ティエとザルガラ(挿絵あり)
ティエの朝は早い。
まずは武官として、メイド服姿で見回りを行う。その目は前日との微妙な差異を見逃さない。
物の配置から庭木のわずかな乱れ、そういった小さな違いを見つけられるか否かが警備の質につながる。
そんなティエに挨拶をする若いメイドたち。みな新しい使用人だ。
新人が増えて使用人としてティエの仕事が少なくなり、すっかり武官としての仕事とザルガラの身の回りの世話が主になってしまった。
エンディ屋敷の予算が改善され、ザルガラの悪評が払拭されたことにより、ポリヘドラ家から新たな使用人が送られ、メイドとしての仕事が減っているティエだが、それでも朝はいくぶん早い。
いまだエンディ屋敷で筆頭武官を務めているからだ。
これは武辺者が少ないポリヘドラ家の問題である。
せめて警備を任せられる武官か魔法使いがいれば、と思うティエだった。
「思えば、ザルガラ様も手がかかるようになりました」
もれた呟きは面倒を嫌うそれだが、ティエの口元には笑みがあった。
見回りを終えたティエは、時間を見計らってザルガラの部屋へと向かう。
使用人は増えたが、ザルガラを起こす仕事は家令のマーレイかティエの任である。多少、風評が改善されたとはいえ、やはりザルガラは畏怖の対象である。新任の使用人たちでは責と労が勝ちすぎだ。
二階の廊下を歩いていると、左右の柱の陰に隠れながら進む二つの小さな影があった。
古竜の子エト・インと、上位種イフリータのタルピーだ。
「ささっ!」
『さささっ!』
こちらにお尻を向け、柱から柱に渡り歩き進む。
上位種たるイフリータと、孤高の古竜がいったいなにをこそこそとしているのか?
ティエは眉をひそめ立ち止まって見守っていると――。
『エト! 見つかった!』
タルピーが柱の陰に隠れてようとしているエト・インの肩をつつく。
はっ、とティエを見て、エト・インは柱の陰に隠れて顔だけ出し――。
「しー……」
『しー』
と、人差し指を立てて、静かにしてと訴えかける。
目礼して客人と上位種の指示に従い、ティエはザルガラの部屋へと向かう。
どうやら向かう先は同じらしい。2人の幼女が廊下を左右に行き交うため、追い抜くことができない。
仕方なくティエは2人に続いて、ザルガラの部屋に入った。
ベッドでシーツをかぶり静かに眠るザルガラ。
ティエはまず朝日を取り込むため、窓際へと足を向ける。
その途中の足元に、飴色のゴーレムが転がっていた。
ゴーレムは絨毯に寝転がって、本を読んでいた。
大理石の彫刻のような滑らかな裸体を晒し、手足だけがレースの手袋とハイニーソックス。女性の目から見てもなまめかしい姿である。
最近、肉体? を手に入れたディータ姫殿下だ。
「おはようございます。ディータ様」
いったん立ち止まり、軽く挨拶をする。今のディータは王族としての身分が停止していると主張し、姫扱いをするなと申し出ている。
ティエは畏れながらその意見を尊重していた。
「……おはよう」
すっかり自堕落な生活を送る姫様は、寝転がったまま返事をした。畏れる必要がない。自己申告通り姫らしくなかった。
絨毯の上に横になるというのは、姫以前に貴人としていかがなものか。ティエはカーテンを開けながらひそかに思う。
だがザルガラと一緒のベッドに入られても困る。
いくら11歳と12歳の子供で、かたやゴーレムの身体とはいえ、男女が同衾するのも問題だ。
もっともザルガラはまだまだ子供で、裸体のゴーレムや露出の激しいタルピー、何かと無防備なエト・インと生活してても意識している様子はない。
しばらくは大丈夫と心配を先送りにし、ティエは自らを落ち着かせた。
ディータが起き上がると絨毯の毛も立ち上がる。
琥珀の身体は帯電しやすいため、絨毯の毛と埃を吸いつけてしまう。しかし帯電した静電気を制御して、その弱点を克服した上に利用もしていた。
ふっ、とディータが息を吹きかける仕草をすると、身体についていた埃や絨毯の毛が丸まって落ちた。掃除に便利そうである。
身を起こすディータの向こうでは、エト・インとタルピーが壁を伝いながら慎重にザルガラが寝るベッドに迫っていた。
そろり、そろりと足音を立てず――やがて、ベッドまであと少しというところまで近づくど、2人は天蓋まで届く跳躍をして見せた。
「ザッパー、朝だがおーっ! おきろ~っ!」
『おきろーっ!』
エト・インとタルピーは同時にザルガラの上に落下!
