ティエの心配。タルピーの危機。
ザルガラの騎士であり、実質メイド長を務めているティエは悩んでいた。
空飛ぶ遺跡、あらためベクターフィールド(まだ申請していないため公称ではない)は、王国の友好国である大公国に無事、到着した。
今頃、ディータ姫は地上で歓迎の中にいるだろう。
一方でザルガラは、ベクターフィールドの管理という理由で、地上へ出向いていない。
これは大公国に対して失礼ということではない。ザルガラはベクターフィールドの管理者で責任者ではあるが、使節の責任者というわけではないからだ。
船での外遊に例えると、ザルガラの立場は船長に近い。艦長ではなく船長だ。
船内の最高責任者で、最重要人物の一人ではあるが、船長は船を優先するのと同じでザルガラは現在ベクターフィールドを優先している。
それがティエの心配ごとだった。
ザルガラは自室隣の執務室で、特注のゆったりしたソファに身体を預けて、ベクターフィールドの管理を行っていた。
ティエは古来種の魔具にこそ詳しいが、運用となると普通の魔法使いと変わらない。手伝えないことはもどかしいが、代わりにザルガラの快適な運用を補佐する。
ザルガラが欲するであろう茶を用意して、傍に控えている。
お茶を入れると気配と香りでわかるのだろう。目隠ししているザルガラは何も言わず、何も言われずに、手を伸ばしてカップの載ったソーサーを取る。
ベクターフィールド入手以前から、普段よりこうして付き合っているため、ザルガラが手を伸ばす位置を正確かつ適切にティエは把握している。
またザルガラも、ティエを信頼しているので、アイマスクをつけたままでも手を伸ばしてソーサーを取る。
──ごくごくまれに、ザルガラの手の動線に、踊るタルピーが通過して邪魔をするが、そんな事故は稀だ。つまりたまにある。
しばらくソーサーにカップを載せたまま、茶の香りを楽しんだ後に口をつける。
「ふ~む。大公国のお茶か。風土が違うから風味に青さあるけど、疲れてるときならこっちの方が身体に染みるな」
茶の生産地を収める領主の子だけあって、ザルガラは香りと一口で生産地を当てた。
落ち着いたところで、ティエは声をかけた。
「ザルガラ様」
「……なんだ?」
「ディータ姫殿下のご婚約者候補でした」
「そうだったな」
説明されても反応は薄い。
「差し出がましいこと申し上げます。ご存知でしたら、もう少し殿下にお気を使われてもよろしいかと」
ディータ姫を優先してください。
そのようなことを言ったティエは、「いかようにも」という様子で頭を下げ、普段から利用している防御立方陣を解いてみせた。
本気であることが伝わったのだろう。
いつも適当でふざけていて、叩けば響くようになんでも言い返すザルガラが、黙って茶の香りを味わっている。
しばらくしたのち、お茶をまた一口飲み、大きく息を吐いた。
「そうか。ディータはそんなことを気にしていたのか」
「ひめさま、また婚約するの?」
空気の読めないタルピーが訊ねる。
タルピーのおかげか、茶のおかげか。ザルガラは緊張が解けて、いつものように答えた。
「候補ってだけだったし、ジーナスロータスが調整に動いてないからないだろうな」
「そっかー。よかったー」
タルピーは特にディータとエト・インと仲がいいため、友人が遠くなると心配していた。払拭された今は、元通りダンスを踊る。
ザルガラはもう一口、茶を飲んでから答えた。
「ありがとう、ティエ。これから気をつけるよ」
「お聞き入れて頂き、ありがとうございます」
ティエは安堵した。
ディータが婚約という話になれば、ザルガラと離れ離れになってしまう可能性がある。
頻繁に会えたとしても、壁というか、距離が出来てしまうだろう。
過去に婚約とか、そんな話が持ち上がっていた男性が、殿下を歓迎するのだ。ディータもザルガラと比べてしまったり、比べてしまう自分にディータも憂鬱となるだろう。
──ザルガラ様が少しでも気をお使いになってくれれば、ディータ姫殿下もそのお気持ちだけで楽になるでしょう。
ティエの女心は、ディータ姫殿下の味方である。
深く頭を下げるティエ。
