暗躍(空振り)
葡萄噴水広場の近くで、明るく賑わう酒場があった。
テーブルごとに数人の男たちが座り、飲んで食って語らい、その合間を給仕の女性が数人、忙しくあちこち走り回っている。
1人で飲みにくる客は珍しく、カウンターにいる人物は少ない。
葡萄噴水広場は中心とした区画は、立地に恵まれている。
北には鉄音通りという鍛冶屋街。西は旅人を出迎える宿街。東には商業区があり、それらを繋ぎ挟まれる形で恩恵にあずかっている。
南には未開発地域が広がっているが、それでも商売に良い環境である。
この酒場のマスターは、テーブル席の客から飛んでくる注文を見事に捌ききった。やがて繁盛時間は過ぎ、給仕の女性も1人を残して帰宅する。
あとはのんびり飲みに来る客か、深酒してぐだぐだしている客くらいしかこない。
一先ず落ち着いたそんな店内で、マスターはちらりと横目でカウンター席を見た。
カウンター席の中でも、特に薄暗い隅の席。そこに絶えず店の入り口を注視する小男が座っていた。
そこそこ高い酒をちびりちびり飲むので、追い出すつもりはない。これが安酒だったら迷惑だった。なにしろ、ここしばらく連日のようにこの小男はやってくる。
そして店でも比較的上等な酒を飲み、閉店近くまで席に座って店の入り口を監視している。
誰かを待っているのだろう。
よくあることなので、マスターは特に気にせずにいた。
しかし、今日は違った。
「マスター。ちっと聞きたい」
小男が注文以外で喋った。マスターはそれに驚きながらも、彼がアポロニアギャスケット共和国の出身であることに気が付く。それくらいの冷静さが、海千山千のマスターにはある。
「なんですか? お客さん」
仕事の手を止めず、マスターは返事をした。
「ここには……白柄組の者たちが出入りしてると聞いたのだが」
「ああ、来てたね」
士族子弟の無頼組の名を出し、小男は落ち着かない目でマスターを睨んだ。
「来ていた? しばらく来てる様子がないのだが?」
「ええ、来ていた……ですね。このところいらっしゃらないようで、すっかり店が静かですよ」
彼らのせいで一時、売り上げも下がった。そして白柄組が来ないと知られ、一般の客がぼちぼち戻り始めた。ここ一か月は大繁盛といっていい。
マスターは白柄組に悪感情を持っていた。彼らが我が物顔で、店を占拠することもあった。暴れたこともあった。その度に泣き寝入りだった。
そんな彼らの事を、小男は訊ねる。
「いつ来る?」
「さあ、なんとも。彼らの気分でしょうから、わたしには分かりかねますね」
「……白柄組にことづけを頼みたいのだが」
小男の声から、どこか諦めのような様子が見て取れた。
「なんでしょうか?」
「いい話がある。興味があったら、ラバンの宿にいるエウンを訊ねてくれと言ってくれ」
「……わかりました。ラバンの宿のエウンさんですね」
マスターの反応を見て、小男はカウンター席から降りた。軽やかに降りたが、その足元が少しふらついている。酒のせいかもしれないが、座り過ぎもあるのだろう。
「では頼んだぞ」
と、言い残して小男は退店していった。
その姿を見送ったマスターに、給仕の女が小声で問いかける。
「いいんですか? マスター?」
「なにが?」
「白の人たちが来たら伝えるの? こんな怪しいことを?」
「言わんさ」
マスターは言葉短く言って仕事に戻った。
しばらく納得できない様子で、マスターの顔を眺めていた給仕も、やがて「ならいいけど」と仕事に戻った。
仕事に戻った給仕の背をちらりと伺い、マスターは誰にも聞かれないように呟いた。
「せっかく更生してるって話だし、邪魔をしちゃ悪かろう」
独り言を吐き出し、かつての悪客を応援するように小さな笑みを浮かべた。そして足元で光る小さな真新しい金庫を眺めた。
そこには少しづつだが、白柄組メンバーの詫び金が貯まり始めていた。白柄組の各々が、店の被害額に当ててくれと言って、気持ち程度に持ってきた金だ。
はっきりいって、被害金額にはまだ足りない。具体的に、まだ半分にもみたない。
「悪い気はしないし、な」
彼らは悪い客だったが、あからさまな犯罪や悪行をしたというわけではない。許してやるのも大人の務めだ、とマスターは自分に言い聞かせて仕事に戻った。
* * *
怪しい小男が、酒場を訪れなくなってから数日後――。
日が照り付けるお昼時の川港に、1人の小男が姿を現した。
食事の時間直前なので、忙しそうに荷卸しする作業員がそこかしこにいる。積み重ねられた荷と行き交う男たちが、何かを探す小男の視線を遮る。
邪魔そうにされながらも、小男は身軽な動きで川湾の船着き場をウロウロとしていた。
