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第二話:魔物の巣

 入学してから二週間たった。


 初めての学園生活とはいえ、なんとか慣れ始め、一応不自由はしなくなった。


 初日のように部屋を間違えるということは無くなり、神田くんなどとも多少はしゃべるようになって、交友関係も若干広くなった。


 また魔戦部では、日向さんと同等とは言えないが、近いレベルの近接戦の選手として認知され、日向さんと同じチームにスタメンとして所属することになった。


 先輩を押しのけることにすごく抵抗があったが、その先輩の強い勧めで所属することになった。


 魔法戦の大会には主に三種類のルールで開かれていて、簡単に言うと個人戦、6人のチーム戦、12人で行うフラッグ戦がある。


 個人戦はそのまま個人で戦うルール、チーム戦はチームで時間制限内に相手を出来るだけ多く倒すルール、フラッグ戦はフラッグを守りながら相手のフラッグを壊すルールだ。そして、僕が入ったのはチーム戦のチーム。


 その先輩は日向さんと実力が離れていることを自覚しており、フラッグ戦の方に集中したいからと僕に譲ったのだ。


 事件らしい事件もなく、朝昼は授業、夕方の放課後から魔戦部の活動、夜は寮に帰って寝るという流れを繰り返していた。




「おい聞いたか? 魔物が出たんだってよ」


 朝、席に着いて挨拶をした直後、そんな話が耳に入った。


 思わずそちらを向くと、数人の男子生徒が集まって話をしていた。


「どこで?」


「ほらあそこだよ、百貨店のずっと向こうに廃ビルがあるだろ? あそこだよ」


 引っ越してきたばかりでその廃ビルが思い浮かばないが、聞いた感じではそう遠くない位置に思える。


 その生徒の冷静な様子からして既に倒されたようだが、あまり安心できる情報ではない。


 現在魔物の対処は対魔物専門精霊警察署、対魔部の『対魔士』が『穴』のそばに常駐して監視し、魔物が出しだい即対処という体制をとっている。


 ただし、穴は新しく開くことがある(閉じることもある)ため、被害が絶えることは無い。


 そのため、一般人が魔物を目にするということは、そこに必ず、何かトラブルが起こっているということ。それだけで事件なのだ。


「…………」


「どうした? 難しい顔をして」


「うわっ」


 思わず声をあげ、慌てて顔を上げれば日向さんが机の横に立っていた。


 日向さんはいたずらが成功した子供のような顔で笑っていた。考え事をしていたとはいえ、気配を絶って背後から近づかれただけで驚き過ぎた気はする。


 魔戦部で同じチームになってからは、たびたび繰り返されている光景だ。今のところ日向さんのいたずらは全て成功している。


「その、今ちょうど魔物が出たっていう話が聞こえたので」


「なるほど」


 日向さんは納得顔でうなずいて、空いていた隣の席に座った。


「確かに魔物が確認されたようだが、この国の対魔士は有能だ。心配することは無い」


 そう言って日向さんが優しく微笑んだ。


「そう……らしいですね」


 僕は曖昧な返事を返したが、別に対魔士を疑っているわけではない。むしろその逆と言えるだろう。


 つまり、その優秀な人が集まっても対処できないような事柄が発生しているのでは……なんてことが一瞬脳裏をよぎったということだ。


 普通に考えると新しいワームホールでも出現したのだろう。もしそうだとしても事件なのだが、それならすぐに探し当てられて解決されるはず。


「そうだ。そもそも玲治が心配することじゃないだろう」


 確かにその通りではある。専門家に任せておけばいいだろう。


「……ですね。わかりました、気にしない事にします」


「それがいい」


 日向さんは僕の様子に満足したようだ。うれしそうにうんうんと頷いている。


「ところで、何の用事だったんです?」


 何故か恥ずかしく感じ、話題をそらすことにする。


 日向さんは「用事がないと話しかけたらだめなのか?」と笑いながら言って、僕を困らせてから、本来の用事、今日の放課後の予定を僕に聞いた。


 今日は三年生が実習だとかでいないため、部活が休みになった。そのため日向さんから「放課後の空き時間に街を案内しよう」とお誘いを受けたのだ。


 今日が休部だという情報を(僕が)聞いたのは昨日なので予定も特にない。僕は二つ返事でうなずく。歩美さんも行くようで、三人でどこに行くかなどを話しているうちに、原田先生が教室に入ってきたので解散して席に着く。




『すっかり仲良し三人組として定着しちゃったわね』


 原田先生が教卓の前で、ホームルームと呼ばれる出席や今日の特別な予定などの確認をしているときに、急にフィアが僕に意志を伝えてきた。


『そうだね、そうならうれしいかな』


『……まあいいけどね。レイジも楽しそうだし』


 フィアはそう伝えてほほ笑んだ。




 星城高校では朝1、2、3、昼1,2,3、の6コマ制だ。朝3と昼1の間に40分の昼休憩があり、それ以外は授業の間に10分の休憩、最初と最後のHRホームルームと掃除の時間しかない。


 しかしそれには例外があり、体育と魔法実技は2、もしくは3コマ連続であるため休憩時間は特に決まっていない(もちろん適宜(てきぎ)休憩をはさむ)。


 そして今、昼2,3の魔法実技の授業なのだが……僕は相変わらず日向さんの相手をしていた。


 もちろん日向さんの要望もあるのだが、実力的にも日向さんの相手になるのは僕しかいない、ということになって、先生からも頼まれてしまったのだ。


 事ここに至って、僕は色々諦めて開き直り、魔戦部の時と同じくらい本気で日向さんの相手をしている。


 今回は変則ルールのバスケットボール。簡単に言えば魔法あり、攻撃無しのバスケットボール。


 日向さんは運動神経がいいらしく、どんなスポーツもそれなりにこなせる。そこに細かい身体強化がのると、もう誰にも止められない。ということだった。


 ――僕が来るまでは。


 誤解を招かないよう断っておくが、僕は運動が得意ではない。ただフィアが強いだけだ。だからこういう球技やなんかのスポーツになると、僕と日向さんの差は目に見えて明らかになってしまう。


 日向さんにボールが回る。僕は必然的に日向さんをマークさせられているので何度目ともなる対決だ。


 日向さんは口元に笑みを浮かべて楽しそうに笑うと、両手を使って巧みにドリブルし、僕を抜きにかかる。


 武術の応用なのか、フェイクも得意な日向さんに簡単に騙され抜かされそうになるが、この授業は体育ではなく魔法実技。魔法戦では攻撃に使えず相性が悪くても、そもそも攻撃が禁止である魔法実技とは相性がいい。


