アルジェブラ 1
王都は歪に広い。
古来種が作った大都市は、上空から見れば幾何学模様をしていることが分かる。そこを喰い広げる虫の巣――現在の王都エンディアンネスは、有機的な形をしていた。
最も長い距離を、歩いて反対側に跨げば2日。最も短い距離を渡れば半日。
移動に適した道を馬車で移動しても、丸1日かかる。
「でも、こうして馬車で移動するのも、いずれ無くなるかもしれないわ」
馬車から街の様子を眺めていたソフィは、振り向いて同席する少年に言った。
「はぁ……」
ペランドーは返事とも、ため息ともつかない反応を見せた。
「古来種の魔力庫が再稼働したし、低空飛行船の復活の目途が立って、移動はそっちが主流になるわよ! でも、まだまだ王都外では馬車が必要。古来種の遺跡外延部までしか、低空飛行船は飛べませんから」
「あのぉ……、ぼくはザルガラくんのところにお見舞いにいくはず……」
出かけ際に拉致されたペランドーは、不平を言おうとしたが、ソフィの一睨みで黙ってしまった。
「ザルガラ、ザルガラ、ザルガラっ! 最近のペランドーはそればっかりっ!」
反対に不平を言い出し、両拳を握りしめ迫るソフィ。
ペランドーは馬車内で追い詰められた。
「あんたはっ! 私のっ! 従者なのっ!」
猫パンチが3発、ペランドーの胸元に飛んだ。痛くはないが、ペランドーは痛がるふりをした。
確かにこのところのペランドーは、アジト作りなどでソフィと行動することがなかった。
あまり空気の読めないペランドーでも、一緒にアジトへ行こうなどとはいえない。あそこはザルガラとペランドーの城だ。
負い目を感じてるわけではないが、バランスを欠いていたと反省した。
「で、でもお見舞いは重要……」
「私だってお見舞いですわ!」
不機嫌そうに言い切り、ソフィはそっぽを向いた。
「ペランドーだって知ってるでしょ? 私のナイトを!」
「ああ、あいつね」
ソフィのナイト。
昔は嫉妬したものだ。
小さい頃、ソフィは何かにつけて、ナイトの事を自慢していた。
やれ、素敵だの、逞しいだの、立派だの、ペランドーと比べたら雲泥の差だの。
散々にペランドーをこき下ろし、ナイトを持ちあげる。
お陰でどんな男だと思っていたら。
「でも、馬でしょ?」
馬だった。
6歳のころ、紹介してやると郊外の牧場に案内され、見せられたナイトは黒毛の馬だった。
確かに大きく立派な馬だった。しかし、騎士の乗り物にナイトと名付けるのは、軍隊にジェネラルと名付けるような物だと、ペランドーは思った。それを言ったら、突き飛ばされた。
「なによ! ナイトはナイトよ! ザルガラなんて、どうせ仮病で寝てるに違いないわ!」
「そんなことないよぉ」
そんなことはあった。
「ナイトは重病なのよ! 看病してあげないといけないのっ!」
先日、ナイトが跛行し始め、獣医に見てもらったところ、前足に炎症を起こしていた。蹄葉炎というかなり危険な病気らしい。
正直、ペランドーはナイトにいい印象がない。気性が荒く、ソフィと馬飼育人以外には攻撃的。特にペランドーを無視する。
可愛くない馬なのだ。
大きく立派とはいえ、見栄えも悪い馬で、恐らく好んで乗馬に選ぶ者は少ないだろう。
なぜかソフィは、その馬を美しく強いという。
ペランドーは、彼女の美的センスを疑っている。
しかしそんなことを言えば、いろいろと反感を買うので黙っていた。
馬車はやがて市街地を抜け、遺跡地帯へと差し掛かる。
王都は中心部から遺跡を食って広げているので、外縁部は必ず遺跡といってよい。一部、市街地が外縁を突破しているのだが、それは珍しい例だ。
遺跡を抜けると、そこにやっと緑を湛える自然があった。
古来種の作った街は、なぜか雑草や木などが育たない。人間が手入れすれば育つのだが、勝手に増えるということはない。古来種は街の整備のため、そういった雑草を防ぐ処置をしたのだろう。
農場は手入れするので育つ。公園も、意図しない草や木が生えないので管理しやすい。しかし、広範囲を伸びるままに任せる牧草ではそういかない。
よって牧場などの施設は、王都と遺跡の外に作らざるを得なかった。古来種の施設は文化的生活を享受させてくれるが、ゆえに不便になっている事例だ。
ナイトは王都外の牧場で飼われいる。外縁部には牧場がいくつもあり、ソフィの父親はそこに小さいが牧場を1つを持っている。
牧場に差し掛かると、馬車内にも草の匂いが入りこんできた。
やがて厩舎特有の匂いまでしてきた。
ペランドーは顔を顰めるが、ソフィは嬉しそうな顔して見せたあとに、心配そうな表情へと変わる。
馬車に気が付いたのか、飼育員が馬を駆らせて牧場からやってきた。
「ようこそおいでくださいました。ナイトが待ってますよ、お嬢様」
馬車と並走し、飼育員は馬上で帽子を取って挨拶をする。
「ナイトは!? ナイトの様子は!? どうなのっ!?」
はしたなくもソフィは馬車から身を乗り出す。今日のソフィはスカートが短いので、ペランドーの視線を引き寄せる。
「あまり芳しくありません。ですが、魔法での治療が上手くいっているので、熱さえひけば回復すると獣医がいっております!」
「熱ね! 熱っ! なら、私でなんとかなるわ! もうナイトも大丈夫ね! 私に看病を任せてっ!」
ソフィは自信を持って言った。
後ろでペランドーは首を捻る。ソフィは自分ならなんとかなると言ったが、彼女はそんな魔法を持っていただろうか?
