王国の様子 2 世界を変える物語
エンディアンネス魔法学園を今年卒業した生徒に、1人の風変りな少女がいた。
このご時世では珍しいメガネが、陽光を跳ね返しきらりと光る。その奥の切れ長な目は、出来る才女を思わせる。15歳という年齢のわりに、背も高く大人の女性の魅力を持っていた。
彼女はジョアン・ラムシフトという。
ジョアンはイシャンと同じクラスであった。卒業生の中で五指に入るほどではないがトップグループの実力者である。男爵家の長女であり、嫁入りを待つ身でその才能は引く手数多だ。
もちろん見目も決して悪くない。
で、ありながら彼女は実家のある男爵領に戻らず、かと言って王都で職に就くでもなく、王家に仕えることもなく、王都留守居役の真似事をしていた。
それには理由がある。
深い事情がある。
ジョアンは紙に書き落とされたその理由と事情を抱え、王都の一等地に立つ施設を訪れていた。
王都でもっとも大きなエンディアンネス劇場の談話室で、ジョアンは劇場を持つ劇団長と対面している。
「ではラムシフト嬢の新作というのはこちらですか?」
劇団長はジョアンから紙束……原稿用紙を受け取りページを捲った。
劇団長は【回顧会】の会員で、古来種の遺跡から発掘されたお話を演目にして上演させている。
どちらかといえばプロデューサー職であり、彼自身が舞台に上がることはない。せいぜい舞台挨拶くらいだ。
その彼が数ページほど読んで、渋面を持ってジョアンに尋ねる。
「これは……寡聞にして存じ上げないお話ですが? もしやあの【黒と霧の城】で発掘された新作なのですかな?」
「はい! いえ! 事実を元に私が書きあげた新作です!」
自信を持って答えるジョアンだが、劇団長の反応は鈍い。
「では歴史……書ですかな?」
一般的に、古来種が去ったあとの英雄譚は、すべて歴史書扱いになる。
もともとは王国……いや、マイク大陸では創作活動が活発ではない。
演劇の元となる脚本、その原作は古来種時代のものである。
この世界で「新作のお話」とは、発掘された古来種が残した物語を差す。
作家はそれらの作品に手を加え、時には新作を自ら発掘してまとめ上げ、本やシナリオを書きあげる。
つまりこの世界の作家は、ほとんど脚本家と同義である。
ジョアンが書いたような「完全オリジナルの新作」という物は、この大陸において価値がない。
発掘された物語の巻数が抜けていて、そこをオリジナルで補うということはあるが、それは穴埋めであり前後に矛盾があってはならないし、逸脱してもならない。
結末の発見されていない作品に、オリジナルの結末を与えるということはある。
だが、たとえ歴史的事実であろうと、古来種時代にない物語は物語として認められない。
歴史書や回顧録や日記扱いである。
また余談であるが、抜け落ちた物語の一部や結末に、オリジナルのキャラクターを登場させて無双させる作者もいる。このような行為やキャラクターを「ショウ・ジニー」と呼ぶ。このような補填作で話題になった作品に登場したオリジナルキャラクターの名が「ショウ・ジニー」だったことによる。
さて現状――。ジョアンの作品は受け入れられない。
内容が云々ではない。この大陸の物語への理解が、すべて古来種由来の作品至上主義なのだ。
どんなに優れた作品であろうと、古来種の残した膨大かつ千差万別で面白い作品には敵わない。と認識されている。
至尊たる古来種の残した物語こそが至上であり、中位種や下位種の綴った物語は遥かに劣る。そういう受け取られ方をされてしまう。
特に古来種時代の文化を復興させようとしている【回顧会】の態度はより顕著だ。
よって、その会員である劇団長はジョアンの作品を受け入れられない。
