アルジェブラ 2
夜も更け、風すら眠ってしまう牧場の暗闇。
厩舎の一角だけ、煌々と明かりが灯される。
そこで膝を抱え、ペランドーは眠い目を擦りながら、2つの音を耳にしていた。
一つはソフィの寝息。
もう一つは、ナイトが飼い葉を食む音。
「なんだ。結構、元気じゃないか」
ゆっくりとだが、ナイトは飼い葉を食べている。
弱ってたり死にかけていたら、普通は物を食べようとしない。
看病を始めると同時に、ソフィが「元気になりなさいよ」と飼い葉を与えた時は、ひどいことをするなと思ったが、その時から少しずつナイトは食べていた。
「看病する必要あるの~?」
意外と元気そうなナイトを見つめつつ呟くと同時に、むくっとソフィが起き出した。
「ソ、ソフィ!」
怒られるとペランドーは身構えたが、ソフィはふらふらと厩舎の外へと歩いていく。
「ど、どうしたの?」
声をかけ、ペランドーはついていこうとしたが――。
「ついてくるんじゃないわよっ!」
けんもほろろに追い返された。
ソフィは厩舎の外へと出て行ってしまう。
ペランドーは1人になり、ため息をついた。
「あーあ。ザルガラくんみたいになれたらなぁ」
彼のつぶやきは、ザルガラのように強くなりたいという意味ではない。
ザルガラのように、我を出して生きたいという意味だ。
上に対しても、下に対しても、強気で我を通すザルガラに、ペランドーは憧れている。人と距離を置き、交友を絞っているように思える。
実際は違うのだが。
ザルガラは友人、誰でもウェルカム‥‥状態なのだが。
誰とも親しくせず、人との間に壁を作っておきながら、助けを求めれば手を取ってくれるというザルガラ。
実際は違うのだが。
距離感が分からず、手を出されると喜んでお手状態になっているだけだが。
そんな中、ペランドーは友人として選ばれた優越感がある。と、同時に劣等感があった。
「あ~あ……。なにが足りないんだろう?」
飛びぬけた魔法の才能ではないと、ペランドーは分かっている。何しろ、彼は世間から見れば、圧倒的な才能を持っている。王都の一市民で、エンディアンネス魔法学園の門戸を潜れるのは、年に数人しかいない。
ペランドーはその1人だ。
誇って、奢って、増長してもいい。それくらいの将来、有望な少年。
「きっと、性格……なのかなぁ」
多分にソフィとの幼少期からの関係もあるのだが、ペランドーにとって彼女はあまりにも身近な存在すぎて、気が付かない。
そうしてしばらくしていると、厩舎のぽっかりあいた入り口の向こう――黒い闇、そこで――
「きゃぁああっ!!」
黒の中で、悲鳴が上がった。
「ソフィ!」
今まで何度も聞いたソフィの声。だが、聞いたこともない必死な悲鳴。
幼なじみの声に反応して立ち上がる。
不意に暗闇の中からは不穏な魔力を感じ、不完全ながら投影魔法陣を眼前に描いた。
線でも投射型の魔法ならば、ある程度まで防げる。地金で魔力勝ちしていれば、完全に防ぐことができる。
それを見込んでの行動だった。
しかし、闇の中から飛んできた魔法は、予想を超えていた。
「『なにをいってもなにをしてもなにをやっても、だめだだめだだめだ!』
長い呪文の意味を悟ると同時に、ペランドーは強い虚脱感を感じて膝をついてしまった。
「阻害、の……新式魔法……だって!」
目に見えて飛んでくる攻撃魔法は、魔法陣で防げる。だが、こういった魔法はそういかなかった。自分の魔力を制御して、抵抗しなくてはいけない。
ペランドーにはその実力がなかった。
そして、単純に攻撃する魔法と違い、他人に不利益や不都合を与える魔法は難しい。
自分を強化したり、変化させる魔法は比較的簡単だが、他人にそれをかけるのは難度が跳ね上がる。不利益を与える魔法ならなおさらだ。
それを使ってくる魔法使い。
並の腕ではない。
ペランドーは恐怖した。自分の腕では敵わないと、瞬時に悟る。
「学園の魔法使いがみんな、投影魔法が出来るとはかぎらんが、撃ち合いになったら魔力の地金で負けちまうからなぁ」
暗闇の中から、魔法手帳をひらひらとさせる男が現れた。肉食獣を思わせる大柄の男で、額にはバツ印に傷がついている。
手帳はボロボロで、あと数回で使えなくなるような代物だ。しかし、阻害魔法などの魔法は、手帳に収録されてはいないはずである。
「……市販の手帳に……阻害魔法なんて……」
「普通はないな。だが……」
×印の男は、にやつきながらペランドーを見下し、正3角形の魔法陣を2枚作り出した。
いまだペランドーが出来ない投影魔法陣。