 日向さんの目から見れば、まるで瞬間移動でもして、前に回り込まれたように見えたことだろう。実際はフェイクに騙される少し前くらいから、あらかじめ距離をとっておいただけだ。妨害行為でなければ魔法を使ってもいいというこのルールでは正当である、限りなくインチキに近い魔法の使い方。


 今回はうまくいったらしく、日向さんの手からボールをはじくことに成功する。


 ボールはチームメイトの手にわたって攻守交代。


 日向さんは僕のマークに付き、ゴールの近くで僕にボールが回ってきた。


 ……もう一度言うが、僕は運動が得意ではない。


 日向さんは少し遠くからでも当然のようにシュートを決めるが、僕はすぐ近くからじゃないと入らない。


 なので、僕が魔法でわざわざやったことを、魔法無しでやられてしまう。


 日向さんは初めから少し離れた位置で構える。そうすると視界が広くなるし、距離は相手が勝手に詰めてくれるので、ボールがとっても奪いやすくなるのだ。


 普通は離れればシュートを止められなくなるのだが、僕はシュートしても入らないのでそうなることは無い、というわけ。


 僕は魔法を使ってボールの跳ね方を少しずらして見せ、日向さんのスティール(相手のボールを奪うこと)をかわしにかかるが、いかんせん技術が(つたな)い僕のドリブルなので、ギリギリ触れられて体勢を崩した。


 何とかチームメイトにパスを出して点数につなげることができ、点数は今ので14対13、現段階では一応勝ってはいるが、たった一点差だ。


 運動能力は日向さん、魔法の相性は僕が勝っているため、いい感じの勝負になっているように見えるのだが、実際のバスケットボールに関して言えば全敗中だ。


「すぐに取り戻すぞ!」


「「「「おう!」」」」


 日向さんの掛け声にチームメイトが答えている。こういうところも日向さんの強みである。僕にはまねできそうもない。


「が、頑張ろうね!」


 僕も真似をして声を上げると、


「分かってるって!」


「そうだね!」


「うし、やったろう」


「おっけー!」


 とバラバラの返事が返ってきた。


 うん、まあ士気は低くないからいいかな。





 結果は16対18で負けてしまった。


 日向さんのスリーポイント(スリーポイントラインという、少しゴールから遠い線より外から打つシュート。3点入る)は本当にずるい。なぜ二回打って二回とも入るんだろう。


 僕が少し荒くなった息をつきながら壁にもたれて休憩していると、歩美さんが近寄ってきた。日向さんは連戦である。総当たりなので日向さんチームが連戦しているのは偶然だ。


 僕がひらひらと手を振ると歩美さんも手を振り返しながら僕の隣に座った。


「善戦したね」


「……まあ最初のころに比べればそうかもしれないですけど、やっぱり最後に何とかされちゃいます」


「ふふ。そうだね」


 バスケットボールはこの学校に来て初めてやったが、前回の授業も合わせれば二回目である。また試合数的にはもう少しやっている。とはいえ、日向さんも僕のような魔法の使い方に相対するのは初めてのようなので、条件はほぼ同じだと思うのだが。


「あれですよね、これ魔法ありだから何とかなってますけど、普通に体育の授業だとぼろ負けしちゃいますよね」


「うーん、まあそうかもしれないけど、体育は男女別だし。それにさすがの日向でも体育の授業だと他の男子に後れを取るかもしれないよ?」


 体育の授業でも「かもしれない」ってつくあたり、さすが日向さんであると言える。


 もはや関心を通り越して呆れながら試合風景を見る。


 意外に大差は開いていない。もちろん日向さんチームが圧倒しているが、日向さんは積極的には点を取りに行っていないのでそう点差が開いていないのだ。


 それでもやはり、日向さんチームは終始安定して優勢だ。


「日向さん、いつでも全力ってわけじゃないんですね。大人の余裕というか……」


 僕がうまく言葉をひねり出せずにいると、歩美さんが苦笑した。


「そりゃあね。日向は家が特別だし……あ、ごめん。今の無しにして」


 日向さんの秘密らしいことを口にした。


 僕はあまり世間に詳しくないが、それでもなんとなく察してしまった。


 あの別格の強さは何かあるんだろうなと思っていたが、家庭の事情か。


「日向さん、このあたりは踏み込まれたくない感じなんですか?」


 歩美さんに「無し」と言われてしまったが、もう一歩だけ踏み込む。これで拒絶されたら僕はそれ以上聞く気はなかった。


 だけど、歩美さんは試合を見たまま黙っていた。


 僕は答えてくれないものだと思って同じように試合に視線を戻した。


 視線を戻してから数秒後、歩美さんは口を開いた。


「いつもああやって優しく笑ってたけど、最近は心の底から楽しそうに笑うことも多くなってきたし……」


 その笑顔というものに察しはついた。僕にいたずらを成功させたときなんかに見せる、あの笑顔のことだろう。


 質問の答えにはなっていなかったが、何かを伝える意志を感じてちらりと歩美さんを見る。


 歩美さんは正面、日向さんの方を見たまま優しく微笑んでいた。


「だからまあ……嫌じゃないといいなあ、とは思うかな」


 何ともあいまいな答えだった。そりゃまあ自分のことではないから当然ともいえる。


 試合に視線を戻すと、残り時間はわずかだった。点差は6点。


「こういうのはさ、本人に聞いた方がいいと思うから、気になるなら日向に聞いてあげて。もしかしたら私が気にしすぎってだけかもしれないけど」


 僕は特に何を答えるでもなく試合を見ていた。


 まもなく試合は終了。点差は6点のままだった。




 放課後。一度寮に帰って私服に着替えた後、二人と学校の近くで待ち合わせ、まず服などが並ぶ店に向かった。


 寮にはもう必要なものは全部そろっているし、特に欲しいものがない僕は、二人のショッピングに付き合って、ついでに案内してもらうことにした。


 二人が服を楽しそうに見て回り、僕は後ろをついて行く。


 女の子用の服とはいえ、服屋さんに来ること自体もまれで、しかもここまで大きな店は来たことが無い。


 服ばかりがたくさん並ぶ光景は物珍しく感じられてしまうのも無理のない話だと思う。


 僕はきょろきょろしていた視線を、ふと同行者の二人に戻した。


 日向さんは白いぴっちりした服に、ゆったりした上着を羽織り、黒いジーパン……ぽいもの? をはいている。歩美さんは首の下あたりに三つほどボタンがついていて、その部分とお腹あたりにフリフリがついているピンクの上着に、黒が主体のカーディガン? を羽織っていて、腰の横あたりに縦にフリフリがついているほとんどの部分が黒色のスカートをはいている。


