アルジェブラ 3
3拍子――。
馬のギャロップ音が、ソフィの耳を叩く。
暗い意識から目を覚ますと、そこはまだ暗かった。
「親分! ガキが目を覚ましましたぜ」
聞きなれぬ頭上の声で、ソフィは見知らぬ男に抱えられて馬に乗っていると気が付いた。
「は、放しなさい!」
「おおっと、落ちちまうぞ!」
ソフィが暴れると、男はわざとらしく手綱を緩めて、馬を蛇行させた。
「ひぅ!」
暗闇でも速い地面が見えた。
先頭の男が、前方を魔法の光で照らしているようだ。
「気が付いたか。大人しくしてれば、そこらで解放してやるから辛抱してな」
バツ印の男はそう言ったが、ウソだった。
人質を取ったのは、追撃を鈍らせるためだ。
盾にもなるし、突き落せば追跡者を1人足止めできる。
子供を殺して捨て置いておけば、別の街で連絡を受けた捜索者に姿を見られても、子供を探している目を誤魔化すことができる。
「ペ、ペランドーは魔法学園の優秀な生徒よ! すぐに助けに来るわ! 痛い目に合う前に、私を解放しなさい!」
ソフィははっきりとした声で叫んだ。これにはバツ印の男も驚いた。
「いやぁ、立派なお嬢ちゃんじゃねぇか。あのビビりなガキとは大違いだ」
「……ペランドーのこと?」
「ああ、お前にとっちゃ凄い魔法使いらしいが、あの腰抜けのガキじゃ追ってくるわけがないな」
「第一、馬がいませんよ、親分」
「そういえばそうだった。もっともあのガキじゃ、馬にも乗れねぇんじゃねーか?」
「ちがいねぇ」
「ひはははっ!」
男たちにペランドーがバカにされているが、ソフィは否定できなかった。
ソフィは知っている。彼の心が弱いことを。それに付けこんでいるソフィ本人だ。よく知っている。
誰も助けに来ないと気が付いて、ソフィは身を縮めた。
その時――。
「誰か、追ってきてます!」
右後方にいた男が何かに気が付き、振り向いて言った。
全員が耳を澄ました。確かに後方から、力強いギャロップ音が聞こえる。
「くそっ! 見えない!」
バツ印の男は、失敗に気が付いた。
林道に入ったのは失敗だった。
上を覆われ、月明かりが届かない。追撃者を確認することができなかった。
馬では追われる側が、不利になる場合もある。
先を走る男たちは、逃げるためにも前を明かりで照らさなくてはならない。この光源は追跡の目印になる。
そして今回のように山道の場合、先を走る側が最も不利となる点。それは――。
「親分! あっちは馬一頭のようですっべぇうっげっ!!」
「バカ野郎!」
部下の一人が、後ろばかり気にしていたせいで、枝に頭をぶつけて落下していった。
あっという間に、木々と暗闇の中に消えて行く。
馬はある程度、危険を避けて走ってくれるが、背の人間まで気にかけてくれない。
しかも、悪いことにこちらの動きで、どこに障害物があるかを追撃者に教えてしまうことになる。
逃走者は、位置も走りやすい道も無防備な背中も、すべて見せる事になる。
中には背面撃ちの弓妙技で、この不利を逆手にとる騎馬民族もいるが、この男たちに弓も技量もない。
しかし、バツ印の男にまったく手がないということではない。
「まずいな……。だが、その分、動きが分かるってこった」
追撃者のコースを誘導させることができる。わざと大げさに右に回るなどすれば、そこに障害物があると思って、追撃者は逃走者に倣う。
追撃者の馬が、わずかにコースを変えた足音が聞こえた。
「そこだっ!」
誘ったコース目がけ、見えぬ追撃者に魔力弾を放った。
命中!
