王国の様子 4 メルセルの遺産 ~北風のエカントものせて~ (動画あり)
雲が晴れたアポロニアギャスケット共和国の首都エカントに、高地特有のまぶしい陽光が輝く。
ティコ・ブラエ侯爵はこの陽光を避けるように作られた部屋で、3人の侯爵と席を囲んでいた。
アポロニアギャスケットは共和制だが、実権はこの四候が持っている。
12の貴族が実権を握っていたころに比べ、意見調整がしやすくなった。しかし権力が集中し、4人の権利と負担が大きくなった分、一種の鈍さが4人の意識に現れていた。
利益を得ても全体からして相対的に小さく、同じように被害があっても全体からすれば小さく、離脱してしまった権益も、かえって負担が減るという考えすら与えてしまう。
「……いやぁ、このたびはブラエ候も災難でしたな」
会議も進み、大方の話がまとまったころ、1人の侯爵がブラエ候の行った国境再編計画の破綻に同情した。
「なぁに現状変わらずだったわけで良かったでしょう。彼はむしろ古竜の被害を隣国に擦り付けた功労者だ」
四候の中でもっとも年配者である1人が、ブラエの肩を持つような慰めをいって見せる。ブラエはこれに自嘲を見せて返答する。
「何も得てはいませんが、ね。無償の国家奉仕となってしまいましたよ」
「はっはっはっ。たまによいだろう」
古竜も気軽な話題なったものだと、ここにいる四人は笑った。
国家の一大事かと思われた古竜の東進――。西の国境は二候によって慌ただしく引き締められ、一候によってエカント周辺の防備が固められ、ブラエ候が古竜の影響を東の国境へと受け流した。
そして何が起きたか正しく理解はできていないが、結果的に古竜の脅威は去った。
本来の計画ではエウクレイデス王国に被害をなすりつけるつもりだったのだが、それはほとんど効果を得られなかった。跡継ぎに支障が出ていたネーブナイト領への介入も、すべて徒労に終わってしまった。
「まあ新編した軍の大規模な演習だと思えばよいだろう」
「そうですな。このところ軍備は手つかずだったので、問題のいい洗い出しとなりましたな」
四候は誰も被害を受けたなど考えていない。ブラエも同じだ。ちょっと疲れる仕事をしただけである。
ザルガラの中にいると思われた古来種がいなかった、という情報を得られたことだけでも、彼には充分に意味があった。
定例の四候会議も、終わったことの雑談を持ってお開きとなった。
ブラエ侯爵と歳も近く親しいケイセル侯爵が残り、後の2人は体調の問題もあって先に帰宅した。
2人はラウンジへ移動し、ちょっと早いティータイムを楽しむ。
「そういえばブラエ候。うちのところからそちらにうかがっているリマクーインはどうしてますかな?」
口ひげと笑顔が似合うケイセル侯爵が、ドワーフの少女の動向を尋ねた。
ケイセル侯爵は鉱山と工業の利権を多く持っている。当然、そうなればドワーフが手元に多い。
人間と価値観の違うドワーフの中でも、飛びぬけて変人であるリマクーインは、元はケイセル侯爵の領内出身である。通常、他領の人材を雇うことはないが、リマクーインはその辺りを越えて扱われた。
変人で天才ゆえに、人材というより道具として譲り渡された経緯がある。
しかしそれでも、侯爵という存在が1人の元領民ドワーフを気にかけるなど通常ではありえない。つまりは――アレのことであろうと、ブラエは思い当たった。
「オーラ=ゴーレムを越えるゴーレムを造ると、元気にやっておりますよ」
ケイセル侯爵は同じ【招請会】のメンバーである。……有名無実であろうとも。オーラ=ゴーレムの情報は通っている。
ゴーレムにオーラ・ネーブナイト伯爵の精神が宿った。
これはオーラショックとも呼ばれ、刺激を受けて共和国内では新型ゴーレムの研究が盛んになっている。何しろ限定的とはいえ、死者が物体に乗り移るのだ。
