旅の忘れ物はだいたい重要
連日晴天。
とても気分が良いので、柄にもなく今日は学園のテラスでランチを取っていたら、慌てた様子のアザナが垣根を跳び越えてやってきた。
ひらりとマントと短パンの裾が舞わせ、テーブルの向こう側に飛びついた。
「大変です、大変ですよ、ザルガラ先輩! 大ニュースです!」
「よう……どうした、アザナ」
視界のあちこちでタルピーが踊って邪魔なので、ひょいと退けてアザナと向かい合う。
「ザルガラ先輩! 貴族連盟のゴールドスケールジッド侯爵が、王都に来るそうです!」
「な、なにッ!? あのアンドレのオヤジが……って、やめろこら!」
アザナは報告を終えると同時に、菓子を一品つまみ食いしてみせた。こいつ、たぶん大ニュースとか言いながら近づき、どさくさで菓子をつまみ食いするつもりだったようだ。
まんまと食後の楽しみの一部を奪われ、憮然とするオレだったが、内心ではアザナの報告に驚いていた。報告した本人は、もうそのニュースに興味はないってツラをしているがオレはそうでもない。
ゴールドスケールジッド侯爵の王都来訪。
それは…………
それはとても大事だ。
10年前、王国は激動の時代にあった。
王族の外戚の外戚もいいところな現王エウクレイデス王は、古来種が祖先に与えたカリスマチューンをぎりぎり保っていたから選ばれたにすぎず、貴族を纏めるには政治的影響力も、領地や財政面など勢力的にも、そして個人の能力的にも脆弱だった。
ゴールドスケールジッドが所属する貴族連盟は、そんな王の選定に異を唱えた。
『これを機とし、諸侯の合議によって国を構えるべきだ』
――と。
彼らはお隣の国と同じ貴族共和制を夢想していたのだろうか?
この国で王とは、古来種由来の能力を考慮しなければ絶対の支配者ではない。
古来種の力が弱まる一方ならば、新しい政治体制を早くから模索するのも1つの手だ。
貴族連盟は古来種を尊重し信奉しながらも、ある意味で脱却を図っていたのかもしれない。
エウクレイデス王は帝政時代の関係で、どちらかと言えばアポロニアギャスケット共和国の諸侯たちに近しい血縁だ。
その王が君主となり、共和制を狙った貴族たちが敗者になるとは皮肉な話だな。
国体を変えるってのは苦しいものだ。
まだ生まれる前だったので、オレはその苦しい騒動を聞き伝えしか知らない。だがその苦しみの副産物の一つを良く知っている。
国が手を回せないほどある孤児院だ。あの元葡萄孤児院、現鉄音孤児院がその例である。
人を育てるが国是でなければ、浮浪児が街にあふれていただろう。
さて、穏健派が連盟を預かっているとはいえ、国難を招いた貴族がそうそう中央に訪れるなど難しい話だ。
あのアンドレは例外だ。
子供であるため、人を育てるが国是のもと、学園への入学が拒まれなかっただけだ。穏健派として内乱に参加せず、最後は連盟の反発を収めたとはいえ、ほどんど当事者であるゴールドスケールジッド侯はその限りではない。
そのゴールドスケールジッド侯が王都に来るなど、驚天動地という他なかった。
まさか恭順を示す……いや許しを請いにくるのか?
連盟に名を連ねる諸侯がそれを認めるとは思えない。だからといって独断で動けるほどゴールドスケールジッド侯爵は軽くない。
菓子が目的だったアザナは深刻に考えていない。甘い菓子を頬張って、甘くふんわりしたあの顔はそういう顔だ。
オレも国王の事情など知ったことではない。だがディータの心情を気にかけていた。
ゴーレムの身体は調整中なので、ふわふわとしてオレの肩に寄り添うディータを心配して声をかける。
「こりゃ大変なことになるな、ディータ」
『……そうなの?』
「そうなの…………って、姫様。オマエの父親とその排斥を狙った連盟の後釜が…………ん?」
ほとんど当事者であるディータの反応が鈍く、それを見たオレはあることに気が付いた。
この話を持ってきて、今は菓子を頬張りながらティーポットから勝手に茶を注ぐアザナを呼ぶ。
「アザナ、おい、ちょっと、ちょっとちょっと」
「なんですか、ザルガラ先輩。その双子みたいな呼び方」
「クラメル兄妹みたいだと?」
なんで、ここであの双子のこと?