「残念ですが、これは受け取れません……。出来ましたら次は、以前のような作品をお願いいたします」
今回はオリジナル作品を持ち込んで来たジョアンだったが、彼女は人気脚本家だ。劇団としても関係を維持したい。
劇団長は丁重にお断りに、ジョアンは失意と原稿を抱えて劇場を後にした。
ジョアンはこの世界で無名ではない。
古来種の残した物語を舞台向けに改変し、一定の評価を得ている。
冒険者を雇い、時には自ら古来種の遺跡へ趣き、さまざまな物語を発掘した。それを元に書きあげた脚本は、劇場で長く上演されたこともある。
だが、彼女はそのままの成功を受け入れられない。
「く、かならずこの話を世界に広めてあげるんだから」
ジョアンは決意を固くし、新たな創作意欲を持って夕日に誓った。
* * *
「あーせいせいしたぜ」
地方の貴族が王都を利用するときに住まうエンディ屋敷街の道を、ローブを纏った問題児とティエを伴い歩くオレは大きく背を伸ばした。
やっとあの古竜の母子の住まいが見つかり、2人を送り出した帰りだ。
オティウムのやつは「いつでも遊びに来てくださいね」とか言ってやがったが、オレはいかない。絶対にだ。
あの女はなんかなれなれしくて嫌だ。
アレを包容力と表現するヤツがいるが、オレにとっては領域侵犯としか思えない。
エト・インのやつもエト・インだ。アイツのせいで寝不足になったり、筋肉痛になったり散々だった。あと1年ちょっと付きまとわれるが、住まいが離れただけで大分違う。
あー、肩の荷が下りた。軽い軽い。
軽い……?
あれ、なんか肩の上がすーすーする?
「あ、おい。そういえばタルピーがいないぞ」
いつもオレの肩の上で踊っている小さな上位種タルピーがいない。
「え? いまさらですか?」
軽装な騎士姿のティエが呆れたように返す。
うん、いまさらなんだ。
悪いな、タルピー。すっきりしすぎて、オマエのいない軽さを受け入れてしまった。
「エト・イン様と遊ばれていましたので、そのうち帰ってくると思います」
「まあオティウムたちがいれば、高次元物質の不足ってことはないだろうが……」
上位種であり今は力が限定的となっているタルピーは、高次元物質を供給され続けないと力が弱まり、果ては消滅の危険がある。
高次元体ディータと違って、即消えるなどの脆弱性はないし、距離が近ければオレのところに瞬時に戻ってくるので心配はないだろう。
「……のし」
と、残った問題児であるヤツが、オレの背中に圧し掛かってきた。ローブのフードを目深に被ったディータだ。
「重ぇ」
「……タルピーとエト・インの代わり」
そういってディータは硬い身体を押し付けてくる。琥珀は石よりだいぶ柔らかいが、それでも肉体と違って硬い。いくら美しいゴーレムとはいえ、密着されてもまったく嬉しくない。重いだけだ。
そうして面倒なヤツに圧し掛かられていると、後ろからやってきた馬車がオレたちの脇で止まった。
陽光を受け、燦然と輝く侯爵家紋章。
馬車の覗き窓が開き、見慣れているが学園を卒業し去った者が顔を見せた。
「君の馬車嫌いも困ったものだねぇ」
服を着ているイシャン・ゴ・アンズランブロクールだ。
「イシャン先輩、お久しぶりです」
「やあ、ザルガラ君。奇遇だね。どうだい、これから軽く全裸でも」
「裸に重く全裸も軽く全裸もねぇよ」
嫌なお誘いを受けたので、丁重にお断りした。
「はっはっはっ、たしかにそうだな全裸はみな重い。たしかにそうだ。軽い全裸などない。また1つ、全裸の素にして祖へと近づけたよ。ありがとう、ザルガラ君」
「……俺、またなんかやっちゃいました?」
余計なことを言ってしまった気がする。
