霧の晴れた場所
以前訪れた時、ほとんど未解放だった【黒と霧の城】は、今では3分の1ほど解放されている。
解放された区画は、順次開拓されていた。
古来種の残した建物は、ほとんどが綺麗に残っている。彼らの技術の賜物だ。
床など朽ちた部分を張り替え、窓やドアなど建具を嵌め直し、家具を入れれば住める家すらある。
それでも屋根が落ちた家が多く、職人たちがあちこちで工具を打ち鳴らし、街士候補の魔法使いたちがそれに協力していた。
無害化された罠は警報代わりとして利用され、区画防衛の任務から解放された一部のモンスターは、警備や労働力として活躍している。
区画の解放に伴い古来種の支配権が移譲され、普段は敵であるオークが武器を携帯したまま、街の往来を闊歩していた。
オークとは豚を二足歩行させたような筋肉質の亜人だ。人間の言語を発することはできないが、知能は低くないので工夫すれば意思疎通ができる。
「わ……」
解放直後の遺跡に慣れていないのか、街を闊歩するオークを見て、アリアンマリが小さい身体を竦めてアザナの背に隠れた。
本気になれば、オークの小隊くらい薙ぎ払えるアリアンマリが何を……とオレは思ったが――。
「大丈夫だよ、リアンマ。彼らはみんなもうここを守るためには襲ってこないから。その必要がなくなったんだもん」
勇者という特質上、古来種たちの残した魔物や魔獣に人一倍詳しいアザナが、怯えるアリアンマリをなだめた。
格闘が得意なヴァリエは少し腰を落とし、警戒しながらオークの一団を目で追う。
「不思議だよねぇ。ついこの間までは戦ってたのに」
のんきな声が、その緊張を解く。
武装解除されていない警備のオーク一団の背を見送り、ペランドーがなんとも言えない感想を述べた。
「古来種の支配は絶対ですからね。区核を守れと言われれば一万年守り続け、その区核が奪われればその相手に従う。自分の親兄弟を殺した相手でも……」
ヴァリエが誰もが知っていることを言った。この街の光景を見て、自分に再び教え聞かせるような言い方だった。
「従うといっても、オレたち中位種じゃあらたに強い命令は与えられないけどな。せいぜい、元奴隷同士仲良くしようぜ、くらいだ」
「勇者か王族なら、もうちょっと具体的に命令できるんですけどね」
オレが補足すると、アザナも補足してくれた。王族はともかく、それは初耳だった。詳しく聞きたかったが、往来で訊くわけにもいかない。
「ねえ、アザナ……あいつらどうなるの?」
隠れていたアリアンマリが、心配するように言った。オークたちの身を心配しているのか、オークが敵対しないか、どっちを心配しているのかわからない。どっちもかもしれない。
「大丈夫だよ。古来種の命令が消えたから、ここでしばらく稼いで、そのうちオークたちのコミュニティと合流するさ。たしかすぐ北に解放オークのコミュニティコロニーがあったはずだよ」
「オークはみんなそうなの?」
「たまに紛れて隠れ住んでるような蛍遊魔じゃない限りな」
アザナの説明し、ペランドーが質問をし、オレが補足した。
「ああ、たまにいますよね。古来種の遺跡の警備のモンスターを倒して、居座ってる蛍遊魔とか」
前回の人生時、勇者アザナはそういう蛍遊魔を駆逐して回っていた。今回の人生でもそういうことがあったのかもしれない。
「元から支配を受けていない蛍遊魔は、オレたちとはあらゆる意味で相性が悪い。オレたちは古来種の残した遺跡にしがみついているが、蛍遊魔は独自の文化と文明を持っている場合がある。それを誇りにあっちはオレたちを見下すが、オレたちは反して繁栄している。蛍遊魔たちは思うところがあるだろう……な」
本来、勇者はそんな蛍遊魔を駆逐する任務があるのだが、アザナはあまりその気が無い。もしかしたら古来種の支配から脱しているのかもしれない。
古来種の支配から脱する……か。
「考えてみると……」
いままで気にもしていなかったが、ペランドーの疑問やアザナの行動を考える不思議な視点で現状を見ることができた。
「種族間の差別や嫌悪までを抑える古来種の支配力と強制力…………。これはある意味で素晴らしいが、同時に悪感情とはいえ復讐や怨嗟とか、そういったものすら封じ込める古来種の冷酷さが感じられるな」
遺跡警護という古来種の命令のもとで冒険者たちと争ったが、古来種の命令ゆえに解放後は特に禍根を残さず共に生活している。
エルフだって元は森の管理者で、人間と争って負け、一部森の区画の支配から追い出された経緯がある。
ドワーフだってそうだ。鉱山の管理者である彼らも、人間の国家に負けて鉱山の利権を奪われている。
なのに互いに大したいさかいもなく暮らしている。勝った人間側だって、ひどく虐げたりしない。
もしも古来種の隷属の力が解ければ?
