形のない墓の数列 2
y=x^2
王都のどこに墓地はあるのだろう?
アンは王都の空を眺めながら、馬車に揺られて思いを馳せる。
使用人見習いを始めて間もないアンは、まだ王都の地理に疎い。
お出かけに期待を膨らませ、憧れの人と一緒の馬車に乗れる。そう思っていたアンだったが、現実は非情にも御者の隣り。
お外である。
空と雲が綺麗だ。
馬車が4人乗りで、ザルガラ、エト・インとその父。そしてティエが乗り込むとなったら、必然的にアンは助手台である。
なお、タルピーは馬車の屋根に上り、縦横無尽に踊っている。常時顕現化できるようになってからは、元からそのつもりはないと、彼女はもはや姿を隠さない。
手を振る子供たちに、手を振り返すタルピー。
すっかり今では、王都の住人たちに人気となった上位精霊である。
徒こそいないが、2人の騎士が護衛についている。これが王城から出発であったならば、さらに騎士数名と従士が10名ほど付いたことだろう。
今までのザルガラの境遇からすれば、見違えった光景である。
家令のマーレイなどは感激して泣いているほどだった。
以前の事情を知らないアンは、2騎に守られる馬車に乗り、さすが貴族様だなーという印象しか抱かない。
馬車嫌いのザルガラは、現状にとても不満であったが、もちろんアンはそのようなことも知らない。
御者は前もって行く先を知っているのか、振う手綱に迷いがない。気持ちが伝わるのか、馬もどこか気軽そうだった。
晴天の下、やがて馬車は王都の未開発地区へと差し掛かる。
整理はされているため、廃墟はあまり見当たらない。だが王都内でありながら、空き地が広がっている。
王都を囲う遠く城壁まで、ぽつぽつと小屋があるだけだ。
王都は古来種の古代都市を再開発したものだ。未だ開発の進んでいない地区が残っており、人々の生活圏は空から見るといびつな形となっている。
王都の住人が未開発地区に立ち入ることなど、まずない。
アンが馬車の行く先に不安を抱き始めたころ、馬の足を止めた。
日差しに目を細めていた御者が、わずかに左目を開けてちらりとアンの様子を見遣る。
「……ん」
「え? あ、は、はい!」
御者が顎で何かを促し、遅れてアンは自分のなすべきことを思い出した。
ひらりと助手台から飛び降り、踏み台を馬車から下ろす。
御者は可能な限り、御者台から降りない。いざとなれば、馬車で主人を逃がす必要がある。
彼は馬車を円滑に動かす部品なのだ。
雑用は使用人であるアンが、すべて為さなくてはならない。
本来ならば、もう少々嫋やかに助手台から降りるべきなのだが、ザルガラがせっかちであるためアンの動きは正解である。
まずティエが降りて頭を下げ、主人と客人を待つ。
「おー、ここが古来種時代の墓地かい?」
「なんにもないねー」
せっかちすぎて、ザルガラは踏み台を飛び越えて降りてきた。その背にはエト・インがぶら下がっている。
とても貴族の所作とは思えないが、それがまた魅力に見えた――アンにとっては。
「今は見事に更地だな。いずれ人が増えれば、お前たちが開発するのだろう?」
花束を持ったインゲンスが降りてきて言った。
彼を古竜と知らないアンは、人間たちという意味の「お前たち」を、ザルガラたち貴族が開発するのだろうと受け取った。
「そのうちな」
ザルガラも大きな意味で話を合わせたため、アンは『さすがザルガラ様。将来の開発も任されているんだ』という勘違いをしたままとなってしまった。
馬車と御者を残し、馬から降りた護衛を伴って少し進むと、そこに墓があった。
墓というより、廟というおもむきだ。
「あまり大きくないんだな」
「彼は普通の人間だったからね」
ザルガラは古竜の友人だから同族だと思い込んでいた。インゲンスが普通の人間だったと答えたため、アンは地位や財力のない普通の人という意味で捉えてしまった。
廟の入り口をくぐると、天井は低いが中は広い。
護衛を1人残し、6人も入ってもまだ余裕があった。
