ザルガラを指すザルガラ
苦しい……、胸が、苦しい──。
「絶望したか、ザルガラ! ここはお前の知識が通用しない時間軸だ。知識を活かして、インチキをすることもできない。なにもわからないなぁ……。わかっていることは心配だが、わからないことは不安だ。今までの記憶と意識を保っているようだが……ゆえに絶望することとなるだろう!」
オレが苦しくて声を出せないからと、調子にノッた自称軍師が高笑いをする。
「どうだ! 怖いか? この世界で何をし、何をなし、何を悩んで、何を得て、何を失っているのか? 知るまい! わかるまい? よく考えてみろ。どうだ、恐ろしいだろ。誰が友人なのか、敵なのか? ほら、水だ。一切わからないのだぞ。わかっているのか! 気が付いているのか? 怖いだろう、普通ならば! ……なのになぜお前は呑気にパイを食べているんだぁあぁぁっ!」
「ん? んぐ……、ぐあー。いや……だって腹減ったし。あ、水、ありがとな」
喉に痞えていたパイを、自称軍師から貰ったコップの水でやっと飲みこんだオレは、やっと自称軍師に対応した。
ここは王都の東区画の一角。
リンデマンという喫茶店。そこの植木で区切られたテラス席で、おいしいパイを食べていたら怒られた。
「ま、悪かったと思うよ、期待に添えられなくて。それにさ、お前には本当に感謝してるんだぜ。水のことじゃないぞ」
この喫茶店リンデマンのルートパイがまた食べられて満足だ。今は夢となった2度目……全体では3度目の世界と、さっきまでの1度目……全体では2度目の世界では、この喫茶店は営業を止めていた。
営業していたのは10歳くらいの時まで……だったかな?
店主が高齢で、跡取りもいないのでやめていた。
この時間軸だと後継者がいて、営業を続けているようだ。
筋肉質の男性が丸いパイ生地を重ね、窯で女性が焼き上げている。後継ぎ夫婦だろうか?
焼き上がると円形だったパイが、なぜか正方形でふっくらと焼き上がっている。
だからルートパイ。
不思議な不思議なパイだ。
「それはこのルートパイが食べられての感謝ではないのか!」
自称軍師は無駄な筋肉を震わせ、オレの感謝の言葉を跳ねのけた。自称軍師は強烈な裏拳でツッコミを入れたが、オレの防御陣が跳ねのけた。
「うはは、よくわかったな」
自称軍師の無駄に鋭い裏拳ツッコミと、無駄な勘の良さに笑った。
でもちょっとコイツの空を割く裏拳が怖いので、席をガタガタと移動させて距離を取る。
なにしろこの自称軍師は、絡め手より正面切って戦うのが強そうだ。彼女の鍛えた体も戦いに幅を拡げるだろう。
奇襲されれば、オレも苦戦するかもしれない。
それにコイツ、おそらく純粋な古来種ではない感じがする。
しゃべり方が短いセンテンスで区切るタイプではない。
1万年前、才能を認められて一緒に高次元へと旅立った、普通の人間か亜人か、そんなところだろう。
古来種としてはわりと強そうな自称軍師は、わあっとテーブルに顔を伏せて泣き言を叫ぶ。
「落ち込むお前をさらに絶望へと突き落とすため、星々が高速で流れていくという壮大な背景の中で、ルンルンなお前を待つ私の気持ちがわかるか。開始して茶の湯も冷めきらぬ時間で、お前の奇行を見せつけられたんだぞ!」
「コイツ、茶を飲みながら見てたのか」
さすがにイラっとした。
オレが反応を見せたせいか、自称軍師は畳みかけてくる。
