第三話:殲滅作戦
思いのほかぐっすりと眠れたので、すっきりとした気分で登校する。
僕はフィアを心から信頼しているので、日向さんのことは聞かないことにした。
教室に着くと、歩美さんがやってきた。
「おはよう」
「えっと、おはよう」
日向さんのことが心配なのだろう。心ここにあらずな感じだ。視線は日向さんの席に向いている。
僕はそれを何とかしてあげたいと思って口を開いた。
「日向さんは大丈夫だよ」
歩美さんがびっくりした様子でこちらを向いて、
「……何かあったの?」
目をぱちくりさせたまま、僕に疑問を投げかけた。
「いえ、その……」
何と答えるか逡巡したのち、
「何かあれば、僕が何とかしますから、歩美さんは心配しなくても大丈夫ですよ」
と答えた。
歩美さんはもう一度驚いてから、今度は小さく笑った。
「玲治君がそういうと、本当にそうしてくれそうな気がするから不思議だね」
歩美さんは本当にそう思ったらしく、表情から緊張が少しとれたように思う。
その後はしばらく雑談をした。日向さんがいないので少し静かな感じになったが、不自然さは薄かったと思う。
そんな調子でお昼も過ぎて、一日の最後の授業が終わりに近づいたころ。
ファーン、ファーンと耳障りな音が鳴り響いた。すぐに警報音は切り替わり、ウウウゥーンとうなるような音に切り替わると、
「緊急避難訓練を開始します。慌てず騒がず、教員の指示に従ってください。繰り返します……」
そう放送が流れた。
生徒がざわつく中、原田先生は特に動じていないようだ。てきぱきと指示を出している。僕もそれに従って教室を後にした。
魔物の脅威は薄れたとはいえ、どこに穴が開くか、いつ魔物が現れるかとなど、どうしても事前にはわからないことも存在するため、区画ごとにシェルターが存在している。
僕らは迅速にそこに向かわされた。
『……フィア、もしかして始まった?』
『まだみたいね……見る?』
『……やめておくよ』
僕は好奇心からそういうことをするのは良くないと判断した。
シェルターは近くにあるのですぐに着く。
そう時間もかからずたどり着き、迅速に全員がシェルターに入った。
このシェルターはこの学校専用のシェルターなので、いる人はみんな学校関係者である。
既にかなりの人がいて、後ろからもぞろぞろと人が入って来る。
僕はそれを視界の端に移しながら、きょろきょろと周りを見回す。僕にとってはそもそもシェルター自体が初めてである。
このシェルターは地下なので外からは何も分からなかったが、中に入るととても広い。生徒だけでなく教員まで入るのだから当然だ。
この後どうするんだろうと思っていると、端から順に体育座りで腰を下ろして待機となった。教員は集まって何か話している。
ふうと一つため息をついて、背中を丸めて膝に頭をのせた。
――薄暗いシェルターの中で一体どれぐらい待ったのか、何の説明もなく待たされているため生徒にいらだつものが現れ始めた。
そんな時だった。
『レイジ、これはまずいかも』
急にフィアが焦った意志を伝えてきた。
『見せて』
短く返事をすると、すぐさま頭の中にフィアが見ているものが伝わってきた。
地下から十数体の魔物が飛び出していく。
それに続く魔物はいないが、それを追いかける対魔士もいない。
飛び出した魔物は三つに分かれ、そのうち一つのグループが向かう先に、日向さんを含むチームが待機しているのが分かった。
向かう魔物は三体で、うち二体は実体化も中途半端な弱い個体だが、残りの一体が大物……と呼ぶには微妙な感じだが、弱くはない個体だと思われる。
日向さんの近くにいる対魔士たちは八人。
同じように五つほどチームがあり、穴がある地下と地上を繋ぐ入口を包囲するように広がっている。
八人で魔物三体の相手、と聞くとそこまでピンチだと思えないが、日向さんが含まれている時点で正規の対魔士がどれだけいるのかとても怪しいところだ。
流石に一人はいるだろうが、半数が正規の対魔士でも厳しいだろう。
以上がフィアから伝わってきた視覚情報と考えである。
無意識に手を口に当て、うつむくようにして考え込む。
日向さんが魔物と接敵するまで数十秒しかない。接敵してすぐさまどうこうなるわけではないだろうとは思うが、悠長にしている時間もない。
魔物が分かれたとき、他のグループに一体、それなりの大物が混じっていた。救援はそちらが優先されるはずだ。日向さんたちはしばらく救援無しで、三体の魔物と交戦しなくてはいけないだろう。
周りの様子を一瞬だけうかがって、こちらに注目している存在がいないか探す。
一人こちらを気にしていた。歩美さんだ。
……まあしかたない。
僕とフィアのつながりを薄めるのをやめ、身体強化で思考時間を引き延ばす。
――このまま何もしなければ、奇跡が起きるか、他の部隊にとびきり優秀な人がいない限り、事態は好転しない。よくて怪我、悪ければ……。何もしないのは無しとして、助けに行くならどうしよう。まずこのシェルターから出なければいけないけど、もちろん素直に出してはくれないだろうから……
――そこはもう魔法で行きましょう。トイレにでも行ってそこから姿を消して行けばいいわ。
――走って向かうと、時間がかかりすぎるよ
――助けるなら遠距離から撃ち抜くしかないわね
――普通に打つと建物に当たるし、高いところに上らないと
――いえ、それは不要だわ。曲げればいいのよ
―― 一瞬だけ本気を出すってことか。そうだね、そうしよう
――でもやっぱり、ある程度の高さがある屋内がいいわ
――目立たないためだね。あと、日向さんのいる方向に窓があればなおいいよね
――それならあそこしかないわね
――うん
時間の流れが元に戻る。
フィアは日向さんを助けに行くことに、一切反対しなかった。僕は少しうれしく思ったが、そんな場合ではないと思い直し、すっと立ち上がる。
先生の所へ行ってトイレへ行ってくると伝えた。当然承諾をもらえるのでトイレへ行き、個室へ入る。
トイレと入口は反対側だ。移動距離は長いが、トイレが注目されない分好都合とも言える。
魔力が外に漏れ出さないよう気を付けながら、身体強化を施して、息を殺し、動悸を静かにさせる。
落ち着いてから、自分を透明人間にする魔法……なんて都合のいいものはないので、いつもの魔法を一工夫する。
例えば防犯カメラの前に、誰も映っていない正常な状態の景色を写した写真を吊るすと、その向こうで何をしていようが正常に見える。同じように、自分の周りに反対側の何事もない正常な状態を映す。
この方法は万能ではなく、動くものに対しては使いづらい。後ろが壁などなら簡単だが、大勢の人がいたりすると映すものも動かさないといけないので大変になるからだ。しかも、僕たちが操れるのは光だけなので、音や空気の流れなどは操れない。
もう一度ゆっくり息を吐き出して、トイレから出た。
僕がリハビリでやらされた武道の中には、無音で歩くという歩法がある。
素早く行うと風を生んでしまうので、ゆっくりと出口へ向かっていく。
人が通りかかるたびに壁際に避難し、通過するのを待ってから進む。出口にはすぐにたどり着いた。
二人、先生が出口の前に立っている。
当然、出口となる部分は閉まっていた。
どうしようかと、気が逸りそうになるのを押さえつける。
ばれて強行突破なんて、流石にフィアが許してくれない。
そんなことを考えたとき、唐突に、
ガツン!