イシャンの思想が深まってしまったような気がする。深い全裸って不快だな。
「しかし……ザルガラ君は相変わらずの馬車嫌いか?」
車内の従者が止める様子を見せたが、イシャンはそれを無視して馬車から降りた。
「どうも身体にも心にも合わなくてね」
イシャンが話題を変えてきたので、これ幸いと乗る。
オレの馬車嫌いは世間でも有名だ。
「まったく……士族や連盟の平貴族でもあるまいに……。次男といえど君くらいならば、馬車に乗って馬上と徒士の護衛くらいいてもおかしくないのだよ」
上級貴族の子息の中では変わり者……本当に変わり者であり比較的選民意識の低いイシャンではあるが、やはりそこは士族を束ねる武官の貴族だ。
どこか責めるよう目が、従者であり使用人であり騎士であるティエへ向けられる。
ティエが恐縮ですと肩を窄めた。
うーん、しまったな。こういう場合、従者がしっかりしていない扱いになってしまう。
オレのわがままで余計な迷惑をティエにかけてしまった。
「……ティエは悪くない。私が歩きたいだけ。責めないで」
フードを目深に被り、オレに伸し掛かっていたディータがティエを庇う。
しまった、やられた。
従者を庇う主人で構図を、ディータに取られた。
ぐぅ……あざとい。こういうアザナと違うあざとさは、さすが王族。あざとい。
「こ、これは姫で……あ、いや。あなたでしたか」
イシャンが畏まろうとしたが、事情を知っているのですぐに姫殿下という言葉を飲みこんでみせた。
「……そう。せっかくの身体。街を歩きたいから」
「なるほど、そういうことでしたか。事情も知らず責めて申し訳ない」
庇うディータの本意を知ってか知らずか、イシャンは素直に謝って見せた。
ティエも末席とはいえ貴族である。いくら侯爵家三男といえど、謝るときは頭を下げる。
ま、軽くだが。
「いえ、気にしておりませんので面を上げてください」
そしてもちろんティエも気にしてないという。当然の流れだ。
この流れにオレは関与してない。
寂しいので無理に会話へ入り込む。
「ところでイシャン先輩も、騎士も徒士を居られないようだが? なにかあったのか?」
「あー演習帰りでね。公的なものだから家の者は最低限なのさ」
「そうか。軍隊って演習があるのか」
学園は野外学習や護身術を兼ねた戦闘訓練こそあるが、軍事演習のようなものはない。慣れないオレは、イシャンの事情を悟ることができなかった。
「……」
周囲を見回すイシャン。
まさかここで脱ぐつもりじゃないだろうな……って、こいつのことなら周囲を気にせず脱ぐだろう。
「妙だな。もしかして何か魔法でも使っているのかね?」
「ああなるほどそういうことか」
ディータという異質な存在や、有名人となっているオレに注目する人がいない。そのことに気が付いたイシャンは、オレの魔法と推測して見せた。
「ちょいと魔法で捻じ曲げて、顔の認識をズラしてるのさ。もっともそこそこの魔法使い相手で、オレを良く知ってるような相手じゃきかないが」
「なるほど、そういうことか。……ところでちょっと軽く馬車に乗っていかないか?」
急にイシャンが馬車に乗れと誘ってきた。
普通の人なら送ってもらうだろう。だが、オレは馬車にあまり乗りたくない。
「なんでだよ。だからキラいなんだって」
はっきり断るが、なぜかイシャンは食い下がる。
「そういうなって。ほら、ここのところなんて下着入れになっているんだ」
「どういう馬車だよ。余計に乗りたくねぇよ」
「いや違うんだ」
「違くねぇよ」
しつこいイシャンを袖に振っていたら……。
「……はあはあ、ザル様を馬車に誘い込む元先輩……」
やおらディータが興奮し始めた。なんかゴーレムの癖に暑苦しいんだけど?