 入院生活が長かった僕にとって、服の種類なんてほとんどわからない。曖昧なところは許していただきたい。


 ちなみに僕は紺色に黄色で文字が書かれているTシャツに、白を基調とするパーカー? を羽織っている。


 ……服についてはちょっと勉強しなくてはいけないかもしれない。




 二人は元々買う気はほとんどなかったようで、軽く店を冷やかしては次の店に向かう。聞いてみれば、また休みの日にでも来て時間をかけて選ぶそうだ。


 気にせず選んでと言うと、これはこれで楽しいとのことなので、何も言わないことにした。


 他にも文房具やら本屋を案内してもらう。食料品は最初に向かった服を売っているモールの、すぐ横にある階段を下りたところにあるらしい。


 今は夕食を食べに外食店が並ぶ場所へ向かっている。


 寮には食堂があるが、今から行く場所は歩いて行ける距離で、食事代以上の差は出ないため、たまに来る人もそれなりにいるようだ。


「それで、何が食べたい?」


「……あ、僕ですか?」


 僕の反応に二人が笑う。なぜ笑われているのかがよく分からない。


「えっと、じゃあ……ラーメンとか?」


「なぜ遠慮がちなんだ、全く……じゃあ醤油屋に行こう。寮のラーメンもなかなかおいしいが、あそこはもっとうまいぞ」


 日向さんが笑いながら衝撃の言葉を発した。僕はそもそもこの学校に来て、初めてラーメンを食べた(10年前に食べていたかもしれないが、覚えていないので初めてとする)。そしてそのあまりのおいしさに驚いたものだが……それよりおいしいだって!?


 僕が瞳をキラキラさせていると、二人は顔を見合わせて笑っていた。


 醤油屋は名前の通り醤油ラーメンがおすすめということで頼んでみた。届いたのは、見た目は寮で見たのとそう変わらないものなのだが……味は驚くほど違った。


 もう出汁の味が絶品としか言いようがなかった。そしてそれを程よく吸う麺がもうたまらない。


 夢中で食べているうちに、気が付けば器が空になっていた。


 もっと味わいたくなるが、どう考えてもお腹いっぱいだ。もう食べられない。


「ごちそうさまでした」


 ふう、と息をついてから、僕は今一人ではないことを思い出した。


 隣とその向こうを見れば、日向さんと歩美さんがこちらを見て笑っている。今度は、はっきりと笑われた原因が分かっているので恥ずかしくなった。


「気に入ってくれたようでよかったよ」


「おいしかったでしょ?」


「とっても!」


 恥ずかしいのはわきに置いて、大きな感謝を込めて満面の笑みを返した。




「本当においしかったです! また来たいですね」


「そうだな。それに、他にもおいしいところはある。そこも紹介するよ」


「そうだね。ここまで喜ばれるともっと教えてあげたくなる」


 全員が食べ終わるころには寮の門限も近くなってきていた。


 店から出ても、僕はさっき食べたラーメンの味が忘れられずに、食べ物の話をしばらく続けていた。


 外は暗くなっているとはいえ、まだ人通りも多く、すぐそばの道路は車もたくさん通っている。うるさくはないが、静かでもない雑音だらけの場所で、僕は微かな――悲鳴を聞いた。


「どうした?」


 日向さんが様子の変化に気づいた。


「……少し気になることがあって」


 流石に悲鳴が聞こえたかもしれないから、という理由だけで別行動をとるほど、僕も非常識ではない。


 細い糸のようにした魔力を伸ばして、悲鳴が聞こえたかもしれないあたりに適当にばらけさせる。僕は光を読み取ることができるので、それだけでいいのだ。


 他の人には見えない魔力で、網を広げるように宙に線を引きながら、まず人を探す。見つけたら今度はその人の付近を探る。


 僕は探り始めてから数秒でその光景を目にした。


「っ! 魔物だ!」


「なんだって!?」


 僕は言うが早いか、その場所に向かって走り出した。遠い場所でもない、すぐに着く。


 自分で引いた魔力の道をたどって路地に飛び込む。


 走っている最中も、怯えて座り込む人と、そのすぐそばで喰われている人が見えている。その人はどうやったって、もう助からないのは明らかだった。


 やっとその場所にたどり着くと、ちょうど魔物がそれを喰い終えてこちらを向いた。


 その魔物はほぼ完全に実体化していた。魔物の足元には物理的にも喰われてしまった残骸(ざんがい)が転がっている。


 その光景から意識的に視線をそらし、魔物を見つめる。


 魔物は犬型。全身黒で毛は短め、目だけが赤く光って見える。


 口元は赤く濡れている。おそらく血液だろう。


 僕が魔物とにらみ合うように相対してすぐに、二人も追いついてきた。


「ほんとに魔物が――いやそれより、私が時間を稼ぐから、玲治はその子を連れて逃げるんだ!」


 日向さんはすぐさま前に出て、僕と女の子をかばうように戦闘態勢を取った。


 歩美さんは魔物を確認してすぐ、ケータイを耳に当ててどこかに電話している。話し声から判断すると恐らく対魔士だろう。


 二人の判断はとても適確だと思う。特に対魔士に連絡するのは重要なことだ。日向さんが前に出て、連絡している歩美さんでなく、僕に避難させるよう指示するのも当然のことだと思うし、僕も同じ立場だったらそうするかもしれない。