と扉が外から何かで殴られた。
僕も驚いたが、二人の教師は過敏に反応した。
一瞬で戦闘態勢を整え、扉をにらみつける。
……しかし、数秒立っても何も起こらない。
二人は顔を見合わせて、扉に手を当てて外の様子を魔力で探り、もう一度顔を見合わせて、今度は扉の取っ手を掴み、ガチャリと扉を開いた。
片方はゆっくりと扉の外に出てあたりを探る。すると扉のすぐそばに根元の折れた看板が転がっていた。
僕はそれを確認すると、二人がほっと息をついたタイミングを見計らってするりと間を抜けた。
背後で扉が閉まる音がした。
姿は消したまま、背後を振り返った。
完全に遮断されているため見ることはできないが、歩美さんがいるはずの場所を見つめる。
さっき、微かに歩美さんの魔力を感じた気がした。
……先を急ごう。
やはり姿は消したまま、今度は音を立てないよう走り出した。
向かう先はもちろん、学校である。
学校に着くと、当然のように門が閉まっていた。
防犯設備はあるだろうが、多分赤外線と重量感知とカメラだろうと適当にあたりを付け、触れないように大きくジャンプして飛び越える。僕には赤外線しか感知できない。
赤外線も光である。僕にとってそれを誤魔化すのは造作もない事だ。透明になることの方がよっぽど大変だからである。
門の向こうに着地しても、特に何の反応もないのでそのまま校舎に向かう。
すると今度は校舎の扉が閉まっていた。どこか開いていないかと左右を見回すと、窓が一つ、少しだけ開いているのが見えた。
時間がないので何も考えずそれを全開にして飛び込んだ。
階段を駆け上り、駆け上がり、駆け上がる。
軽く息を切らしながら、何も考えず日向さんがいる方角の教室へ飛び込んだ。
窓に駆け寄って窓を開く。
日向さんの仲間が負傷し、今は日向さんが一人で戦っている。いつ事故が起こってもおかしくない状況だ。もはや一刻の猶予もない。
窓から距離を取り、透明化を解除して息を整える。その間に、フィアは僕の肩から舞い降りて正面に回り、胸くらいの高さで静止する。
――いくよ
どちらともなく合図をして、二人の目的の統一、というより、意志の統一を意識する。同時に、フィアが僕の方に近づいてくる。
距離が近づいて、近づいて……零になった後、僕の中に吸い込まれるようにして消えた。
すぐに準備に入り、狙いを定めていく。
その時、日向さんが魔物の攻撃を受けた。
「っ!」
集中が途切れそうになるのを、歯をくいしばって耐える。
次の瞬間、金色の光が溢れてあたりを一瞬だけ明るく照らす。
直後、暗くなり始めた夕空を、一条の光が貫いた。
*****
――遡ること数時間前
私は目覚ましが鳴る前に意識の覚醒を迎えた。
朝に弱いなんてことは無く、すぐに着替えをすませて洗面所で軽く身だしなみを整え、リビングに向かった。
「おはようございます。父様、母様」
「おはよう日向」
「おはよう」
既に二人は席に着き、私を待っていたようだ。私はさっさと自分の席に座った。
三人にはどう考えても広すぎる食卓に、豪勢というわけではない、いつもの朝食が並んでいる。
「「「いただきます」」」
何事もないようないつも通りの風景。
今日は特別な日であるが、特別にしてはいけない日でもある。
黙々と食事を進め、ただの一言もしゃべることなく食べ終えた。
「ごちそうさまでした」
最初に食べ終えたのは私だった。
自分の食べ終えた皿をもって、キッチンへと運ぶ。
「日向」
カタンと音を立てて食器を置いた父様が、私を呼んだ。
「はい」
私はちょうど運び終えていたので、キッチンを出て父様の前まで近づいた。
「日向の配属はC隊に決まった。隊長は海津だ。詳細は海津に聞くように。以上だ」
「承知しました」
私は意識を切り替えて返事を返した。
作戦決行まで、あと数時間。
学校には昨日のうちに欠席することを伝えてあるので、学校へは向かわない。
家を出ると直接対魔士の組織、対魔物専門精霊警察署(縮めて対魔警察、精霊警察、精察などと呼ばれる。一般に広く使われているのは精察)の本部へと向かう。
先ほど身支度を整えている間に、業務連絡用の携帯端末に海津さんから今日の作戦における私の役割が送られてきた。
事前に聞いていた通り私はバックアップ、最後尾に保険として配置される。
隊長はベテランの海津さんだが、隊員は新人ばかりだ。私なんかまだ学生である。時間がないため後衛に十分な戦力を回せないらしく、こうなっているらしい。
そしてその保険としての役割は、ざっくりいえば時間稼ぎである。
もう少し細かく言えば、前衛として魔物の集団に切り込む役割の者たちが、万が一魔物に包囲を破られた時、逃げ出した魔物が市街地や避難所を襲わないよう抑え込んで、作戦の終了までの時間を稼ぐこと。
運が良ければ魔物に出くわすことすらない仕事。――もちろん、運が良ければの話だ。
端末をカバンに放り込み、まっすぐ前を見据えて歩みを再開した。
「おはようございます、海津さん」
精察本部に入ると、早速知り合いの姿を見つけてあいさつする。
「ああ、おはよう日向ちゃん……おっと、今日は『日向』と呼び捨てにすべきかな?」
「私はどちらでも構いません。海津さんの好きな方で」
海津さんは父様が親しくしている友人で、私が子供のころから付き合いがあり、日ごろは日向ちゃんと呼ばれている。
「……大丈夫そうに見えるが、ここはあえて日向ちゃんと呼ぼう」
見た目は少しいかつい感じのおじさんだが、こんなふうに気を配ってくれる優しいおじさんでもある。
海津さんは私を迎えるためにわざわざここまで来てくれていたようで、私と並んで話しながら、他の隊員がいる場所へ向かった。
部隊の人数は8人。私が知っているのは海津さんだけで、他新人6名は名前も今日初めて聞くものばかりだった。