「おい、そこのにーちゃん。ここに、なんの用だい!」
3人の男衆を従え、初老の大男が小男に声をかけた。初老の大男は、川港の労働者を取りまとめる年寄衆の1人で、若い労働者たちからは親方と呼ばれている。
川港に「親方」という役職も立場もないのだが、雰囲気とノリと親しみから、彼は「親方」なのである。
「……」
親方に声をかけられ、小男は警戒している様子だった。
「なぁんだぁ? おい、口がきけねぇってなら紙とペンでも用意させるか? あん?」
デカい親方が、小男にデカい声を叩き付ける。見ようによっては、強い者に声をかけられて、弱い者が萎縮してる姿に見えた。
しかし人物観察に長けた親方は気が付いていた。この小男が、並の人物でないということを。
混雑して忙しい時間の川港で、うろちょろどころか、のらりくらりと人を躱しながら、何かを探す姿。
それはただの迷い人ではない。確実に、身体を動かすことに慣れた人物のソレである、と。
互いに警戒しつつ、探りつつ……周囲に緊張が走る。
この緊張を解いたのは、小男の方だった。
「すまない、ここに白柄組の者たちがいると訊いてきた。彼らに話があると取り次いで……」
「ああんっ!? 白柄組ぃ~? あ、知らねぇなぁ~っ!。用がそれだけなら、仕事の邪魔だっ! おい、おめぇら。こん人を出口に案内してやれ!」
取り付く島もないとは、このことだろう。
親方の指示1つで、周囲の男たちが集まる。筋肉がはちきればかりの、肉体労働者たちだ。
こんな男たちに囲まれても、小男は怯える様子がない。仕方ないという態度で、小男は川港労働者に連れられて去っていった。
「妙に大人しかったな。もう少しゴネるとおもったんだが……」
川港から小男が、丁重に追い出される姿を確認してから、親方は不満げに呟いた。
控えていた部下が、畏れながらと親方に訊ねる。
「親方。白のあいつらぁは倉庫の整理に行ってるはずですが?」
「いぃんだよ。ばぁろー! あんな怪しいヤツの話なんて繋ぐ必要はねぇっ! 他の連中にもそう言っとけ! あとあの男は2度とここに入れるな! もしもあの男を見かけたら、あのガキどもをすぐに船倉か倉庫の仕事に回せ!」
「へい」
部下たちは親方の指示を受け、すぐさま各所へ連絡するため走った。
「ふんっ!」
親方は1人になると、白柄組の連中が働く倉庫を見て、鼻息ともため息ともつかない半端な息を出した。
「酒場のマスターから話を聞いちゃいたが……。こりゃ夜店の親分さんとも相談しておくか」
* * *
「あなた、何をしてるのかしら?」
王都のどこか。薄暗い地下室――。
マルチ・プルートの姿をしたモノイドは、際どいミニスカートを捲り上げさせつつ、足を高く振り上げた。そして黒い何かに向かって、一気に振り降ろす。
ゲシッ!
肉に踵がめり込む音だ。
「あふんっ! ありがとうございます! あ、違った! 申し訳ございません! モノイド様!」
踏みつけられた小男が、お礼なのかお詫びなのか分からないことを言った。
マルチ=モノイドの足が小男の腰に食い込む。どうみてもお仕置きなのに「ご褒美だ」という顔で、小男は身悶える。
「し、白柄組が捕まらないのです! あひぃっ! あいつら、無頼の癖にあちこちで仕事、あ、そこはっ! 街の連中が非協力的……おふぅ~……、というか、なぜかあいつらに好意的で……本当に士族六派の無頼集団なの? って感じなのですぅおふおふおほぉ~~っ!」
ぐりぐりと踏まれながら、言い訳と嬌声を上げる小男。
「まったくっ! あなたったらっ! 仕事もっ! できないっ! 癖にっ! これがっ! いいのっ! かしらっ!? まったくっ! ほんとっ! 気持ちっ! 悪いわねっ!」
靴裏で小男を蹴りつけ 踏みにじり、言葉で激しく責めるマルチ=モノイド。
気持ち悪いと言いながらも、彼女の頬は紅潮していた。
「そう! じゃあ、白柄組を炊きつけて、葡萄孤児院の子供たちをどうこうしようって計画は無しね!」
「……はい」
解放された小男は、息も絶え絶えすぐさま平伏する。
「あの孤児院……2人も代入適格者がいるのに、あのエルフのせいで手を出せない……。あれほどの逸材ならば、古来種の方々の【多重定義者】の素体になるかもしれないのに」
「いかがいたしますか?」
真顔に戻った小男に対し、未だマルチ=モノイドの息は荒く頬は紅潮している。
「騎士団も動いてるというし……。彼らに罪を擦り付ける方向でやってみようかしら?」
悪意に満ちたマルチ=モノイドの顔は、悪事を思い描き酷く高揚していた。
その姿に、マルチ・プルートの意志を見出す事はできない――。
* * *
もういくつ寝ると~、運動会ぃ。
……あ、いけね。運動大会だ。