 ――日向さんが戦えるのなら。


 魔物は日向さんにとびかかった。この細い路地でそれを避けるのは困難な上、避ければ後ろにかばう女の子が襲われる。


 日向さんは僕の危惧した通り、岩石をまとった腕でガードしようとしたので、無理やり横に押しのけ、魔物の顎を蹴りあげる。


 魔物が口を閉じたのを確認すると同時に殴り飛ばした。


「玲治!? 何をしている、ここは私に任せて――」


「魔物の攻撃をまともに受けちゃだめだ! 喰われるでしょ! 戦い方を知らないなら日向さんがその子を連れてって!」


 日向さんは僕の叫びで息をのんだ。もしかしたら知ってはいたのかもしれない。


 魔物は派手に吹き飛んだにもかかわらず、何事もなかったかのように立ち上がって、こちらの様子をうかがいながらうなり声を上げている。


 はっきり言って、このまま普通に戦っても削りきることはできないだろう。できるのは対魔士が来るまでの時間稼ぎくらいだ。


「大丈夫、僕は時間稼ぎに集中するし、対魔士さんはすぐに来る。魔物がそっちを追いかけた場合に備えて日向さんは歩美さんに――」


 日向さんを説得していると、魔物が待ちきれないとばかりに飛び上がろうと体をたわめた。


 僕は話を中断し、激しい光を前方に放つ。


 目を焼かれた魔物は空中でバランスを崩す。隙を逃さずもう一度路地の奥に吹き飛ばした。


 その隙に日向さんと歩美さんは、しっかり被害者を連れ逃げ出してくれていた。


 もしかすると日向さんはこの場に残るかもしれないと思ったが、杞憂だったようだ。


 僕は数歩下がって路地から出る。


 この場所を見つけたのと同じように、魔力の糸を周りに広げる。何か使える物がないか探すと、すぐに錆びついた道路標識を見つけた。


 ほぼ同時に路地から魔物が飛び出してくる。


 かみつき攻撃を大きく飛んでかわし、そのまま何度か後ろに跳んで標識の横まで行き、標識の根元を蹴り飛ばして、ゆがんだその部分を強引にねじ切った。


 魔物はそんな事にも構わず襲い掛かってくる。僕は絶えず周りに糸を広げて、他人が来ないか確認しながら、標識を短めに持って振り回しつつ、魔物の攻撃をかわして隙を伺う。


 何度目かの攻撃をかわしたとき、適当に降った標識に魔物が頭をぶつけ、魔物がぐらついた。


 僕はそれを見逃さず、渾身の力で標識を突き刺し、口を地面に縫いとめた。


 魔物はバタバタと暴れるが、完全に実体化しているためどうにもならないようだ。僕は標識を魔力で強化して簡単に折れないようにする。


 魔力をため込む性質なんてないので、すぐに効果が切れてしまうだろうが、それでも対魔士が駆け付けてくるまでの時間稼ぎくらいはできるだろうか。


 そんな甘いことを考えた直後、魔力を感じて飛び退(すさ)る。


 僕が飛びのいた場所から鈍い音が聞こえた。直後もう一度鈍い音がして、標識の上の部分が折れ曲がって、その拍子に地面から抜けてしまった。


 魔物がこちらを怒りに染まった瞳でにらみつける。


『このままじゃきついかな、フィア』


『あんな小物大丈夫じゃない? 対魔士たちも、もうすぐ着くわよ』


 フィアとの一瞬の念話のあと対魔士がどこにいるかが見えた。フィアが伝えてくれたのだ。


 これなら大丈夫だろうと、僕は足元の石をさっと拾って投げつける。


 魔物がそれを避けようとして、自分から当たりに来る。もちろん光を曲げて錯覚を起こさせたためだ。


 その石は思いっきり鼻に命中して、口を開けられない魔物に苦悶の声を上げさせた。同時、今度は全方位に閃光をほとばしらせて目を焼く。


 そして僕は、対魔士さんがその光を見たのを確認してから逃げ出した。




「――怪我はなかった? それは良かった。……大丈夫です、こちらも怪我一つないですよ。……分かりました、すぐ向かいます。どこの病院ですか?」


 通話を切ってケータイをしまう。


 もがく魔物を対魔士さんたちが見つけて取り囲むのを、見つからないよう隠れて見届け、人ごみに紛れて少し離れてから歩美さんに電話をかけた。今はその病院に向かっている。


 数分もたたないうちに病院についた。ドアをくぐると、すぐに歩美さんを見つけた。


 歩美さんもこちらに気づいたようで、慌てたように駆け寄って来て「本当にけがはないの!?」と僕の姿をぐるっと見回した。


 僕は一度も攻撃を受けていない上、魔物は血を流さない。微かに付いた血は喰われた被害者のものだ。


 僕の口からも、もう一度自分の無事を伝えると、歩美さんは安堵のため息を漏らした。


「それで日向さんは?」


「えっと……助けた女の子を落ち着かせるために、一緒にいてもらってる。今はだいぶ落ち着いたみたいだけど、保護者の人が来るまでは一人にしない方がいいかなって日向が……」


 歩美さんとそんな話をしていると、僕が入ってきた入口から誰かが駆け込んできた。受付で何か言って、すぐに案内されていく。


 僕は歩美さんと顔を見合わせて、その子の病室の方へ向かう。予想通り、その人は僕らの先を進んで病室へ入っていった。そして入れ替わりに日向さんが出てきた。


「玲治、君も無事で何よりだ。その様子だと大したケガもないようだな」


「かなり早めに対魔士さんが駆け付けてくれましたからね」


 言い訳めいたことを口にしつつ、僕と日向さんは小さく笑顔をかわした。




 病室の前から場所を移し、とりあえずの現状報告。


 被害者は中学3年生の女子グループで、帰り道を襲われ行き止まりに逃げ込んでしまったらしい。何とか逃げようとしたが、友達が目の前で喰われるところを見て腰が抜けてしまったようだ。


 4人グループだったらしいが、一人は喰われ、他の人は分からないという。


 保護者には連絡がいき、さっき病室に入っていった人が助けた人の母親だそうだ。現在他の二名を捜索中で、恐らく無事に発見されそうだ、とのこと。


 で、僕からの報告になったわけだが――


「何とか魔物をいなして対魔士さんが何とかしてくれた……じゃダメですかね?」


「「ダメ(だな)」」


 日向さんだけでなく歩美さんからもダメだと言われてしまった。


 ――今回魔物と戦えたのは、過去に一度だけ魔物と戦ったことがあるだけで、特に隠すべきことではないのかもしれないが、その時の状況や結果などは隠すべきことなので、やはり言ってはいけないのでは……いやでも――


 上手くつくろって話す、という器用なことができそうもない僕。どうしようか頭の中でごちゃごちゃと考えていると、二人がしょうがないなあとばかりに肩をすくめて苦笑した。


「君は隠し事が下手な割に、隠し事が多いな」


「ほんとにね」


「う……すみません」


 僕は思わず謝ってしまった。そもそも、今から一つ頼みごとをしようとしている身なのだ。罪悪感で胃がキリキリ痛むが、頼まないという選択肢は取れない。


「あ、あの……多分そのうち対魔士さんたちが来ると思うんですけど……僕が戦ったってことは秘密にしてくれません?」


 僕が意を決して口にした頼みごとに――二人はただ困惑しているようだった。


「よく分からないが、君の秘密は……いや、それは今はいいとして……対魔士に君が戦ったことを隠すなら、被害者にも頼まないといけないぞ? それに、魔物は倒したのではなく対魔士に任せてきたのではなかったか? 見られていないのか?」