そもそも、この地域に住んでいるのは私と海津さんだけで、他は皆別の地域から貸し出された、ある程度優秀だと判断された新人だった。
対魔士の仕事には魔物の退治だけではなく、穴の周囲を封鎖して自然に消えるまで監視したり、普通の人間には難しい救出作戦などにレスキュー隊に混じって参加したりするなど、契約者が少ないため多岐にわたる仕事を忙しくこなしているのだ。他の街の派遣に人数を割いていては、自分の街の仕事が回らなくなってしまう。
そのため、どうしても人数不足になってしまう。
オペレーターなどを除くこの作戦の戦闘に参加する対魔士の人数は88人。うちこの街の人は40人に満たない。それもほとんどが前衛である。
私たちからすると『これだけの対魔士をよく集めたな』とすら思える人数なのだが……今回の作戦には足りないかもしれない。
そう思っているのは私だけではなく、ここに集まった誰もがそう思っているだろう。
発見された穴の周囲にいた魔物の数は、確実に10はいて、恐らく20ほど。多ければもっといる、とのことだった。
魔物の強さを大別すると、弱い方から順に低級、中級、上級、特級と分けられている。低級なら4,5人で、中級なら7,8人で、上級なら10人は欲しい。
もちろん対魔士にも強さはあるし、一概にこの人数でないと無理なんてことは無い。ただ確かなのは、前衛として踏み込む48人では圧倒的に足りないだろうなということだ。
もっと増やせばと思うかもしれないが、地下の広さ的にも、前衛に耐えうる人材的にもこの人数が限界だったのだと思われる。
ちなみに特級は、何人とかでは測れない、本当に強い者でしかそもそも太刀打ちできないレベルなんだそうだ。
全員一部屋に集まり、配られた資料を見ながら作戦の最終確認をしている。
私はその話をききながら、ちらりと自分の相棒に目をやった。
ディーは相変わらず我関せずと言った様子でそっぽを向いている。
魔力供給は普段も戦闘中も常に一定の速度で、私が魔法を使おうとすれば、魔力を魔法に変換する回路(回路と言うのは私の勝手なイメージ。このあたりのメカニズムはほとんど解明されていない)をすぐさま貸してくれる。
精霊と契約者の関係は、契約者側がかなり強い。なぜなら波長が合わなければ契約ができない以上、そう簡単に契約は結べないので、基本的には精霊は契約者を変えられない。そして精霊はそこに命がかかっている。
精霊はこちらの世界に来ると、そう時間がたたないうちに死んでしまうため、契約者を選り好みすることは基本的には不可能である。
だから、波長が合ってもどうしても仲良くなれないものもいる。
しかし、大半の契約者と精霊は、長い時間を共にするということもあり、ある程度良好な関係を築くものだ。
ディーと私の関係は、いいとは言えないが、悪いとも言えないところもある。ほとんどいないとはいえ、精霊の中には魔力はくれても回路を貸してくれなかったり、生活には問題なくても戦闘ができるほど波長が合っていなかったりすることもある。
私は家柄もあり、契約したのは高校生の時ではなく中学生半ばだった。その時はディーとの関係を良くしようと思っていたが、いつの間にか諦めてしまっていた。
――ごく最近までは。
私は二人……玲治とフィルが挨拶をした時、他のみんなはそこまで驚いてはいなかったようだが、私はとても驚いた。
精霊と契約者が、目くばせなど何の合図もなく全く同じ動作をした。
まるで二人で声を合わせてしゃべっているようにしか見えなかったほどだ。
心がつながっているんだから簡単だと思ったかもしれないが、話はそう簡単じゃない。なるべく分かりやすく説明しよう。
契約者がお辞儀しようと思ってからお辞儀をするまで時間はほぼ無いと言っていいだろう。普通手を上げようと思ってから手を上げるまでに時間がかかる人はほとんどいないはずだ。次に、隣でお辞儀をしよう、と言いながら頭を下げる人がいたとしよう。その人が動き出すタイミングやお辞儀の仕方、頭を上げるタイミングまで全て自分で言いながら行ったとしても、それに遅れず完璧に合わせることなど不可能に近い。
そういう練習を積んでいたとしても、かなりの息の合いようだと分かる。
つまり、心でつながっていたとしても、思ってから動き出すまでの時間がない以上、それを感じても、完璧に同じに見える動作、というのは難しいはずなのである。
私はとても興味を持ち、体育の時に組み手に誘った。
相対した玲治の武術はかじった程度のようだったが、身体強化の質がとんでもなかった。
感じる魔力はそう多くはないが、全身にくまなくいきわたり、防御の隙のようなものがなかった。明らかに魔力操作が高校生の域を超えている。
私はますます興味を惹かれて、今度は魔戦部に誘った。
仲良くなった後も、玲治とフィルの関係がいいことは伝わってきた。二人はまるでとても仲のいい友達のように見えた。
三人で遊びに行った帰り、魔物に襲われている人を見つけたあの日の後処理の時。玲治に頼まれて色々ごまかすために頭の中で状況を整理していると、おかしなことに気が付いた。
人通りも多く、車通りもそれなりにある大通りにいて、人がほとんどいない入り組んだ路地からの悲鳴を聞き分けることなど、普通の人間にできるだろうか。
普段から魔力が渡されているとはいえ、そもそも雑音など無くとも聞こえないのではないだろうか。
そもそも玲治があまりにも簡単に行っていて流してしまったが、直後その場所をすぐさま見つけて、迷うことなくその場所にたどり着くなんて、かなり異常だ。
魔物を一人で抑えたのも、それはそれでやはりおかしなことである。まるで魔物との戦闘を経験したことがあるかのようだ。
少なくともこのとき玲治が行ったこと全てが、私には実行不可能だった。
もう一度ちらりとディーを見ると、相も変わらず暇そうにしていた。
玲治たちの強さと絆が、無関係には思えない。
