運動大会騒乱 (挿絵アリ)
『……あの子、お父さんとお母さんのところに帰れたのかな?』
巡回局での聴取を終え、すっかり遅くなってから自宅に帰り、やっと寝れると自室のベッドで微睡むオレの枕元で、ディータがそんなことを呟いた。
眠いので無視。目を閉じる。……もう少しで眠れるぞ、やった――。
『……フミーって子、どうなったのかな?』
『アタイも気になる!』
「ぐ……オマエら……」
ディータの独り言にタルピーが便乗し、シタッと手を上げてベッドの隅に飛び乗って来た。
お陰で目が覚める。
「あのな、オレは眠いの。明日は運動大会なの。オマエらみたいに眠らないで済む存在とは違うの。わかる?」
ベッドの中から2人に理解を求めた。
いつもならタルピーとディータの2人は、オレが寝ている間は読書などして静かに過ごしている。タルピーは踊るようだが……。
今日は、なんかいろいろとうるさい。
『……大丈夫かな? お父さんとお母さん、心配してないかな?』
「うるせーな。あとで騎士団員か、フランシスにでも聞くよ。それからな、あのフミーって子は孤児だから」
『……? それはどういうこと?』
「孤児だから、親いないの。だから、孤児院にいるの? わかった? もう寝かせて……」
布団を被る。
ディータが捲る。
『フミーはお父さんとお母さんのところに帰れないの?』
「もしかして……オマエ、孤児の意味がわからんのか?」
『うん』
「タルピー。オマエには聞いてない」
まあ親って存在のない精霊には、確かに分からない概念だろう。しかし、ディータがわからないとはどういうことだ?
引きこもりが過ぎて、そういった常識が抜けてるのか?
オレはとっとと眠りたい一心で、適当に説明することにした。
「親が死ぬ。子供が残される。子供1人じゃ生きていけない。そういう子供を孤児といい、それを引き取って育てるのが孤児院」
簡潔だ。これで納得してくれ、もう、眠い……。
タルピーは、そうかー。そういうことかー。と、上っ面で理解してくれたようだ。ベッドから降りて行って、陽気に踊り始めた。
『孤児院が、あの子たちのお家? お父さんとお母さんがいないところが、お家なの?』
ディータは常識知らずでも、頭が悪いわけではない。この説明で彼女も理解してくれたようだ。完全に理解しているようには思えないが、残りの疑問は明日にしてほしい。
『……ザル様』
「なんだよぉもう……寝かせてくれよ」
『……もしも、私がゴーレムに入れて、自由に歩けるようになったら……。お父様に逢いにいってもいい?』
「あー……」
なるほど、ね。なんかしつこいと思ったら、親に甘えたいわけね。
しかし、その願いはちょいと感心できない。
片目を開けて見ると、ディータがぼんやりとした目をオレに向けていた。暗い部屋なので、彼女の目は澱んでいる。そんな澱んだ瞳なのに、やたらと綺麗に見える。
その目に向けて、オレは応えてやることにした。
「死んだ娘が逢いにくる。なーるほど、この一文だけなら美談だな。だが、王様は……ディータの父親はやっとオマエの死を受け入れたんだ。そこへ『死んでますが、私は存在してまーす』――なんてイカすゴーレムボディで乗り込み、どのツラ下げて挨拶にいくんだ? あの王様だぞ。またトチ狂って、わけわからんことしてくるかもしれんぞ。それとも、死んでるのに生きてると、そのまま部屋に放り込まれるっていう行為が嬉しいのか? 今度は人形ケースに入れられて、着せ替え人形にされちまうかもしれねーぞ」
オレの中で、エウクレイデス王の評価は下がりまくっている。王として敬意は払うが、とても人の親としてはとても称賛できない。
それもまた愛とかいうヤツもいるだろうが、死体をそのまま晒して置き誤魔化すなど、まともな人間ではない。
確実に、あの王は狂っていた。
今はどうだがしらんが、あの時は狂っていた。
これがエウクレイデス王へのオレの評価だ。
かなり深刻な事を言ったつもりだった。
それなのに、ディータの澱んだ目は反応が薄い。美貌を残して凹凸を削ったような唇が、無機質に動く。
『……逢いたい』
しつこいなぁ、このお姫様――。
「それならいい考えがある」
オレの提案に、真摯に耳を傾けるディータ姫。
そんな素直でしつこいディータに、冴えたやり方を教えてやる。
「エウクレイデス王を……ディータのオヤジさんを、オマエと同じ存在にしちまうのさ」