「そういうお前は、パイなど食いながら、私の苦悩する様子を見ているではないか! 質の悪いやつめ!」
「なんだよぉ。お互い様っていうのか? オレが始めた寸劇じゃないぞ」
「寸劇っていうな!」
怒鳴って大きな筋肉質の腕が伸びてくるが、丸テーブルが大きいので対面にいる彼女からは届かない。
右回りに席を移動してくるので、オレは椅子をズッてルートパイの載った皿を持って右回りに逃げる。
「逃げるな、ザルガラ! お前は点pか!」
ガタガタと席を動かし、オレににじり寄ってくる寄ってくる、寄ってくる。
こちらもガタガタと椅子を鳴らし、逃げる逃げる、逃げる。
あーなんか、オレ。コイツのこと嫌いじゃないかもしれない。
「ふう、はあ……はあ、ふう~。もぐもぐ」
「食うな!」
2周くらいして最初の位置に戻って疲れて一休みというところで、最後のルートパイを口にいれ、咀嚼し、飲み込む。
怒られたが、もったいないのでちゃんと食べきった。
「……ザルガラ、なんでお前はここで呑気にしている? アザナはどうした? あいつを探さないのか?」
「何を期待してるのかわらかないが、オレはこの世界のアザナと、あんまり親しくもないし、特に絡みに行ったりもしてないぞ」
これは事実だ。この時間軸の記憶を探るに、オレはこの時間軸のアザナとは距離を置いている。
「し、しかし、アイツがどうなってるか気にならないのか?」
オレの脳裏に、小悪魔的な笑みを浮かべるあのアザナが過ぎる。
反するように、この時間軸のグラマラス・アザナの映像が遠ざかっていく。
ちがうんだよなぁ。この時間のアザナは。
「気にならないといえばウソになるが、それよりここのルートパイ、食べたかったし」
自称軍師は、開いた口がふさがらないという表情で、オレの顔を見つめたあと、がっくりと肩を落とした。
「わかってくれたようでなによりだ。あ、ルートパイ追加で」
「わかったのではない、呆れたのだ! 追加するな!」
店員さんに向けて手をあげたら、それを自称軍師が視覚的に遮る。手が歪んで見える。なんだぁ、オレの右手は高次元物質のはずでこういった魔法に抵抗が……あ。そっか。この時間軸のオレの手は普通の手か。
などと二人で遊んでいたら、聞きなれない声が大通りからかかった。
この時間軸のアザナだ。
「あ、ザルガラくんじゃん。ちーす」
「ちーす。って、キサマ……先輩様になんたる態度」
親しくないのに、親しく声をかけられ、戸惑いつつも少しムッとした。
偶然、か?
まあこの店は立地が良く、人通りがある目立つところなので、こういうこともあるだろう。
まだ学生の身でありながら、この時間軸のアザナは非常に育っている。
オレはこの事態に驚いていたのだが、
「あはは、ごめんねー。デートの邪魔しちゃって」
グラマラス・アザナは、自称軍師をオレのデート相手を勘違いしたようだ。
ごめんねと手を合わせ、去っていく。
その背に向け、自称軍師を指差して怒鳴った。
「違うぞっ! これはただの筋肉だ!」
「そんなただの筋肉だなんて……褒め、褒められても!」
「褒めてねぇよ! コイッツ、脳みそどころか、心まで筋肉か?」
侮蔑をたっぷり込めてバカにしたつもりだったが、自称軍師の顔がみるみる赤く染め上がっていく。
「そ、そんな風に褒められたのは初めてだ……」
「あ、オレ、またなんかやっちゃいましたか?」
心が筋肉で喜ぶのか?
