スポンジ・ザル
「いやぁー、社交界って思ってたの違って、なかなか楽しいところだ。なあ、ティエ!」
王都のどこかで連日のように行われる社交界パーティー。
その一つに招待され、しぶしぶと伺ったザルガラであったが、帰りの馬車では上機嫌な様子だった。
その上機嫌ぶりは格別である。
なにしろ大嫌いな馬車に、文句も言わず乗っているのだ。
普段は外に出たがるように、窓を開けて外を眺めているのに、今は手の平の上でタルピーを躍らせて眺め、窓を開けるそぶりも見せない。
近くで長く使えるティエにとって、その姿は別人かと疑うほどである。
「と、とてもそのような集まりには見えませんでしたが……ザルガラ様?」
従者であるティエにとって、今日のパーティーは酷な場であった。
パーティーの質が悪いというわけではない。むしろ家の格式にしては良いと評価してしていいだろう。
問題はザルガラの扱われようである。
「え? だってさ。今回の参加者って王家に古くから仕えるヤツらじゃん。みんなオレを格下だと思ってるんだぜ」
「それを喜ばれるのがどうかと……」
若き主の返答に、ティエは困惑した。
そう、ザルガラは居並ぶ貴族たちに、格下として扱われて喜んでいた。
「ポリヘドラ家は才人の出だとか、サード卿なんて途絶えたものだから新参と変わらないとか、影門守とか意味も実態もない役職って、明け透けに言うんだぜ。貴族言葉を使えってんだよ。まったくまいったよなー」
まるで参った様子がない。
「才人をそのように見られておるのですか? 今日の方々は」
ポリヘドラ家に召し抱えられたティエにとって、そのような扱いは業腹なのだろう。上機嫌のザルガラに比べて、あからさまに不機嫌だ。
才人は芸術、文化を司る官僚である。
ポリヘドラ家は源流は帝国時代の貴族で、家の立ち上げは王国創成期の古い名家とはいえ、官職は才人であった。
貴族と言っても、軍系と文系と魔系がある。
国を支える政治と官僚を担う文系。
国を守る軍系と魔系。
その3つから軽んじられているのが、芸事の貴族……つまり才人の家である。
才人は典礼など堅苦しい礼節取り仕切る格式高い一族もいるが、だいたいは宮中での踊りや鳴り物(楽器)、歌や演劇を行う者たちである。
ポリヘドラ家の源流は、服飾の新しいデザインを作る織物と裁縫方の才人であった。
才人の一族は文化の保存と発展に寄与してきたが、国を守り動かし発展させているとは思われていない。
文化も文系といえばそうなのだが、あえて政治や学問を司る貴族は分けて見ている。
今回のパーティーは、そういった王国立ち上げのころから国を支えてきた名家の貴族であった。
なかに文武両道どころか、文武魔三系が揃う家まであった。
ポリヘドラ家は才人から文系……つまり政治に関われるようになり、王国初期に領地まで持つに至った貴族であるが、もともとの出自は芸事の家と見下されていたのだ。
「仮にも王国建国に寄与したポリヘドラ家をそのように……」
先祖代々仕えているわけでないティエですら怒るのだ。
本人であれば……と思っても、ザルガラは機嫌が良い。
「いやぁ、オレを家柄だけを見て見下すヤツら……。新鮮で嬉しかったよ」
「う、嬉しいですか?」
「ああ、だってさ、オレが力をどんなに持っても個人の魔法さ。家の力関係や権力や金を、覆すとなると難しい。それらをかさに着て、オレをバカにしてくるんだぜ」
「ひどいですね」
「ひどくうれしいよ」
ザルガラ様、ご乱心!