人を魅了してやまない。
同時に、なおざりにされていた聖痕の研究も復古している。高次元化して古来種のもとに至れるのでは、と期待も込められ盛んだ。
「なるほど、元気そうでなにより。そういえばネーブナイト伯といえば……」
リマクーインとゴーレムの話題はとっかかりだったのだろう。ケイセルは本題を切り出す。
「小競り合いをかなりの頻度でカタラン伯と続けているようだが、どういった状況なのだね?」
「うむ……」
諜報はさほど得意ではないケイセル候でも知っている。ブラエはそのことに困ったと唸った。頷きで誤魔化したが、ケイセル候も困っていることを察したであろう。
辺境の利権を取り損ねたブラエは、いまだその損失を補えていない。もっとも重要な懸案は、古来種の再来への準備なので、損失はブラエにとって些事に過ぎない。
「小競り合いではなく、あれはほとんど演習ですな」
ブラエは隠さず事実を話した。小競り合いとはいえ、戦いは後方で大げさな動きがある。金や食料、人の動きは非常にわかりやすい。諜報が苦手なケイセル一派とはいえ、それは四候の中にあってであり無能ではない。すぐに気が付かれるだろう。
「そうですか。あれほど躍起になっていたネーブナイト夫人ですが、やはり夫が帰ってくると大人しくなるものですな」
「まあ……そういうことなのでしょう」
ブラエ候は曖昧に返事をした。さすがにネーブナイト夫人の心中までわかりかねる。
「小競り合いを演出しているなら好都合。あとで糾弾の種にでもいたしましょう」
2人はカタランとネーブナイトの小競り合いを矮小化して見ていた。
ある少年の成長の場となっていることも知らず。
* * *
旧カタラン領を望む高台に築かれたカタラン辺境伯軍の陣。そこに真新しい拵えたばかりの鎧を身に着けたザルガラがいた。
兜を外し、居心地悪そうに首を伸ばす。その視線の先には、川向うに陣を張るネーブナイト辺境伯の軍勢があった。
一種即発。
今まさに、血で血を洗う戦いが幕をきって落とされようと――
「……まさか、このオレが紛争の扮装の片棒担ぐとはなぁ」
していなかった。
今日もまた二つの陣営が兵を展開し、そこらでけん制しあうだけで終わるだろう。暇な一日が始まるとザルガラは肩を落とし、兜を指先でくるくると回し――ガシャン。
落とした。
「……紛争を扮装などと申されますが、これも立派な軍事行動なのですよ」
陣内の兵たちが気まずさを覚える中、ザルガラの脇に控えていた全身鎧姿のオーバラインが訂正をした。
「へ、へぇ……。そうなんだ」
ザルガラは何事もなかったと素知らぬ顔で、落ちた兜に手を伸ばす……が、届かない。
指先が兜の縁をつつき、くるりと回って遠ざかっていく。ザルガラは足元で踊っていたタルピーを見つけ、兜をこっちに押してくれと目配せした。
「? ……っ!」
しばし考えつつ踊り、なにかに気が付いたタルピーは目を輝かせる。
そして意図が通じたと喜ぶザルガラの期待を裏切り、兜に乗って踊り始めた。
「兵の招集一つも大変なものです。時には頭を下げて、数をそろえねばならない場合があります。相手が数をそろえてくるとわかっている時ですね、これは。相手の数を情報として得ているか、それに対応して数をそろえられるか。直接、戦うことはなくも、この小競り合いへの準備も見られており、またこちらも見ておるのです」
オーバラインの説明が続く。ザルガラは兜を拾うのに必死なので、聞いているか怪しい。
カタラン伯の筆頭家臣オーバラインは、教育係を兼ねてザルガラの副官としてついていた。
すでにこの会戦も3度目を数える。ネーブナイト夫妻との「ケンカ」をするにしては大事だ。
カタランは下心があって、ザルガラに協力している。