「いや、いいんだよ。顔を上げろ。助かるって、ほんと。戻ってきたら対応するから、ティエも協力してくれ。ああ、ついでにオレは夕食、ここでするから準備、頼むよ」
ザルガラはティエをごく普通に頼る。
それが嬉しいティエは、夕食の伝達と準備をするため厨房へと向かった。
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オレはアイマスクをつけ直しながら、ソファで身体を伸ばした。
「そっかー。ディータのヤツ、そんなことを気にしてたのかぁ」
また婚約って話を持ち込まれたら、とディータは心配していたのか。気がつかなかった。というかそんな予定はなかったしな。
もしも少しでもそんな可能性があるなら、ジーナスロータスが日程を調整するはずだ。
オレはそれほど政治に関わっていないが、役人の日程などには目を通している。日程表のなかにそれらしき予定はなかった。
あちら側の大公も、こちら側のディータも、直接対談という形もなかった。
完全に過去のことなのに、ディータのヤツ。ナーバスになってたのか。
ティエに言われなきゃ、気が付かなかった。
なんだよ、ディータもオレに言ってくれればいいのに。少しは相談にのるっての。
「てっきり、オレが操舵にかかりっきりで、ディータとのパスが繋がってなかったからだと思ってたよ」
ディータのゴーレム体管理のため、近くにいるときは常時パスをつないでいる。魔力を注いでいる。
オレがベクターフィールドにここ数日、かかりっきりだったから不機嫌になったと思ったが違ったようだ。何しろベクターフィールドを中継して送られる魔力は、アイツにとって不快なはずだし、絶対これが原因……。
あれ?
やっぱり、こっちが不機嫌になった理由だと思うんだが?
いや、ティエがそういうんだから問題は婚約のことだろう。
候補ってだけだし、もう終わった話だから、ディータも気にしてないと思ったんだが……。
うーん、女性目線って大切だなぁ。
「さて。このままじゃ夕食も入らないし、軽く身体を動かすか。タルピー。ちょっと出掛けよう」
オレはいくつかの機能をそのままにし、ベクターフィールドからの接続の大部分を閉じた。
アイマスクを外して、テーブルの上で踊っていたタルピーを回収する。
「ん? ザルガラさま、遺跡、大丈夫なの?」
手の平からぴょんと跳び、腕にしがみついたタルピーがオレを見上げて訊ねる。
「ま、上空待機だけなら離れても問題ないし」
「じゃあ、おさんぽ?」
「ん、そうだな」
「わーい、おさんぽー」
休憩をかねて、散歩に出かける。執務室を出ると、タルピーはふわふわとオレの前で踊り始めた。
ん?
「お、なんだタルピー。衣装かえたのか?」
「ふっふー。わかる? 東方諸国の民族衣装とか取り入れたんだよー」
タルピーは通路の窓枠に飛び乗り、くるくると回って見せた後、こっちにおしりを向けてポーズを決める。
大きくは変わっていないが、少し露出が多くなっている代わりに、アクセサリーが増えた。
「ちょっと待て。なんだ、その衿ぐりは? バイアステープなしでその形を維持するのは……ほら、ちょっと無理だろ」
「な、なーっ! やめ、やめて! と、と、とれちゃう……ザルガラさまー! ここじゃいやーっ!」
タルピーのトップスの出来が甘い。気になってタルピーを取っ捕まえて、ブラの襟を引っ張りなおそうとしたとき──。
「どうされまし……」
ティエが通路の角から戻ってきた。
オレがタルピーのトップスを引っ張り、襟の出来を見ている姿はティエになんと見えるか。
「ち、ちがうの、ティエ!」
やめろ。
確かに違うんだが、こういう時に、違うと言っても信用してくれないんだ!
「どうぞ、ごゆっくり、ご自室で」
ほら。
「わかってます。最初こそ勘違いしましたが、ザルガラ様のこと。タルピー様のお召し物の出来に満足されていないのでしょう?」
いや、わかってくれていた。
さすがティエ!
サスティー!
「ですので、ご自室でタルピー様は、お脱がせになってください」
「え? それ、あたい、けっきょくぜんぶ脱がされ……」
このあとめちゃくちゃタルピーの服を直した。
満足!




