王国の様子 3 砂糖と塩
「まぁた、隣りのアザ坊が妙なことをぉ始めおったな」
王都の閑静な住宅街。とある二階のテラスで、隣家から届く音や声を聴きながら老人が呟いた。
その隣りに控える間諜組織を引退したある使用人が、ご安心くださいと言い茶を老主人に差し出した。
「裏庭に植えたあの南方の木材を伐採したようですね。単なる昼食会の準備で、今回は危険なことはないかと思われます」
いろいろと不穏なアザナの動向。それを彼は逐一調べている。アザナが善良であることは確認しているが、騒動と為りかねない遊びをする困った隣人という認識を持っていた。
失礼にならない程度に、間諜時代に鍛えた腕を持って動向を調べ上げてある。
「そうか……」
老人はそれはそれでつまらないな、という感想を持って茶を飲む。
この辺りは大商人の隠居や、大貴族の妾や有閑貴族などが住む住宅街である。綺麗で静かで治安もいいが、刺激がことさら少ない。
去年からそこに住み始めたアザナは、さまざまな感情をもって迎えられている。
不気味だとか、騒がしいとか、危なっかしいとか、可愛いとか、面白いとか、食べちゃいたいとか――。
この隠居にとっては、引退後の刺激的な隣人という印象をアザナに持っていた。
早朝に爆発音で起こされるなど、心臓に悪いことがたまにあるが……、そうひどいことばかりではない。
作り過ぎたという不可思議で美味しいお菓子を分けてもらうこともある。付き合いで呼ばれる宴会では、見たこともない食事を味わえるし、魔法を使わない奇妙な仕掛けや魔具を見ることができる。
王国の要職を退き、家督も息子に譲り、隠居し老いた心を刺激し潤してやまない隣人。
老貴族にとってアザナはそういう存在であった。
「それで……今回はなにをやるつもりなのだ? ソーハのせがれは」
「ご学友を呼ばれて昼食会だそうです」
「ほう……まためんこい娘が集まるのか」
さまざまの身分と彩り豊かな少女を思い起こし、ふむとうなずく老貴族。
「いえ、どうやら男子学生のようです」
「なんとっ!」
使用人の報告に目をむく。
「あのアザ坊が……同年代の……」
広葉樹の向こうを見やり、老貴族はしみじみと言った。
* * *
お菓子作りとは数学である。
諸侯が訪れることすらある王都の有名レストランの若い料理人パイ・ツーは、そのような持論を持っている。
女性であるパイが、男性料理人たちの中で出世することは難しい。いくら男女差別が比較的緩い王国であっても、だ。
レストランの一料理人としてある貴族の家に派遣され、その時パイは幸運にもソーハ子爵の知己を得た。
最初こそ苦労したが、ソーハ子爵の子であるアザナのアイデアを形にし、今では菓子作りを任されるほどになった。
料理には数学が隠れている。いや見いだせるというべきだろうか?
数学は矮小化させて見れば置き換えの技法だ。よって料理も数学に置き換えることができるというのが正しい。
それに気が付いたパイは、内心で持論を修正する。
しかしそれでも魔法では再現できない気難しさ。それが菓子にはある。
能力の高い極一握りの魔法使いが、複雑な魔法を駆使してやっと『食べ物のような物』を創り出せる。軍事遠征中や飢餓状態なら旨く感じるだろうが、好き好んで食べたいと思うような代物ではない。
だが、そんな一握りの魔法使いでも、お菓子は魔法で創り出せない。
正確な分量をきっちりとした手順で、製作時間も火の温度と強弱も計算されつくされ、時にはオーブンから取り出し形を整えなくとも、完璧な姿と味でそのまま口へ入れられる。そういった菓子類は特に無理だ。
そんな四角四面な菓子作りの工程は、一見すると魔法と相性がよさそうだ。しかしどういうわけか再現できない。
まるで芸術品のように……。
このような持論を抱え、パイは魔法の才能を最大限に利用して料理と菓子作りに情熱を注いでいる。
魔法で物を創り出したり、戦ったり、誰かを救ったりなどできないが、数学的思考などは充分に役立っていた。魔法で窯の火入れや温度調整できるだけでも、菓子作りには大きなアドバンテージとなる。
もっともそれでもパイがお菓子製作の苦労から解放されたことはない。