何を言ってるんだ?
「いや、そんなことはどうでもいい。たしか……前も……こんなことなかったか?」
「なんのことですか?」
小首をかしげるアザナ。
退けた先で踊っていたタルピーがカットインしてきた。
しばらくタルピーのダンスを眺め、オレは考える。
おかしい。
まえも、こうして……。なにかあったような?
もっと興味を惹かれるなにか……が。
「ちょっと前に、やっぱりアザナが大変だと飛び込んできて……こら、それはオレのサンドイッチだ、勝手に食うな……それで違う話題を……、もっと……いや心配になるようなことじゃなく、もっとなにか、そう面白いようなことを……」
「どうしたんですか? ザルガラ先輩」
踊るタルピーを巧みに盾とし、オレからランチを掻っ攫うアザナが、取って付けたような心配顔を浮かべた。
そんな顔で誤魔化されない。
あとでアザナのランチをつまみ食いする決意をしつつ、オレは疑問を明後日に投げ捨てた。
「ま…………忘れてるんだから、大したことじゃないんだろうな」
* * *
エンディ屋敷のある昼下がり。
宿題を終えてエト・インが帰り、一息ついたところで庭を見下ろしたらメイド姿のティエが旅の準備をしていた。
どこかに行くのだろうか?
しかし、暇をくれとは言ってきていないはずだ?
オレは彼女の行動に疑問を持ち呼びとめた。
「はい、ザルガラ様。なんでしょう?」
ティエが作業の手を止めて畏まる。
「どこかの遺跡にでもいくのか?」
「……?」
ティエがわずかに首を傾げた。
「ザルガラ様がご学友と【霧と黒の城】へお出かけになる準備をしておりました」
彼女はオレの質問と齟齬を修正したつもりなのだろうか?
さっぱりわからない。
「んん~? 学友ってペランドーか?」
オレは思わず怪訝な顔で唸ってしまった。
「はい。……中期の試験が終わり、長期休みに入りましたらすぐにお出かけになると伺っております」
困惑し説明を続けるティエ。やはりわからない。
なんの話だ?
『またあの遺跡へおでかけするってきいたよ。エト・インもたのしみにしてたんだから、忘れちゃだめだよ、ザルガラさま』
タルピーが助け舟を出した。
言われてみると、そんな予定を立てたような気がしてきた。
「なあディータ。オレ、そんな予定を立てたか?」
記憶が判然としない。オレはいつも一緒にいるディータに助けを求めた。
『……私は外付けメモ帳じゃない。……予定は立ててた。アザナも一緒に行く』
ディータが不満の声を上げつつも、記憶の補填をしてくれた。
「そうか。アザナも……か。まあ……大したことじゃないんだろう。理由を忘れてるくらいだから」
試験後の休みは、ペランドーと冒険に行く。それが定番化しただけなんだろう。
アザナも一緒にくるなんて、大イベントのような気がするがなんで忘れたんだ?