潜在的に敵対関係であるネーブナイト夫妻と、ケンカなぞそうそうできるものではない。だからこうしてカタラン伯軍とネーブナイト伯軍の衝突という場を用意している。
ここに至るまでザルガラは、軍勢と一緒に行動するならば、と演習まで突き合わされている。
オーバラインは数回の演習で、ザルガラを『王佐の雛』と評してカタラン伯に報告していた。ザルガラは強いが、決して武辺者ではない。だからと言って軍の指揮官にも向かない。策略を得意とするわけでもない。なにごとにも補佐の才能を持つ。それがオーバラインの彼に対する評価だった。
「ごらんください、ザルガラ様」
教育と値踏みをするオーバラインが敵陣を指し示す。
先陣に配置されている大盾の魔具を持った敵兵たちが動きを見せている。
「こちらが弓兵の陣地転換を見せると、あのようなできる限りの反応を示します。上からの指示があるまでできる限りの判断。あの一翼はよい現場指揮官がいるようです。あの旗と盾の紋章。覚えておいてください」
「……ふーん」
ザルガラは知識にどん欲だ。教育されると、努めて吸収しようとする。オーバラインの説明を静かに聞く。
装備の質、兵の配置にその迅速さ、物資の確保と金の準備。陣の張りに差配、家臣たちの旗の増減、指示通りに隊が動くか、けん制の動きに的確な判断を敵が下すか、部下が下せるか?
――などなど山ほど。
にらみ合いもまた戦争。
オーバラインの話を聞いて、ザルガラは圧倒された。特徴的な大きな口が、ぽかんと開けられている。
やがて説明を訊き終え、ザルガラは意味を噛みしめるように口を閉じた。
「お分かりいただけましたか?」
「あ、ああ……そいつ……は、知らなかった」
「このようなもの、戦というのも烏滸がましい。腰抜けの罵り合い――と思いましたかな?」
「あ……」
オーバラインの追及を受け、ザルガラはバツが悪そうに首の後ろを掻……こうとして鎧に阻まれた。
「……ああ、思ってた」
返事を聞いてオーバラインはふっ、優しく笑ってみせた。
正直に白状するということは、反省したのだろうと、それ以上はなにも尋ねない。
やっと拾い上げた兜をかぶり、ザルガラは知識を反芻する。
「こうすればああする。互いに動きが適切か、早いか、それとも遅いか? 探りを入れ合ってる。なるほど。命令伝達ができているか、あわよくばどういう伝達形式やサインを見抜くか、その裏をつけるか、さらにその裏をつけるか。ちゃんと頭の中では必死に戦ってる……ってわけか」
ザルガラは納得する。
たとえば、伯爵軍は一兵卒でも相手の将を良く知っている。
人の容姿は、口伝えでわかるわけもない。だが、こうして川を挟んでにらみ合っていると、自然に覚えることができる。敵の旗だけでなく、鎧や盾の模様なども普段から見慣れているからだ。
緊張感を持った今回の軍事演習とならんで、これも一種の兵教育だ。
末端の兵でそれなのだから、騎士や貴族はそれ以上の情報を得るだろう。武器防具の質や馬のしつけの出来不出来、部下の掌握具合や普段の士気の高さ。
表面的な強さを見せているだけとしても、戦争では嘘も効果を成す。では見抜ける目も必要だ。
ここは騙す力と見抜く目を鍛える場でもある。
このにらみ合いは、立派に戦争なのだ。血が流れないとはいえ、頭の中では戦っている。妄想ではない。次に戦うときのため、決して手を抜けない場なのだ。
文官の家系であるザルガラは、武官の習いを知って感心しきりである。
「もっとも、こちらが失態を見せ、これならば打ち勝てると見極められれば、罵り合いや小競り合いではなくなり、怒涛の如く攻められることでしょう」
「それは困るね。指揮官も大変だ……ん? あそこ、カタランの兵が挑発されてるぞ」