魔力量的には私と玲治では、そう変わらないように感じるからである。
今まであまり考えてこなかったが、絆の弱さというのは私の明らかな弱点なのではないのだろうかと、最近思うようになった。
「――以上だ。何か質問はあるか」
確認作業は問題なく終了した。私は小さくため息をつくと、自分の持ち場へと向かうために立ち上がった。
私は持って来ていたバーリースーツに着替えている。他の人たちは支給されたものだが、特に支障はないということで自分のものを着ることにしたのだ。
私の持っているバーリースーツは、私のサイズに合わせた特注品だ。支給品などよりも、よほどしっくりくる。
《音声確認だ。聞こえていたら返事をしろ》
持ち場に着いて周囲の確認をしているところに、耳につけていたインカムから隊長の声が聞こえた。
「はい、聞こえています」
《大丈夫そうだな。周囲の様子は?》
「民間人の姿はありません。避難を終えたようです」
というか、そもそも普段からこの場所にはそう人はいない。
今回の作戦の舞台は街の端の方で、それを囲む後衛の包囲網の中で、私の配置された場所はさらに外側だ。
《では、各自その場で待機。警戒は怠るなよ。何かあればすぐ連絡がいくとはいえ、何が起こるか分からない。注意して待機しろ。以上だ》
「了解」
無線が切れると、途端に静かになった。
さわさわと風の音だけが聞こえる。
魔物の集団がたむろしている場所、と言うと長いので、魔物の巣とでも呼ぶ。
魔物の巣は地下で、無線は混乱を避けるため、そちらとはつながっていない。
なんとなく魔物の巣の方を見ていると、ふわふわと漂うディーの姿が視界に入った。
『……ディー』
呼びかけてみても返事は帰ってこなかった。ちらりとこちらを見たような気がしたが、それだけだ。
いつものことなので、構わず言いたいことを言ってしまうことにした。
『今日もよろしく頼む』
やはり反応は無かった。私は視線をディーから外し、魔物の巣の方へ向けた。
《緊急事態です! 魔物が約十体逃げ出した模様! 中級も数体紛れていて、上級は一体とのことです! 注意して当たってください!》
しばらく時間が流れた折、唐突にオペレーターから通信が入った。
《聞こえるか、海津だ。魔物は何組かに分かれ、そのうち一組がこちらへと向かっているらしい。海津班は私と合流、接敵に備える》
「了解」
短く返事を返し、巣に向かって走る。
《追加情報が入った。こちらに向かっているのは中級一、低級二の計三体だ。また、全員と合流している暇はないと判断した。私が先行して中級を引きはがす。低級二体は飯田が皆をまとめてあたれ。いいな》
《ろっ、了解!》
インカムからは緊張気味の仲間の声が聞こえた。7人で低級二体、そう危ない数ではないが、それは全員がベテランだったらの話だ。
無線で飛び交う情報に耳を傾けながら、仲間の一人と合流、すぐさま二人目と合流したところで、前方から爆発音とともに煙が上がるのが見えた。
飯田さんとは合流できていないが、無線での話を聞くに、他の四人は合流できている。
「飯田さん! このグループのまま行きましょう! 私たちは足止めに専念します! そちらで一体片付けてから救援に来てください!」
《……分かった!》
一瞬の躊躇の後に了解を得て、私たちは煙の上がる方へ走った。
駆け付けると、海津さんと中級はおらず、飯田さんたちが低級二体のうち片方を、なんとか引きはがそうとしていた。
近い方がアリ型、遠い方がムカデ型に見える。実体化がそこまで進んでいないようだし、私は虫に詳しくない。
「円藤さん、遠距離からアリに攻撃してください! 野添さんは私と前衛をお願いします」
後ろにいる二人にインカムを通さず、肉声でお願いという指示を出す。二人は目の前の光景に固まっていたが、それを聞いて何とか動き出した。
円藤さんは書類にあった通り、火炎放射器のように一直線に炎を伸ばしてアリを焼いた。野添さんの方は、拳に電撃を宿して近接戦闘すると書いてあったはずだ。
アリはたまらず身をよじり、方向転換してこちらへ向かってきた。
「離脱します!」
今度はインカムごしで、返事も聞かずに短く告げて、生み出した岩石を投げつけながら逃げ出した。
十分に引き離したと判断し、円藤さんに後衛を任せ、私と野添さんで前後から挟撃できるように少し距離を取りつつ、アリの前後に陣取った。
既に私は武装(岩石を変質させ、攻撃力は減らさずに動きやすくするためにうすくしたもので、玲治曰く『岩とは言えない別の何か』)を腕に纏っている。
鋭く一歩を踏み込み、アリの右横を取って、頭に裏拳を振り下ろす。アリは反応して腕にかみつこうとしてくるが、顎がとじる前に腕を引いた。
やるべきことは時間稼ぎ。大振りの攻撃は必要ない。
私が腕を引くと同時に距離を取ると、隙を埋めるように野添さんが前に出て攻撃を加え、円藤さんも合間を見て攻撃をはさんでいる。
アリはとびかかってきたり、大あごでかみついてきたりと直接攻撃ばかりで、攻撃に魔法を使ってこない。防御に小規模な岩の壁やらを生み出して使用するくらいだ。
そのおかげかこちらは今のところ一度も攻撃を受けていないが、少しずつ追いつめられている。追いつめているのではなく、追いつめられている。
優位に立ちまわっているものの、優位に立つために魔法を使わされている。魔力は無限ではない。契約によって精気と交換し、普段から交換を行って、溜め込んでいる分を使っているに過ぎない。
緊急避難的に魔力と精気を交換することはできるが、精気が減るということは、体力を削るのと同じことだ。魔力切れと同様体力切れでも詰む。
低級とはいえ魔物を今の戦力で削りきれるはずがないのは分かっていたが、優位に立っていなければ魔物にすぐに喰われてしまうという状況の中、魔力切れが刻一刻と迫り、打開策は救援を待つだけという状況は予想以上にきつい。