そりゃ心臓は筋肉の塊みたいなもんだけどさ。なんだ、間違ったことも特に変なことも言ってねぇじゃん、オレ。
しかし、自称軍師の反応は違う。
「こ、これが男子からの告白……」
「やっちゃってんな、コイツの頭。おい、こら。なんとなーく近寄ってくるな。オマエは点pか?」
困ったぞ、なんかコイツ、チョロ面倒くさい。
「うふふ、仲がいいんだね。じゃあねぇ」
赤面する自称軍師のせいで、余計にグラマラス・アザナが勘違いしてるじゃねぇか。
一人で去っていくこの世界のアザナ。
あれで実は元男なんだよなぁ……。オレの知ってるなの生意気可愛いアザナも、なんなんだか。
「……追いかけないのか?」
少し浮ついた気持ちが落ち着いたのか、自称軍師は立ち去るグラマラス・アザナを指差して尋ねる。
「え? なんで? あ、ああ。さっきも言ったが、この時間軸のアザナとは、別に因縁なくてな」
揉めた二代目の精悍なアザナ、揉めて揉みあってる三代目の生意気アザナと違い、あのグラマラス・アザナとは距離がある。
オレより能力が高くても、あのグラマラス・アザナはオレと同じように何かと苦労している。高い能力を疎まれたり、性転換したことによる社会的な警戒と嫌悪を受け、立場そのものはオレより悪いかもしれない。
何しろ、あのグラマラス・アザナには取り巻きも親しい友人もいない。
この時間軸のオレは、どこかアイツに同情しつつ、そしてそれ見たことか、と暗い気持ちを持っていた。
健全ではないが、平凡な反応をしていたのだ。この時間軸のオレは。
ストン、と脱力して席に腰を下ろす自称軍師。ふたたび頭を抱えて、テーブルに突っ伏す。
「そうか。そういうものか。ふふ、はは、ふはは、計画が……すべて、パアだぁ」
「計画……。計画ねぇ。オマエはオレを閉じ込める気だったんだろう? 自称軍師なら相手を見誤っちゃぁダメだろ? 相手が何を望んで、何を好んでいるか? 最低限、オレってものを把握してないと」
落ち込む自称軍師に、なぜか指南をするオレ。
「それにオレさあ、窮屈なのって嫌いなんだよね。だから、広い閉鎖した世界に閉じ込めようとしたのは正解。いい感じだったぜ。だけどな──」
座った自称軍師を見下ろすため、わざわざ立ち上がる。
そして言い放つ。
「オレを閉じ込められるのは、昔のオレだけだ。昔というのは未来のオレという昔じゃない。もう戻れない本当の昔のオレだけだ」
オレはオレの胸を親指で指し、落ち込む自称軍師の心をへし折るため言い切る。
「閉じ込めたければ、オレをガキのころから、やり直させろ! まだ何も失っていない、何も得ていない、何も貰っていない、何もやってない、何も知られていない、何も殺していない、その時間、その時、その日、その瞬間にオレを閉じ込めろ!」
オレに圧倒され、自称軍師はたじろぐ。
「出来ないのか?」
できないとオレは知っている。
折れそうな自称軍師を、さらに一押し。
「出来ないのっていうのか!?」
声を張り上げると、自称軍師をビクりとその筋肉を震わせた。
オレが目覚めたその時間、あの時間。そうだ、学園で目覚め、夢かと思ってそうではないと立ち上がった、あの時。
あの時間が起点……、いや周回の原点になっているはずだ。
どんなに複雑なハイポサイクロイドでも、ぐるりと一周してもとに戻るように、あの時間が原点になっている。
いかに時間をパッケージして、そこを自由になぞっていけるとしても、それ以前には戻れないようになっている。間違って過去に戻り過ぎないように、安全のため取られた原点だ。
「いいか? オレだ! ここだ! このオレだ! 間違えるなよ!」
腕を天に伸ばし、親指を立て、わかりやすいように腕を曲げてオレの脳天を指し示す。
「このオレが目標だ! 目的地もオレだ。さあ、やってみろ!」
世界が、この次元が歪み始める。自称軍師が胞体を維持できなくなった証拠だ。
集中力を欠いている。
オレの余裕と迫力に、ヤツは完全に負けている。
「出来ねぇのか、超越者!」
「ね、ねえ? なにやってるの?」
キメ台詞をキメた瞬間、何事かと戻ってきたグラマラス・アザナがテーブルに手を置き、下から不思議そうにオレの顔を覗き込む。
気まずい……。
オレと自称軍師から、なんだコイツという視線を浴びるアザナ。
「あ、ごめん……」
首を突っ込んではいけなかったと気が付いたのか、申し訳なさそうに引き下がる。
こっちの時間軸でも、こういうヤツなのかよ、アザナ!




