戦いに備える者
【険路求道】の宿で夜を迎え、そろそろ着替えて寝ようとしていたアリアンマリ・ルジャンドルは、言い知れぬ疎外感を味わっていた。
アザナの取り巻き女子の中で、わがままかつ気分屋の彼女は比較的、どこでも孤立しやすい女の子だ。
もちろん、それを受け入れてくれているアザナや他の女子たちは、それを踏まえて付き合ってくれているし、足りない点を補ってくれる。
だが、いつもの孤立とはまったく違う、疎外というものをアリアンマリは感じていた。
就寝前、女の子たちが花びらのごとくベッドの上に散らばって、とても女子らしくない会話を繰り広げている。
「なんといいますかっ! とても……とても素晴らしい村ですわねっ!」
下々の暮らしに、最も遠い公爵姫のユスティティアが、目を輝かせて険路求道村を絶賛した。
公爵家の姫ながら、たしかに彼女は庶民へ対し寛容さがあった。
しかしそれは庶民の事情を、頭で理解するという分別であって、心で感じるような情動ではない。
受けた教育も考え方も、根本ではアリアンマリに近いはずだ。
そのユスティティアが、手放しで村のあり方に称賛していた。
「え、あの、ね? そりゃあ初めて見るようなことばっかりだったけどさ」
「アリアンマリもそう思いますわよね?」
「う、うん、そうかなぁー」
疎外感が安易な同意の言葉を捻り出す。
アリアンマリはつい出た自分らしくない同意の結果より、ユスティティアのらしくない発言に不安を感じた。
「日々の労働で得た筋肉も良いかもしれません。ああいった肉体こそが、人として正しい筋肉なのかも」
「え、ええ……」
「うん、そ、そうだね」
見た目に反して、考え方が筋肉に汚染されているヴァリエが、これまた肉体的な発想をしていた。
これにはユスティティアも同意しにくいようだ。
「そうそう。アザナ様の発明と違って、目的がはっきりしているというか、地に足が付いている感じがほっとしますよね」
「わかりますか、フモセ」
「そうだよねぇ。地面にぶつける筋肉あってもいいよねぇ」
あろうことか、フモセがアザナの行動と比べて、ユスティティアが即座に同意した。
家人として苦労しているフモセと違い、アリアンマリはアザナの発明と浪費の実害をあまり知らないのだが、それはユスティティアとヴァリエも同じはずである。
だが、その2人も険路求道を通して、フモセの考えに共感していた。……ヴァリエのはちょっと違うが。
アリアンマリは心無い同意を繰り返し、意見を口にしない。それを他の3人は気にしていない。
これがまた疎外感を加速させる。気にされていない、険路求道に夢中、アリアンマリの孤立など眼中にない。
「こんな村の暮らしもいいかも」
そんな意見まで、3人から飛び出して来ていた。
さすがに移住するなど言いださないが、いつそんな意見が誰かから出て、3人が同意してしまうのではと、アリアンマリは気が気でなかった。
「女の人もみなさんも、大変な重労働にもかかわらず、男の方とご一緒に働いてらっしゃいましたね」
「村の男の人があんな恰好ばかりだから、女の人がいるかどうか不安でしたが、ちゃんといて安心しました」
これはアリアンマリも内心で同意した。
男の村人たちが奇抜かつ山賊もかくやという姿であったため、まともに女の村人などいないのでは、と思っていたからだ。
「まあ……なぜか女の人の髪型がロングのワンレングスや、ウェービーなパーマの方ばかりだったけど……」
ヴァリエの疑問には、称賛も忘れて全員が頷いた。
この村の人々は、とにかくヘアスタイルに力を入れ過ぎである。
「それはそうとして……、やはり村のあり方は尊重すべきですわ」
「もっとこの村のことを、世間に知ってもらいましょう」
「それがいいわね」
ヘアスタイルの疑問はそれとして、3人は険路求道の理念に、改めて共感を表した。
「……み、みんな、あのさあ……ど、どうしたの?」
否定をする前に、遠回しながら心配の言葉で3人の熱狂に踏み込んだ。