ぼすんとベッドが凹み、中で寝ていたザルガラが中折れ……していなかった。
シーツの下に丸められていたシーツがまくれ上がり、古竜の子とイフリータを包み込んだ。
「がお?」
「かかったなっ! あほぅがっ!」
主たるザルガラが、部屋の隅に積まれたクッションの中から飛び出して叫ぶ。
「毎回、毎回、朝ボディープレスかましやがって! このガキどもがっ! 何度も喰らうかよ!」
――毎回、毎回、喰らっていましたね。
ティエが起こす前に、何度か喰らってケンカをしていた。
『ザルガラさま、ザルガラさまー、アタイ! アタイも巻き込まれてる!』
「巻き込んだんだよ! 同罪だ! 言わせんな!」
シーツの中でタルピーが暴れて助けを求めるが、ザルガラはそれを一蹴した。
投影された魔胞体陣に魔力が注がれ青く光る。
同時に、エト・インが力ずくでシーツを引きちぎった。
「ばーん!」
「力技で抜け出されることは想定済み! 時間稼ぎなんだよ! 【堕ちろ、天界】」
エト・インが飛び出したと同時に、部屋が光に包まれる……。
常時展開している防御魔法陣をすり抜け、激しい魔力の光がティエの意識を奪った。
* * *
茶の匂いが街にあふれ、空気までもが緑色に染まったかと錯覚するような季節。
増築工事が進むポリヘドラ城の一角で、1人の少女が掃除をしている。
ポリヘドラ家に雇われて間もないティエだ。
まだ幼さを残すティエは、仕事を終えて額の汗をぬぐった。
同心円状態の虹彩が輝く。
「ふう、お掃除完了」
茶の行商人の子として生まれたティエは、幼くして父を失い貧しい生活をしていた。
そして【精霊の目】の能力を見込まれ、なんの運命かポリヘドラ家の使用人となった。
「何をしているっ!」
懸命に仕事を終えたティエを怒鳴る声が響く。
カリニング・グレート・ポリヘドラ伯爵。
王国名家の中でも古参のポリヘドラ家当主。やや横柄だが横暴ではない。しかしカリニングは強引で独善的な性格であった。
「お前はそのようなことをしなくてもよい!」
ポリヘドラ一族の特徴ともいえる大きな口から、無意識に大声が発せられる。これに慣れないティエは圧倒され、無礼にも押し黙ってしまった。
「……返答は?」
「も、申し訳ございません」
「出かけるぞ! ついてこい!」
謝罪の言葉を受けると同時に踵を返し、玄関へと向かうカリニング。
「は、はい!」
ティエは見えない手に引っ張られるかのように、たたらを踏みながら後を追う。
そんな彼女を見送る使用人たちの目が冷たい。
新人の使用人は雑用と力仕事が基本である。本来、掃除とて慣れた使用人が行うものだ。
しかし最初から雑用などを免除されているティエは、肩身の狭さから先輩使用人たちの仕事を手伝うことにしていた。
掃除こそ終えたが、手伝いも半ばでティエは問答無用で連れ出された。
行く先は古来種の遺跡か、オークション会場か。それとも王都の裏通りにでもある故買屋か。
連れまわされるティエは、緊張の連続であった。
蒐集癖のあるカリニングは、ティエの【精霊の目】を利用している。
古来種の残した遺産は多岐にわたり、価値も実用性もさまざまだ。これらを蒐集するに、ティエの能力は実に有効だ。
彼女を使用人として取り立てた理由も、すべてカリニングの趣味に利用するためである。
カリニングは自領の管理を息子に任せ、趣味の世界に没頭し散財していた。
あちこちに買い付けにいく旅費だけでもかなりな物だ。さらにこれだという古来種の遺産を見つければ金に糸目をつけない。
時にはガラクタのような魔具や美術品まで、なにを思ったか大枚叩いて買ってくるほどだ。
増築している屋敷も、半分以上はそれら古来種の遺産を展示して個人で楽しむ空間にするつもりらしい。
ティエはカリニングに気に入られているわけではないが、知らない者から見れば重用しているように見える。
使用人としての仕事は大部分が免除され、出先でカリニングの世話を多少するくらい。そのせいもあって使用人仲間からは厳しい目で見られ、露骨ないじめもあった。
「よし、ならば騎士として取り立てればよい」
