緊急避難
「まさか、あんな変態がこの学園にいるとは……」
イシャンは自分たちを棚に上げて、ザルガラがいたら「オマエが言うか」というツッコミを入れざるえない言葉を呟いた。
「ほんと驚きましたよ。まさか全身ぴっちりの黒レザースーツで、顔まで覆って目だけ出しておくなんて」
ジャンニーも会長の意見に同意した。彼はまだ驚きが続いているようで、胸を押さえている。
彼ら素衣原初魔法研究会会員たちは、ちゃんと着衣して学食で食事をとり、東校舎の戻る渡り廊下で、全身レザースーツの人物とすれ違った。
服を脱ぎ去ることが、美であり、魔力の解放であると信じる彼らにとって、その全身レザースーツの人物は変態に見えた。
いや、どう考えても変態なのだが、より奇異な存在に見えたのだろう。
しかし、いちいち服を着ている、着ていなかったとか、表記せざるを得ない彼らは何者なのだろうか。
「口の部分は、空いてなかったか?」
「いやぁ、口のところは革紐で縛ってあったな」
「あれって革臭くならないんですかね?」
「というか、あれって革なの?」
「言われてみれば、やたらテカテカで柔らかそうだったよね」
「しかしあんなので、魔力放出を阻害されないのかな?」
全裸が俺たちの制服という彼らにとって、身体全体を覆う事は忌避すべきことである。
全身レザースーツの人物を見た反動で、彼らはすぐに全裸になりたい衝動に駆られていた。しかし、食事時ということもあり、一応は自重していた。
「もしかしたら素衣原初魔法研究会に反目する組織が、学園内にあるのかもしれない」
早く脱ぎたいがため、研究会室に急ぐイシャンは、そんな感想をもらした。これを聞いて、一同は騒然とする。
「そ、そんな組織が学園内にっ!」
「危険ですね。武力衝突になりかねない」
「早くなんとかしないと、手遅れになるかもしれません!」
「うむ、このイシャンが早急に手を打って置こう」
すでに手遅れな者たちが、これ以上どう手遅れになるのかわからないが、イシャンは手を打つと会員たちの前で公言した。
平和のため、先んじて工作を行おうと算段を始めたイシャンは、廊下で屈みこむ小さな人影を見つけた。
「ん? あれは?」
ユールテルだ。
仮にも大貴族の子息であるイシャンは、同じ大貴族であるユールテルと面識があった。
とりわけて親しいというほどでもないが、各所のパーティーなどの席で何度も挨拶と世間話をしたことがある。
「妙だな?」
イシャンは首をひねりつつ、ユールテルの元へと向かった。
1回生の教室は西校舎なので、4回生や5回生の教室がある東校舎に居る事は珍しい。職員室や救護室などの学園設備のある西校舎とちがって、東校舎は教室しかない。
ユールテルのような1回生は、用事があっても訪れるのに気兼ねする。それが東校舎だ。
そのはずの彼が、東校舎の教室脇で、なにやら屈みこんで作業をしている。
イシャンは堪らずユールテルに声をかけた。
「なにをしているんだい? ユールテル君」
公爵の子息に挨拶する礼儀より、何をしているのかという疑念を解く欲求が上回った。
「ああ、イシャン……先輩」
ユールテルが振り返り、イシャンはギョッとした。
この1回生は細い目ながら、絶やさぬ笑みと頬の膨らみが、なんとも少年らしい愛らしさをもった人物だった。
それがどういうことか、細い目の下には隈があり、なんとも不健康そうな気配を放っていた。
「こ、ここは5回生の、私のクラスなのだが、何か用かい? ん? もしかして、まさか……ユールテル君……」
「なんですか?」
どんよりとしたユールテルは、少し警戒の色を見せた。
「我々の素衣原初魔法研究会に入会しに来てくれたのかね!」
「……いえ、違います」
「いや、そうに違いない。その不健康そうな顔! 我が研究会に入って、『澱』を服と共に脱ぎ去ろうと決意したのだろう!」
「いえ、違いますから」
興奮するイシャンを避けるように、ユールテルの身体が傾く。
それを見て、イシャンは彼が病気で倒れるのではないかと思った。それほどユールテルは弱っているように見えた。
『緊急連絡! 緊急連絡!』
大丈夫かと声をかけようとしたその時、学園内に設置された【遠伝え】の魔法が鳴り響いた。
マトロ女史と思われるその声は、より緊急性を思わせる焦りが感じられる。
『学園内にいる全員に通達します! 侵入者による全学園施設用魔法陣への、大規模な書き換えが検出されました。繰り返します!』
ともすれば、悲鳴になりかねないマトロ女史の声が、全学園内に響き渡っている。イシャンたちは互いに顔を見合わせ、続く遠伝えの声を待った。