野添さんがバックステップで下がり、私が一歩踏み出したとき、アリが今までにないほど俊敏に動いた。
実際にはそう見えただけで、度重なるヒット&アウェイを学習し、動き出しが早まっただけだが、そんなことはどうでもよく。
その瞬間、均衡が崩れた。
アリは野添さんの足にかみついた。
「ぐっ!」
うめき声をあげ、野添さんが倒れこんだ。
「野添さん!」
私は右腕の武装を解除し、右足に武装を纏ってアリを思いっきり蹴りつけた。
アリはたまらず野添さんから口を話し、今度は私に襲い掛かってきた。
「野添さんを頼みます!」
円藤さんにそう頼みつつ、岩石を投げつけてその場から少し離れる。
《至急救援求む! 至急救援求む! 負傷者1、意識は……あります。魔物に足から喰われました。時間は一秒足らず。現在三条隊員が低級一体と交戦中!》
インカムから円藤さんが報告しているのが分かった。野添さんは生きているようだ。
ほっとしたのもつかの間、周りに誰もいないことを理解しているのか、アリが恐ろしい勢いでガチガチと顎を鳴らしながら迫って来る。
執拗に足にかみつこうとしてくるので、反撃する間もなく下がり続ける。アリの背は低く、頭はかなり下の方にあるため、かなり近づかなければ攻撃できない。
今までは囲んでいたため注意が散漫になり、その隙をつけていたが、今は一人だ。どうしようもない。
仕方なく魔法で作った石を投げつけているが、効果は薄そうだ。
しかも、当たり前だが投げつけた石は投げた後戻っては来ず、その分の魔力はそれだけで消費されていく。
《飯田! まだなのか! こっちは手が離せそうにない!》
海津さんの怒鳴り声が聞こえた。
アリの顎をかわしざま、石を投げつけて大きくバックステップした。
《無茶言わないでください! まだ時間がかかります! 他の班から救援を!》
飯田さんの焦った声が聞こえた。
アリは投石を無視して突っ込んできた。
《そんな時間はないんですよ! ひとまず野添を安全な場所へ運んでますけど、魔物と一対一なんてそんなに長く持つはずがないでしょう!》
円藤さんの叫び声が聞こえた。
私はさらに何度かバックステップする。
《三条! 何とかもたせろ! すぐに救援を――》
アリが、魔法を放った。
「がはっ」
ガードが間に合わず、腹部に直撃し、思わずうめき声が出てしまった。
今まで一度も使わなかったから油断していた。顎の間に岩を生み出して射出してきた。
しかも今まで執拗に足ばかり狙われていたから反応が遅れた。
数歩後ろによろめいて、しりもちをついてしまった。特に致命傷をもらったわけではない。ただ腹に強烈なパンチをもらった程度のことだ。
だが、魔物に隙をさらすことは致命的だ。
ゆっくりと動き出した時間。無線から音が聞こえてきた。アリがゆっくりとこちらに迫って来る。
どうやっても間に合わない。立ち上がる暇もないし、石を投げつける暇もない。蹴りつけることがうまくできる体勢ではないし、噛みつきを避けようとしても起き上がる前に喰われるだろう。
悪あがきだと理解していても、足を動かして暴れ、アリから逃れようとする。
アリはそれを意に介さず、私に喰らいつこうとした。
私は高速で回転する思考によって、ゆっくりと迫る自分の最期を見ていた。
――その時、なぜか玲治の存在を感じた気がした。
ほぼ同時に、視界が二つに割れた……ように見えた。一瞬、視界の中に縦にまっすぐ線が引かれたような気がしたのだ。
直後、私に迫っていたはずのアリが、恐ろしい勢いで暴れだした。
まるでのたうち回るように暴れ、次第にゆっくりとした動きになり、最後は変な体勢になって止まった。
何が起こったかが全く分からず、茫然と目の前のものを見つめる。
そうしていると、ゆっくりと世界に時間が戻ってきた。
《……さん……じを……三条! 返事をしろと言っているだろう!》
「え、あ、はい!」
海津さんの本気の怒鳴り声に、思わず背筋を伸ばして返事をする。
《無事か!? 今どうなってるんだ! 怪我はないのか!?》
「だ、大丈夫です。怪我はな……あるかもしれませんが、たいしたことは無いです」
無い、と言いかけて痛むお腹を思い出した。
その痛みによって、やっと私の意識は現実感を取り戻した。
その時、無線から爆音が聞こえた。
《くっ、すまん。何とかそっちで対処してくれ。こっちはしゃべっている余裕がなくなってきた!》
海津さんは戦闘に戻ったようで、断続的な戦闘音が聞こえている。
私はゆっくりと立ち上がって、警戒を保ちつつアリに近寄った。
《三条さん! 今そっちに向かってるんだけど――》
円藤さんが何か言っていたが、私の意識は目の前のものにくぎ付けになっていた。
アリは……アリ型の魔物は、死んでいた。
実体化が完全ではなかったため、一部体が崩れてはいるが、何とか形を保っている。
アリは丸まるようにして横倒しになっており、横に回ってみると、頭に直径一センチほどの穴が開いていた。
魔物の死体は触れると崩れるので、地べたにうつぶせになって覗き込むと、穴は頭を貫通している。
しばらくそれを見た後、起き上がろうとした時、胴体にも同じような穴を見つけた。同じく直径一センチくらいの穴だ。
他にもあるかと探したが、見つからなかった。
《――ちょっと、三条さん!?》
「え、あ、はい」
今度は、切羽詰まったような円藤さんの声に引き戻された。
《大丈夫なの? 大変なのはわかるけど伝えてくれないと合流できないよ》
一瞬何のことだろうと思ったが、すぐに理解した。
「あ、その……交戦していたアリ型の魔物は死亡しました」
《……は? え、倒しちゃったの!? え、と、とにかく向かうよ。待ってて》
通信が切れると、私はもう一度その死体を見下ろした。
