ザルガラとステファンの決闘
「どうしよっかなぁ~」
ある日の朝。
ステファン・ハウスドルフは、自宅の玄関でうろうろと回っていた。
彼の手にはアザナ人形が抱えられており、さながら子供を攫ってきて、己が犯罪に思い悩んでいる変質者のような姿だった。
「一緒に登校しちゃおっかなぁ~。今日こそ、今日こそ、アザナきゅんと登校しちゃおうっかなぁ」
この変態は、外に変態性を持ちだそうとしていた。
先ほど、変質者のような姿と形容したが訂正する。
変質者の姿である。
アザナ人形を抱きかかえたまま、夢でも見ているように天井を見上げている。もちろん、そこには何もない。
質実剛健なハウスドルフ家の天井には、質素な汚れ隠しの模様が波打っているだけだ。
「今日は天気もいいし……。でもどうやって?」
アザナ人形は、ほぼ実物大である。長身のステファンと比べれば小さいが、それでも子供の大きさだ。
しばし玄関先で考える。
登校時間が差し迫る中、はたとステファンは気が付いた。
「こうやって素体の中に入れればいいんだ! 『天まで延びる操り糸!』」
新式魔法でアザナ人形を宙に浮かせ、周囲に大きい素体を投影した。
このままでは、素通しのガラスに入れただけの見た目だ。しかし、ここでステファンは、トンでもない神業を駆使し始める。
「一度、内部の構成を組み替えて……、光をまげて……、後ろの像が見えるように……」
恐ろしいことに、透明な素体の内部を組み替え、アザナ人形の周りを光が迂回するようにしてしまった。
彼は魔法を使わず、素体の持つ屈折率を利用して、疑似的に光学迷彩を作り上げたのだ。
投影の才能はいまいちだが、応用と活用と器用さは、恐らく学園でも五指に入るだろう。
「みんなから見えなくなっちゃうけど、君の愛らしさと可愛さは僕が理解してるからねぇ。いや、むしろ他の人に見せるわけにはいかないよ」
ステファンの現状を人に見せてはいけない。
後ろから、ご両親が見ているが、嘆きながらも諦めている。どうしてこんな風に――と、母が泣き崩れ、父が支える。
一度、敷地からでるとステファンの様相が変わる。
家の外という場所は、彼に多大な緊張を与えるからだ。
人間誰とて、多少の苦痛を受けて、それを我慢しているときはキリッとした顔になる。痛みに耐える顔は、一種のキメ顔である。
ステファンに取って他人の目は苦痛であった。
それを耐え忍ぶステファンの顔は、いつもより数段、整って見えるのだ。彼は図らずも、外ではいつもキメ顔をしている。
(人の目が怖い……。でも、となりにアザナきゅんがいてくれれば……)
周囲の目が、ステファン本人へと飛ぶ。羨望と嫉妬。どれもが彼に取って苦痛だ。
だが、それを耐えながら、意識は愛おしいアザナ人形へと向けられていた。
真剣。
歩くのも真剣。人の視線に耐えるのも真剣。人形を吊る魔法を維持するのも真剣。見えぬアザナの姿写しを愛でるのも真剣だった。
真剣ゆえに、今日のステファンは美形度がかなり上がっていた。
魔法学園の生徒たちも、そんなステファンに圧倒され、自然と道を譲る。ステファンもいちいち、その行為に礼を言ったりしない。礼を言うなどステファンにとっては、一般人が国王陛下に言葉を賜るほど緊張することなのだ。
(みんなが道を譲ってくれるから、アザナきゅんとゆっくり歩けるよ)
小物で緊張しているわりに、なかなか豪胆なところもある。ステファンはそういう人物だった。
学生たちが道を開け、そこを悠然とすすむステファン。
そんな彼でも、足を止めざるを得ない何かが、魔法学園の校門にあった。
騒然としている生徒たちが、校門前で立ち尽くしている。何人かは西口や東口に向かって行くが、大部分は正校門を、何事かと遠巻きに見ているようすだ。
その人垣の向こう――。そこは異様な雰囲気が立ち上がっていた。明るいのに暗闇の空間があるかのようだった。
ステファンが近寄ると、人垣もそれに気が付いて道を開けた。
ここでステファンが「1人」だけであったなら、立ち止まっただろう。だが、隣りには「アザナ」がいる。
寄せて返すような人波に、アザナがぶつからないようにと、ステファンは止まらず進んで校門を潜った。
ステファンは、伴なわせたアザナ人形を気にしていて、校門を潜った先で待ち構える存在に気が付いていなかった。
「スゥ~テェ~ファア~ン~~~っ!」
鬼のような形相で、怪物ザルガラが待ち構えていた。
完全武装、戦闘態勢。
杖を持ち、魔法学園の制服の上に魔胞体陣が描かれた宝具を身に着けている。
射竦められ、ステファンは逃げることすらできない。もし仮に逃げようとしても、門に設置された結界に阻まれただろう。
「なぁーるほどぉ。考えたな。その失敗作みたいな素体の中に隠しておけば、街中でも見咎められることもねぇ」
ザルガラはステファンに敵意をむき出しにしていた。
卒倒しそうだった。
あまりの気迫に押され、眩暈がした。クラッっとした。悩ましげに少しだけ天を仰ぎ、よろめく片足は鶴のように曲げられ、つま先で地面を突き支える。
そして息苦しさのあまり、小さなため息をついて、額に手を当てた。
「この状況でかっこつけるたぁ、先輩の自己陶酔も見上げたもんだ」
ザルガラが感心したと言いながら、杖を棍棒のようにして左手の平にポンポンと叩く。
(え? それで僕を殴る気なの?)