「……別にどうも?」
「眠くならないのは不思議かな?」
「アリアンマリ様、そろそろお休みになられますか?」
3人に不審な点はない。
フモセも気をつかってくれる。彼女たちの笑顔も普段通りなのだが……。
――怖い。
怖いもの知らずのアリアンマリが、親しい恋のライバルに初めて恐怖を感じた。
今すぐにでも、アザナのところへ逃げ出したい気持ちだった。
と、ここでアリアンマリは、やっとマトロ女史の姿が部屋にないと気が付いた。
「あ、あれ? マトロ先生は?」
「そういえばいらっしゃいませんね。フモセ? ご存じ?」
「ええ。なんでも教頭先生がいらっしゃらないので、探しにいかれました」
「なにやってるんでしょうね、モルティー教頭先生」
教師の一人が情緒不安定で行方知らず。
それも怖いが、気心知れた仲間が、変わっていく様子が怖い。
いますぐ淑女協定を無視して、アザナのもとへ駆け込みたいがそうもいかない。
少々節度がないアリアンマリだが、アザナ以外の男子がいる部屋へ、夜も更けているのに飛び込みたくない。
「お困り。のようですね」
取り巻き女子以外の生徒が現れた。
アリアンマリには、その女子生徒が急に現れたように思えた。
その急に現れた彼女は、今から寝ようとしていたのか、単眼の絵が描かれたアイマスクをつけたままである。
「えーっと、誰だっけ?」
そういえば日中、たまーに見かけたなぁと思いだしつつ、名前を尋ねる。
「いやだなぁ。イマリー。ですよ」
「あ、あー、そうだったわね。……そっか、イマリーね」
安易な同意で誤魔化したが、アリアンマリは彼女をまったく知らない。わからない。
誤魔化しを察したのか、イマリーと名乗る女子生徒は残念そうな反応を見せた。
「ふむ……。一回。古来種様が宿る。と、精神が解放されるんですね。私の力が効きにくい。ような気がする」
「はぁ? なにいってんの、あんた?」
いきなり話しかけてきて、すぐさま独り言を言いだすイマリーに対し、露骨に嫌な顔を見せる。
「でもまあ。【完全解放】されたここの村人。よりはいいけど」
1人で納得している謎の生徒は、そう言ってアリアンマリに背を向け、ユスティティアたちの会話に耳を傾ける。
「…………なんのために話かけてきたのよ、アイツ」
再び孤独になったアリアンマリは、ベッドに体を投げ出して眠くなったふりをして、友人たちの会話から意識を遠ざけた。
――と、その耳に、外の騒ぎが飛び込んできた。
ユスティティアは公爵姫らしく落ち着いていたが、咄嗟に反応してヴァリエが立ち上がる。
「私が様子を見ますね」
しかし、ヴァリエを抑えてフモセがベランダに出た。
いまこの部屋の中で、もっとも個人戦闘力が高い少女はヴァリエである。不測の事態に対応するため、部屋の中で警戒するのがよいとフモセは判断した。
いつものみんなだ――。
アリアンマリは、ちょっと憎らしいが頼りになるヴァリエの背中に安心感を感じた。
「……どうやら、罠にかかったようですね」
聞こえ漏れる村人の声から、おおよその事態を把握したフモセが室内に戻って来た。
「そう。でしたら何事もないでしょうね」
報告を聞いたユスティティアの一言を聞いて、ヴァリエも警戒を解いて座った。
もっともまだ緊張は解いていないようだが。
「罠もどういった道具を使っているのでしょうね?」
「思いもよらない仕掛けかもしれないね」
「魔具でしたら想像できるのですが」
先ほどの出来事で話題が変わるかと思ったら、まだ3人は険路求道に夢中であった。
会話に参加できず、どれほど時間が経ったか――。
罠の騒動で出て行ったのか、誰かが宿に帰ってくる気配があった。
「あ、もしかしたらアザナくんも行ったのかな? ちょっと見てくるね!」
ユスティティアたちはおしゃべりに夢中で、逃げ出すアリアンマリの言い訳が耳に入らない。
「ええ、いってらっしゃい」
「お外に出られる場合は、一度お戻りください」