ティエは身が竦んだ。
貴族の当てこすりに動じない、というのは大物として見れるが、喜ぶとなると新しい性癖に目覚めてしまったのではと心配になる。
「いやはや、オレの見ている世界は狭かった。オレって怖がられてると思ったけど、ああして家や権力を盾にして、オレにケンカ売ってくるヤツがいるなんて思いもしなかった」
「あ、ケンカを売られていた、とはわかっているんですね」
意味合いを理解しているようで、ティエは一応安堵した。
「まあ、それはわかるよ。うれしくてつい笑っちゃったけど」
その様子が不気味でした、とは口が裂けても言えないティエであった。
「特にあの侯爵の皮肉は嬉しかったな。名前なんだっけ? ハチだったか4倍だったか2倍2倍だったか、そんな名前の」
「忘れてるじゃないですか。トゥーフォルド・スクエアード侯爵ですよ」
「そうそう、その侯爵。サード卿となって喜んでいるなんて言われてさ。このオレに向かってさぁ、『天才殿はあの真っ黒い宝石に、どのような胞体を刻むおつもりかな』とか言ってくるんだぜ」
サード領は亜炭の産地で、真っ黒い艶やかなジェットも取れる。
艶やかで美しくも、透明度の全くない宝石は胞体を刻めない。アクセサリーにはなるが、胞体石にならない。
そのため価値が低く、琥珀と違って準宝石中でも格も下に見られる。
つまりサード領と亜炭鉱山と、そこを拝領したザルガラをなじってバカにしていたわけである。
「まあザルガラ様も、負けじと『そんな埒外な発想はなかった。刻めたらプレゼントする』とかおっしゃいましたね」
「いやだって、できないと思う……というか、真っ黒で表面すら透けてないものに、そんなバカなことしようとも普通なら思わないどころか、発想すら出ないだろ? 倍々侯爵は皮肉のつもりだったんだろうが、裏を返してこっちの視点でなら到底でてこない新しい着想であることは間違いない」
『あたいも、上位種がこんな小さくなって、なんていわれたよー』
手の上で踊っていたタルピーが、腕に抱き着き嬉しそうに報告する。
「そうかそうか。きっとオレに支配されてるなんて惨めだな、なんて思ってるんだろう。実際は違うのにな」
『ねー。あたいとザルガラ様は、相棒なんだよねー。あたいが大きくなったら、みんなびっくりしてたねー』
腕をよじ登り、全身で嬉しそうに頬擦りするタルピー。
果たしてそれは相棒の表現であるのか?
ティエは訝しがった。
「そうそう。アイツらは皮肉のつもりだろうが、何一つ、疑いを持たないうえに、何一つ、不満を持たない場合は、かえってわかってねーなぁ、コイツって気分になるよなー、相棒」
『なるよねー、相棒ー』
相棒以上の関係に見えますが?
会場で問題積載超過したような女性を紹介されたとき、タルピー様は元の姿に戻って、見せつけるようにザルガラ様とダンスを行いましたよね?
という言葉を、ティエは飲み込んだ。
「それにな、利権を掻きまわすな、って言われた。あれを聞いたからこそ、オレはこういう集まりって重要だと思ったわけよ」
「そのようなことを?」
「ああ。南方に砂糖農場を開いてる貴族がいてな。この前のこしつぶ騒動で、『儲けさせて貰いました。ですが、このようなことはこれっきりでしょうな?』とか言ってた。アレってつまり、もう市場を乱高下させるのはやめろよって意味だろうな」
貴族は直接やめろとはいってない。儲かったが、またそんな儲けが起きるとは望んでいない口ぶり。
裏を見れば、短期的な儲けより、安定した市場を望んでいると聞こえる。
「パーティーって無駄じゃないんだな。いや、無駄も多いだろうが、あーいう場でそれとなく雑談に混ぜて自分の利権に手を突っ込むなよ、って警告してくるんだ。初めて経験したよ」
嬉しそうである。タルピーの全身使った頬擦りダンスを嫌がる様子も、気にする様子もない。
「改めて思うよ。世界が狭かった。狭い、狭かったよ、オレの世界は狭かった狭かった、いやぁ狭かった。アザナ以外に……いや、魔法の力でどうにもならない世界に目を向ければ、世の中いくらでも別種の強者がいるんだってな」
己の小ささを理解したザルガラは、心底嬉しそうにほほ笑んだ。
そしてタルピーが頬擦りに満足したのか、そのまま堅そうな髪の上に登って踊りを始めると、ザルガラはハッとした顔を見せた。
「あ、なんで馬車、乗ってんのオレ? 降りるぞ」
「あ、正気に戻られたのですね」
いつもの主に戻って、ティエは安堵した……?