したはずだが、魔力弾は追撃者の投影していた魔法陣に当たって砕けた。
「くそっ!」
コースが誘導できるということは、攻撃の目標もバレるということだ。
バツ印の男は浅はかだった。
盾を翳す場所を限定させているようなものだ。
無駄な魔力を使ってしまった。
相手は未熟でもエンディアンネス魔法学園の生徒。魔力は確実に高い。
2枚の正3角形陣を投影し、不相応な魔法を使うバツ印の男は燃費が悪い上に、魔力の総量が低い。
撃ち合いは不利だと悟り、バツ印の男は正3角形陣を防御に使うことにした。
魔法陣は武器にも防具にもなる。ならば、不相応な魔法陣で魔力を無駄使いしたりせず、投影だけして防御に回すことにした。
攻撃は部下に任せればいい。
「……しかし今、馬が防御したような?」
魔法が当たる瞬間、馬の足音が変わったように聞こえた。
その推測は正解だった。
追撃者は、ナイトとペランドーの即席コンビだ。
ペランドーは前方に、魔法陣の出来そこないを投影していただけだった。魔法攻撃への警戒と、障害物への対策だ。
ナイトは馬上のそれを知っており、飛んできた魔法を察して軌道を変え、魔法陣を魔力弾の盾とした。
馬上のペランドーは、ナイトの賢さに驚いた。
しかし急な軌道変更は、膝に大きな負担がかかる。
炎症を起こしている膝に。
ナイトが嘶く。激痛だろう。他人(他馬?)事ながら、ペランドーも痛みを想像して身を竦めた。
「がんばれ、ナイト……。ソフィのために……、ぼくの意地のために!」
ペランドーは、前方の光源を追う。さっき落ちた男はおそらく死んだだろう。だが、巻き込まれてソフィが落ちた様子はない。
まだペランドーは追う。ナイトが追う。
一方、逃げるバツ印は次の手を打つ。
「林道を一時抜けるぞ! 速度を落として迎え撃つぞ!」
林の中や森の中には飛び込めない。一般的に森は、藪などで壁と言っていいほど深いからだ。林とてそれに準じる。
いずれ追い付かれるなら、連携の取れる今のうちだと、部下に指示を与える。
ソフィを抱える部下に魔法の光源を与えて囮にし、前方にださせ、バツ印自らは横へと回る。追撃者に側撃する作戦だ。
林の暗闇の中から、黒い馬が飛び出してきた。
「あの足で、なんで走れる?」
黒毛の馬は、足を腫らしていた。それどころか、後ろ脚は長い距離を走るのに不向きな、バツ型足だった。
見目も体躯も駄馬と言っていい。よいのは大きさだけだ。その大きさが、バツ型足に負担をかける。
しかし、馬は無視だ。バツ印は騎乗者を狙って魔法を放った。
ほとんど姿は見えないが、大きな馬のシルエットは見える。その上を狙う――。
外れた……。
「外れただとぅっ!」
バツ印は悲鳴混じりに驚愕の声を上げた。
実は、ペランドーは林を抜ける時に振り落とされていた。
だからこそ、バツ印は気が付かなかった。馬上に標的がいないことに。
よもや、馬が人質を救う騎士を振り落とす、など考えもつかない。
さらに彼は愚かにも、自分の位置を魔力弾の発射によって知らしめてしまった。
林の中という完全な死角から飛んできた魔力弾が、バツ印の投影魔法陣の間を抜けて肩を打ち抜く。
「ごわっ!」
ペランドーの魔力弾は、バツ印の男より遥かに威力が高い。いかに投影魔法陣が使えようと、魔力の地金が段違いに違う。
一発で意識を奪われ、落馬で更なる大怪我を負ったバツ印は、不幸なことに今まで乗っていた馬に踏まれた。
死んではいないが、もはやまともに歩くこともしゃべることもできないだろう。
そしてソフィを人質にとっていた男は、跳ね挑むナイトの前足に蹴られ、一撃で顔を潰されて吹っ飛んだ。
「ナイト! よくやったわ!」
ソフィは馬を飛び降り、ナイトの首に抱き付いた。
大好きなナイトが、男をひどい目に合わせ、少し嗜虐趣味のあるソフィは胸がすく思いだった。
「ソフィ!」
林の中からペランドーが駆けてくる。さすがのソフィも、ペランドーを褒めてやろうとそちらに歩きだす。
「ペランドー! 遅いわよ!」
褒めてない。
まったく褒めていない。
「遅くないよ!」
「……く、口答えするんじゃないわよ!」
怒鳴ればすぐ萎縮するはずのペランドーが、大声で言い返してきたのソフィは驚いた。
そのソフィの後ろで、黒い影が消えた。
振り返ると、大きな馬が消えていた。
見上げる視線の先に、ナイトがいなかった。
いや、倒れていた。
「う、うそ! ナイト! なんでっ! バカ、ペランドー! あんたが無理させたから、ナイトが苦しんでるじゃない!」
ナイトの息が弱まっている。
片手間でしか馬の面倒を見ていないソフィでも、ナイトが危険な状況だとわかる。馬が珠のような汗をかき、肌を触れれば熱い。