「それはそうなんですが……被害者の子は、一応僕の名前までは分からないはずだし……対魔士さんには見られてませんよ。その前に魔物の行動を封じて逃げました」


 僕の言葉を聞いて日向さんは口に手を当てて黙り込んだ。歩美さんは判断を日向さんに任せるようで口をつぐんだまま何も言わない。


 沈黙はそのまま数秒間続いた。


 日向さんがふう、とため息をついた。


「まあ、いいだろう。別に悪事を隠すため、というわけではないのだろう?」


「え、あ、もちろんです! 明らかになるとちょっと周りに迷惑がかかるというか、そんな感じで……」


 そういえば隠し事というのは普通そういうことを隠すものだったと、今さらながらに気づいて慌てる。だが、日向さんは初めからそれは疑っていなかったようだ。


「ならいい。私から休暇中の対魔士だったということにしておいてもらうよう言っておく。……私の家は少し特殊なんだ。私から言えば多少の無理は効く」


 日向さんはあっさりとそんなことを言った。


「えっと、本当にいいんですか?」


「よくはないな」


 日向さんの即答に思わず浮かべかけた笑顔がひきつる。


「よくはないが……君の頼みだ。私には断れないさ」


 日向さんのその言葉の意味は、僕には理解できなかった。


「そうだな、とりあえず二人は帰っていいぞ。特に君は早く帰った方がいい。秘密にしたいんだろう?」


「……分かりました」


 だが、続いた言葉は全くその通りだと思ったので、疑問はとりあえず棚上げして退散することにした。対魔士さんが来てからだと言い訳が面倒になる。


「じゃあ私も帰るよ。寮長さんには私から説明しておくね」


「ああ、そうしてくれると助かる」


 僕がもやもやしているうちに、状況は停滞せず、するすると流れていき、日向さんに病院から追い出されるようにして家路に就いた。




 対魔士さんに呼び止められるのではという不安をよそに、病院を出てしばらくしても声をかけられることは無かった。


 もう大丈夫だろうと思うと、小さなため息が漏れた。


「もう大丈夫そう?」


「え?」


 僕は心を読まれたようなタイミングに驚き、隣を歩く歩美さんを見た。すると歩美さんも僕が驚いたことに小さく驚いて、思わずといったふうに失笑した。


「玲治君は、隠し事が苦手というよりは、もはや出来ないとでも言うべきレベルだね」


『あら、とっても的確な表現ね』


「う」


 一応自覚はあるだけに何も言えず、人と話しているときは滅多に話しかけてこないフィアからの追い打ちにうめき声が漏れた。


「確かに大丈夫そうって思ったんですけど……そんなにわかりやすいですか?」


「あれだけわかりやすく表情を変えて、そこにほっと息をつかれれば誰でもわかると思うよ」


 歩美さんにそんな気はないのだろうが、『まだまだ子供ね』と言われているようで少し落ち込む。その様子を見て歩美さんは小さく微笑んで「落ち込んだ?」と僕に聞いた。


 僕ははっとして表情を取り繕い背筋を伸ばしたが、その様子を見て歩美さんが今度ははっきりと笑った。




 幸いにも対魔士さんに呼び止められるということも無く、寮が見える位置まで戻って来られた。


「じゃあ、ここで」


「はい。また明日」


 小さくお辞儀をして、男子寮の方へ歩き出す。


「玲治君」


 直後、呼び止められて振り返る。


 視線の先では歩美さんが、言葉を探すように視線をさまよわせている。


 歩美さんはたっぷり数秒間悩んで、それから僕の目をまっすぐ見据えた。


「いつかちゃんと、説明してね」


 何をかは、聞かれるまでもない事だ。


 ためらいは一瞬、僕ははっきりとうなずいた。


「……それじゃあ、また明日」


 僕が頷いたのをしっかり確認してから、歩美さんは帰っていった。


『……あんな約束してよかったの?』


 歩美さんの背中を見送っていると、フィアが話しかけてきた。さっき僕が頷いたことに対して心配してくれているようだ。


「大丈夫だよ。約束もあるし、今は無理だけど……あの人も分かってくれるよ」


『大抵は分かってくれることよりも、手遅れでどうしようもなくなっているだけでしょう。まったく』


 口調は怒っている風だったが、伝わってくる意志は僕への心配と呆れなどだった。具体的に言えば、しょうがないから、もしもの時は私が何とかしてあげる、というようなものだった。




 翌日、多少の心配はあるものの、ほぼ普段通りの心持ちで学校へ登校した。


「おはよー」


「おはよー」


 挨拶もそこそこに自分の席へ着く。


 荷物をカバンから取り出して机の中に移動させていると、いつもならすぐに話しかけてくるはずの人影がない事に気が付いた。


 日向さんの机には誰も座っておらず、鞄の類も見当たらない。いつも僕よりも先に来ているのに珍しいな、と思いつつ、そんなこともあるよなと大して気にしなかった。


 だが、日向さんは授業が始まっても現れず、その姿を見ることになるのは、もうあと数分でお昼休みに入ろうかという頃だった。




「さて、まず何から話したものか……」


 お昼休みに入っていつものように三人で集まり、話は落ち着いてからという日向さんの言葉に従って食堂の席を確保し、注文したものを取ってきてから、日向さんが説明を始めようとして、何から話そうか悩んでいる……という状況だ。


「とりあえず、珍しく遅刻した理由から話してくれない? 昨日のこととかはとりあえず後回しにして……あ、もしかして昨日のことで遅れたの?」


「昨日のことは関係ない……とは言えないが、直接関係があるわけじゃないな」


「……分かった。食べながら話を整理しておいて。私達も食べよう」


「あ、うん」


 昨日のことと言われて、申し訳なく思った。簡単そうに言われたので簡単な事だろうと思ったのだが、大変なことだったのだろうか。


 静かに食事が進み、皆が食べ終わったのを見計らって日向さんが口を開いた。


「まずは昨日のことから話をしようか」


 日向さんの話では、僕らと別れた後すぐに対魔士さんたちが来て、事情やらなんやらを調査して帰っていったという。少女を助けてそのまま逃げたことにし、魔物やそれを退治した者のことは何も知らないで通したそうだ。


 被害者の女の子も、日向さんが病院についてからまだ名前を出していなかったおかげか、知り合いではないということに納得してくれたらしい。魔物と相対していた時は精神的に追い詰められていて、何も頭に入らなかったのだろう。


 また、あっさりと告げられて驚いたが、日向さんの家は対魔士組織のお偉いさんの家らしく、そういう方面に顔が利くらしい。それを使って、魔物は休暇中の対魔士が処理したことにしてくれたそうだ。


「昨日はそれで終わったんだが、今日の朝、日課のランニングをしているときに連絡が入って、父に呼び出されたんだ」


 昨日のことで何かまずいことになったのかと焦ったよ、と日向さんが笑って言うので、どうもその件とは関係ないようだ。


「少し前から魔物の目撃例がこの近辺で多発しているだろう」


 そう言われてすぐに昨日の朝のことを思い出す。


「昨日のもそうだが、魔物が出ているということは、穴から出たのを見逃したか、守りを突破されたか、もしくは未発見の穴があるかのどれかしかない。前の二つについてはそんな事実はないということで、一番厄介な未発見の穴があるという結論に至るわけだが、それが昨日ようやく発見されたらしい。……パニックを避けるためこの情報が一般に公開されるのは穴を管理できる体制が整ってからだろう。言わなくても分かるとは思うが、他言無用で頼むぞ」