ティエの立場が使用人たちの間で問題視されていることを知り、カリニングは良い考えだとばかりにそんなことを言い出した。
さすがにこれを聞いて、カリニングの息子であるノーマンは意見を挟む。
「さすがにそれは……まだこの間まで街娘だった子……ですよそんな気がしまなんでもないです」
横柄なカリニングとは対照的に、ノーマンはいまいち何事にも覇気がない。
意見をはっきりいえず、カリニングの睨み返しを受けて黙り込んでしまった。
「……ふん。お前の心配など知らんわ。ポーラ卿のところでも馬を育てるのが上手い者を、一代騎士として取り立てている。ティエは充分、我が家の役にたっている。なんら問題はあるまい」
カリニングは強引にティエを騎士とした。
ありがた迷惑だ。
ティエは一介の使用人で充分、満足だった。できれば使用人として仕事を全うしたい。
しかし、カリニングはそれを許さない。
連れまわされ、古来種の知識を叩き込まれ、買い付けの手伝いまでさせられた。
そんな中、ティエは本当の騎士から剣の手ほどきを受ける。
「特技を見込まれた名目上の騎士でも、正装や戦いとなれば鎧を纏うこともあるだろう」
壮年の騎士レオンハルトはそう言って、旅の合間にティエへ剣技を授けた。
武官の少ないポリヘドラ家だが、当時の王国で5指に入ると言われるほどの騎士である。魔具である武器防具だけに頼らず、自らも魔法を駆使して戦う騎士だ。成長したティエの戦闘技術は、レオンハルト流といって過言ではない。
レオンハルトの教えは半分は義務、半分は暇つぶしだったのだろう。
それでもティエはレオンハルトに父性を見出し、素直に剣を練習し、女性としてはかなりの技量を持つに至った。
そんな生活が続き、ポリヘドラ家に新たな男子が生まれた時もカリニングとティエは屋敷にいなかった。
各地を飛び回り、カリニングは古来種の遺物を買いあさる。
付き合わされるティエは、どんどん屋敷の使用人たちと疎遠となってしまった。
ポリヘドラ家家臣で親しいといえる存在は、もはや剣の師であるレオンハルトくらいだ。
父親代わり……というほどでもないが、彼が歳で引退するまで師弟関係は良好だった。
そんなある日、東の隣国エイスター連合国から帰還し、カリニングとティエは初めてミラー夫人の異変を知った。
カリニングは息子嫁の豹変ぶりに、当初こそ困惑したがむしろ面倒が減ったという態度を示した。
なにしろ物事に頓着しないということは、貴婦人らしい浪費もしない。つまりカリニングの使える金が増えるからだ。
次期当主の妻が全く自発的に行動しない結果、ポリヘドラ家が社交界でどのような扱いを受けるか考えが至らなかったようである。
これはザルガラの悪評が広まる遠因ともなった。
ティエは内心で主人カリニングを軽蔑した。
家族をないがしろにしてまで、趣味に没頭し散財するカリニング。
ポリヘドラ家の財政も破綻しかかっている。
経理に強くないが、この国の魔法使いの例にもれずティエの計算能力は高い。おおよその収支と支出の情報に加え、カリニングの散財を間近で見ていればわかることだ。
かといって一代騎士ごときが具申などできるわけもない。
カリニングの散財とミラーの変貌。ポリヘドラ家に暗い影が差し込む中、ザルガラの成長は明るい話題であった。
やれ天才だ、古来種の再来だと騒がれ、領内のみならず王国全土で噂になるほどだった。
そんな噂を耳にしたある日、ティエはそんな幼いザルガラと出会った。
使用人でありながら騎士にして、そろそろベテランであるティエだが、これが初めての邂逅である。
「ティエは騎士なのに剣を持ってないのか?」
挨拶を終え、ティエが騎士であると知ったザルガラは、納得できないと口を歪めて首を捻った。
「いえ持っております」
「……持ってないじゃないか?」
「いえ、このように持っております」
スカートの下に隠し持っている護身用の短剣なので、見せるのは少し憚られたが相手は5歳児。
少々、肌が見えても問題はないだろうと判断し、スカートを捲り上げて護身用に預けられている短剣を見せた。
「ふうん……」
短剣の何が不満なのか?