インカムからは、誰かが私の救援に来たという情報は聞こえてこないし、今ここにいるのは私だけで、他に他人の気配はない。一応頭上を確認するも、やはり何もなかった。
その時ふと、魔物が暴れだす直前、視界に線が入ったこと、その時感じたことを思い出した。
――まさかな……そんなはずはない。
そう思いながらも、私はなんとなく、その死体を蹴り崩した。
*****
翌日、学校の授業は通常通り行われることになった。
魔物の殲滅作戦についての発表があった昨日の夜は、かなり騒がれたらしいが、発表された時には既に魔物は全て倒されていたこと、作戦によって直接民間人に被害が出なかったことから、落ち着くのも早かったらしい。
昨日、心配した親からの電話があったので、テレビをほとんど見ない僕にもそういう情報が入ってきていた。
授業の準備を終え、寮を出る。
通学路を歩いていると、はあ、とため息が漏れた。
『……もういい加減開き直ったらどう? それは秘密なんですすみません、とか言っておけば、それ以上は聞かれないでしょう……多分』
『秘密って、知られた時点で意味なくなって無い? というかフィア、なんだかなげやりだね』
『……まあ、今回は仕方なかったとはいえ、説明するなら全部説明しないと説明がつかないようなことがばれそうになっていると思うと……ね。まあ今さらどうしようもないから、諦めるしかないでしょ』
僕らは昨日、ばれたらまずいことをした。いや悪いことじゃないんだけれど、とにかくまずいことをした。
そのことが、もしかするとあの二人にばれてしまったのではないかと思うのだ。
ばれたんじゃないかと思う理由は、二つある。
歩美さんについて、避難所から出る時に感じた魔力。こっちはばれてもそこまで問題は無かった。
そして日向さんが魔物の死体を蹴り崩したこと。一見するとどういうことか分からないが、死体の状態を見て、その後それを蹴り崩す意味はほぼ無い。
その意味は、例えばその状態を別の誰かに見られたくなかった、みたいな理由が思い浮かんだりするわけで。
『……やっぱり分かっちゃったかな? 実は分かってなかったりしないかな?』
『今は半信半疑でも、あの二人の情報を重ね合わせれば、誰が聞いても答えは一つしか浮かばないでしょうね』
『うう……』
僕は重い足をなんとか動かしながら、昨日と変わらない姿の学校にたどり着いた。
教室のドアを開けると、既に日向さんと歩美さんは学校にいた。
僕は事前に練習した通り、普段と同じような笑顔を浮かべて、「おはよう」とあいさつした。
「「「おはよう」」」
クラスメイトにも挨拶を返してもらって席に着く。
ドキドキと心臓の音が響く。
……が、予想に反して二人は話しかけてこなかった。
不思議に思って二人の様子を窺うが、普段通り友人と話しているように見える。
僕はほっと一息ついて、『……何だか大丈夫そうだね』とフィアに話しかけた。
『逆だと思うけどね……』
フィアは短くそう答えると、僕の頭の上に乗って寝ころんだ。
放課後になるころには、僕もフィアの意見に賛成せざるを得なくなっていた。
お昼はいつも通り三人で食べたのだが、昨日の話題になると思いきや、全くそんなことは無く、当たり障りのないものばかりだった。
そして休憩が終わる前、席に戻る直前に、日向さんに呼び止められて「今日の放課後、行きたいところがあるから少し待っててくれ。そこで話がある」なんていわれたら、もう楽観的な考えは消え失せるというものだ。
多少のことはばれても問題ないと思っていたが、こうなってくると、その多少のことが無ければ問題が起きなかった気がする。
……それでも後悔はしていない。日向さんや歩美さんと仲良くなれたし、日向さんは軽いけがで済んだみたいだし。
それに、まだばれたって決まったわけじゃないし。
『レイジ、それは現実逃避って言うのよ』
フィアの冷静なツッコミに、僕は反論できなかった。
日向さんと歩美さんに連れられてやってきたのは、入るのを躊躇してしまうような、おしゃれな喫茶店だった。
ちなみに、魔戦部は今日も活動がある予定だったが、三人で休みをもらってきた。昨日のこともあり、休みは簡単に取れたのである。
案内された席は奥の方で、完全に個室だった。完全に閉まる扉で区切られた部屋がある喫茶店の存在自体を、今はじめて知った。
日向さんは慣れた感じで案内してくれたウェイターさんに軽く手を上げて感謝を示し、自分で席を引いて座った。
僕らもそれにならって席に着く。
歩美さんも慣れていないようで、なんだか少し安心した。
ウェイターさんが水とメニューを置いて戻っていったのを見送ってから、やっと日向さんが僕らを見た。
「さて、とりあえず何か頼もう。心配しなくても支払いは私がするから気にするなよ」
「でも、ここって多分高いんじゃ……今日あんまりお金持ってないし、僕は……」
「気にするな。私は家が特殊だと前に言っただろう。それにお礼も兼ねている。そのことについても後で説明するから、とりあえず今は気にせず、何か頼んでくれ」
僕は何も言えなくなって、値段の書いていないメニューに目を落とした。
メニューを見たところで、どれが何を示しているかすら分からない。
ちらりと隣を窺うと、歩美さんはちょうど決めたところなのか、メニューを閉じて机に置くところだった。
僕は困ってしまって対面に座る日向さんを見ると、何が面白かったのか声を押し殺して笑っていた。僕が固まっていると、「おすすめはカプチーノだよ」と教えてくれた。
注文を受け取ったウェイターさんを見送って、周囲から人気がなくなると、日向さんは机の上で手を組んだ。
「さて、そろそろ秘密の話をしようじゃないか」
唐突……ではないだろう。話があると呼び出され、連れてこられた喫茶店では個室に案内された。
前ふりとしては十分なはずだったが、僕は思わず息をのんで固まってしまった。