一気に過去の遺恨が噴出するのでは?
「もうすぐですよ、ザルガラ様!」
暗い未来の推察を、アンの声が打ち払った。
冒険者の街だというのに、宿屋の娘アンに案内されて俺たちが踏み込んだ市民区画は、大工や職人などが溢れていた。
色を取り戻しつつある街は改築改装が進み、賑やかに金づちやノコギリなどの音と職人の声が騒がしい。
【黒と霧の城】の市民区画に移転したターラインの宿は、かなり立派な建物だった。
古来種時代のつまらない……いや、質実剛健な町並みがそのまま残る中で、少しだけ飾り気のある三階建ての宿がターラインの新しい本拠地だ。
「前の宿はどうしたんだい?」
オレはあの独特な宿を思い出し、案内してきたアンに尋ねた。
「今は新規の開拓民に長期で貸してます」
そうか、よかった。ターラインの人生は、なかなか順調のようだ。
「どうぞ、ザルガラ様」
アンが宿のドアを押し開け、膝を曲げて招く。
さて、前の人生で未来の友人であったターラインと再会といくか。
オレは一行の先頭となって、ターラインの宿に入った。
「ヤァーマァン……。歓迎……ああ歓迎するよ」
絞り出すような濁った歓迎の声が、紫煙と共にターラインの口から吐き出された。
前回の人生でオレとは仲が良かった音の魔法使いターラインが、非常に不愉快そうにオレたちを出迎えてくれた。
「あ、ああ。よろしく頼む、ターライン。ところでお腹痛い?」
「ノン」
「じゃあ機嫌悪いのか?」
「そんなことはない、ジャーノ すーーーーーっ……はぁああああーーー」
ターラインは否定して、めいいっぱい息を吸ってから煙と不満をむわっと吐き出した。
ジャーノ……誓ってない……か、本当かな。
「さあさあ、ザルガラ様! お部屋にご案内しますね!」
アンが父親の吐き出した煙と不満を打ち払いながら、オレの手を引く。
「え? あ、ああ……」
抵抗せず引っ張られるオレだったが、誰かに逆側から引き寄せられた。
「じゃあ、ボクはザルガラ先輩と一緒に部屋で!」
アザナだった。
オレの腕に引っ付き、アンの案内を妨害している。
「う゛き゛ゃ゛ーっ!」
「ダメです、アザナ様!」
アリアンマリが汚い悲鳴を上げ、フモセとヴァリエがオレに引っ付くアザナを引っ張り戻した。
「何を考えているんですか、アザナ様!」
「そうよ、アザナ! ザルガラに食べられちゃいますよっ!」
「か゛ら゛た゛を゛た゛い゛せ゛つ゛に゛ーっ!」
「ああー、せんぱーい」
引き剥がされるアザナが器用に涙を浮かべている。
ウソ泣き魔法でもあるのかという、大げさな涙だ。絶対、泣いてないコイツ。
「オマエらにとって、オレはどういう扱いなんだよ」
むしろオレがいたずらされるに違いない。
朝起きたら異国の字で額に落書きとかされてるに違いない。
もっとひどいことをされるかもしれない。
まったく……引き離されてホッとする――と、胸に手を当てたらなぜか心臓が早鐘を打っていた。
しし、鎮まれ、マイハート!
「では部屋振りは、わたくしが」
畏れながらとティエが申し出て、その場は一応収まった。
結局、アザナは仕切りのある変則的部屋でフモセと一緒。オレ(とディータ)はペランドーと同室。そしてヴァリエとアリアンマリ。ティエはエト・インと同室となった。護衛の部屋の割り振りは気にしない。
アザナとフモセの同室はひと悶着ありそうだったが、いつもの事らしく取り巻き2人の反応は鈍かった。むしろ仲が微妙に悪いヴァリエとアリアンマリの2人が、同室ということに何か思うところがあるようだ。
エト・インは当初、オレと一緒の部屋をせがんだが、ティエが一緒に寝ましょうというと、あっさりうなづいた。なんだかんだ、大人の女性のぬくもりに飢えてるのかもしれない。
体温奪われて風邪ひくなよ、ティエ。
エト・インのやつ、なーんかひやっとするんだよね。
『あたいはティエと一緒でいい?』
カウンターで踊っていたタルピーが、手を上げて提案してきた。
――エト・インもいるし、いいんじゃねぇか。
そう念じるとタルピーは、微笑むティエの肩へと飛び移る。
『じゃあ、アタイはティエのおへやねー』
最近、タルピーとは念話できるようになった。
信頼もあるんだろうが、高次元物質を共有しているせいだろう。
『……1人で起きてるの、つらい』
眠らないディータは、眠らないタルピーと、いつも2人で時間を潰している。本が乏しい旅先で、1人深夜を過ごすのはつらかろう。
――だからってオレの右手持って出かけるなよ。
『…………』
顔を背けるディータから返事はなかった。
絶対、右手を持って外出する気だな、こいつ。
* * *
ターラインの宿は、【黒と霧の城】の市民区画へ移転し大きくなった。開拓のペースに合わせ、経営も順調だ。
