リアクスタンスの悲劇
――始めは、ただ褒められたいだけだった。
誰もが魔法を使えるこの国で、オレは地方貴族の次男として生まれた。
全ての人が魔法が使えるといっても、ほとんどの人が生活や仕事に、ちょっとだけ役立つ魔法を『なんとかつかえる』というだけである。
例えば夜中を通して、強く輝く火を灯せる程度の魔法を使える魔法使い。『火男』とか『火女』と呼ばれる者たち。街灯などに明かりをつけるのが仕事だが、それでも食いはぐれのない選りすぐりの専門業だ。
火の魔法を使えても、大部分の人が火付けの木くずに種火をつけるくらいしかできない。直接、薪に火をつけられるようなら、火男ほどでないにしろ優秀な魔法使い扱いがされる。
虫避けや獣避けの魔法を使えるほどになると、小遣い稼ぎができるようになる。一か月単位で効果の残る獣避けの結界を作れるとなれば、地域を管理する役人に召し抱えられるだろう。
運動能力を高める魔法を使えれば、それこそ引く手数多だ。
もしも物体を破壊したり、他者を傷つけられるほどの魔法が使えれば、保護と監視を含めた意味で宮仕えとなってしまうだろう。自由は奪われるが、高給取りだ。
そんな魔法を横目に見て、オレは子供の頃から自分の魔法が異常なほど優れていると分かっていた。
もちろん自慢したい気持ちもあった。だけどそれ以上に、褒められたいという無邪気な気持ちの方が強かった。
どちらかというと純粋な気持ちしかなかった。
最初は褒められた。そりゃちょっと失敗もして怒られたこともあったが、だいたいは褒められていた。
が、それも本当に最初の最初。3歳くらいまでだ。
それから後は、恐れる大人の目しか記憶にない。両親ですら、口を濁して褒めているのか諌めているのか、わからないような物言いでオレに接するようになった。
今思えば、確かにやり過ぎたのかもしれない。
道作りに邪魔な岩を、勝手に破壊したあたりから周囲の目が変わったような気がする。この子はちゃんと目を光らせて置かないと、危ない。という扱いだ。
だが、それが理解できなかった4歳児のバカなオレは、もっと役立つことをすれば次は褒められるかもしれないなどと考えた。
浅はかである。子供ってのは、本当にバカだな。
そんなバカが、力をそこかしこで使えば、たとえ結果が良しとなっても、迷惑極まりない。
まあ単純に「前よりデカいこと、難しいことを成功させればもっと褒められる」と思っていたオレが、バカだったのだろう。
ついには魔物を退治すれば……と、わざわざ山を越えて、魔物の拠点で殺戮を繰り返したのはいけなかった。
オレの行動がバレた時は、魔物からの報復がまず恐れられた。
結果的に、報復などなかったわけだが――、いや魔物たちも5歳児のガキが山越えてやってきた、なんて気づくわけないし、考えも思いもしなかっただろうが――、とにかく何事もなかったのが行けなかった。
魔物たちの襲撃を警戒する時の恐怖心。その襲撃がなかったせいで、横滑り的に恐怖心が俺へと向いてしまった。積もっていた緊張と恐怖が、だ。
面倒な子とか危険な子という扱いから、怪物扱いになったのはそのころからだった。
子供とはいえ、さすがにそういう雰囲気が分からないほどバカではない。
以来、オレはおとなしくしていたが、扱いは変わらなかった。
悪いことに、悪事は悪路とて千里をふっ飛ぶというが、オレの評判は国中に広がってしまった。
オレの生まれた街は人口こそあるものの、なんの要所でもない街だった。単に農作物に適した気候と、林業が盛んな街で、生活するには悪くはないが田舎だった。
そんな田舎ではオレを持て余す。
10歳になる前に、オレは魔法学園に入学することが決まっていた。
オレの評判……悪評は中央に届いていて、早々と「国で管理する」と決まったのだ。
学園に入学してからも、優等生のつもりで大人しくしていたが、怪物の評判は変わらなかった。
――だが、アイツが……アザナが入学してそれが一変した。
アザナがザルガラ・ポリヘドラという怪物を殺してくれた。
ここでオレは目を開いた。
薄暗い屋内。見覚えのある自室だ。
といっても、山に作った研究小屋じゃない。11歳当時に見ていた部屋の天井だ。
「夢から醒めた……か?」
幼少期の夢からは醒めた。
だが、夢のようだったあの時に、こうしているのは確からしい。
ベッドから身を起こして周囲を見回すと、現実であることに間違いない。
ここはオレが学園に通っていたころに、生活していたエンディ屋敷だった。
エンディ屋敷とは、エウクレイデス王国の首都エンディアに設けられた公設の小さな屋敷だ。
この屋敷の他に、大小さまざまな3百ほどの屋敷が集まった区画となっている。
有力でも裕福でもない貴族が、中央で仕事や生活する場合に、王国から借り受ける屋敷。
それがエンディ屋敷だ。
独力で屋敷を首都に持てる貴族などは、ここより少し王城へ近いところにデカい屋敷を構えている。
うちのエンディ屋敷はやや小さ目。家の力――財力や政治的な力などが弱いからもあるが、主な理由はオレが実家から遠ざけられているからだろう。
屋敷がデカすぎると、管理する人が多くなる。人が多くなれば、オレの周囲に人が増える。
オレを怪物と恐れる家人は多い。というか、ほぼ全員だ。
ある程度、距離を持ってオレの面倒を見れる家人となれば、少数となってしまう。その結果が小さなエンディ屋敷の借り受けという結果だ。
実家の部屋より狭いベッドから身を起こし、じっと手を見る。
若々しいというより、幼みのある丸みのある手。
オレはベッドから立ち上がって、壁にかかる姿見を見た。
「オレはこの頃から、性質の悪そうな顔してるな」
ガキの癖に悪人顔だ。
身体も小さい。見事な子供である。黒いバサバサの髪は、質の問題で手入れしても変わらない。
鋭い目は子供とは思えない。眼光鋭く、重ねて澱んで暗い目をしている。
口はデカい。よりによって薄く長くデカい。蛇かトカゲを連想させる口である。
「どうせ、やり直せるなら3歳くらいのときからなら良かったのにな」
アザナとの闘争期間を除くなら、幸せだったのはその頃くらいの時だ。
なにが起こったかわからないが、オレが11歳の時に戻っていることは確かだ。理由はまったくわからないが、神が与えた機会なのだろうか?