「一応言っておくと、ここなら誰にも聞かれることは無いし――」
そこで日向さんがちらりと歩美さんの方を見たので、そちらへ視線を向ける。
「――私たちも今からする話を誰かに話すつもりは無い」
同時に、歩美さんは小さく頷いた。
僕がどうしようか決めあぐねて黙り込んでいると、日向さんが唐突に頭を下げた。
「まずはお礼を言わせてくれ。助けてくれてありがとう」
ただ真摯に。
今度は驚きで固まってしまった僕に、日向さんはしばらく頭を下げ続けた。
「ええと、あー……」
硬直から立ち直っても、何を言えばいいか分からず頭の中が真っ白であわあわしていると、やっと日向さんが頭を上げた。
「本当に感謝しているんだ。あのままだと、私は間違いなく死んでいただろうしな」
「えっ……あ、ごめん。何でもない」
歩美さんが思わずと言ったふうに声を上げたが、すぐに口に手を当てて小さくなった。
……多分、日向さんが死にかけたという話は初耳だったのだろう。
歩美さんから日向さんに意識を戻すと、こちらをまっすぐに覗き込む日向さんと目が合った。
僕は急に力が抜けて、諦めることにした。
ただ全部話すとかそういうのは無理だし、認めるというのもやめておくべきだろう。
なので一応、反駁しておくことにした。
「えっと、何のことかわかりませんが、なぜ僕に感謝を?」
反駁と言うには弱すぎるかもしれない返答だった。
「目をそらしながら言われてもな……」
日向さんは小さく笑顔を浮かべ、同時に小さくつぶやいてから、ふと歩美さんの方を向いた。
「歩美、あの時玲治はどこにいたんだっけ?」
「え? あー、あの時は、最初の時は一緒に避難所にいたんだけど、多分途中で避難所から出て行ったんだと思うよ」
ぴくりと、右手の先が小さく動いた。
「なぜそう思ったんだったか、もう一度説明してくれないか」
「えっと……」
歩美さんがちらりと僕を見て、少しあくどい笑みを浮かべる日向さんに困り顔になった。
「日向、その……」
「分かってるよ。もうちょっとだけ付き合ってくれ」
二人は短い言葉を交わして、日向さんが仕切り直すように「もう一度頼む」と呼びかけると、歩美さんは仕方ないなとばかりに小さくため息をついた。
「えっと、避難してからしばらくすると、玲治君が急に真面目な顔をして席を立ったから何かあるな……と思ったんだけど、玲治君は光で色々できるから、私は何も出来ないなとも思ったの。だけど、昨日……って言ってももう一昨日だけど、部長さんが水の幕みたいなのを張って、玲治君の攻撃を防いでいたでしょ? あれを真似して入口の近くに空気の幕を張っておいたの」
……気づかなかった。
多分魔力を自分の中に押し込んで、気配を殺していた影響だと思う。魔力は目では見えないので、視覚ではなく魔力同士の接触などの、ある意味触覚によって気配を感じるのだが、体に押し込めることに集中しすぎて気づかなかったようだ。
「そうしたら、何もないはずのところを誰かが通り抜けるのを感じたから、こっそり外に行くつもりかな、と思って、余計なお世話かもしれないと思ったけど、外にあったボロボロの看板を吹き飛ばして扉にぶつけたの」
さらっとすごいことを言われた。
完全に遮られて見えないものを、一度見た記憶だけで打ち抜くなんて。
魔法戦で中距離を担当するような人はみんなそう……なわけはないだろうと思いたい。
「なるほどね。それで玲治が外に出たと。ちなみに玲治が次に姿を見せたのはいつ?」
「多分魔物の殲滅報告が届いたあたりじゃないかな? 避難所がごちゃごちゃしている時に、いつの間にか帰ってきていたから」
「なるほど。で、玲治、いったいどこに行ってたんだ?」
「え、えっと、ちょっと学校に……用事があって……」
「なるほど。学校に行っていたわけか……ちなみに、昨日のうちに歩美と色々話して確認した後、計算もしてみたんだが、かなりハイペースで飛ばせば私のピンチに間に合うと思うんだが、どう思う?」
「ど、どうと言われましても……」
上手い言い訳は浮かんでこないし、フィアも黙り込んで何も言ってこないし、しどろもどろになりながら意味のない相槌を返すことしかできない。
「ところで玲治、今日一日、不自然なくらい昨日の話題を出さなかったな?」
唐突に話題が変わったように感じたが、日向さんがさっきから浮かべている悪そうな顔……いたずらを仕掛ける時に浮かべている、憎めない笑顔が僕の警戒心を煽ってやまない。
「それは……二人が昨日の話題避けてるみたいだったし、日向さんが何か言うまで黙ってようと思って……」
警戒しつつも正直に話す。
「まあそうだろうな……だが私の心配くらいはしてくれてもいいんじゃないか?」
「あっ……」
確かにそうだ。昨日魔物を倒した後に無事を確認したためすっかり安心していたが、日向さんからすれば全く心配してくれないやつのように見えてしまうのか。
僕は慌てて、一応は見て知っていることを、改めて確認することにした。
「ご、ごめん。えっと、怪我の調子はどう? まだ痛む?」
「ああ。腕は大丈夫だ。何ともないよ」
日向さんはすぐさま袖をまくって包帯が巻かれた腕を見せてくれた。
だが僕が心配したのはそんな事ではない。腕のけがは擦り傷程度だったはずだ。
「え、そっちじゃなくて……」
「――ほう」
ニヤリと。日向さんは笑った。
「そっちじゃなくて、どっちだ?」
僕はあっさりはめられたようだ。
『……はあ』
フィアの呆れ意志まで伝わってきた。
うん、僕は間抜けだね。どうしようもないね。
「落ち込んでいるところ悪いが、そもそも私が怪我をしていると知っている時点でどうかと思うぞ? 学校で怪我をしている素振りは見せなかったはずだ」
言われてみればその通りで、そういえば前日に日向さんが言っていたことを信じるならば、戦闘は無かったはずだ。まずは魔物と戦ったのか、とかから聞くべきだった。