そのため、従業員も増えた。
開拓民とその子を雇い、専門職のいない雑用ながら8人もの従業員が働いている。
その中の2人の女従業員が、仕事を終えて狭いながらも窓付きの部屋で就寝の準備をしていた。
いくら疲れているとはいえ、そこは女の性。同僚とのおしゃべりは日課である。
それも恋の話となれば――。
「これは手ごわいかもしれないわね」
そばかすの目立つ年頃の従業員エヌマが、顎に手をあて唸る。
「アンも大変なお人に惚れたわねー」
幼い顔つきのエリシュが、短い髪を整えながら同意した。
エヌマより若く見えるが同齢である。
2人は出遅れた開拓民と、うまく区画で居を構えられなかった開拓民の娘である。もっとも環境の良い仕事につけたため、ターラインの宿が順調に伸びれば、古参従業員としていずれは従業員を束ねる立場になれるだろう。
成功者と比べるほどでもないが、開拓民全体からすればそれほど出遅れてはいない。
そんな2人の話題は、本日やってきた貴族様のご一行の話題である。もちろんザルガラたちのことだ。
「見たところ、あのザルガラって貴族様……あんなトカゲみたいな顔していて、いがいと女の子たちにモテモテなのね」
一行の中でも特に可愛らしい娘がザルガラと同室と言い出し、それを他の女の子たちが引き留めたところを見て、エヌマはザルガラが女の子たち全員から好意を持たれていると勘違いした。
積極的な娘と、距離を測りかねている娘たちの争いと見た。
あとエヌマは意外と歯に衣を着せない。
「わたしには、アザナって子がザルガラさんにベタ惚れで、それを他の女の子たちが引き留めてるように見えたけど」
エリシュはエヌマと違う視点で見ていた。
アザナが年齢不相応に積極的なので、それを女の子の友人たちが心配している。という見解だ。
「どっちにせよ、アンには強敵がいるってこと。なんとかしてあげたいところよ」
エヌマが片目をつぶってみせると、エリシュもうなずいてみせた。
2人は従業員ながら、アンから姉のように慕われていた。もちろんエヌマとエリシュは立場は下だ。使われる身で、アンの指示に従っている。
だが恋の話となれば別である。
たとえ5年程度の差でも、13歳になったばかりのアンと、18歳の2人では天と地ほどの差があった。
「はー、しかしまさかアンの思い人があのザルガラ・ポリヘドラ……様とはねぇ」
エリシュはため息をつき、言葉につまりながらザルガラの印象を思い出す。
ザルガラ・ポリヘドラといえば、ちょっと前までは没落した家の怖い魔法使いという印象であった。
しかし、現在ではその評価は変わっている。
王都や大湖での事件をいくつも解決させ、魔法の技術発展にも寄与している。少々、逸脱した行動もあるが、おおむね好意的な印象を庶民に与えていた。
ポリヘドラ家も商人の後押しありきだが、復興の兆しを見せている。
「とにかくこの数日、あたしたちで仕事を回して、アンに時間をつくってあげましょう!」
「どうせ日中は冒険に出てて、時間は調整しやすいものね」
雇い主であるターラインが反対していることを知りながら、エヌマとエリシュはアンのため恋の手助けを目標に掲げた。
* * *
「ぎゃお? ねぐせがひどいね。しょうがないねー」
ターラインの宿。初日の朝。
寝起きに廊下でエト・インが出合い頭に飛びついてきた。子供みたいな行動の癖に、姉や母親みたいな態度で、跳ねたオレの髪を撫でる。
「やめろ、エト・イン!」
雑にやるな、毛がただ抜けるだけだ!
やめてくれ!
「はー……とか言ってされるがままなんですね、先輩」
見られた。
アザナに見られた。
オレは平静を装い答える。
「な、なーに。ティエやオティウムの真似をしてるだけさ」
「オティウムさんにもさせてたのですか?」
「あ……いやそれは勝手にやってくるというか捕まってむりやりというかとにかくそういうことじゃなくてつまり違うんだ違う、違うんだよアザナくん」
「はあ……まあ、いいです。ザルガラ先輩にそういう気はないって信じてますから」
わかってるとか理解してるじゃなく、信じている――ときたか。
信じてるって言葉……重いな。
とりあえず物理的な重みのエト・インを下ろす。
「ねえ、ザルガラくん。今日は冒険に行くわけじゃないんだよね?」
たった今起きてきたペランドーが、眠気眼をこすりながら聞いてくる。オレはこれ幸いとペランドーの質問に答えた。
「今日は本当の初心者もいることだし……」
「アリアンマリとヴァリエだね」
アザナが初心者の名を出す。
2人の魔法使いとしての素質と、戦闘能力は格別高い。しかし、本当に初心者だ。
「だから、今日行くところは……モンスターたちのたまり場だ」