……まあ大した理由じゃないさ。
オレは小さいことじゃ深く悩まない。
そう、オレは大物なんだ――。
* * *
そう、オレは悩まない――。
中期の試験も無事終わり、悩まない完璧なオレは見事に3回生の首位を取った。
『……アザナもトップ』
掲示板の前をふわふわ飛び、ディータは2回生の成績を確認してきた。アザナはもちろんのごとく首位だったようだ。
ついでにアンドレも1回生の首位を取っていた。
残念なことに去年のオレの成績は、アザナによって塗り替えられている。後期の試験で同じような点数を叩き出せば、アザナは2回生時のオレの成績を越える記録を残すだろう。
「ちょっと、ザルガラ・ポリヘドラくん!」
掲示板を見終えて、帰宅のため荷物を取りに教室へ戻ろうとしたとき、ちっこいハーフエルフに呼び止められた。
テューキー生徒会長だ。
彼女は生徒会の役員を後ろに2人従えていた。
イシャンとクラメル兄妹が卒業した今、テューキー先輩とワイルデュー先輩の2人は上級生で貴重な友人である。
素衣原初研究会?
まあ、そこのみんなはそこそこ程度に親しいくらい……?
「頼んでおいた件、どうしたの?」
テューキー先輩が腕を組み、偉そうに下からオレを睨みつけて言った。
「…………なにか頼まれてた、のか、オレ?」
思い当たらない。オレは首を捻る。
「なにって……」
エルフ特有の薄墨のような眉を顰め、テュキテュキー生徒会長がオレの胸を射抜くように指差した。
「忘れたの? アレよアレ」
「……いや、そう言われても……心当たりがないんだが?」
「なに言ってんの? とにかく…………アレを……あ、あれ?」
無礼にもオレを差していた細い指がだらりと下がる。
「…………なんだったっけ?」
「いや知らねぇよ」
オレが聞きたい。
「なにか勘違いじゃないか、テューキー先輩?」
「そうだったのかしら? ……まあ、忘れてるんだから大したことじゃないんでしょ」
忘れたことを誤魔化すように、テューキー先輩は胸を張る。
なんかテューキー先輩がオレの台詞取ったような気がする。
だが、それより引っかかることがある。
なんだろう?
なんなんだろうか?
このいい加減な……思考停止というか……楽天的で忘却……考えたくない、見たくない、知りたくないという気持ちは?
「ザルガラくーん! いっしょに帰ろうーっ!」
「お、おう!」
ペランドーが駆け寄ってきたので、オレは疑問を捨てた。
* * *
中期の試験が終わり、結果発表も終わり、学園は長期休みに入った。
「ぎゃおーーっ! ぼうけんだー」
『ぼうけんだー』
葡萄噴水公園広場で、エト・インとタルピーが喜びの踊りを舞っている。
しかし雨勝ちになる季節だ。屋外の冒険はむかない。エト・インはどんな冒険を思い描いているのだろうか?
今回は屋内や地下の冒険を主に行う予定なので、エト・インが当てが外れたと言い出すかもしれない。
興奮するエト・インたちが踊り終えるまでに、参加者たちが続々と到着した。
集まっているのは、ペランドーとティエ、アザナとその取り巻き中3人だ。
「楽しみですね、ザルガラ先輩!」
アザナが嬉しそうに駆け寄ってくるが、オレは釈然としない。
おかしい。
アザナたちを誘った記憶がやっぱりない。
なおユスティティアは参加しない。
退学し静養地にいるユールテルのところへ行く用事があり、冒険には不参加となった。
それはいい。
もう一つ、記憶にない同行者の話もあったのだ。
「クラメル兄妹も、後からくるのか?」
そういうことになっていたらしい。
フモセとティエの会話から、あの双子たちも【霧と黒の城】へ行くという。
「【霧と黒の城】で新しい感染魔法が確認されたので、お二人も同行するというお話を伺っておりましたが?」
ティエが改めて説明をしてくれた。
「そう……だったかな? そうだったような気がする」
オレは軽い目眩を覚え額を抑えた。
「大丈夫? ザルガラくん」
ペランドーが心配そうにのぞき込んできた。その顏に、なんでもないとオレは笑って答える。
「ああ、大丈夫だ。ちょっと忘れてただけだ」
そう、忘れてただけだ。
なーに、忘れるくらいだから大したことじゃないんだろう。
そう、オレは大物なんだ。細かいことなど、気にしない!