「一応言っておくが、本当に軽い怪我だった。心配するなよ? 玲治は知っていたようだが」
日向さんは歩美さんが心配そうな顔になったのを見て、しっかりと念を押した。
「さて、ここからは歩美にも話していないことだ。少し長くなるが聞いてくれるか?」
歩美さんと僕は、一つ頷いた。
途中ウェイターさんが注文の品を持って来て中断したが、それ以外は特に問題なく日向さんの話は進んでいった。
「――そしてアリの放った岩が直撃して、思わずしりもちをついてしまった」
「だ、大丈夫……なんだったよね確か。うん、それで?」
話は佳境に差し掛かっている。
「それは完璧に致命的な隙だった。何も起こらなければ私の命は無かっただろう」
それを聞いて歩美さんは息をのんだ。
「……言いたいことはあるけど、後にする。それで、何か起こったんだよね」
少しだけ震える声で、歩美さんが続きを促した。
日向さんはそこでちらりと僕を見た。
分かっていても動揺を抑えられない僕は、なんとか平静を装ったが、明らかに頬がひきつっていた。
「空が……真っ二つに割れた。いやもちろん実際にそうなったわけじゃなくて、そう見えたってだけだけど」
「ええっと?」
その説明だけでは、その光景が思い浮かばなかったのか、歩美さんは首をかしげている。
僕もその表現はピンと来なかった。
しかし僕は何が起こったのかを知っているので、日向さんがどういうことを伝えたいのかはすぐにわかった。
テレビを例に出すと分かりやすいだろう。
画面には空と地面と、迫りくるアリ。
そして空からアリまで光の線を引けば、まるで空が真っ二つに割れたように……見えるかもしれない。
「後で思い返してみると、それは多分レーザーのようなものだったんだろう。視界の遥か外側から、一直線にアリを貫いたんだと思う」
「レーザー……あっ……」
そこで何を思ったのか、歩美さんがこちらに一瞬視線を向けた。
「そ、それでどうなったの?」
「体を貫かれたアリは、数秒間暴れた後、絶命した」
「うそ……一撃で?」
歩美さんは言葉をなくし、何度も視線を僕と日向さんの間で行き来させた。
「いや、一撃ではなかったらしい。死んだアリにはざっと見ただけで二か所貫かれていた。証拠を残さないためすぐに体を崩してしまったが、もしかするともう少し穴が開いていたかもしれない」
それを聞いてやはり、と僕は思った。そもそもあの場面で、味方が来る前に急いで死体を蹴り崩す合理的な意図が、それ以外思いつかない。
日向さんは一度言葉を切り、何事かを思案した後に歩美さんではなく僕に向き直った。
「あのレーザーを誰か人の仕業だとすれば、とてつもなく驚異的な所業だ。魔法の射程的にもそうだが、魔法の威力的にも普通じゃない。増してや精密に狙えて、その上連射が効くとなればそれはもはや超人的だ」
日向さんが真剣な表情でしゃべっている。僕は冷や汗を流しながら聞いていた。
ちなみに一つ、日向さんは間違えている。
僕はレーザーを連射したわけではなく、百八十度近くレーザーを曲げただけだ。一発が二回当たったに過ぎないが、もちろんその間違いを正せるわけはなく黙っている。
「あれを世界に知られれば、それを行った人はもはや普通ではいられないだろう。精察だけではない。この国の軍や政府も放ってはおかないだろう」
なんだか滔々(とうとう)と説教されている気分になってきて、僕はうつむくしかない。
あの人にも、もはや僕そのものが一つの兵器として使えてしまうとまで言われた。たったあれだけのことで、である。
「助けてくれたことはありがたいが、あれを行った人にはもう少し、しっかりしてもらいたいところだ」
『……何だか私も耳が痛いわ。やっぱりもう少し厳しくすべきよね』
項垂れているところに、さらにフィアまで加わってきた。
「ご、ごめんなさい」
「うん? なぜ玲治が謝るんだ? 私は、私を助けてくれた人に説教しているんだ」
もはや謝るしかないと思っても、その謝意が届かない。というか、やはり怒られていたようだ。
涙目になって小さくなっていると、小さな笑い声が聞こえた。その方向を窺ってみれば、歩美さんが口に手を当てて笑っている。
僕がぽかんとしていると、歩美さんは笑いながら「ごめんなさい」と謝った。いつの間にか日向さんまで笑っている。
「その、なんていうか……似合うなあって思っちゃって……とにかく、日向も、もう許してあげたら?」
「……まあ、そうだな。そもそも玲治にいじめがいがありすぎるからいけないんだぞ」
「えええ! な、何の話!?」
僕の声を抑えた叫び声に、二人はもう一度笑った。
「悪い、玲治。今日は本当に、私を助けてくれた人に礼を言おうと思ってここへ来たんだ」
日向さんは笑顔のままだったが、どこか本気であることは伝わってきた。
「心からありがとうと伝えたいんだ」
頭を下げたさっきのとは違い、まっすぐこちらを見たまま笑顔を浮かべてのお礼。
その魅力的な笑顔に数秒間釘付けにされてから、ふいっと視線をそらした。
「……僕に言われても」
周りから見れば、どう考えても照れているようにしか見えないが、僕からすれば精いっぱいの照れ隠しだった。
「……そうか。なら、私を助けた人にちゃんと伝わったかどうか、考えてくれないか? 私はただ、本気で感謝を伝えたいだけなんだ。……昨日、唐突にSNSでありがとうと呟いてみた。大多数の人には分からなくとも、私を助けた人にはなんのことか分かるだろうとは思うんだが」
僕の照れ隠しでは不満だったらしく、日向さんはそう言葉を続けた。
「……それは――」
僕は一呼吸分考えたが、答えはこれしか浮かばなかった。
「――伝わったと、思いますよ」
僕がそう言った後、日向さんはしばらく黙って、短く「ありがとう」とだけ言った。
僕は決して、日向さんの方を向かなかった。