ベクターフィールド
「なんと説明したらいいか、そのぉ、こう。まあなんか、母乳が必要な者がいましてね」
口幅ったい言い方で、ザルガラは要求だけを繰り返す。
どういうことかと思案を巡らして反応が遅れるモノミアルに対し、村長は「そうですか」と納得した様子だった。
「母乳ですか。たしかに大切な物です。この村にもおりますからな、そういう人物が。なので、そちらの気持ちはわかります……」
村長の納得する様子は、どこか引っかかるものがあった。
「わかるのか、村長……」
村長に騎士は引き気味である。
そちらに理解のある村長と、勘のいい騎士であった。
「いやいや、言葉のあやですよ、モノミアル殿。なんといいますか……長く集団の長をしていると、わかってくるものなのです」
「マジか。気を付けよう」
モノミアルの気を付けよう、という意味。それは同じ人の上に立つ者として、わかる人物にならないように気を付けようという意味だろう。
「とにかく承知いたしました。すぐにご用意いたしましょう」
村長は直ちに人を走らせ、村の中で乳児のいる女性と近くの村にあたってみると約束した。
指示を受けた若い衆は、すぐさまロバに乗って崖に築かれた幅の広い階段を上って行く。
崖の上に築かれた村であるため、港側に村の住居はない。
海賊や海洋系の螢遊魔から村を守るため、高所に住居を置いているためだ。そのため、800段もある階段を、ロバで上り下りしないと港を使えない。
王国や共和国では魔具に頼るところだが、東は古来種の開発が進んでいないため不便が多い。
村の不便さも去ることながら──
古来種はこの地上や人々に多くの恩恵を与えているが、乳飲み子にたいしての恩恵はさほど大きくない。
子供を持たない、持てたとしてもそういった発想に至らない彼ららしい。
そのため健康であっても女性によっては母乳不足になることが多く、地域やコミュニティの母親たちで補い合う文化が大陸ではあった。
そのためすでに、いざという時には融通がきくようになっていた。
騎士モノミアルは空中城で腹を空かせているであろう赤子を思い、それを解決のため迅速な対応する村長に感心した。
一抹の不安と疑いも持ちながら……。
こうして結果的に、近隣の村に頼るまでもなく短時間で母乳が集まった。
「供与、お礼申し上げます。これはお礼というか、まあ迷惑料といいますか……」
騒がしたお詫びと礼に、とザルガラはいくつかの魔具と胞体石を置き、急ぐのでと空中城へと戻っていく。
800段の長い階段の中腹で、ロバの上から飛び去る空中城を見送りながら村長は感慨深げにつぶやく。
「誰しも、一回は本物でプレイしてみたいと思うものですからな」
「村長?」
同じように馬上から空中城を見送っていたモノミアルは、村長の横顔に不安の声をぶつけた。
「そう。尊重したいものなのです。一回やってみて『なにか違うな』という経験を」
「村長?」
経験があるのだろうか?
モノミアルは馬上で身を引いた。バランスが崩れ、馬が身を捩る。
「な、なんだ、まあそうだ。きっと同行者に赤ん坊でも生まれたのだろうか?」
モノミアルはできるだけ常識的な判断を口にした。
「そうでしょうか?」
「そ、そうだろう? だがそうなると彼らの運行計画が、いささか不備があるということになるが……」
一つの街が移動しているとしても、長旅は身重の母体に良いものではない。
ましてや公務である。
万難を排するとまではいかなくても、計画段階で体調に問題がでそうな人物は要員から外すべきである。
事務的なことを考えると、モノミアルの頭も落ち着いてきた。
「意外と、天空城も不便なものだな」
────翌日、自宅に帰った騎士モノミアルは、一切の推察を入れず報告書に事実だけ記した。
「通行せしエイクレイデル王国外遊団、ゲス村にて沿岸へ一時停泊す。天空城の責任者サード卿ザルガラ・ポリヘドラの要望により、村の者に協力のもと母乳を譲渡す」
現場の推察が入らなかったゆえに、読む者は先入観を持たずに独自の見解を出すことになる──
+ + + + + + + + +
「あああああっ! 絶対、変な風に記録されんだろうなぁー」
羞恥!
空飛ぶ遺跡へ戻るため高度を上げるハイトクライマーの座席で、オレは頭を抱えて身もだえる。
「ま、まてよ。今からでも遅くはない。ヨーヨーがそういうヤツで、オレは無関係という形にすれば……。そうだ。アイツに全部……」
ヨーヨーにすべてを擦り付ければいい。
そんなアイデアが浮かんで、身もだえも収まる。
そうだ。
これからこんなことがあるたびに、すべてヨーヨーのせいにすれば──
「センパイ」
邪な考えが浮かんだその時、オレの肩にアザナが手を置いた。
振り返る。
「なんだ……って、てめー」
振り返る途中でアザナの指が、オレの頬を突く。
コイツ、こんなときに下らんことを!