アザナの持ち込むアイデアは、とてもあやふやなものだからだ。
試行錯誤の連続。形にするだけ一苦労。味を調えるとなると気が遠くなる。コストも頭を悩ませる。料理や菓子の質を高めるのはそのあとだ。
幸いパイは理解力とコミュニケーション能力が高かった。アザナの要望とあやふな話を理解し、情報を引き出し、時には刺激させ、発案者のさらなる発想を促すこともできた。
そして出来上がった菓子や料理のレシピを、レストランの実質所有者であるアイデアルカット公が受け取る。公爵はそうして集めた菓子や料理のレシピを駆使し、資金や信用や諸国の知己など多くのものを得る。
そのような影響下で、ある程度の成功をパイは手に入れた。
ある天気の良い学園の休日。パイはソーハの王都屋敷に呼び出され、昼食会の準備を取り仕切っていた。高い地位にいる貴族や、自由のきかない富豪などは、レストランの料理人を呼び出す立場にある。出向くこともあるが、呼ぶことが通例だ。
菓子作りの部署を任されているとはいえ、パイは料理人である。こうして屋敷に呼ばれ、料理をつくることもある。ソーハ家の料理人と使用人たちを手伝わせ、パイは料理をてきぱきと仕上げていく。
庭で昼食会ということもあり、焼き物が多い。屋内と違って、外ならば煙が出る料理を焼き立てで食べられる。中庭には窯までも用意されていた。
そしてさらにメイン料理が変わっている。
メイン料理そのものは単純だ。小麦粉で作られた細い麺だ。はっきりいってパイが手をかけるほどでもないので、茹でる段階はソーハ家の使用人が手掛けている。
この麺を特性のスープ……アザナは「めんつゆ」と呼称しているが魚介の出汁でつくられたつゆで食するのだが……。
パイは手掛けていた串焼きの準備を止め、会場の準備をするアザナを眺めた。
料理人としてパイを呼んだアザナは、茎が中空となっている竹と呼ばれる南方の植物を使い、不思議な工作を行っている。
のこぎりや魔法を駆使し、縦に半分割った竹を使って、なにかの遊具のようなものを作り上げる。
それは小人の滑り台とでも称するべきか。
滑り台のようなものが形になると、今度はそれに水を流し始めた。水路となった滑り台に、使用人が試しに茹でたそうめんを上部から流す。
竹の坂滑り台をすべりおち、時には途中で止まり、角度など調整を繰り返す。やがて何度目かの挑戦で、そうめんが水路を軽快に流れ行き、最下部に設けられたバケツへと綺麗に滑り落ちた。
「よしっ!」
アザナは満足そうに拳を握って成功だ、というポーズを見せた。
「……」
何をしているのかわからない。何が目的なのか。ただの遊びなのか?
アザナの不思議な発明を何度も見ているパイだが、今回もまたアレがなんであるか皆目見当がつかなかった。
「流しそうめんというそうですよ」
料理を手伝うフモセが無言の疑問に答えた。
「流れてくるそうめんを取って食べるそうです……たぶん」
フモセもあまりよくわかっていないようである。
「じゃあ、ぼくは玄関で待ってるね!」
謎の水路が完成し、アザナは昼食会に呼んだ友人を迎えるため、玄関エントランスへと走り去った。
その後ろ姿はとてもうれしそうである。
「アザナ様がお友達を……」
パイは少し不遜ではあるが、アザナを可愛い弟のように思っていた。発案者と調整者という仕事仲間という関係以前に、貴族と市民という隔たりがある。しかし、いつも開発とお金で苦労しているアザナは、面倒見のいいパイにとって手間のかかる弟のようだった。
弟がいればこんな気持ちなのかという姉の思いを持ち、細い目をさらに細めて走り去るアザナを見送った。
アザナは女の子の友達こそ多いが、男の子の友達は皆無と言ってよい。
ユスティティアの弟ユールテルは、あくまで姉が親しく一緒に懇意となっていただけだ。悪くいえばおまけである。
しかもユールテル自身にその引け目があり、とても友人といえる関係ではなかった。
パイはどんな学生が来るのかと、料理の手を止めて待っていたら……。
目付きが悪く口の大きな少年が、ちょっと怖い満面の笑みを携えてやってきた。
友人と知っていなければ、乗り込んで来たケンカ相手だと思ったことだろう。まあ実際ちょくちょくケンカのようなものをしているのだが――。