たまーに、アザナのヤツが運動会とか言うから、オレまで間違えるぜ。
3回寝ると運動大会だから――あと3日、か。
う~ん、実年齢21歳とはいえ、なんかこう……ワクワクするね。
10歳から15歳の子供たちが躍動する場所で、ワクワクする21歳ってどうよって気もするが、不純な気持ちは一切ないし、見た目と身体は11歳なんだから、圧倒的セーフだ。
「では解散! 気を付けて帰れよっ!」
右組団長ワイルデューが、運動大会の練習終了を大声で告げた。髭面樽腹という見た目と相まって、本当に先生みたいだ。
そのワイルデューが孤児院出身と聞いて調べてみたところ、未だに月末は孤児院へ帰るらしい。
「あのワイルデュー先輩の出身孤児院に、ゴーレム製作の手伝いを依頼するか……。内職受け付けてくれるような状況か、それを先に調べてみるのもいいだろう」
「なるほど! アザナくんのやり方をパクるんだね?」
オレの計画に、もともこうもないツッコミをいれるペランドー。
「いや、確かにそうなんだが……。ああ、まあなんだ。魔胞体陣の中の魔法陣を、いろいろパクってる俺が言うのもなんだが、もっとこう……言いようが……」
しかしパクリだ。
身もふたもないが、オレはアザナのやり口を真似る。
「ワイルデュー先輩が研究に参加してくれれば、それこそ百人力だよ。だってドワーフだもん」
もっともだ。
確かにその通り。
ペランドーの言うことはもっともだ。
優秀なドワーフが味方に付けば、アザナのゴーレム製作に対抗できるだろう。いくらアイツが天才とはいえ、人の範疇。ものつくりに関して、人より優れたドワーフと比べたら物足りない。
もっとも、アザナの凄いところは製作ではなく、開発のアイデアなのだが――。
「あ、ザルガラくん。見て見て!」
解散し、生徒たちがまばらに下校する中、ペランドーが何かを見つけて指差した。
その方向を見ると、白で統一された集団が露店の準備をしていた。
白柄組の連中だ。
トレードマークの白コートではなく、白の労働服姿である。
白い労働服という非効率極まりない恰好だが、夜店露店の食品を扱う店員と考えると、とても清潔感があってよい。
運動大会はお祭り騒ぎだ。一般人の入場は制限されるが、生徒の父兄と関係者が多く集まる。それを狙った食べ物の露店が、いくつも出店するのだが、その何軒かが白柄組の連中なのだろう。
ほんと、更生してるな、アイツら。
他の六派無頼と違い、白柄組はそれほどひどい噂は聞かなかったが、それでもこのあたりでは素行不良で有名だった。
そんなヤツらが、ああして更生している姿は心打たれるものがある。
なんというか許すことによる優越感というか……。ああ、許すって言っても、別にアイツらに迷惑被った記憶ねーや、オレ。
アイツらのせいで痛い目にあった者や、悔しい目をあった者もいるだろう。
それをどう解決するか知らんが、オレのような無関係な人間がどうこう言う必要もない。
「ザルガラくん! あれはワナナチョコの看板だよ! 楽しみだね」
「なんだ? ワナナチョコって?」
ペランドーは露店の食べ物に、思いを馳せているようだった。
ワナナってなんだ?
チョコは分かるがワナナは分からん。
「たしかアザナくんが広めたって聞いたけど、ワナナチョコっていうのは、果物をチョコで包む食べ物だよ」
「へえ、アイツ、そんなモンも作ってるのか」
なんで金がないんだろう、アイツ。実家がそんなに大変なのか?
「アザナくんは、いろいろなお菓子を作って、エッジファセット公を介して販売してるんだって」
「ふーん。多才だな」
正直、そっちで張り合うつもりはないので聞き流……そうとオレは思ったが、そんだけ商売に関わってて、ほんとになんでアイツは金ないんだ? と疑問を深める。
オレがそんなくだらないことで首を捻っていると、女子生徒のグループが、白柄組の露店に興味を引かれて近寄っていく。
「わぁ、おいしそう」
「おう、なんでも旨いぜ!」
「大会が楽しみねぇ」
「おう、ガキども。買いに来てくれよな」
「うん、任せ!」
「おいおい、食べすぎんなよ」
「いいのよ! お母さんがとってもいい痩せ薬を――」
和気あいあいと女子生徒と会話する白柄組の連中は、もれなく爽やかな笑顔をしてやがる。もう無頼の顔をしていない。
「アイツら、すっかり更生してんなぁ」
もう市井で立派に生きていけるだろ、アイツら
ドラマや時代劇とかでよくありそうなパターンを回避していくスタイル。
ワナナはバナナです。
ワナナバニ園というのが、この世界にはあるかもしれません。
登場人物紹介などを、近日中に公開できると思います。期待して…あんまり期待しすぎないで、お待ちください。




