念して今度詳しい話を聞かせてよね。じゃあごゆっくり」
「違うのっ! 誤解なんだってば! ちょっと!」
皆は歩美さんの話を聞かず、ぞろぞろと二階へ上がっていった。
――こちらを見てにやにやしながら。
『……玲治はもうちょっと、本でも読んで常識とか身に着けた方がいいわね』
『えっと、僕何か間違った?』
唐突にフィアから常識のダメ出しが入った。
それとほぼ同じタイミングで、歩美さんが机に突っ伏した。
「ああああぁぁぁぁ」
そしてなんだかとっても感情がこもっている……というかこもっていない……というか……抜けていくような? そんな声を発した。
「玲治君」
歩美さんは突っ伏した姿勢のままこちらを向いた。
「な、なんでしょう」
なぜかはやっぱりわからないが、歩美さんからあまりよくない感情を感じた気がして、思わず背筋を伸ばした。
「わざとじゃないんだよね? からかって遊んでたわけじゃないんだよね? 流石にそうだって言ったら私でも怒るからね?」
「な、何のことでしょう?」
本気で何のことか分からなかったので聞き返すと、歩美さんは「はああぁ~」と心底疲れたようなため息を漏らした。
「恨むよ玲治君~」
「うええ? な、何でですか!?」
歩美さんがその疑問に答えることは無かった。
後日その話を聞いたある人が爆笑した、ということを天崎玲治が知ることも無かった。
とりあえずここで書き溜めた分は終了です。
ここまでお付き合いいただき感謝です。
スローであろうとも書いて行くつもりですので、次話は気長にお待ちください。