 僕はあまりテレビなどを見る方じゃないので情報に疎い方だと思うが、そんなことが発表されれば大騒ぎになっていることは予想がつく。僕らはそろって頷いた。


「それで、穴を発見したんだからもうこの話は解決、とはいかなかった。一つ重大な問題が発生したんだ」


 穴、魔物ときて重大な問題と言われれば嫌な予感しかしない。


「その穴の周囲に、かなりの数の魔物が住み着いているらしいんだ」


 その予感は正しく、日向さんの口から衝撃の言葉が発された。


 顔から血の気が引いて行く。




 魔物が魔法でしか倒せないという話をちらりとしたと思う。


 その話を詳しくする前に、『死』についてふれておく。


 この世界の生物であれば血を失いすぎたり、心臓が止まったりなどいろいろな理由で、肉体が存在しているにもかかわらず『死』を迎える。


 では――異世界の生物はどうなのか。


 肉体など確固たるものが存在しない異世界では、『死』は他の生命に取り込まれることを意味した。


 それが、こちらの世界にやってくると変わる。


 魔物は、この世界に来た直後は概念的な存在、『なにかある』程度の存在でしかない。それが喰うことにより、実体を持つようになるというのは説明した通りだ。


 魔物はこちらの世界に来てすぐに消滅の危機に瀕するが……喰うことを覚えさえすれば、そうそう『死』を迎えることは無い。


 それはなぜか。


 例えば、魔物が完全に実体化したとしよう。


 しっかりと実体を持っているため、触れることができるし、もちろん物理攻撃も通用する。


 だが、向こうはただの生物ではない。精霊と同じで、魔力を持っているのだ。


 人間は精霊からもらった魔力を、体にめぐらせて身体強化をする。魔物は精霊と同じく、そもそも常に魔力が体を巡っている。


 その時点で生物的に強靭なのだが、魔物の体はこの世界の生物のように、複雑な構造はしていない。質量をもったものがそこにあるだけだ。いわば粘土のようなものだと思ってくれればいい。


 そのため頭を吹き飛ばしても、魔物が死ぬことは無い。


 もちろんダメージはあるが、仮に爆弾で粉々に吹き飛ばしても、死にはしないだろう。


 魔物は弱るだろうが、再び概念的な存在になって喰らい始めるだけだ。


 本題に戻ろう。そんな魔物を倒す術――それが魔法だ。


 魔法で引き起こされた事象は、水や炎と見た目は同じでも、魔力でできているという違いがある。いわば、異世界の原子とでもいうべきものだろうか。


 そこには概念的な攻撃要素があり、魔物がこの世界を喰らうことでできた器ではなく、魔物そのものにダメージが入る、ということなのだ。


 魔物は器となる実体を壊しても死なないため、魔法を打ち込み、体力を削って力尽きさせることで倒すのである。


 簡単に例えれば、ゲームのように相手の体力ゲージを空にすれば倒せる、といえば分かりやすいだろうか。


 ただし、魔物の方はこちらを喰って、下手をすれば一撃で終わらせることができるのに対し、こちらは脳や心臓など多数の弱点を抱え、さらには出血などの状態異常にもかかり放題という悪条件ぶりだ。


 当然ながら、一匹の魔物に対して複数で対応するのが普通である。




 魔物の倒し方について説明出来たところで、今の状況を考える。


 相手が本当に弱い部類であれば、何とか一対一で戦えるかもしれない……というような条件なのに、強いか弱いかは分からないが、相手が多数いるという状況なのだ。


 僕だけでなく、歩美さんの顔からも血の気が引いて行くのが分かった。


「安心……はできないかもしれないが、もちろん対策はされている。今交代で対魔士が見張っていて、応援を待っている状況だ。魔物の殲滅作戦も明日の夕方に行われる」


「夕方……」


 もっと早く、は無理なんだろう。多数の魔物が群れている状況など想像がつかないが、少なくともこのあたりに常駐している対魔士さんたちの数では足りないことは分かりきっている。


「大丈夫だ。明日の朝には十分な数の対魔士が集まる。避難訓練という名目で避難指示も出るだろう」


 安心させるような優しい声音に、僕は少し安心して気を取り直した。


 そこでふと引っ掛かりを感じた。


「日向さんのお父さんは、わざわざそのことを伝えるために遅刻させてまで日向さんを呼んだの?」


 対魔士のお偉いさんの家で、そういうことを事前に伝えるということは、確かにあるのかもしれない。そういう事情はよく分からないけど、そういうこともあるかもしれないとは思う。


 でも、そのことだけを伝えるために、お昼までも時間を使うだろうか。


 日向さんは僕の質問に一瞬驚いて、難しい顔になったが……その表情をすぐに苦笑に変えた。


「全く……私まで隠し事が下手になったみたいだ……玲治のせいだな」


「え」


 ひどい濡れ衣を着せられて僕が固まっていると、日向さんが「冗談だぞ」と言って笑った。それはそうでしょう、とは口に出さずに抗議の視線を向ける。


 日向さんは僕の様子には反応せずに、ちらりと歩美さんの方をうかがった。


 歩美さんはさっきから黙っているが、肌に血色が戻ってきていて、僕らのやり取りにほんの少し頬を緩めていた。


「……話さないでおこうと思っていたんだが……」


 日向さんはそう言ってからも逡巡していたようだった。


 日向さんは小さく息を吐くと、


「私も明日の作戦に参加することになった」


 と言った。


 やっと体中を巡りだしていた血が、また一気に引いて行くのが分かった。


「大丈夫だ。誤解しないでほしい。昨日のことで改めて実感したが、私はそこらの生徒よりは強いとは言っても、実戦経験もないただの学生だ。もちろん上もそれは分かっているから前線になど配備されない。私の役目はもしもの時に予備戦力、万が一魔物が対魔士の包囲網から漏れたときの防波堤だ。トラブルが発生しなければ魔物の姿すら見ないこともあるということらしい。だから心配するな」


 日向さんはそう言って、しっかりと普段通りの笑みを浮かべた。


「無駄に心配させることも無いだろうと思って黙っていたんだが、玲治に見抜かれてしまった。嘘はつきたくないから、話すしかなくなったんだぞ。だからそんな心配そうな顔をするな」