「そういうな。ほんと、ほらこの馬車って古来種の技術を使った防諜設備があってだな」
「……! そういうことか」
やっとオレはイシャンの意図を察した。
わざわざ防諜設備を話題に挙げたということは、なにか秘密の話がある、ということか。周囲を気にしたり、しつこく馬車へ誘う理由がやっとわかった。
「ほう、それは興味深いな」
オレはさも古来種の技術へ興味を示したという風に演技をしてみせ、イシャンの馬車へと乗り込んだ。
ディータもそれに続き、代わってイシャンの従者は車外に出た。ティエとその従者は御者席の隣りへと乗る。
そうして馬車が出発すると、イシャンはすぐさま話を切り出した。
「貴族連盟が君たちのゴーレムに興味を示している」
軍かアンズランブロクール家に諜報組織があるのだろう。
10年前にエンクレイデル王と利権争いをした貴族連盟の残滓が、オレたちに目をつけたと教えてくれた。
「そういえば前にも言っていたな。アザナのゴーレムに釘を刺してたが……」
遠隔操作できるゴーレムをアザナが製作した時、イシャンはそれは危険だと警告してくれた。
しかしアレは開発を中止したはずだ。
「その後に造ったオレとアザナのゴーレムはそれほどのもんじゃないと思うが?」
砲弾そのものであるゴーレムと、高機動型のゴーレム。どちらも革新的だろうが、さまざまな面で即戦力とは言い難いしろものだ。
「畏れ多くも、連盟はディータ様の御身に興味を示しているのだ」
「ああコレか」
「……コレ扱いされて喜ぶのはヨーヨーくらい」
よくわかってるな。仲いいよね、ディータとヨーヨー。
そうか。軍用に利用できないと思っていたが、連盟はゴーレムより中身を気にしたか。
「かなりあからさまに探りを入れてきてる。陛下と姫殿下の心情を思って、君は引き合わせたのだろうが……」
イシャンはディータを気にして、言葉をそこで止めた。
「……でも会いたかった」
しかし、ディータは気にする様子はない。
人治主義が蔓延る王国では、美しいとされる個人の感情が優先されることが多い。いいことか悪いことか、意見はいろいろあるだろうが、この国ではそれが美徳だ。
「そうか。王位を譲られるかもしれない存在がゴーレム……。しかも高次元化した古来種同様の存在が入れるゴーレムとなれば、連盟が気にかけるのも当然か」
貴族連盟には【招請会】のメンバーもいるという。もしかしたら古来種を呼んで、国を管理してもらうと考えるものもいるかもしれない。
入学早々、オレとアザナのケンカに巻き込んでしまったあの生徒も気になる。
先の内乱で処罰された盟主に変わり、現盟主となった穏健派の貴族の子供だという。
最近、やたらオレたちに突っかかってくるので、仕返しかと思っていたが……。もしかしたらあれは探りの1つだったのかもしれない。
オレは情報を提供してくれたイシャンに礼をいい、ディータの扱いを考える。
「せっかく身体を造ってやったが、ディータ。どうやら自由にさせるわけにはいかないようだな」
「……大丈夫。ザル様と一緒にいる」
不便をディータは受け入れてくれた。せっかく自由に動ける身体を得たってのに、どうやら不自由な生活は続けさせないといけないようだ。
屋敷で留守番どころか、散歩をさせるわけにもいかない。
「馬車が嫌いとか言ってられないな」
オレは嫌いな馬車の天井を仰ぎ見て、小さくため息を吐き出した。
「あーあ、まったく面倒なことになってきたな……」
* * *
「イシャン様とザルガラ様がッ!!」
ジョアンは探知強化されたメガネを光らせ、天下の往来で興奮の声を上げた。
彼女のメガネはある機能が備わっている。
ザルガラの認識阻害をものともせず、ジョアンの能力とメガネは彼らの密会を見抜いた。
メガネの能力も強力なのだが、なによりジョアンの情熱がそれを可能とした。
「密会キタコレッ!! これよこれ! ザルアザに加えてイシャン様の介入! これよ! 私の作品にはこうした刺激が足りなかったのよ! 滾るわ創作意欲ッ! 廻るわ三角関係ッ! 私の作品が次のステージへ駆けあがること間違いなしっ!」
アンズランブロクール家の馬車に乗り込むザルガラを目撃したジョアンは、ここが公道であることも忘れて原稿用紙に欲望を叩きつけ始めた。
彼女作品はそういう作品である。
近い未来、世界の認識が変わり、オリジナルの作品が世に溢れる契機となる物語は――そういうお話であった。
ジョアンはかなり昔から登場してます。
いえ本編には出てませんが、挿絵関係の場所を探ると出てきます。見つけてる人も少ないと思いますが……