「ああ、そのようですね。ああやって挑発されても動じない、勝手に動かないというのも、用兵が末端まで行き届いているのかの判断材料になります」
「ふ~ん。つまりこっちはこっちで兵の練度を確認できるし、あの挑発はネーブナイト側の探りというわけだな。するってぇと、こっちが挑発する場合もあるわけだな」
弱い者が吠え合う光景だと思い込んでいたザルガラは、事実を知って考えを改め反省した。もちろん、吠え合うだけの領主もいるだろう。しかしカタラン伯やネーブナイト夫妻ほどとなるとその範疇にはとどまらない。そういうことだ。
ザルガラは好戦的だが、それは個人でのこと。文官の家系だったこともあり、戦争となれば自分に出番はないという意識がどこかにあったため、軍事行動は一歩引いてみてしまう。
幸か不幸か、それは意外なバランスの良さを見せ、カタラン伯とネーブナイト夫妻の期待に応えていた。
大陸でも1、2を争う力を持つザルガラが、こうして多少なりとも武官として能力を得ることになっていく。
まだ若い。少し出遅れてはいるが、まだ11歳である。まだまだ伸びる。
これはエカントでのんびりするブラエ侯爵にとって、まったく予想外のことであった。
ましてやそのザルガラの親しい者の中に、共和国を悩ませる古竜の娘がいることなど想定外もいいところである――。
* * *
カタラン伯領での小競り合いを終え、王都のエンディ屋敷に戻って自室でくつろいでいると、隣りで静かに本を読んでいたディータ姫殿下が宣われた。
「……尊い」
うっとりと本を掲げ、琥珀製の瞳をキラキラとさせるディータ。
「な…………」
なにが? そう聞こうとオレは思ったが、なにか寒気を感じてやめた。
読んでいた本は、カタラン伯の屋敷から借りてきた本のようだが……やけに薄い。とても薄い本だ。
その薄い本を祈るような仕草で閉じ、琥珀の瞳を真摯に向けて訴える。
「……ザル様、ヨーファイネさんと結婚して」
「なんで……オレがヨーヨーと? いや婚約を申し込まれては……いるけどさ」
マイペースなディータにしては、珍しくも必死な声色だ。冗談の類とは思えず、オレはその意を図りかねた。
たしかにディータとヨーヨーは仲がよい。オレが国境でネーブナイト夫妻と遊んでいたころ、カタラン領のランズマでヨーヨーと留守番をしていた。
その時、なにか吹き込まれたのか?
それともなにか、政治的な問題でも起きたのか?
もしかしたら帰郷の際に、この判断を下すきっかけでもあったのか?
オレが黙り込むと、ディータは手元の本に目を落として話し始める。
「……ヨーファイネの母上君。あまり体の調子が良くない」
ヨーヨーの母親?
オレは大敵者事件の時、ランズマの療養所で会った薄着姿の美人を思い起こす。
たしか……メルセルといったか。ヨーヨーの母親は虚弱で、ランズマで療石薬の世話になっている生活だ。いますぐ命にかかわる病ではないが、治療法がわからない……不治と聞いている。
なにかと不自由だろうし、いつなにがあってもおかしくない。
そんな病弱なメルセルのため……、元気なうちにヨーヨーの花嫁姿を見せてやりたい、とディータは言うのか……。
「……ザル様が結婚すれば、本を自由に読める」
半裸の男性が絡み合う表紙の薄い本を翳し、本音をぶちまけるディータ姫。やたらうまいからヨーヨーが描いたな、コレ!
「財産目的じゃねーかっ! オレの将来を、薄い本で売り渡すつもりかよ!」
まさかの薄い本が目的ときた!
冗談じゃない。いくら元姫様とはいえ、臣下の婚儀に口を出す理由がよりによってそれか!
しかも、メルセルが死ぬこと織り込み済みか。ひどいなこの姫様!
「……ちがう、財産を手に入れるのはザル様。私は読ませてもらうだけ」
「オレがソレを受け継ぐのかよッ!! なお悪いわっ!」