彼女は魔法の才能が高いわけではない。せいぜい生活の役に立つ新式を、いくつか使える程度である。
微風を吹かせたり、小さな火付けの魔法とか、そういったものだ。
「ねえ、ソフィならなんとかなるって、なにをするの?」
「はあ? あんたが冷水を出して、一晩中冷やすのよ」
ペランドー頼りであった。
「あんたは、私の従者。わかる? つまり私の力。了解?」
泣きそうなペランドーに、ソフィは短いセンテンスで言い切る。
「……了解」
ペランドーはこうして、人生何度目か分からない不承不承な承諾をした。
* * *
「『鉄血女王の涙は冷たい涙』」
本日何度目か分からない呪文を唱え、ペランドーは水桶を冷水で満たした。
今は夜も夜。
深夜に差し掛かり、ペランドーは眠気で目を擦った。
その前で、ソフィが濡らした布を堅く絞っている。
馬小屋の明かりは落とされたが、看病するペランドーたちの周囲は明るい。他の馬はすでに眠っている。
意外な事に、ソフィは本気だった。看病をペランドーに一任するつもりではなかった。
魔法で冷水を作り出すのはペランドーの仕事だが、水桶で布を浸して絞り、それをナイトの患部に押し当てるのはソフィの仕事だった。
そのソフィの甲斐甲斐しい看病を受ける大きな馬。弱い者を寄せ付けない、黒く雄々しい馬。時には名馬とも、ある人には駄馬とも言われたナイト。
そのナイトも今は苦しそうに横たわり、ソフィになされるがまま足を冷やしてもらっている。
考えて見れば当然だ。
気性の荒いあのナイトが、ソフィや飼育員の手以外で、面倒を受けるなど是とするわけがない。
何枚もの濡れ布を足に巻かれ、ナイトは息を静めて看病を受けている。これがペランドーだったら、そうはいかないだろう。
「お、お嬢様。あとは私がやりますので、お休みになられてください」
飼育員はそう言うが――。
「ここ数日、あなたが徹夜してナイトの面倒を見てくれていたのでしょう? 今日は休んで明日に備えなさい」
ソフィは引かない。
横たわるナイトの身体を撫でながら、キツい口調で飼育員に命令する。
「しかし……」
「布を交換しながら、少しずつ休むわ。私はペランドーに起こして貰うから平気よ!」
「ちょっと待って! それって、ぼくはいつ休むの!」
思わずペランドーが口を挟む。
「私が馬の面倒を見てる間よ。水を出す時には、たたき起こすから安心しなさい!」
「叩き起こされるのは安心できないよぉ……」
このあと、ソフィと飼育員は長い時間すったもんだを繰り返す。
「わ、わかりました。自分は隣りの小屋にいますので、なにかあったら呼んでください」
やっと飼育員は折れて、休むため隣りの部屋へと下がった。そこはほとんど物置小屋みたいなところで、充分に休めるとは思えない。
彼もまた仮眠で済ますつもりなのだろう。
「さあ、ナイト。今夜はずっと一緒にいてあげるから、安心して眠りなさい……。ちょっとペランドー! 安眠の魔法とかあったでしょ?」
「え? あ、あったかなぁ、そんなの」
ペランドーは新式魔法手帳をめくり、ありもしない安眠魔法を探した。
* * *
「王都もやり難くなるなぁ……」
暗闇の中で、ある悪党が言った。
「ですね。魔力庫とかが再起動したせいで、そこら中の警備やら警戒用の魔法陣が働きっぱなしだ」
「以前は、穴だらけだったんですけどねぇ」
2人の部下が、悪党に従う。
「ああ……。だから、もう潮時だな。縄張りを捨てて、仕事場を一から探すのは大変だが、王都で捕まるよりはマシだろう」
悪党はすでに罪を重ねすぎていた。捕まれば処刑が待っている。
「そうですね。俺の生まれた町なんてどうですかね?」
「お前の田舎なんて、仕事がねぇだろ」
部下たちは悪党についていくしかない。1人でやっていくことも、いまさら他の下に付くこともできない。
「いや、一考の余地はあるな。足掛かりと腰かけ程度だがな」
悪党は部下の提案を受け、行動を開始した。
「まずは牧場で馬を手に入れるぞ。警備魔法陣が再起動中な今が最後のチャンスだ」
悪党と2人の部下は、郊外の牧場を目指す。
ソフィとペランドーと、ナイトがいる牧場を。