「すいません、我慢できなくて」
「我慢しろよ!」
怒鳴りつけると、アザナの表情がスッと冷たくなった。
「いいんですか? 我慢すると反動がきますよ」
「どういうことだ?」
「ボク、このところ良くセンパイに危険な魔法を使ってるじゃないですか?」
「ああ。オレじゃなきゃ手足一本は折れてるくらいのをな」
「あれ、強制されてる勇者の任務のせいなんです。ほら、センパイって古来種の支配が、ほとんど切れてるでしょ?」
「ん? ……んん? まさか……と思うが?」
一つの可能性が浮かぶ。
古来種の支配から脱した。つまり、古来種の支配を受けていない。
支配下にない存在はつまり……
「はい。センパイは今、蛍遊魔と同じ状態なんです。まったく同じというわけではないですが……。それでも勇者として改造されているボクの力が、センパイを倒せとささやいてくるんです。悪いことをしようとしているなら、『駆逐してやれ』と」
「ん~? 悪いことしようと? してたか? オレ? してたな。ヨーヨーに擦り付けようとしてた」
「その程度だから、指ツンツンくらいですんだんですよ」
まあまあ邪悪だったと思うが、勇者規準ではそれほどひどくはないらしい。
それはともかく。
「古来種の支配と力の代償か」
いつのころからか、アザナはオレを蹴るようになった。
友人としてのじゃれ合いかと思っていたが違ったのか?
それはそれで、少し残念に思う。
「だから別に、ボクが暴力ヒロインになったわけじゃないですよ」
「誰がヒロインだ」
またもアザナはふざけている。
この辺はいつも通りだ。
コイツをチューンドした古来種の意図は、勇者という駆逐者だ。
古来種にとって邪魔であったり、もはや支配するつもりのない存在を駆逐して回る。
現在の現支配体制にとっても、勇者の存在は治安維持に役立つのでよい。
だが、オレのような存在への敵意を持ってしまうようだ。
アザナはそういうふうにできている。
ハイトクライマーは空飛ぶ遺跡へと到着し、すっかり発着場となった崖から迫り出した広場へと着陸する。
「じゃ、今回。ザルガラ先輩にお供したんですから、なにか奢ってくださいね」
「オレの羞恥プレイを、特等席で見たかっただけだろ?」
笑顔で報酬を要求してくるので、わかっているぞと釘を刺す。
「いやだなー。そんなことナイデスヨー」
わざとらしく棒読みで言って、先にハイトクライマーから降りて行くアザナ。
──こんなふざけちゃいるが、アザナも古来種の支配と命令に苦しんでいるのだろうか?
敵対的ではない蛍遊魔を保護しているようだが、それらに古来種の精神操作による命令で無為な殺意を抱いたり……そうか。
それらの発散するため、オレにキツい蹴りを放ってくるのか?
勇者という駆逐者の背に、憐れみの目を向けたその時、アザナは自分の右手を抑えて叫ぶ。
「くっ、鎮まれ、ボクの右手!」
「主に蹴ってたよね、ってほらぁっ!」
殴ると見せかけての蹴りが飛んできた。
仕返しに、突き飛ばしてやろうとするが、アザナはひらりと避ける。
「いちゃいちゃしてるところ悪いのですが、デス」
広場では出迎えの最前列に、ブラウニーがいた。
ティエより先に駆け寄ってきた。
「待たせたな。ほらよ。要求のもんだ」
地上の村から頂いてきた哺乳瓶を手渡す。
手に取ったブラウニーは、どこか納得してない顔を見せた。
なんだ?
違うのか?
中身はちゃんと母乳だぞ?