大きな石が積まれた3方の壁。奥には文字のない石碑が一つある。飾り気もなく、現代の墓とはかけ離れたイメージだ。
花を分け渡されたエト・インがまず石碑に献花し、インゲンスがそのあとに花を捧げた。
特に思いのないエト・インの行動は、愛らしい子供の雑さだったが、さすが父インゲンスの献花は思いが込められていた。
「ねえねえ、ザルガラさまー。なにこれなにこれ」
1人気ままに踊っていたタルピーが、壁に描かれた何かを見つけて指差した。
そこには長い長い、数字と記号が並んでいた。
「公式か。パッと見たとこ……なんだ、これ? 見たことないな」
ザルガラも知らない公式ということで、ティエもアンも興味を引かれた。
「ザッパー、あれわかるよ!」
エト・インがザルガラの手を引っ張って、一番上の式を指差した。
「ああ、基本中の基本のアレな」
ザルガラはそうだな、と同意して下の公式に目をやる。
アンもエト・インが指示した一番上の式だけは理解できた。
それはもっとも簡単な二次関数だ。
あまり詳しくないアンですら、公式を暗記させられ、グラフも描くことができるほどだ。
しかし着目すべき点は、そのもっとも簡単な二次関数についてではない。
「で、なんだこの二次関数の下に並んでる長い公式は?」
ザルガラはことさら気になったのか、もっとも簡単な二次関数の式の下につらつら並ぶ、複雑な公式を指差してインゲンスに尋ねる。
「これは友人が死す前に求め上げ記したものだ。一辺がその関数の曲線となり他が直線の図形の面積を求める公式だな」
「ずいぶん面倒くさそうだな? そんなの微分積分ですぐに………………っ!」
もう興味はないとそっぽを向いたザルガラだったが、すぐに怖い顔で振り返って公式の書かれた壁へ張り付いた。
食い入るように公式を左から右になぞって、繰り返しうなずく。
「面積を長方形に細かく区分して求めているのか。区分が少ないと誤差が大きくなるから、n分割して区分を無限に分割する前準備をしてから、nを無限に近づけすべて公式にまとめてる……」
いつも飄々としていたザルガラが豹変し、怖い顔で地面の埃を指でなぞり、図と式を書き込む姿を見て、アンは少し不安になった。恐る恐る上司のティエの様子をうかがうが、彼女はまったく動揺していない。
珍しいことではないのだろう。
このくらい数式に興味を示さねば、魔法使いとして高みを望めないのかとアンは驚いた。
タルピーは夢中のザルガラの背に乗り、エト・インもしゃがんで書き込まれていく数式を追う。
やがて埃をカンパスに指で描くのは効率が悪いと気が付いたのか、ザルガラは空を睨んで数式を投影し始めた。
本来、立方体陣など魔力のあるカンバスに魔法陣として数式を描くものなのだが、ザルガラのこの行為は直接何もない空間に文字を書くという離れ業だった。
魔力のこもった平面陣や立方体陣は、防御に使えるくらい魔法的な意味で硬さがある。そこに投影すれば文字はそのまま残るのだが、何もない空間では意識を集中しないとできない。
この光景は才能云々だけでなく、ザルガラが尋常ではない集中力を見せている証明でもあった。
「このn個の長方形をすべて足す過程を括って単純にさせちまえば、数列化した部分をシグマで表せる。そしてn分割された式を無限分割させ……ええっと、ということはシグマの公式を当てはめれば解けるはずだから」
もうアンには、最初から何がなんだかわからない。
ティエもこのあたりで観念したらしく、眉をひそめてのけぞっている。
「ほうほう。整理した式のnは整えられるな。ずいぶん簡潔になったものだ」
「そうだ。そしてnに無限(lim[n→∞])を代入すれば、無限分の1。そんな分母の多すぎるn分の1なんて0として決めちまって…………おいおい、うそだろ! 積分法で求めた値と同じになったぞ!」
「どういうことだ? そういう求め方もあるということだろう?」
「……おなじならいいんじゃない?」
「なんで?」