釈然としない様子のザルガラだった。
「よし、このぼくが剣を造ってあげるよ」
ザルガラが何を言っているのかわからなかった。困惑するティエの目の前に、変化する正5胞体が一瞬にして投影された。
「……胞体陣っ!?」
才能のあるティエとて、胞体陣は投影できない。正立方体陣がやっとだ。
いくら中位種の血族たる名家ポリヘドラ家の子息とはいえ、わずか5歳児が独学で出せるものではない……はずだ。
常識的には。
呆然とするティエの目の前で、当たり前のように無から形成されていく一振りの剣。
別次元の魔力を物質に変換しているので、厳密には無からではない。だが、その光景は無から物質を創り出す伝説の古来種の御業そのものだった。
「はい、どうぞ」
「あ、ありがとうございます」
断るにも驚きが勝り、思わず受け取ってしまった。
「こ、これは!」
ティエの手には合わない剣だが、かなりの力を秘めているとすぐに悟った。
一流の剣鍛冶屋職人へ特注で頼んだ一品ほどではないが、店売りの上級品に匹敵する剣である。
「こ、これを本当に?」
「うん、あげるよ」
ティエは「本当にこれをザルガラ様が造ったのか?」という意味で訊ねたのだが、彼は「本当に貰えるのか?」という意味で捉えたらしい。
「あ、ありがとうございます」
畏怖を抱きながら、剥き身の剣を抱えてザルガラに礼をした。
思えば、ティエが比較的ザルガラに恐れを抱かなかったのは、接触がこの時くらいだったからかもしれない。
屋敷にほとんどおらず、ザルガラと交流は少なく、使用人たちから煙たがれ、余計な情報は入ってこなかった。
本家に居場所がなかったがゆえ、進学したザルガラがエンディ屋敷へと入った折に、ティエは使用人と武官として派遣された。
交流が少なかったからこそ、ティエはザルガラと親しくなれた。
皮肉なものである――――。
* * *
「すまないな、巻き込んじまった」
目を覚ますと、そこはザルガラの部屋だった。
ソファの上で寝かされていたティエは、目を閉じて身を起こす。
「投影された防御魔胞体陣も、常時展開してる防御陣も光は大部分透過するからな。閃光で気を失わせる魔法を造ってみたんだが」
「勢いあまって、私も巻き込んでしまったと?」
「そういうこと」
ザルガラはすまなそうに肩をすくめてみせる。
説明を聞いて、ティエは部屋の中を見回した。
ティエが目覚めたのが遅かったのか、それとも効果がなかったのか。エト・インは椅子に座り、タルピーはテーブルの上で踊っている。ディータにはもともと閃光の魔法が効果なかったのか、平然とした様子で同じ本を読み続けていた。
主の失態を責めることなく、ティエは語り始める。
「……夢を見ていました」
「へえ。魔法の影響かね」
「そうですね。そうかもしれません。初めてお屋敷に上がったころや、先代様に連れられ王国から連合まで旅をして回ったこと……それからザルガラ様と初めてお会いしたときのことですね」
ザルガラは話を聞いて、困ったように天井を見上げた。
「俺は良く覚えてないんだよなぁ――ずいぶんと昔のことだもんあ違うんですそうじゃないんですごめんなさい」
たかが5,6年前をずいぶん前とかひどいことを言う、とティエはザルガラを睨みつけた。
ザルガラの主観では16年前なので……