ナイトを撫でながら、ソフィは振り返ってペランドーを責めた。
「やだ! ナイトが! ナイトが死んじゃう! ペランドー! あんたのせいよ! あんたが……」
ドンッ……。
倒れていたナイトが首を振って、ソフィを突き飛ばした。
大好きなナイトの仕打ちを理解できず、尻もちをついたまま少女は震え始めた。
「……な、なんで?」
「ぼくがソフィを助けたいと言いだして、このナイトがいう事を聞くと思う?」
呆然とするソフィに、ペランドーが静かにいった。その声は優しいという言葉で誤魔化す、いつもの弱々しい声ではなかった。
別人と思えるほど、はっきりと声が出ていた。単純に大きい声というわけではない。
彼の本当の声。
ソフィは初めて、彼の本当の声を聴いた。
「それにぼくは、ソフィを助けにきたんじゃない!」
一転して、ペランドーが声を荒らげた。ソフィは気圧されて、尻もちを繰り返しながら、ナイトの身体の上に倒れ込む。
「ぼくはあのバッテン頭にバカにされた! それが許せなかったっ! だから、思い知らせるために、叩きのめして、結果きみを助けて見せただけだ!」
ペランドーはソフィを見捨てるつもりだった。
だが、それではあまりにも惨めだ。
昔からソフィに振り回され、嫌な思いをした。このままいなくなれば、楽になれると一瞬ペランドーは考えた。
だがそれでは、ソフィにイジメられたペランドー。という事実だけが残る。
もうソフィを見返すこともできない。
そして何より、そのソフィという存在を取り除いたのは、ペランドーをバカにしたバッテン男だ。
底辺だ。
悪いことも良いことも立派なこともやらないで、すべてに負け続ける言い訳のできない底辺のペランドーが完成だ。
あのまま厩舎で大人しく縮こまっていたならば、ペランドーはどういう存在になるのか?
卑劣にも女子供を攻撃し、盗みをするバッテンの男。
犯罪者というバッテン男から、身を守れない軟弱なソフィ。
そのソフィより、さらに惨めなペランドー。
図式の完成だ。
それをひっくり返す。
ペランドーにとってこの戦いは、反骨と反逆を示す最初の戦いだったのだ。
彼は戦いに勝った。
人からはバカにされるかもしれない。
意地と負けん気という衝動で、危険な行動をしたのだから。
だが、ペランドーは戦って勝った。
勝者であることは変わりない。
「私は……ついで、なの?」
ペランドーの高揚する顔を憎々しげに見上げ、ソフィは呟いた。
「ぼくにとっては」
弱い少女の鋭い視線など、もうそよ風にしか感じない。ペランドーは受け流し、ナイトを指差した。
「でもナイトは違う。ナイトはきみを助けたいから、命をかけて追った」
ソフィはハッとして、冷たくなっていくナイトに視線を落とす。
「だから、ソフィ……。きみはナイトにだけ、お礼を言えばいい。だけどもしも、ぼくを責めるというなら……きみを助けるために、ぼくを利用したナイトの賢い忠誠を、ソフィはぜんぶ否定することになるよ」
ナイトは自分だけで助けられないと分かっていた。
だから、ペランドーを背に乗せた。
一度たりとて、ペランドーに許さなかった誇り高い背を。
ナイトは自分のプライド捻じ曲げて、ペランドーを頼った。
ペランドーはそのプライドに乗って、男の意地を付き通した。
ペランドーはまずそこで、ナイトに打ち勝ったといっていい。もちろん、ナイトが仕方なく膝を折った形だが。
そしてペランドーはナイトを御して、バッテン男たちに勝ち、ソフィを助けた。
倒れているものまで全てを含め、今ここの頂点にいるのはペランドーだ。
ソフィとて、それが分からぬ愚か者ではない。むしろそういった強弱の序列に聡い。
今夜、たった今、ついさっき――ソフィは追い越されたのだ。
単純な強さも、精神的な意味でも。
逃げるようにペランドーから視線を外し、ソフィは大切なナイトを撫でた。
「……ありがとう、ナイト」
弱々しい呼吸音が途絶える。
やっと、そこでソフィは泣き始めた。ナイトが死んだからなのか、自分の弱さに気が付いたからは分からない。だがそれは少なくともペランドーに負けたから、などという悔し涙には見えなった。
ペランドーは黙って、幼なじみが泣き止むまで待った。
空が明るくなるころ、飼育員が巡回兵たちを連れて現れた。
そのころにはソフィも泣き止んでいたが、ペランドーは黙って待っていた。
巡回兵たちが後始末をし、飼育員がソフィを助け起こす。
「ねえ、ペランドー」
「うん? なに?」
いつもと変わらないように見えるペランドー。だが、たった一晩でとても大きくなり、遠くにいってしまったような気がした。
「いらないってあなたは言うけど、お礼を言わせて……。ありがとう。……それから今までごめんなさい」