澱んだディータ姫の目に、わずかな動揺が走った。
「ゴーレムの研究より、人を高次元存在にする研究の方が面白そうだ。幸い、ヨーヨーの書き写した聖痕の情報がある。研究すれば、やり方がわかるかもしれん」
ベッドから一歩さがるディータ。少しは堪えているようだ。
「成功したら、オマエのオヤジさんを同じ姿にしてやるよ。おめでとう。永遠に親子水入らず、だ。仲良くゴーレムボディで、ガチャガチャと家族ごっこもできるだろうぜ。ままごとセットでも、お祝いにしてやるよ」
『…………』
オレの辛辣な物言いに、すっかりディータは言葉を失っていた。
『…………………………』
ディータ姫の長い無言。
やっと静かになってくれた。
諦めてくれたか。
――それとも悩んでいるのか?
まあ実際、そんなことになったらオレが迷惑だけどな。
高次元なりかけのディータは、オレの肉体を間借りしてる形だ。ここにエウクレイデス王という爺さんが加わるなど、願い下げである。
どれほど時間が経っただろうか?
つい、に……眠れ……る………。闇、に……呑まれ…………。
『……ごめんなさい』
こんちくしょうっ!
今、眠れそうだったのに、この一言で目が覚めちまった。
オレを起こしたことなど臆面にも出さず、ディータは窓際の椅子に座って物思いの様子で外を眺め始めた。
明日、ほんと運動大会、平気か、オレ……。
* * *
ぽん、ぽぱん!
頭上で花火が軽快なリズムで弾けている。
散発的に上がる花火の音が、遠くに感じられる。
エンディアンネス魔法学院、運動大会当日――。
昼に差し掛かり、運動大会は大盛況だ。娯楽の少ないこの国で、部外者すら熱気だけを目的に集まってくる。
関係者ではないので学園内に入れないからと、木に登ったり、近くの建物から覗いたり、柵の合間から中を覗く者までいる。
そういう野次馬的観客を目当てに、地元を縄張りとする露天商が商売をやっている。
また学園の学生たちも、外の露店で買い食いなどをして、このお祭り騒ぎを楽しんでいた。
そんな熱気が、オレの脳に悪い。熱気が眠気を刺激する。
「あああああ~、眠ぃ……」
ボロボロだ。
肉体も成績も……。
午前中の競技も、ろくな成績が出せていない。
すっかり周囲の評価が、「ザルガラくんって、頭はいいけど運動神経はダメだね」という感じになってる。
もう評価はそれでいいから、眠らせてほしい。
「引っけーっ! 力の限り引っけーっ!!」
「負けるなーっ! 左組を引き倒せーっ!」
遠くからワイルデューとテューキーの掛け声が聞こえてくる。今は綱引きか。
と、なるとしばらく眠れるな。
オレは手頃な芝生を見つけ、横になった。
ディータが静かに寄り添って座る。
彼女はオレからあまり離れられないが、タルピーはそうでもないのでティエと一緒に応援席にいる。
あの上位種のヤツ、すっかり運動大会の熱気に当てられて、誰にも見えないってのに応援の舞を1人で頑張って踊っている。
「悪い、姫さん。時間になったら起こしてくれ」
『……任されました』
ディータを目覚まし時計代わりにして、オレは目を閉じ――。
「はーっはっはっはっー! いいざまだったぞっ! ザルガラ!」
「まさか二度も転ぶとか……ぷっ! 意外と運動が苦手ですのね!」
なんかうるせぇコリンとローリンが来た。
「うるせーなぁ……コロリン。玉転がしの効果音みたいな兄妹」
「わ、わたくしたちが名前で玉転がしに選ばれたのを、なぜ知っているのっ!」
「スプーンリレーで、玉を落とすたびにコロンとかコロリンとか言われて、傷付いているんだぞ、我々は!」
「おい、イジメられてんのかよ、学年トップツー……あ、元トップツーか」
「お前のその発言もイジメだよ!」
地団駄を踏むコリンとローリン。
やめろ、オマエらのその地団駄も頭に響く……。
「おっと、コリン、ローリン。君たちは、そろそろ出番だろう?」
不意に助けが現れた。
イシャンだ。
オレに食って掛かるクラメル兄妹を止めてくれた。
「そ、そうか。わかった」
「また邪魔しに来ますわ」
本当に邪魔しに来たのか、コイツら。でも怒る気力がない。今度、邪魔しに来た時、やり返してやろう。
――って、邪魔されるの待つのってオカシイだろ、オレ。
「やあ、大変そうだね。ザルガラ君」
クラメル兄妹を追い払ったイシャンが、優しい笑顔で声をかけてきた。
――変だな?