 僕らを順に見まわして、日向さんはもう一度普段通りの笑顔を浮かべた。


「大丈夫。二人は程よく心配して、おとなしく待っていてくれればいい。ちゃんと無事に帰って来る」


 日向さんはまた、しっかりと普段通りの笑顔を浮かべた。




 秘密の話を食堂でしたことについては、そもそも二、三日たてば自然と分かることだし、なにより私一人の話でパニックが起こるようなことにはならないだろうとのこと。


 僕と歩美さんはうかない顔を隠せずにいたが、日向さんは完全にいつも通りなので、放課後に入るころには何とか普段の様子を取り戻した。




 放課後、明日のことなど当然お構いなしに魔戦部の活動があるので、僕らは部室に向かっていた。


 着替えのために二人と別れて更衣室に入り、バーリースーツに着替える。


 既に十回を超えて着替えを経験したので、慣れるとまでは行かなくとも一人で着替えられるようにはなった。


 着替えを終えて競技場に出ると、既に数人が自主練を始めている。


 その様子を視界に納めながら外側を大回りするようにして、いつも自分たちが使っている場所に向かう。


『自分も作戦に参加した方がいい、なんて考えているんじゃないでしょうね?』


 唐突に、フィアから意志(こえ)がとんできた。


 繋がりはしっかり薄くとどめてあるはずだが、そんなことはお構いなしに僕の考えなどフィアにはお見通しのようだ。


 日向さんが作戦に参加すると聞いてから、幾度となく考えてしまう。


『だって、日向さんが作戦に参加するんだよ? 僕も参加すべきじゃ――』


『それは違うわよレイジ。日向は強いから作戦に参加するんじゃなくて、家の事情で参加するのよ。そもそも役目だって後詰めじゃないの。説明を聞いていなかったの?』


『……うん。聞いてたよ、もちろん。聞いてたけどさぁ……』


 日向さんを心配する気持ちはもちろんある。だがそれと同時に、自分がその場にいないことで、取り返しのつかないことになった時のことを考えずにはいられない。


 自分だけ安全な場にいて、もし日向さんが怪我をしたりしたら、僕は後悔するに決まっているのだ。


『……はぁ。じゃあこうしましょう。明日は私が全面的に協力して、日向や魔物の動きを見ておいてあげるわ。もし何か起きたり、もしくは何か起きそうになったりしたら助けてあげればいいでしょ?』


 フィアが人差し指を立てて名案だろうとばかりに胸を張った。


 ……うん。確かに名案ではある。距離が離れれば探すのが大変だが、近くにいる時から見ていれば探す必要はなく、危険が迫ればすぐにわかる。


『そう……だね。お願いするよ。フィア』


『任せておきなさい。だからレイジはいつも通りにしてて』


 フィアのやさしい微笑みを見て、やっと体から余計な力が抜けた。




「集合~!」


 後からやってきた二人と自主練をしていると、先生が来たらしく号令がかかった。


 学年ごとに整列し、話を聞く体制をとる。


 先生がいつも通り、怪我や事故が無いようにすることなどの定例句を述べた。特に目新しいことも無く、すぐに練習が開始される。


 まずは身体強化を使わずに、このだだっ広い競技場を五周走る。次は武道の型を十セット。ここからは身体強化を使用し、競技場の端から端を全力疾走で往復する。その後はいくつか日によって変わる普通の(契約者ではない)運動選手がやるようなトレーニングを行って、やっと基礎トレが終了する。


「はぁ~……疲れたぁ~……」


 基礎トレのメニューを消化した僕は、先輩たちが集まっている場所へてくてくと歩いて向かった。同級生は日向さんだけがいて、他の人や後輩はまだ基礎トレを終えていないようだ。


「三年はそろそろ始めてください」


 マネージャーの千代紙(ちよがみ)先輩が合図を出すと、先輩たちは個別で割り当てられた特別メニューを始めるために散っていく。僕がその場にたどり着いた時には日向さんしか残っていなかった。


「お疲れさま」


「お疲れさま」


 簡単な挨拶をかわしてから、自分の荷物をあさってスポーツドリンクを引っ張り出した。


 ごくごくとそれを飲んでいると、ちらほらと他の人も集まってきた。


「そろそろ二年も始めてください」


 千代紙先輩の合図が来たので、二年はそれぞれの場所へ向かう。


 ちなみに、新入生には特別メニューは与えられていない。理由はお察しの通り、基礎トレだけでへばってしまうからである。


 一年やると違うらしく、二年生にもなると基礎トレだけでへばる人はいなくなるようだ。繰り返しになってしまうが、僕が新入生にもかかわらず基礎トレでへばらないのはリハビリを過剰にやらされたからというのが一つ、そしてもう一つは、身体強化ありの訓練が僕にとっては全くと言っていいほど苦にならないからである。


 最初は僕も特別メニューは無かったのだが、2,3日もするとメニューを組んでもらえたので、今は参加している、というわけである。


 で、僕の訓練メニューはというと……


「よろしくお願いします」


「よ、よろしく……」


 いまだに慣れないのか、そわそわと落ち着きがない様子の佐藤(さとう)先輩の練習相手である。


 佐藤先輩は男性恐怖症……というと大げさだが、苦手であると聞いた。昔はもっとひどかったようだが、今ではちゃんと会話することもできる。とはいえ緊張して動きが硬くなるのも事実なので、魔法戦が男女混合である以上、苦手を克服しておくに越したことは無いと先生に言われたそうだ。


 で、その相手となる僕は、魔法を用いない、純粋な運動が苦手である。


 結果、僕らはほぼ毎日、魔法抜きで組手をやらされている。


 魔法抜きの僕の実力は、武術を習い始めた新入生と同じようなレベルである。よって、先輩の武術の練習にはならない。


 魔法を使っているときの自分はどこへ行ったと言いたくなるような、全く思い通りに動いていない、微妙な正拳突きを先輩は軽々といなす。


 魔法抜きでは回し蹴りなどの難易度の高い技はおろか、難易度が低くてもまともにできない始末である。

パシンパシンと、突き出した拳がはたかれる音を軽快に響かせていると、僕が不用意に大きく足を踏み出したため、足払いを喰らって盛大にすっころんだ。


「えっと、集中を切らしちゃだめだよ?」


「す、すみません」


 僕は集中を乱したわけではなく、単によろけて一歩前へ出てしまっただけなのだが、そこには抗弁しない。


 ともかく、こうも実力差があると先輩と後輩というよりは教師と子供のようだ。


 事実軽くあしらわれては、たまに盛大にやられてアドバイスをもらうということの繰り返しである。


 僕が全然進歩しないのに比べて、佐藤先輩は僕に慣れてきたようで、指導が始まってからは特に緊張した素振りが見られない。


 そんなことを考えていたからだろう。今度は突き出した手を取られ、反射的に手を引こうとしてその力を利用され崩された。




 一年生の基礎トレが終わるのを待って、いつものチームで魔法戦を行う。


 僕が行うのは、もちろん六対六のチーム戦だ。


 チームのメンバーは僕、日向さん、歩美さん、明石くん、早山先輩、貝塚先輩の六人。


 僕と日向さんが前衛、歩美さんが中衛、明石君(明石藍斗(あかしあいと))、早山先輩(早山花楓(はやまかえで))、貝塚先輩(貝塚(かいづか)(はな))が後衛という編成だ。