会いにいく相手がアザナかもしれないというのに、3人の反応は薄い。
湧き上がる怖気を隠し、アリアンマリは女子部屋からこっそり抜け出した。
普段ならば、3人は止めるなり誰かついてくるなりしただろう。
しかし、そんな素振りを誰も見せない。
不安から離れながらも、アリアンマリの不安はさらに多くなった。
1階に降りたアリアンマリは、不安を解消してくれるであろうアザナがいると信じて、玄関ロビーに踊り込んだ。
「アザナくん! ……って、なんだ、あんたぁ?」
しかし、そこにいたのは、玄関先で外套の草葉を払って入って来たザルガラであった。
「おう、アリアンマリか。ちょうどよかった」
いきなり不機嫌な態度をぶつけられたザルガラだが、お構いなしという足取りでアリアンマリのもとへ歩み寄った。
「マトロ先生に言付けを頼む。 ちょっと隣りの……って言っても結構遠いんだが、そこにモルティー教頭もいるんで、これから迎えにいく」
「よくわかんないんだけど」
反発するように言い返すと、ザルガラは大きな口を歪めて困ったような笑みを浮かべた。
「ほんと、わけわかんないよな、あの教頭先生。ああ、それから…………アザナにも伝言を頼む」
「でんごん?」
「オレ、この村、気分次第でぶっ潰すから」
* * *
「むにゃむにゃ、ちょっとトイレ」
男子部屋で、むくりとペランドーが起き出した。
気持ちよさそうに寝るアザナとチャールポールのベッドの間を抜け、ドアを開けると――。
「アザナくんっ!」
「あいたっ!」
小さなアリアンマリが飛び込んできて、年齢のわりに重いペランドーがドアに弾かれて転んだ。
「……う~ん、なーに? リアンマ?」
「ごめん、寝てた! でもちょっと大変なの!」
ペランドーには謝らず、寝ぼけ眼のアザナに謝るアリアンマリ。仕方ないという様子で、ペランドーはこそこそと部屋を抜け出した。
「それがね、ザルガラのやつが…………」
アリアンマリは、ザルガラから託された話をアザナに告げた。
「なんかモルティー教頭先生が、湖の向こうの村にいるらしいから迎えにいくんだって。でも、教頭先生とそこの村人と協力して、この村を明日の夜にぶっ潰すとかいうの!」
短いが可不可なく、間違いのない説明だった。貴族子女が、ぶっ潰すとかいう言葉を使うのはどうかと思うが、表現の強さを正しく伝えるために最適であった。
しかし、行動原理の欠けたこの話は、寝ぼけている相手へ正確に伝わらない。
アリアンマリの責任ではなく、理由を話さなかったザルガラが悪い。
「つまり、これは……ボクと村への挑戦状ですね」
アザナの論理は飛躍した。
しかし、いつものザルガラの行動からしたら、当然の帰結ともいえた。
まだちょっと寝ぼけているアザナは、村を潰すという行動を、これに対抗しろという意味で受け取ったのだ。
「そ、そうなの?」
「ええ、決まってます。さっき、盗み聞き……立ち聞き…………盗み、じゃなくて、偶然聞こえてしまったのですが、ザルガラ先輩はこの村の防衛力を気にして、ルドヴィコさんに助言してました」
言い直しが下手である。まだ少し寝ぼけているのだろう。
しかも盗み聞きであったため、ザルガラの発言の正しいニュアンスが伝わっていなかった。
「だから、さっそく問題点の洗い出しを兼ねて襲撃の模擬演習をして、ボクたちに対抗してみろという挑戦状なんです!」
「本当に?」
「たぶん、そんな感じ」
曖昧である。
しかしアザナの意見通りであるならば、いつものことに思えてアリアンマリも安心できた。
首を捻りながらも、アリアンマリは事態を矮小化させるアザナの意見を飲み込む。
「戦争ごっこってこと? でもマトロ先生が許してくれるかなぁ?」
「そこは村の人とも相談して、村の体験学習の一つにしてもらえばいいかな? よーし、ザルガラ先輩を迎撃しちゃいましょう」
「ぐがー」
立ち上がるアザナに返事をしたのは、チャールポールの高いびきだけだった。




