アザナの事情
カタランの騒動。
一部からは何故か、カタランの悲劇とか惨劇とか呼ばれている事件から数日間。
エウクレイデス王宮は、事態の把握と収拾に追われていた。
立派なあごひげが、胸まである禿頭のエイドルド・ルジャンドル子爵も、その1人であった。
年老いた彼は長年の間、議会と国王の間に立って調整を行ってきた。その彼も初めての経験である、「一個人が作り出した転移門」問題も、今日やっと一段落する。
「はぁ……」
本日、何度目かのため息をついた。
これから行われるのは3文芝居だ。
ルジャンドルが描いた脚本で、演じるのは恐れ多くもエンクレイデル・カトプトリカ・エウクレイデス国王陛下。そして魔法学園の教頭会5名と、転移門をゼロから作り出した、天才アザナ・ソーハ。
参加しながらも、劇と知らぬ議会員と有力貴族たちが数十名。
「ご安心ください。うまくいきますよ」
若い秘書官が慰めを言葉をかける。
――そんなことは分かっている。
と、ルシャンドルは言いたかった。
事態が収拾することは、もう筋書で出来ている。ただ、収拾に取りかかった動機、その後の処理が問題なのだ。
「そうは言うがな。これが片付いても気が休まらんのだ」
「……お孫さんでしたか?」
「そうじゃ。ワシの可愛い孫娘が、あの問題のアザナに執着していてな」
彼はアリアンマリの祖父だ。
いつもわがままなアリアンマリが、特別厄介なわがままを持ち込んできた。アザナにひどいことをしないで、というわがままだが、どうやら可愛い孫娘にとっては、議会に引っ張りだすだけでもひどいことだったらしい。
どれだけ祖父が波風立てないシナリオを描いて、それをどうやって王国と議会に呑ませたかアリアンマリは知らない。
「アザナくんでしたか。すごいですね、彼」
家庭の事情を知らない秘書官は、気軽にアザナを評価した。
「そりゃ優良株だ。が、あれほどの事を私用で成してしまうには、少々度肝を抜かれた。年老いた身にはキツイわい」
議会の中央では、議会の大貴族たちの注目を浴びながら、アザナは終始愛らしい微笑を絶やさない。
事情を知らない者がアザナの対応をみれば、大貴族たちがこれから彼を褒めるのではないかと勘違いしそうだ。
「――ボクから述べられる事実は以上です」
言い訳でも口上でもない。
誰からか叩き込まれたような、事実報告を終えて、アザナは小さく礼をした。
大貴族の中に、不気味な者を見る目は僅かにあったが、おおむねアザナへの印象は悪くない。
議員の何人かは、彼を彼女と勘違いしているようで、妙な目を向けているものすらいた。
質疑応答が繰り返され、アザナは10歳とは思えない態度で受けて立っていた。
終始、シナリオ通りだった。
質問するものと、応答するものの殆どに息がかかっている。脚本の読み合わせが完了されている。
「――決議を下す」
さもさも議会の話を熟考した上でいうように、国王が手を翳して号令し議案をまとめ上げた。
結果は、こうだ。
学園内で魔胞体陣の練習をしていたアザナが、共鳴反応する魔胞体陣を地下に発見。何事かと、魔力を注いでみたら、なんと未発見のランズマへ繋がる転移門だった。
アザナは転移門を作ったのではなく、発見して稼働させた。
学園には未発見の転移門があった。
王国は学業指導上でアザナが発見したということで、学園の所有と認める。
以降、学園には口止め料を兼ねた転移門の使用料が支払われ、管理は王国が行う。
カタラン領は拠点的にも重要なこともあり、徹底して運用し、資金を回収し、辺境の防備に投入する。
アザナは魔力を注いで稼働させただけ。もちろん所有権はない。発見の功績として、褒美が後日下賜される。
カタランは表面上丸儲けだが、中央の力が片道で届くことになり、ある意味で首輪の鎖が短くなった。
学園は金と転移門の所有権。王国は転移門の利用。アザナは常軌を逸脱した能力の秘匿。カタランは政治的に損で経済的に得。
壇上を遠くから見下ろすルシャンドルが描いた劇。
政治的な決着は、おおよそ上手くいったようだ。
「工作が及ばなかった方々も、意外に矛を収めましたね」
「物が物だけに強く出れんようだ」
古来種が残した遺跡で、もっとも実用的だが、動かせず効果が限定的な転移門は、議会でも持て余す。せいぜい、利権に一部の議員が噛むくらいだろう。