 僕と日向さんはいいとして、他のみんなの魔法を少しだけ説明しておくと、歩美さんの魔法は風を操る魔法だ。風を操ると言っても強風を起こすというものではなく、大小さまざまな大きさの風の塊を作り出し、飛ばしたり破裂させたりする魔法である。


 明石君の魔法は発火の魔法。魔力を伸ばして届く範囲で、規模や地点を指定して発火させることができる。


 早山先輩は岩を作り出せる魔法で、その岩を直線的に飛ばすことができる。かなり近くでないと力を加えることができないが、かなり重いものでもかなりのスピードで遠くまで飛ばすことができる。


 貝塚先輩の魔法は水を作り出して操る魔法。早くはないがかなりの質量のものを遠くまで動かせる。


「さて、今回の相手は徹先輩のチームなわけだが……」


 チームリーダーの日向さんが作戦を伝えていく。ちなみに徹先輩というのは(たき)(とおる)、つまり部長さんのことだ。


 作戦――誰が誰の相手をするか、こういうことをされるかもしれないからそういうときはどうするか、などを決め、競技場に出る。


 部長さんのチームは、普段十二対十二のフラッグ戦をやっているチームから、六人を選抜したチームである。


 六人チームは三つしかないので、たまには違うチームと、ということである。フラッグチームからしても、色々な練習ができるのは好都合という理由のようだ。


 魔法戦は、前衛が競技場の四分の一あたりから、中衛は前衛または後衛の位置から、後衛は競技場の端からスタートする。前衛の位置から開始できるのは三人までと決まっているので、前衛が4人以上いる時は後衛の位置からスタートする。


 静かに合図を待つ。四つあるランプが全て光れば開始だ。


 千代紙先輩がボタンを押した。


 一……二……三……開始!


 全力で前に踏み出す。身体強化で走れば、競技場の端から端でも時間はそうかからない。


 一瞬で接敵、僕の相手は日向さんの予想通り部長さんだった。


 部長さんの魔法は、水の弾を操るものだ。


 間合いを詰めようと一歩前に出た瞬間、部長さんの周りに七つの水滴がほぼ同時に出現する。直径は一センチ程度の水滴。それがまるで弾丸のように……いや、弾丸そのもののそれが、僕に押し寄せる。

僕はそれを何とか回避するが、間合いは離されてしまう。


 部長さんは間髪入れず、折り畳み式の棒を一瞬で組み上げ横薙ぎ。


 しゃがんでかわすのを見越していたかのように続いて水滴が今度は四つ飛んでくる。


 一つはかわしきれずに左の二の腕に当たり、バシィ! と打撃音を鳴らした。


 相手の身体強化能力に合わせて貫かないようコントロールされた威力の水滴が、追撃とばかりに四つ、さらに遅れて三つ飛んでくる。


 痛みは無視して四つはかわし、残り三つのうち避けきれない一つを、魔力を集中させた掌で叩き落した。


 この試合が始まる前、


「徹先輩と玲治はまだ模擬試合していないだろう? きっと戦うことになるからがんばってくれ」


 ……なんて言って日向さんは笑って言っていたが……何をどう頑張れというのだろう。


 僕が水滴を叩き落したことで部長さんは少し驚いたらしく、表情を一瞬驚きに変えた後楽しそうに笑った。一瞬のスキがやっとできたので僕はやっと魔法を仕込む。


 今度こそとばかりに前に出ると、部長さんはすぐさまバックステップ、同時に今度は水滴を九つ出して時間差で三つずつ飛ばしてきた。


 僕はその真ん中をまっすぐ突っ切り懐へ飛び込み、頭部と腹部に照準を合わせて拳をつきこむ。


 すると同時に、僕と部長さんの間に一瞬では数えきれない、今までよりもかなり小さめの水滴が浮かび、その幕を突き破って伸びた拳は部長さんに紙一重でかわされた。


 ひきつった笑みを浮かべながら拳を引き戻すと、その中にあったいくつかが合体して二つ水滴を作り、右肩と左足を狙って飛んできた。


 右肩は後方へそらし、左足は右へずらしてかわすが、このままだと体勢が崩れるので、素早く重心を落とす。


 転倒は免れたが、どう考えてもかわせない部長さんの棒攻撃が、右腕のガードの上から僕の体を打ち抜いた。




 僕たちのチームは前衛が要なので、前衛がやられると崩れる。


 僕と部長さんが戦っている間に、前衛二人と後衛一人から集中攻撃を受けた日向さんがやられて、総崩れになった。


 いつもなら視界が圧倒的に広い僕が調整を行うのだが、部長さんの働きが大きかった。僕に一切仕事をさせずに負傷させ、その後を他の選手に任せて交代、歩美さんや後衛の抑えに回り、日向さんを仕留めてから僕にとどめを刺して、あとは人数差で押すだけだ。


 見事に完敗だった。


「いたたた……」


 最初に受けた左の二の腕が痛み、さすっていると、部長さんと日向さんがやってきた。


「えっと……ごめんね? ちょっと強かった?」


 部長さんが申し訳なさそうにしているので、僕は慌てて痛みを無視した。


「あ、いえ大丈夫です!」


 手をぶんぶん振りながら否定する僕を見て、二人とも表情を柔らかくした。


「ふふん。入ったばかりの新入生に本気を出したらダメでしょう。そうですよね、徹先輩?」


「あっ、そういうこと言うんだね日向、じゃあ私反省のためにちょっと手加減の練習しようと思うんだけど、付き合ってくれない?」


「えっ……あーその、私はちょっと今日用事があって……」


 二人のじゃれあいに、僕も表情を柔らかくした。




 二人に言われて千代紙先輩から湿布をもらい、自分の部屋に帰った。


 ささっと風呂に入って寝間着に着替え、湿布を張ってから布団に倒れこんだ。


「…………」


 いつも通りの日常の貴さを、僕は分かっているつもりだ。


「フィア、もう日向さんのこと見てる?」


『見てるわ。明日いつ家を出るかもわからないし、今からずっと見ておくから。安心してさっさと寝なさいな』


『……ごめん、声に出してたね。えっと、フィアは寝ないの?』


『寝ていても見れるわよ。レイジ、寝ぼけてるわね? 早く寝なさい』


『はーい……』


 明日のことは、今はフィアに任せておこう。


 頼れる相棒に心配事を任せて、僕は意識を手放した。


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