アザナの友人であり、エンディアンネス魔法学園の先輩であるザルガラは、2人……2人? の存在を従えて庭にやって来た。
1人はローブを目深に被った女性。顔はマスクで隠され、ローブから伸びる手は白い長手袋を嵌めている。並みの手袋ではなく、最上級の品であることから、ただの使用人や従者ではないだろう。
もう1人は上位精霊のイフリータだ。こちらは世間ではすっかり有名だ。以前は姿を消していたようだが、存在がバレてからはあちこちで踊って目立っている。今も小さな幼女の姿で、ザルガラの周囲で踊っていた。
「今日は面白い昼食会って聞いて、楽しみにしてたんだ」
庭に設置された竹の滑り台を見て、ザルガラは期待を込めた表情を浮かべる。
「はい、見ててくださいね、ザルガラ先輩」
アザナはまずはどういうものかと説明するため、踏み台に昇ってそうめんを竹の滑り台に投入した。
水路を流れ、紆余曲折し、バケツへと滑り落ちるそうめん。
これを見てザルガラは、意を得たとばかりにうなずく。どうやらこの仕掛けの意図を悟ったようだ。
「へえ、こりゃいい。上下関係をはっきりさせるいい仕掛けだ」
フモセから箸とガラスの器を受け取ながら、そんなことをいってアザナを驚かせる。
「え? なんでみんな、そう受け取るんですか?」
「これってアレだろ。上流側が上座だろ? どう考えても取るのに有利じゃん。で、下流にいくほど身分が下っていき、立場ををわきまえろ的な感じだろ? もちろんオレが最上流な」
ザルガラはそう言って最上流の位置へと移動して……やや身長が足りず、目線の高さにある水路を睨んで困った顔を見せた。
一方、アザナも困った顔をしていた。
「これはその、仲良く並んで風流と涼を楽しむものなんですが?」
「フウリュウ? いやだって、これってどう考えても加速するじゃん? ただでさえ上流が先に手を出せるのに、下流になるほど取るの難しいだろ」
立方体陣を踏み台にし、水路を覗き込むザルガラが指で仕掛けのあちこちを指し示す。
指摘を受け、アザナもむむっ……と唸った。
「言われてみれば……そうですね。長いほうが見栄えがいいと思ったのですが……。並んで取るところはなるべく水平に近くしましょう」
「じゃあアレだ。高い位置エネルギーを利用するのではなく、そうめんは低い位置から投入して、水流で流れるように改造しよう。これなら水流が弱くなることはあっても、下流で加速することはない」
「それいいですね、ザルガラ先輩。じゃあ上流に水車をつけて……」
かちゃかちゃ、とんとん――。
「よし、じゃあその下流をそうめんの投入位置に改造すりゃいいんだな」
とんとん、ぎこぎこ――
「水路が長すぎてそうめんの速度が遅くなる場合は、その手前で一回段差をつけましょう。落下で加速します」
「そうか、加速しすぎた場合も、落下で速度を一回リセットできるわけだな」
「あー、じゃあ最初からそれでよかったのでは?」
「水車が上で回ってるほうがかっこいいだろ?」
「そうですね!」
ぎこぎこ、かんかん……。
『ザルガラさまー、ここで取れたら10点ね!』
踊っていたタルピーが途中参戦した。
「おお、いいな! じゃあ、その手前で加速するようにしよう」
「食べ物はおもちゃじゃありませんよ、ザルガラ先輩」
「こんな仕掛けを作って何をいってやがる」
「そ、それはそうですが、これは文化であって……」
アザナは反論があったようだが、言い出せずにいた。
なにがいったいどうなったのか、昼食そっちのけで胞体陣を駆使し、竹の加工をするザルガラとアザナ。
技術者気質の2人は昼食そっちのけにし、流しそうめん機の改造を始めてしまった。気が合うのもいいことだが、昼食会の光景ではない。
フモセとパイはいきなり始まったそうめん器具改造に閉口していた。
固まってしまった2人に代わり、冷静なローブの女性――ディータがザルガラとアザナの暴走を止める。
「……ザル様、何しにきたの?」
「え? 何って、アザナの家に昼食を食べに……て、あ。おいおい、アザナ。なに工作し始めてんだよ! 俺たち目的が交錯してるぞ!」
「あ、ああそうでした。改造はあとにしましょう」
あとでもするんかい!