丸儲けした者はいないが、大体の者が利益を得ていた。
諸外国からの突き上げはくるが、「学園の一生徒が発見した古来種の遺跡」で押し通す。
だが、アザナが規格外ということは、王国に知れる事になった。
何度かルシャンドルの家に招き、アリアンマリを介して話を交わしたアザナの、小悪魔的にいたずら好きそうな顔。
子爵は問題児の顔を思いだしながら、天井を仰いだ。
「しかし、これで怪物ザルガラに向けられていた監視が、あのアザナに向くであろうなぁ」
そうなれば、孫娘アリアンマリも一緒に監視されるであろう。
年頃の娘が、国の監視にさらされる。
ルシャンドルは嫌な気分だった。
* * *
「ぷはぁ~、終わったぁ~」
やけに豪奢な控え室で、アザナは椅子の後ろから背もたれに抱き付き、座面に顔を押し付けた。そんな足をバタつかせるので、高く上がった腰の方で、ちらちらとお尻が見えていた。
控え室に居た取り巻きの女子生徒たちは、その姿に頬を赤らめた。
アザナの着る制服はちょっとブカブカである。少し前にぴったりサイズの制服を盗まれ、成長してからと準備していた服を着ていた。そのせいで、短パンが緩いキュロットスカート状態になっていた。
その萌え苦しい姿に、ユスティティアは心臓が早鐘を打つのを感じた。
(でかしました! ですわ!)
アザナの制服が盗まれた時、ユスティティアは憤慨したものだが、こうしてみると良かった。
ブカブカの制服は、アザナの魅力を引き立たせ、時折こうしたサービスを提供してくれる。
「アザナさま。ダメだよ、はしたないです」
アザナの幼馴染である褐色の少女ア・フモセが、一人冷静にマントの裾を持って魅惑のふとももとお尻を隠した。
褐色の肌は、広い領地を持ち、さまざま他民族がいるエウクレイデス王国でも珍しい。
フモセはソーハ家に代々使える使用人で、先祖は内海を越えた南方の出身である。異民族なので、アが姓名、フモセが名である。
異国的なポニーテールと大きなアーモンドアイ。引き締まった身体を持ち、魔法の才能とあらゆる騎乗の才を持つ。
取り巻き4人の中で、アザナと最も交流が長い少女だ。
(余計な事を!)
ユスティティアを代表とし、3人の少女が歯ぎしりした。
「でもやっとこれで自由だよ!」
椅子の座面から顔を上げ、いたずらっ子染みた笑顔でアザナが言った。
「アザナくんも学園にいけるし、一緒に遊べる!」
アリアンマリが諸手を上げて、何度も飛び跳ねている。貴族の子女とは思えないお転婆だ。
「学園は勉強をするところでわ~」
三つ編みの少女・ヴァリエ・ラ・カヴァリエールは、王国騎士団大隊長を務めるフランシス・ラ・カヴァリエール男爵の一人娘である。
「はぁ……。アザナ様が転移門を作られるなんて……。4年前、わたくしが父から商売に触れて見ろと、金貨を一袋貰い王都を回り、アザナ様と出会った頃は……。まさか、こんなことにまでなるとは思いませんでしたわ」
「懐かしいねぇ。ボクが魔法手帳内職の、資金を探してた頃だ」
ソーハ家は弱い。
知るものが見れば、ソーハという姓は王国古来のそれではない。
王国の外から流入した他国の貴族が、手土産や功績を持って爵位を王国からもらった。
子爵というのは名前負けで、領地も500戸の村一つ分。収入のほとんどが現物で、現金収入は僅か。自前の騎士は一人もおらず、軍備は村の男衆で100人ほど。
アザナという天才と、ユスティティアの援助がなければ早晩倒れてしまうかもしれない家なのだ。
ユスティティアが初めて訪れたときは、財貨の流出と損失を極力抑えるため、住人同士の取引では貝殻通貨を利用していたほどだった。
その状況を、アザナが変えた。
「あの時も天地が裏返るほど驚きましたわ。魔法に不向きな南方出のフモセを魔法使いに育て上げているわ、村人たちに計算だけでなく、図形の描き方まで教育を終えているなどとは……」
アザナはユスティティアの投資を得て、手帳用の新式魔法陣を村人たちに手書きさせる内職を与えた。
「ソーハ村の魔法手帳はいいよねぇ。印刷の手帳より能力が高いし、その辺の魔法使いが片手間に描いた歯抜けの手帳と違って、必要なのは一揃い入ってて。小さい頃、お爺様に買ってもらったよ」
「私も小さいころはお世話になりましたー。アンリは今も小さいですがー」
ガッ!