* * *
「創成期から王家の重鎮トゥーフォルド・スクエアード侯爵である、このわたしの言葉をバカげた発想などとっ! あの没落貴族の次男坊めっ!」
後日、サロンに集まった貴族たちは、ザルガラを晒し者にしたパーティーを話題に出した。
当てこすりをした侯爵は、もう数日たっているというのに、切り返されたと腹立たしさをあらわにしている。
サード領などという領地をもらって喜んでいるようだが、ろくな価値もないだろうに、という皮肉をザルガラはあっさり切り返した。
ジェットに胞体を刻もうとする発想が、もうありえない。そうザルガラは言った。――癪に触ったスクエアード侯爵はそう解釈した。
集まっている貴族たちも、怒ってこそいないが、ザルガラへの警告や当てこすりの大半は空振りだったと残念そうである。
「終始、楽しそうであったな……あの者」
「まさかパーティーを心底楽しんでいるとは」
「我らにおもねって、笑顔でこびへつらっていたのでは?」
スクエアード侯爵を除くと、集まる者たちのザルガラへの反応は弱い。
毒気を抜かれてしまった者や、あれにいちいち怒ると疲れると気が付いた者が多いようである。
だがスクエアード侯爵は違うようである。
「そんな様子に見えたのか、貴様は? 本当に? そう思ったのか? それで済ますのか?」
呑気な派閥のメンバーを睨めつけ、腰を浮かせて問い詰める。
「い、いや、そうではないが……落ちつかれよ、スクエアード候」
「我々は姫君のことも考え、それほどきつく当たっても……とな。考えているのだ」
弱きとも思える言い訳を聞いて、怒鳴るのも面倒だとスクエアードは席に腰を下ろした。
「ふん、まあいい。たしかに姫殿下の権威……ではなく、その存在の維持に彼が必要なのは事実だ。王国の存続に必要ではある」
ディータ姫を出されると、スクエアードも矛を収めるしかない。
彼らは比較的保守的である。
カリスマチューンのある王族の元で、国家が運営されていくことが是であり、変化や改革は望んでいない。
そのため、ザルガラが必要である。
だが、上下関係ははっきりさせておきたい。
そんな貴族……いや、男として、年配者としての考えがスクエアードにはあった。
「いいだろう。ならば単純な力ではどうにもならない。老練さというものを、サード卿に学んでもらうではないか」
* * *
数日後――。
役人と貴族が行きかう王城の廊下で、スクエアード侯爵に頭を下げるザルガラ・ポリヘドラがいた。
「ご無沙汰しております、スクエアード候。突然ですが、師匠って呼んでよろしいですか?」
「お、おう?」
嫌がらせをしている対象に、慕われるような好意を向けられスクエアードは困惑した。
観念したのか? 降伏宣言なのか?