と、フモセとパイは思ったが口には出さない。
「……ザル様、ザル様」
「なんだ?」
「……私は食べるの無理。だからアレやらせて」
ディータはそうめんを準備するパイを指差し、給仕を申し出た。
本来、姫君が料理の世話をするなどありえない。しかしながらディータはゴーレムという身体に捕らわれている限り、食事をする側には回れない。
ところがこの流しそうめんという物であれば、食べられないが楽しく食事に参加できる。取る側に回り、手渡すことも可能だ。
「そんな下々の仕事みたいなことをしていいのか?」
「……やりたい」
ただ皿に載せたり、皿を並べるような仕事ならディータも興味は示さなかったはずである。しかし、竹の滑り台の仕掛けは、ディータの好奇心を強く刺激した。
「そうか……。……アザナ。オマエ、ディータもディータなりに参加できる食事会ってのを考えてくれたんだな」
「え? なんのことですか?」
「ありが……え?」
礼を言おうとしたしたザルガラだったが、アザナは何のことという顔をしてみせた。
「――あ、あーあー、はい。実はそうなんです」
「絶対嘘だな」
「ほ、ほんとうです。みんなを楽しませるため、まず竹を植えるところから始めました」
「そ、こ、か、ら、かよッ!」
ザルガラはアザナの誤魔化しに対してつっこみをいれる。
そこからでした。と、パイは内心頷く。
しかし竹は何かと調理にも役立ったため、無駄な挑戦ではなかったと考えている。
「はあ、道具の材料生産の方から入るか……」
「いやぁ……竹が大陸中央になかったもので苦労しました。まるでどこかのアイドルのようなことをしてしまいました。あ、麦茶のお代わりをどうぞ」
「あいどる? ……ああ、おう、麦茶な」
本来、使用人が注ぐものである。しかしアザナは自らの手で注ぐことがままあった。そういう文化だったというが、ソーハ家の領はもちろん宗家のある南方にもそんな風習はない。もっとも誤魔化すため必死だったからだが。
ザルガラは注がれた麦茶に口をつけると同時に、アザナは注いだ水差しを見て言った。
「あ、めんつゆだった、これ」
「ぶふぁぼっおほっ!」
吹き出すザルガラ。避けるアザナ。
「て、てめごほッがはッ! ぜったいがはわざとだごほっがはっわざとっごはガハッ、正直にゴハッガハッ!! ごがすっ!」
「ちょっと何言ってるかわかんないけどごめんなさーい!」
ザルガラの撃ちだした魔力弾が、アザナの防御胞体陣で上方へ逸らされ打ち上げ花火のように弾けた。
これを合図とし、アザナとザルガラの追いかけっこが始まった。
そうめんはどうなったのだろうか?
庭はすっかりアザナとザルガラのじゃれ合いの場となってしまった。
フモセが慌てて料理を避難させ、タルピーが合間を縫って走り回る。ディータは黙々とそうめんを誰もいない滑り台へ投入する。
パイはこの光景と、アザナとザルガラの関係を眺めながら思う。
料理を苦手とし化学もおろそかな人間の中には、よく塩と砂糖をプラスとマイナスの関係と捉えるものがいる。甘いとしょっぱいが逆の関係と思い込み、その上で互いで調整でき同量ならばゼロになるような勘違いだ。
アザナとザルガラは塩と砂糖の関係に近い。互いが関わらないと、とても味気ない一辺倒な出来栄えとなる。
だが、もしも2人が徹底的に関係しあって物を作り上げたり、完成させれば――?
塩と砂糖を混ざれば混ざるほど味が強くなり、薄めなくてはならない。バランスを取るため嵩を増やし味を薄め、そこから味付けをし直せば料理の量が増えていく。
2人が関わったことを成すには、大きな器……大きな世界が必要とされる。
仲良く中庭で竹を加工などしていたら、2人が満足するころには流しそうめん機はいったいいかなる物と化すであろうか?
塩と砂糖を足し続けた料理は、労力と金と食材と時間を投入し続ける羽目となる。
同じことが起こるのではないか?
そして不安は的中する。
このあと無茶苦茶流しそうめん機が魔改造され、なぜか巨大化していき、水泳プールのウォータースライダーなる全くの別物に進化するのだがそれはまた別のお話――。
隠居老貴族「ウォータースライダーじゃとっ! わしの若い頃にあれば!」
書いているうちに、王都の様子要素がなかったと気が付き冒頭をでっちあg…書き足しました。
没キャラだったアザナ家の近所のエ○ジj…老貴族を出してみました。
もともと出番ないだろうからと削ったキャラなので特に出番も活躍も予定はないです。