ザルガラが起こすであろう凶行を想像して、繊細なステファンは慄いた。
そんな光景を生徒たちは、見世物でも見るように眺め、好き勝手な事を言っていた。
「ステファン様ったら、あの怪物の怒気を前になんて優雅な……」
「ムカつく野郎だが、ステファンならザルガラをヤっちまうんじゃねぁか?」
「つかなんで、ザルガラは怒ってるの?」
生徒たちの期待は、主にステファンへかかっている。
本当は眩暈がしただけで、頭を押さえただけなのだが、それが周囲の人には、とても優雅な振る舞いに見えたらしい。
「あのザルガラだぜ、ただじゃすまないだろ」
「ステファンさん、可哀想……」
「平気よ! ステファン先輩なら、あんなヤツやっつけちゃうわよ!」
一種即発の状態でありながら、生徒たちに緊張感は乏しい。
魔法学園は古来種の遺跡を利用したもので、強い防御結界に守られている。
内と外の間には、見えない防御結界があり、並大抵のことで壊れることはない。むしろ古来種の結界をどうこうできたら、歴史的快挙である。
なので、ザルガラがいくら暴れようと、門外に出れば被害を受ける事は無い。
一方、ザルガラもそれを当て込んでの事だった。
ザルガラの知っている未来では、学園こそ半壊したが、周囲に被害は全くなかった。
天才アザナと古来種の技術が激突しても、内部の一部建物消滅だけですんだ。
ここで全力で戦っても、仮に古来種の力をステファンが振るっても、問題ないと分かっているからだ。
生徒たちは威圧して校門外に追い出しているので、巻き込まれる生徒もいない。
古来種の力に耐えきった防御結界は、ザルガラの知る未来で実績がある。
「なぜ、オレがオマエにケンカ売りに来たかわかるか?」
ザルガラの問いかけを、ステファンは全く理解できなかった。
「アザナ本人に任せても良かったんだが、どうにもオレはオマエを許せねぇ……」
「……っ!」
「ほう、顔色が変わったな。さすがのお前もアザナを意識しているのか?」
ステファンはアザナの名が出て、明らかに動揺した。それもそのはずである。
(バ、バレてる! ア、アザナきゅんの制服を盗んだことも、この素体の中に隠してることも、バ、バレてるよ!)
ザルガラは近い未来に於いて、2人が衝突するから話にアザナの名前をだしたのだが、ステファンはそう捉えなかった。
(そ、そういえばザルガラくんも、アザナきゅんに興味を持っていたとか……っ! そ、そうか! このアザナきゅん人形ヌーベルワンを、香り付き制服ごと狙っているんだな!)
「……これは、渡せない」
大切なアザナの姿写し。これを渡すものかという一心から、ステファンは言葉を吐き出すことができた。
「そうかい。そんなに大事なら、まずは拝んでみるとするか」
ザルガラそういうと、杖に仕掛けられた新式魔法が発動した。天で光が輝いたと思うと……次の瞬間、轟音と雷がステファンの隣りに降り注いだ。
騒然とする生徒たち。
新式ながら、一瞬で発動して、充分な威力をもつ落雷の魔法に誰もが戦慄だ。
一方、構成を組み替え光を屈折させ、見えなくなっていた素体が姿を現した。素体は落雷のためか、ひび割れている。
そして見えない手で剥かれる卵のように、素体の構成がバラバラと崩れていく。
その中から、アザナ人形が転がり出た。
「な、なんだと!」
ザルガラが驚愕の声を上げた。
「アザナ! ど、どうした! お、オマエ、こんなスカした野郎に捕まってたのか! へ、変なことされなかったのか!?」
ステファンに戦闘を仕掛けたのも忘れ、ザルガラはアザナ人形へと駆け寄った。
「い、息をしてない? お、おい! 大丈夫か? な、なにがあったんだ、アザナっ!」
気が動転してるようすのザルガラ。アザナ人形を抱き起し、必死に揺さぶり、心臓の動きを確認している。
「お、おいなにがあったんだ?」
「急に、誰かが出てきたぞ! もしかして、あれ……死体じゃないか?」
「うそ、死んでるの? 死体?」
「やだっ! ザルガラ先輩ったら、死体を抱きしめてるの? 気持ち悪い!」
「いや、人形っぽいぞ」
「やだっ! ザルガラ先輩ったら、人形を抱きしめてるの? 気持ち悪い!」
「……パネェな、怪物ザルガラ」
ものすごい風評被害が、生徒たちに広がっていく。
そして今まさに、ザルガラが人工呼吸をしようとして、女生徒たちから黄色い歓声が上がったその時!
「って、これ人形じゃねぇーかっ!!!!」
やっとアザナ人形の正体に気が付いた赤面のザルガラが、怒りと共に人形を地面に叩き付けた。
治療魔法が発動しない事で人形と気が付いたようだが、併用して人工呼吸が必要だったのか?
いささか疑問がある。
「どういうことだ! ステファン!」
ザルガラの怒りの目が、ステファンに投げかけられた時……。
ステファンは衆目の前で、土下座していた。
「で、出来心だったんです! せ、制服はおおおおお返しいますっ! ゆ、許してくださいぃいいいいぃっ!」
「…………はぁ?」
ザルガラの声はマヌケだった。
「「「「「「はぁ?」」」」」」
生徒たちの声もマヌケだった。
当初、ステファンの一人称の予定でしたが、精神がめちゃくちゃガリガリ削られるので作者の健康を考慮し、三人称で書きました。