なぜかイシャンが体操服を着ている。
「おかしいな……。寝不足かな? イシャン先輩が服を着ている」
「そりゃ着るよ。運動大会だからね」
オレは芝生の上で、横になったまま首を捻った。
「ん? どういうことだ?」
「本当に頭が働いていないようだね?」
呆れたよ、イシャンがポーズを決める。
呆れられてしまったよ、オレ。
「組み分け必須の大会だ。体操着を着てないと区別がつかないだろう?」
「ん? あーあー、そうか」
そうだった。
学園には指定の運動服が、白と青の2種類がある。右組が白で、左組が青だ。
「不本意ながら、これを脱いでしまったら組の判別ができない。いくらなんでも粗衣では大会が成立しないからな」
まったく残念だと、イシャンは肩を竦めて頭を振った。
「大会委員なら、点数に関係ない種目にしか出られないから、そっちにすりゃよかったのに」
運動大会委員は、審判と進行や道具の準備をするため、不正が無いように左組でも右組でもない状態になる。
眠かったオレは深く考えず、イシャンに全裸になる抜け道を教えてしまった。
ハッとした顔で、イシャンは拳を握りしめる。
「そうかっ! では来年、大会委員に立候補して……」
「イシャン先輩。アンタは今年で卒業だろ?」
「くっ……手遅れか……。無念」
「手遅れだな」
病状がな。
しかし、なんでそうまで脱ぎたいのか?
「さて、では私もそろそろ出番だ。邪魔をしたね」
「助けてもらったわけだから、礼をす……おいおいおいおい、なんで上着を脱ぐんだよ!」
「組体操に出るからな!」
あ、こいつ。結局、合法的に脱ぐ競技を選んでやがった。
きっと粗衣魔法研究会全員が、組体操に参加してるんだろう。
水を得た魚のように、上半身裸の男子たちが練兵場に集まる様子を眺めつつ、オレは独り言をつぶやく。
「しかし、なんで組体操って男子は上半身裸なんだろう?」
「それはですね、裸だと摩擦係数が上がって、より高度な組体操が出来るからですよ」
どこからともなくアザナが現れ、オレの昼寝妨害をしながら豆知識を披露した。
「ああ、そうなんだ。でもな、アザナ。枕元に立つな」
寝かせて欲しいのに、アザナのふとももとその奥が……じゃないアザナの存在が気になって眠れない。
「あ、すみません」
アザナはスカートを抑える女子のように、手で短パンの裾を抑えて下がっていった。アザナの白いふとももを凝視してたわけじゃないぞ、これ大事。
やっと眠れると思っていたら――。
「うぉおおおーっ! マルチィーー! どこに行っていたんだぁっ!!」
「きゃああああっ!」
またどこから現れたのか、部外者のベルンハルトが猛ダッシュでアザナに抱き付いて持ちあげる。
ミニスカ筋肉男の咆哮と、アザナの悲鳴が練兵場に響き渡った。
頼むから、オレを眠らせてくれ。
「マルチ! 帰ってきてくれぇっ!」
「ち、違います! ボ、ボクはアザナです! マルチって子じゃないです!」
大騒ぎだ。とても眠れる状況じゃない。
億劫だが芝生から身を起こす。
ベルンハルトは相変わらずミニスカートだが、よくアレで捕まらないな。あとどうやってここに入って来た?