別の人生を歩めという警告?
「オレが別の生き方を選ぶわけないだろが、バーカ」
鏡の中に神はいないが、妙なことを考えたオレがいるので罵倒を浴びせて見た。
「お目覚めでしょうか? ザルガラ様」
ノックの音と、侍女の声がドアから聞こえてきた。
「ああ……えっと……」
この声は確か――
「ティエか? 入ってきていいぞ」
なんとか当時の使用人の名前を思い出した。許可を出すと、一拍置いてドアが開いた。
髪を肩口より短めに切りそろえ女性が、しずしずと入室してくる。彼女は無表情でメイド服のスカートをちょんと持ち、機械的に軽い会釈をした。
――そういえばこんなヤツだったな。
学園を卒業した頃……15歳の時に家を飛び出したので、11歳当時にいた使用人など、ほとんど忘れかかっている。ティエの名前と声が一致したのは、たまたまコイツが印象的だったからだ。
目が隠れるほど長い前髪。いつだったか、それで前が見えてるのかと訊ねた事がある。そうしたら「魔法で見てますので」と、いう無駄な魔法で無駄な能力アピールをしてきたヤツだ。
ごくまれに覗く顔は美人といえば美人だろうが、暗くて重い雰囲気がある。
髪が短いのにもっさりした感があるのは、目を隠すように長い前髪のせいだろう。目を隠しているのは、おびえる目を隠すためかもしれない。
不遜でどうでもいい細かい配慮だが、オレには有り難い。
「ご気分のほどは? もう立ち上がられても平気でしょうか?」
「ああ。特に問題はない」
オレはアザナにやられて気を失っていたようだ。
いつの間にか、学園から移されて自室のベッドに寝かされたのだろう。
お陰で嫌な過去の夢を、心地よく見られた。
「軽いお食事を用意しております。召し上がりますか? 少々お待ちいただければ、しっかりとした食事もご用意できますが?」
「……そうだな。腹具合的に、軽く済ませるくらいにしておこう」
「かしこまりました」
軽いとはいえ食事を用意しているところみると、夕食時は過ぎているだろう。
寝間着の上からガウンを着せられつつ、ティエに状況を訊ねる。
「オレは学園で気を失って、ここに運ばれてきたってわけか?」
「はい。出迎えは私と、マーレイで。怪我をなさっていたようですが、すでに学園で治療は終えてあると伺ってます」
「そうか」
マーレイ? ……ああ、ジン・マーレイか。アイツは家令の中でも特に老齢だ。オレが11歳児とはいえ、運ぶにはしんどい思いをしただろう。
「マーレイはどうしてる?」
「……お呼びいたしますか?」
ティエの反応が鈍い。無表情だが、優れた使用人である彼女にしては珍しい。
「いや、いい。どうしてるかと気になっただけだ。まさかと思うが、また……」
「…………マーレイには、ザルガラ様がご心配なされているとお伝えいたします」
「やはり、腰を痛めたか」
この屋敷には若い男手がいるな。
確かマーレイは老齢のせいで、オレが在学中に家令を止めざる得なかったはずだ。
使用人にも年配者が多い。先に人を手配してもいいだろう。実家に頼まず、オレ個人で探してもいいだろう。
「それから……。学園に登校されたら、学園長室を訪れるようにと教頭会から連絡を受けております」
「くぁーっ、やっぱりそうかぁ」
オレは額に手を当て、天を仰いだ。
学園で暴れたのだから当然だ。教頭会とは政治的な飾りの学園長とは違い、学園内で実質的な権力を持つ五人の教導魔術員たちの集まりである。
彼らの怒りを買えば、学園生活もその後の未来も真っ暗だ。
もっともそんなことは、以前の人生で何度も経験したことなので、オレ的には何を今更という気分である。
ただしあの五人の小言はちょっと応える。長いからな。
教頭たちの小言を疎ましく思いながらも、しかし、とも思うオレがいる。
オレはまた、あのアザナに挑み続けることができる。
それを思えば教頭たちの小言など、そよ風みたいなものだ。
「……だが、アザナがなんかちょっと違うような?」
「どうかなさいましたか?」
アザナの様子が少し異なり、記憶を掘り起こしていたら、ティエが遠慮がちに訊ねてきた。
「いや、なんでもない。そんな事より、まずは食事だ」
すぐに誤魔化し、食事に話をすり替えた。
お屋敷で食事というのは、5年ぶり。楽しみだぜ!