立体ではないが、×印の男はそれができていた。投影はゆっくりとはしているが、熟練していることが伺えた。
「魔力さえ高ければ、俺も学園に行けたかもしれないなぁ」
「いったい、何を……する気?」
「う~ん。ちょっと馬を戴きに来た悪いヤツだねぇ。おい、てめぇら。人数分、用意しろ」
満足げに×印の男は言った。ペランドーに対する魔法の効き具合を見て、愉悦に浸っているように見える。
男の声を受け、暗闇の中から2人の男が姿を現した。1人は気を失っているらしいソフィを、小脇に抱えている。
「ソ、ソフィ……」
ペランドーの声は小さい。阻害の魔法がよく効いている。
動けないペランドーを後目に、部下らしき2人の男たちは、壁にかかった鞍を奪って、元気に3頭に装着した。
「4頭いますね。全部、頂いていきますか?」
「ん? 1頭は病気の馬じゃないか。置いていけ」
必死に立ち上がろうと、もがいているナイトを見て、鼻で笑う。
そして、魔法で動けずに甘んじているペランドーを見て、呆れたように肩を落とす。
「魔法学園のナイト様かと思ったが、実力も根性も並以下か」
「……」
ペランドーは反論しなかった。下手に反論して、不興を買って痛めつけら得るのは御免だからだ。
馬を盗んで、このままいなくなってくれ、と心の中で祈る。
「親分、準備できました」
部下が×印の男用の馬を曳いてきた。
「……おい、ボウズ。俺たちがお前を殺さないのは、やり過ぎたら追撃が厳しくなるからだ。俺たちが逃げるまで、そこで大人しくしてな。このお嬢ちゃんは人質だ。うまく逃げられたらどっかで解放してやる。……わかるな」
ペランドーは動きにくいにも関わらず、必死に首を縦に振った。
「よぉし、いくぞ!」
×印の男は、もうペランドーを危険視していない。馬に跨り、振り向きもしない。
部下の馬には、気を失ったソフィの姿があったが、すぐに男たちと共に闇へと飲み込まれていく。
走り去る蹄鉄の音を耳にしつつ、内心、複雑だが、ペランドーは必死に言い訳を考えていた。
――大丈夫、ぼくは無事。敵は優秀な魔法使いで、不意打ちもあって動けなかった。ソフィだって助けるって言ってた。
――それに、もしもソフィにもしもの事があれば、ぼくはやっとイジメから解放され……。
あらぬことを考えたペランドーの背後で、黒い影が立ち上がる。
影を後ろから被せられ、ペランドーは恐怖した。
あの男たちが戻ってきて、後ろから刺そうとしているのではっ!
今まで阻害の魔法に逆らわなかったペランドーだったが、あまりの恐怖で魔法に打ち勝ち振り返った。
黒いナイトが立っていた。
黒い眼で、黒い考えをしたペランドーを見下していた。
改めてペランドーは思う。
――こいつ、こんなに大きかったか?
まだ11歳のペランドーだが、初めてナイトと会った6歳の頃を比べれば大きくなっている。
だが、その時を比べて、またさらにナイトは大きくなったように思えた。
夜を吸い込んで、大きくなった。そう錯覚するほどだった。
とても病で臥せっていたとは思えない。
責めるようにペランドーを見下ろしていたが、くいっと壁を顔で差す。そこには鞍がぶら下がっている。
「一緒に追えっていうの?」
命の危険がある。物置にいる飼育員に任せたっていいんじゃないか?
あとは衛兵や巡回兵に任せるべきじゃないか? ぼくはまだ子供だ。ソフィだって、無事解放されるに違いない。
言い訳を心の中で繰り返していると、ナイトは鼻先でペランドーを突き転がした。
「う、うわ! なにをするんだ!」
起き上がり抗議し、そして気が付く。
魔法が解けていた。
いや、とっくに魔法の効果はなかったのだが、恐怖で動けなかっただけだ。そして恐怖だけではない。ペランドーの言い訳する心が、自分の身体を縛っていた。
気が付かされたペランドーは見た。
ナイトの黒い目の中に、ザルガラの姿を。
ナイトは、どこか彼に似ていた。
ごくごく単純な怒りを秘めた目。
「そ、そうだ! ぼくはザルガラくんみたいになりたいって思ってたんだ!」
ペランドーは壁の鞍に飛びついた。
「どこかでソフィが1人で解放されたって、あんな子が無事でいられるはずがない!」
鞍をナイトに装着する。
「『上におちろ!』」
ペランドーの身体が僅かだが浮く。その勢いでナイトに飛び乗り、手綱を握る。
「なにかあったんですか? お嬢様?」
今頃になって出てきた飼育員の脇を駆け抜け、ナイトとその騎手は暗闇の中に飛び込んだ。
「ぼくはっ! あいつに舐められたんだぞ! バカにされたんだぞっ! 許せるかっ!」