マルチを探しているようだが、迷子を見つけたという様子には見えない。
「おいおい、ベルンハルトさんよ。ソイツはマルチじゃないぞ。その辺にしておかないと、警備の人たちがやってきて面倒になる」
警告するが、興奮状態のベルンハルトは聞いていない。
「店を片づけてすまなかったぁーっ! でも仕方なかったんだぁーっ! 頼む、帰ってきてくれっっ!」
「ち、違います! ボクはアザナです! マルチって子じゃないです!」
必死に否定するアザナを振り回すベルンハルト。
さすがに何事だと、生徒たちが集まって来た。
この騒動に気が付いた王都騎士団の連中が、こちらに目を向けていた。
王都騎士団が、なぜ自治権が強い学園内にいるかというと、アザナが作った転移門のせいだ。
彼らは警備と管理を兼ねて、転移門に併設した宿舎に詰めている。
運動大会時期でも例外ではない。
「おいおい、その辺にしておかないと、騎士団に捕まる……ぞ、んん?」
騎士団たちはアザナたちに興味はないと、物々しい様子で別方向へと走っていく。
どうしたんだ?
別の事件でも起きてるのか?
しばらくして、ベルンハルトは間違いに気が付き、アザナを解放して頭を下げた。
「すまなかったな、アザナさん。君があまりに死んだ妻に似ていたから、つい」
「アンタ、さっきは娘のマルチって言ってたよな?」
オイコラ。
どういうつもりで、アザナに抱き付いてたんだ、この野郎っ!!
「こ、この人がマルチさんという方のお父さんですか?」
解放されたアザナが、オレの背に隠れて訊いてきた。
「おう、そうだ。で? その様子だと、何かマルチにあったようだな」
「……実は、言うのも父親として恥ずかしいことだが……」
「ミニスカートも父親として恥ずかしいがな」
「実は、マルチが家出をしてしまって――。もう5日も帰ってこないんだ」
「そ、それは大変じゃねーか!」
10歳そこらの子供が、5日も家に帰らないなどと普通じゃない。
あまりの事に眠気が吹き飛んでしまった。
ベルンハルトには巡回兵と巡察官にツテがあると説明し、連絡先を教えてもらい、学園の敷地内からは退去してもらった。
運動大会でいろいろごちゃごちゃしているが、このままではベルンハルトが捕まってしまう。
ミニスカとか、不法侵入で。
なんとかベルンハルトを送り出し、練兵場に戻ろうとすると、なにか露店の方が騒がしい――。
「なんの騒ぎだ?」
「あ、あの騎士団。さっきの――」
アザナが指差す先に、数人の騎士団がいた。
さきほど、ミニスカ筋肉オヤジを無視していった騎士団だ。露店を打ち壊して誰かを捕縛している。
ふーん、この捕物が原因でベルンハルトは見逃されたのか。
などと観察していたら――。
「お、おれたちは何もしてねーよっ!」
「オヤジたちに! 親方たちに聞いてくれ! た、頼む!」
露天商をしていた白柄組の面々が、屈強な騎士団に組み伏せられ、涙ながらに無実を訴えていた。
だが騎士団は聞く耳を持たない。叫ぶ白柄組たちを無慈悲に殴りつけて、目隠しをし縛り付ける。特にフーヌが手ひどく殴られていた。
こうして完全に無力された白柄組のメンバーに向け、騎士団がサーコートを靡かせ言い放つ。
「フーヌ・ヒンク! 並びに無頼組6名! 貴様たちを葡萄孤児院への放火罪で逮捕する!」