アリアンマリの肘鉄が、ヴァリエの腰に飛んだ。が、右から飛んできたそれを、ヴァリエは背中側に回した逆の左手の平で受け止めた。
全身全霊のアリアンマリに対し、ヴァリエは優雅な立ち姿を崩していない。
アリアンマリの肘鉄は魔力が含まれていたが、ヴァリエの手に魔力はない。完全な素手だ。
ヴァリエの高い格闘技量が伺える。
必死に魔力入りの肘でぐりぐりと痛めつけようするアリアンマリ。
魔力も無しで、手の平の微妙な動きを使い、それを「いなす」ヴァリエ。
アリアンマリとヴァリエは、少々仲が悪かった。
それはさておき――。
印刷の魔法陣と違い、手書きの魔法陣は効果が高い。
印刷がインクをいっぺんに擦り付けているのに対し、手書きは『正しい手順』で『計算できる者』によって描かれているからだ。
アザナは6歳にして、村人たちを教育し、高い計算能力を与え、なおかつ正確かつ正しい手順の描き方を教えた。
これを種とし、ユスティティアが資金という水を与え、村人たちが夜なべして育て、エッジファセット家が販路を開いて実を得た。
魔法の才能が無くても、計算と図形が描ければ収入が得られる。
アザナはこれを実践してみせた。
「我がエッジファセット家は宝飾品関係ばかりで、魔法関係に販路を持ってませんでしたが、アザナ様のおかげで関わる事ができました。今ではだいぶ手が広くなりましたよ」
3年前、エッジファセット家は魔法手帳の卸業に介入。
これによりアザナの名は、新式魔法手帳を扱う商人に知られるようになった。
なにしろ魔法手帳は需要が多い。村人が総力を挙げて作ったとしても、供給が足りないほどだ。
魔法陣を正確に手書きできるほどの魔法使いなら、金を稼ぐ手段がいくらでもある。たまに副収入で書く程度なので、安定供給にはならない。
こうして、寒村ソーハ村は手帳の安定供給拠点となり、村民の生活は大いに改善された。
学園の生徒向け新式手帳売りが捗るようになったのも、アザナのお陰である。
これによって魔法の実力がなくても、アザナは学園にコネ入学できただろう。
「アザナ様が休日にゆっくり休めなかったのは残念ですが、明日からは学園生活が戻りますわ」
「ノートもちゃんととってあるよ! アザナくん!」
「アンリではなく、わたしがですが」
「そろそろ学園では、いろんなイベントがあるんですよ、アザナさま」
姦しくなる女の子たちを後目に、アザナはぼんやりと上を見て呟いた。
「ボクはザルガラ先輩に会いたいなぁ」
一瞬にして、控え室の空気が凍り付いた。
憧れのアザナを前にし、ユスティティアを始め4人の娘たちは円陣を組んで、顔を突き合わせた。
「いつものことながら、どう思われますか? みなさん」
「アザナって、同世代の友達少ないから……そういうことかと」
「大丈夫? あのザルガラってヤツ、変態なんでしょ? アザナくんが、アイツの餌食になるなんて耐えられんないよ」
「いえ、わたしはアリだと思いますよ。はぁはぁ……」
誰とは言わないが一人、やたら鼻息が荒い。彼女の怪しい手は、何故かフモセの腰に回っている。
「もう少し、彼の事を調べましょう」
「ユスティティアの弟さんのこともあるしねぇ。やたらザルガラとかアザナくんを意識して勉強しちゃってるんでしょ?」
「え? ユールテルくんもそうなの? そうなのかしら? ねえ? そっちなの?」
「あ、あの……ヴァリエさん……止め……」
深刻? な女子たちの気も知らず、アザナは「ぶぅー」と頬を膨らませた。
「ザルガラ先輩って、強引に攻めてくるタイプだと思ったら、すぐ逃げちゃうんだよ。ひどいよねぇ。ちょっとした意地悪しちゃおうかなぁ」
「アザナ様の!」
「ちょっと!」
「意地悪!」
「ですって!」
ユスティティアを始め、4人の少女たちが凍りつく。
それどころか、皆が肩を寄せ合い震え始めた。
アザナ・ソーハ。
天才は生来のいたずら好きであった。
ご感想、ご意見ご指摘などお待ちしております。