『至急、生徒のみなさんは、練兵場に避難してください! 練兵場に避難をしてくださいっ!』
遠伝えはまだまだ続くが、同じ内容の繰り返しだ。しかし、その声の動揺は増していく。
マトロ女史の声色から、かなりの異常事態だと生徒たちは気が付き、次々に練兵場へと向かって行く。
「侵入者? 破壊活動?」
「もしかして、さっきの全身レザースーツの人物が!」
「しまった! そういうプレイだと思って、不審人物だとは思わなかった!」
相当、彼らの感覚はマヒしている。
「昼食を取った後だったのは幸いだった。腹ペコで避難などごめんだ」
イシャンたちは避難しようと、渡り廊下へ向かおうとした。
「あれ? ユールテル君がいませんよ」
1人の会員が、ユールテルがいないと気が付いた。
「おや? ……まあ放送を聞いて、すぐに避難したのだろう。我々も避難しよう。全裸で!」
イシャンはシャツに手を掛ける。
しかし、その行為を止める会員がいた。
「会長。ここで脱いだら、また服を取りに来ないといけませんよ」
「言われてみればそうだな」
服を持っていくという発想は、彼らの中に無いらしい。
「ではみんな。避難してから脱ごう」
そういうことになった。
* * *
「ザルガラ先輩ならすぐ術式解析して、『吶喊、絶叫、楽しい投石機。未完成だよ、てへ』を使って追いかけてくると思ったんだけど……」
レンガ敷きで美しい魔法学園の正面玄関広場。その中央に立ち、アザナは不機嫌そうにつぶやいた。不機嫌の理由は、自慢の高速移動(突撃?)魔法を利用しないザルガラだ。
ぷんぷんっ。などと言いながら、わざとらしく頬を膨らませ、口を尖らせている。
「はぁはぁ……こ、こんなの使おうと思う人は……普通は……いえ、絶対にいらっしゃいませんわ……。分かったら尚更の事……」
涙目のユスティティアの方が、ザルガラを良く理解していた。ザルガラは「魔法の仕掛けを解析し、理解した上で、これは危険ではないが怖い」と判断したのだ。
事実、ユスティティアは腰が抜けて立つことすらできず、アザナに縋り付いている状態である。ヒザを震わし、気を抜けば粗相をしてしまう直前であった。
彼女はアザナの事も良く理解している。きっと、この移動(攻撃?)魔法を使い絶叫をあげながら飛んできて、恐怖におびえるザルガラの様を見たいのだ。
そしてアザナは、こうしてユスティティアが恐怖で震えているのも楽しんでいる。絶叫を聞きながら、どこか嬉しそうだった。
だが彼女もまた、アザナにいじめられることを、心のどこかで嬉しく思っていた。
公女ユスティティアは、いたずらっ子アザナに、すっかり調教されていた。困ったもんである。
「仕方ないね。ボクたちだけでユールテルを探そう。学園にきたならたぶん、家出みたいなものだろうし、ボクたちが説得すれば……」
アザナが楽観的な事を言いかけ、ユスティティアも同意しようとしたその時。
『緊急連絡。緊急連絡。学園内にいる全員に通達します! 侵入者による全学園施設用魔法陣への、大規模な書き換えが検出されました。繰り返します――』
「アザナ様……」
「ボ、ボクは何もしてないよ」
縋り付くユスティティアに、問い詰める目で見上げられて、アザナは慌てて首を振り否定した。
すっかり書き換えといえば、アザナの仕業という判断である。
しかし、他に出来そうなザルガラは空の上で、まだ姿も見えていない。ユスティティアがアザナを疑うのも当然である。
「でもバレるようなやり方するなんて、下手だなぁ。……それともバレても構わないと思ってる?」
「……アザナ様。ルテルを探しましょう!」
「うん、そうだね。学園内に入った後の反応は無いから、外には出てないはずだよ」
アザナが魔法陣に書きこんだ術式は、ユールテルが学園の出入りをしたか知らせるだけで、学園内のどこにいるかまで分かる仕掛けでない。
「ティティは、練兵場にユールテルが避難してるか行ってみて」
「アザナ様は?」
「ボクはユールテルを探すよ。練兵場にいたらティティが連絡してね」
侵入者が何者か分からないのに、アザナは1人で捜すと言い出した。
しかし、ユスティティアが心配するほどでもない。
目の前で微笑みを浮かべる愛しい人が、どれほど規格外かを彼女は知っている。
「お気をつけて……」
「じゃあ、行ってくるよ」
アザナはまるで仕事に出かける夫のように。
ユスティティアは妻のように見送ってから、練兵場へ行こうと向き直り――、ペタン……とレンガ敷き上にお尻を付いた。
ヒザに力が入らない。
「あ……、アザナ様……」
ユスティティアは忘れていた。腰が抜け、一歩も歩けないことを。