インゲンスとエト・インとタルピーが尋ねる。
前者2人はある程度は理解した上での問いだったが、タルピーのそれはノリである。
「問題はそこじゃない。古来種はなんで、定積分……この求め方に至った? どう考えても一足飛びをしているだろう?」
「そう……なのか?」
「インゲンス。ちょっと確認したい。古竜が投影する魔法陣の数式は、見たところちょっと違ったが、どうやって曲線で囲まれた図形の面積を求めていた?」
「吾輩は……三角形で埋め尽くすやり方だが?」
「……収束するまで繰り返すわけだな。……なぜだ?」
「古竜の間では、昔からそうだったが?」
アンは中空の数式を見つめていたせいで、頭がくらくらとしていた。そのためザルガラの発言に含まれた、古竜の下りを理解できない。
「そうだ。オレたちも古来種も、昔からそうだったと当然のように定積分を使って曲線の面積を求めていた。おかしいだろ?」
「ん~~? そうか?」
インゲンスは腕をこまねき、眉をひそめてうなった。
「おかしいだろ、だってオレたちは最適解を最初から使ってるんだ。オマエたち古竜が必死に求め方を試行錯誤しているのに、オレたちは古来種から授けてもらって、その古来種は最初からそれを使っている。そして様々な、すべての、あらゆる公式、数式に至るまでの歴史が…………ない!」
「言われてみれば……妙な話だな」
「そうだ、妙だ。いくら古来種が優秀とはいえ、答えに至るまでの積み重ねがないなど……。意図的か教える必要がないからと、古来種は数学の歴史を無意識に隠していたのか?」
古来種なき今、彼らの思惑は推測の領域からは出ない。
「そういえば、首狩りウサギのやつが古来種を作った存在がいるようなことを仄めかしていたような……」
ザルガラが古来種の起源に思いを馳せていると――
「あの…………」
畏れながらとティエが申し出た。
思索を打ち切られたザルガラだったが、努めて冷静に対応する。
「どうした?」
「アンがもう限界です」
「きゅ~~……」
ティエの腕の中で、のぼせたアンが赤い顔で天井を仰いでいた。
「あー、無理に投影した文字を見てるから」
ザルガラはこれは体に悪いと中空の光る文字を消し去った。
その背中から、タルピーがぼとりと落ちた。
「お、おい、タルピー、どうした?」
「ザルガラさまー、あたいもー……」
「オマエもかよ!」
上位種イフリータは、どうやって魔法を使っているのか?
「勘」
勘だそうである。
漢字と同じで、数学も義務教育まで……は無理だった。
とりあえずなんとか難しい公式とか書かずに、雰囲気が伝わるように書いてみました。
インゲンスの友人が残した式は、区分求積法と呼ばれるものです。
y=x^2を区切ったy=f(x)の面積を定積分で解くなら、係数を外に弾くのはともかく、展開して原始関数までいけば「ほら簡単でしょ?」状態なんですが……。(なぜこれが面積の計算になるのか? とか、不定積分から目をそらして)
最適なやり方が分かっていればそれほど難しくないので勘違いしてしまいますが、そこに至るまでの過程がどれほど困難だったのか想像すらできません。
区分求積法に至った過去の数学者の努力とひらめきには、心から頭が下がります。
インゲンスが問われて答えた方法は、アルキメデスの求積法です。こちらは何かと話題に出たり、参考書のトピックや端話などに乗ってますね。
なんでこっちは有名なんでしょう?
アルキメデスのネームバリューが関係しているのでしょうか?
どちらもググれば解説とかでてくると思います。
興味がありましたら、ネットで探してみてください。なにぶん使われていない公式なので、むしろネットの方が探しやすいと思います。
数式そのものはわからなくても、なんだかそんなもんだなーと思ってください。
数学云々より、なぜ今の最適化された方法に一足飛びで至っているのか?が今回の謎ですので
プロットまとまったので次回より新章始めます。