浮かない顔のブラウニーに、タルピーがなにか気が付いて踊りながらすすすぅ……寄ってくる。
「あたためますか?」
「お願いするのデス」
ああ、そうか。人肌に温めてなかったな。
タルピーに任せれば、要求どおりほどよく温めたうえで、飲み切るまで最適の温度を維持できる。
「ベストな妖精肌温度なのです! うんぐうんぐ……ごくごく……ごっごっごっ、ぷはーっ! かぁ~~~っ! この一杯のために生まれてきたんだよなぁ~デス」
手のひらサイズのブラウニーの女の子が一気に哺乳瓶を吸い飲み干すと、やたらおっさん染みた仕草で仕事帰りの職人が酒場で放つようなことを言った。
タルピーが眉目秀麗でキリリとした目元なのに対し、ブラウニーのこいつは丸々くりくりお目目だ。そのためサイズ関係なく、より子供っぽくそしてマスコット的な外見なので、このおっさんみたいな発言と行動はちょっと見てられない。
「センパイ……」
「なんだ?」
ブラウニーから目を逸らしたら、アザナがなにやら神妙な顔で囁いてくる。
「いくら胡坐をかいてるブラウニーちゃんのお子様パンツが見えたからって、あからさまに目を逸らしたら意識してるとしか見えませんよ」
「オマエ、捏造すんなよ! オレの視界からは見えてねぇよ!」
肩に乗ってきたタルピーまでが、真に受けてオレの耳を引っ張ってきてるじゃねぇか……。って、タルピー。オマエは転んだだけか。
飲み干したブラウニーが立ち上がって、オレに向かって言う。
「よし、ザルガラどの、お礼になんでも作ってあげるのデス。うぃ~ひっく」
「それほんとにミルク? 発酵してない?」
どうみても酔ってるよね、このブラウニー。
「なんでも? 自室とかリビングとか、部屋じゃなくてですか?」
アザナが口に指をあてて首を傾げた。
「なんでもデス。難攻不落のお城でも、絢爛豪華な宮殿でもデス。もちろん敷地面積を越えて、なんてことはできないデスが」
「すごいな。なんでもか?」
「母乳を呑んだ直後は、フルパワーなのデス」
誉めたら仰け反って胸を叩く。
ふらふらしてるが、それでフルパワーって危なくないかな。
心配していたら、アザナが手を挙げた。
「はいはい、じゃあじゃあ! ボクの別荘をここに建てて」
「オメェの土地、ねぇから!」
「奢らなくていいですから!」
「それは別の話だ!」
割って入ってきたアザナを押しのける。抵抗してくるが、その前にオレが要望を述べた。
「よし、なんでも作ってくれるか。それならこの遺跡に天文台を作ってくれ」
「え? 天文……台? そんなのでいいんですか? センパイ」
「そ、立派な天文観測所が欲しいんだ」
「また人員補充が必要ですね」
出迎えにいたティエが嘆息をついた。
確かにブラウニーが用意してくれるのは施設だけなので、人を雇わないといけない。
仕事が増えたぜ、ヨシ!
「でも、なんで天文観測所なんて?」
アザナが不思議そうにしている。
あまり天体に興味がないのだろうか?
理由がわからないようである。
「考えても見ろ。この大陸のどの山よりも高いところにある大地だぞ。しかもだ。どこにだって行ける。どこでも観測点にできるんだぞ。この上なく天文観測所に最適だ。あ、念のため言っておくが、この程度の改造の裁量は王家から与えてもらってるぞ、オレ」
理由を提示すると、アザナは「あーそっかー」と納得し、遺跡の様子を仰ぎ見た。
建設されるであろう、遺跡の高所を眺めて「それはよさそうですね」と賛同してみせた。
「あとな、オレさぁ」
頭を掻きながら、もう一つの理由も告げる。
「みんなはこの遺跡を空飛ぶ城とか、空中城とかいうけどイヤだったんだよね」
「なんで?」
「城じゃないですか」
タルピーとアザナがシンクロして腕を拱き、小首をかしげた。
「オレは空飛ぶ遺跡と呼んでたが、天文台完成の暁には、ここを空飛ぶ天文台と言わせたい。そうだな……どこにでも向かっていけて、どこにでも望遠鏡を向け、どこからも波を受け取れる場所。ベクターフィールドとでも名付けるか」
「空飛ぶベクターフィールド? ……ああ、矢野さんですか」
「おい、アザナ。なんかすごい納得してるみたいだけど、なんでだ? ヤノサンってナニ?」
「誰じゃなく何ですか? 矢野さんを知らないなら、ちょっと説明が難しいですね。偶然って怖いなぁ」
アザナがにこやかにオレの質問を受け流す。
どうやらアザナ個人が、しっくりとくる命名だったようである。
「まあ、アザナの理解不能な理解の仕方はいつの事だが……。飛んでるコイツの意図を読めたら、空飛ぶ思考盗人になっちまう」
「急にM○Gきた!?」
「あとな──」
わけのわからん反応を見せたアザナを無視して、オレは抑えられない微笑を浮かべて言う。
「このオレが遺跡の名前をどうにかしたいなんて理由だけで、天文観測所を作ると思うかい?」
「作るのはワタシなのデス」
「あ、うん、その、まあ……いや、そうなんだけどさぁ……」
カッコつけたが、下からブラウニーに割りこまれていまいちきまらなかった……。