ソフィは顔を背けたままだったが、ペランドーは意外と悪い気分はしなかった。
ここでザルガラをマネて、皮肉の一つも言いたかったが、そんな言葉は出てこない。これは彼の生来の気質だ。
「うん、大したことじゃないよ」
強者の余裕。
勝者の言葉。
ペランドーは初めて、それらを経験した。
* * *
「あぁあ……。なぁんか最近、教頭会のやつらに怒られるため、登校してる気がするわ。二度目の楽しい学園生活のはずなのに、ちょっとここだけ変だぞ?」
『学校、学園? お勉強きらーい。お説教きらーい』
オレは登校直後、教頭会に呼び出されてげんなりとしていた。
肩の上で、タルピーも同意していた。若干、意味合いが違うが。
「ザルガラくん! おはよう!」
説教部屋としか思えない学園長室に向かっていると、ペランドーが声をかけてきた。
「ごめんね! お見舞いにいけなくて!」
「ああ、話は聞いたよ。大変だったらしいな」
ペランドーは有名な強盗犯を一網打尽にしたらしい。オレほどじゃないが、王都でちょっとした話題になっていた。
大騒ぎしている根源は、どうもペランドーのオヤジらしいが。
「うん。試験直前でいろいろあって大変だったよ」
「そんな時期か。ほんと、いろいろあってそんな気がしねぇな」
まあ試験なんて余裕だからいいけどな。ちょっと忘れてる学科で成績下がりそうだが。
「つぎの試験、学科の一つだけでもザルガラくんに勝つよ!」
不意にペランドーがそんな事を言い出した。
バカなことをいいだして――。と、思うと同時に、なぜか嬉しかった。
「汚ねぇぞ! オレが仮病……じゃない、寝込んでた隙を狙うとか!」
「だからチャンスじゃないか! それに今回だけじゃないよ。負けても次も次も、挑戦するからね!」
「そうかい。そりゃ楽しみだ」
ほんと、楽しみだ。
「じゃあ、オレは教頭会のところに顔だしてくるんで」
「うん、じゃあまた教室でね」
ペランドーは晴れ晴れとした顔で去っていった。
「うーん。こういうのなんていうんだっけ? アザナのヤツが言ってたな……」
「男子3日会わざれば刮目して見よ。だね」
「うおっ! アザナ!」
オレの独り言に、いつの間にか現れたアザナが反応して答えた。
って、考えて見れば一緒に教頭会に呼ばれてるんだから、学園長室に続く廊下で出会っても当然か。
教頭会へ説教を貰いに行くとは思えない笑顔を見せるアザナは、首を傾げてオレの肩の上を指差した。
「ねえ、その子って、もしかして上級精霊?」
「そうか。見えるんだな、コイツのこと」
そう言えばそうだった。
あんまり関係ないことなので忘れていた。
「ボクにも精霊の友達がいるんですよ」
「え? あ、そうか」
おう、知ってる。二度目だからな、オレ。
「お揃いですね! お揃いっ!」
「な、なんで嬉しそうなんだよ!」
なんかオレも嬉しいが、気のせいだ。
『ふーん、精霊の友達がいるんだぁ。じゃあアタイの部下もいるかもね! さあアタイに挨拶させな! 少年!』
「おい、あんまり大きなこと言うなよ」
オレは「知っている」ので、肩の上でいい気になってるタルピーを諌めた。しかし、調子にノッているタルピーの耳には届かない。
タルピーの要望に応え、アザナは高次元から精霊など友達たちを呼び出した。
『ン? メズラシイナ』
『お、イフリータじゃねぇか』
『アザナちゃんの、お仲間にはいませんね』
『下位はともかく、上級の火精霊は住みかが限定されますからしかたありません』
『お名前は? イフリータのお嬢ちゃん』
光の戦乙女、半裸の水精霊、夜の女王、百鬼将軍、白大蛇、地の巨人などなどなど――。アザナの背後で、厚い壁となり居並ぶ。
イフリータより高位の最上級数体に、上級と中級が入り混じり、精霊や妖精、妖鬼などの集団がいた。
そう。アザナは今は無き上位種族と交流をもっていた。前の人生で知ったのはだいぶ後だが、アザナはそういった存在から知識や助言を得て、いろいろと活躍してこれたのだ。
彼らは置き去りにされたイフリータと違い、古来種と共にこの世界から去っている。ここにいるのは残留思念や、高次元からの分身というアストラル体だ。
そのほとんどが魔力不足で、タルピーほど実体化してない。大きくこの次元に関与できないだろう。オレやこの世界の住人には無害である。だが、同じ次元に一部身体を持っているタルピーにとっては違う。
大勢の上位種族のアストラル体に囲まれ、頭を撫でられながらタルピーは震えている。
『あわわわわ……』
あ、タルピーのやつ魔力漏らしやがった。
短編終了。
明日から第三章予定。
旅行中で感想返しができませんですみません。