それにしては笑顔がまぶしい。
「スクエアード候が伸ばされる手、次なる手、その手、その悉く、受けて感心しきりです。このような戦い方があるのですね。勉強になりました」
ザルガラのまっすぐな態度に、気圧されるスクエアード侯爵。
その様子は見た目の礼節とは裏腹に、ザルガラという強者に押される弱者のスクエアードに見えた。
近くにいたスクエアードの友人が訪ねる。
「え? スクエアード候。学ばせてやると仰ってましたが、まさか本当になにか学ばせておられたのですか?」
「いやいや、してない、してないぞ」
友人の質問に、首を振って否定するスクエアード候。
これにザルガラが割って入る。
「いやいや、こちらが勝手に学ばせてもらっているんですよ。武官を探しているとなれば、傭兵をオレのところに次々送り込む。なるほど、無為に雇えば困る。慎重に喫して素行調査すれば手間に困る。断っても困る。サード領の村に売り込みで来るだけで困る。傭兵が集団で来るだけで、こちらは警戒に人手が必要になりますし、無下に断れば傭兵が帰路に暴挙でもするかもしれない……元を正せば王領なのでそんなことぁしないと思いますが……万が一、もしくは隣領で暴れるかもしれない。いやぁまさか募集にいくつも断続的に傭兵団を送るだけで、こんなに負担をかけることができるなんて。その背中は教材といえますね。スクエアード候」
意図をすべて理解しているのかッ! と、スクエアード候はひるんだ。
化け物と言われた天才は、こんなことの裏まで読んで、吸収してしまうのか?
薄汚い手を公然で言うのは憚れるから、学ばせてもらっているという体裁に変える悪辣な当てこすり。
スクエアード候はここに至って、やっとザルガラを「脅威」と見た。
背中が教材とは、つねに見ているぞという意味にも聞こえた。
事実、ザルガラがいろいろと情報を先んじて手に入れていることが多いと、貴族の間では話題になっている。
大きな諜報組織を従えているという噂があるほどだ。
「いや、感謝しています、倍々卿」
「だ、誰が倍々卿じゃ!」
倍々卿と言われ、スクエアード候は意味をすぐに理解して憤怒した。
周囲でも意味が分かったものは、思わず吹き出して顔を背けた。
この光景は、両者が心を許し合っている様子に見えた。
「特に先日送り込まれた3歳くらいの子供も連れたご婦人の『あなたの子よ、責任取って』攻撃には参りました。歳も積もらぬこの身に、こんな手を――」
「いや、それはしてないぞ」
ほかのことに暗に関わっていると、思わず洩らしてしまう。
「あ、そうなの? あと、こちらの行った催しに、全裸が送り込まれるのには参りました」
「それは君が呼んだ友人の問題だろ……」
「出席を妨害されたので、それに対処したら全裸の友人グループの到着時間が重なっただけですが」
「全裸グループって君、どういう友人いるの? 友達選ばないの? 選んだら? 貴族たるもの友人は選ばねばらんぞ。ははっ! そんな友人ばかりでは、その友人がバカにされるぞ?」
もはや関わったことを否定する前に、全裸が気になり問いただしてしまうスクエアード候であった。
しかも友達は選べと、真面目に指導するほどだ。
奇しくもその光景は、師匠と呼ばれて仕方ないやり取りであった。
「これでも選んでますので」
「そ、そうか。そういった友人を誇れるならいいが……いいのか?」
ぶぜんと答えたザルガラにひるみ、スクエアード候は言を翻した。
「スクエアード候。実はサード卿と仲がよろしいので?」
思わず近くて聞いていた無関係の貴族ですら、二人の意外な関わりを尋ねるほどである。
「これのどこがそう見えるのか!?」
見える。
特に知らない人からすれば、スクエアード候がザルガラを目にかけているように思える光景であった。
仲が悪くても仲良く見える。
スクエアード候に敵意があっても、他者から戦意があるように思われないだろう。
一見、スクエアード候の意図が隠されるように思える。
だが可愛がっておきながら、慕っている新興貴族を意味もなく無碍にしたと周囲に思われたならば……。
スクエアード候は恐怖した。
――この小僧ッ! 自分から虎口に飛び込んでおきながら、私の評判を人質に!?
そう考えたスクエアード候だったが、ザルガラは本当に慕っているのでさらにタチが悪い……。
いじめられると慕う強者とか、厄介この上ない。
『……ザル様、強者ならなんでも好きになる? おじ様とザル様!』
心配し高次元体で見守っていたディータは、人知れず勝手に一人で興奮していた。
ザルガラは悪意素通りの笊なのか、なんでも知識を吸収するスポンジなのか
 




