The Sand Reckoner.
風邪をひいてました(二投目、カーブ)
「長閑とは聞いてはいたが…………」
王都で飛ぶ鳥を落とす勢いで商いながら、未だ自らの商売の本質に気がついてないベデラツィは、馬車から外を眺めつつ呟いた。
先達の轍をガラガラと進む馬車。周囲は茶という低木が一面に広がり、さながら緑の海に立つ波の時間を止めたような風景だった。
「おー、茶の香りが漂う我が故郷よー。えーっと、なんだ……兄上さんの真似して言うの難しいな」
馬車の天井の上で鼻歌を歌っていた少年――、ザルガラが不意に詩的なことを言おうとして失敗していた。
どうやらザルガラの兄上君は、詩を嗜むようだ。兄弟で趣味趣向が変わる。それは均衡がとれて良いことだ、とベデラツィは感じ入る。そして兄上という言葉に「さん」をつけるあたり、どことなく距離感を感じた。
ザルガラの使う二人称はどこか口汚かったり慇懃無礼だったりする。時には親しい相手にも敬称や言い回しを含まれてしまう節があった。
そんな彼でも実家が近くなると、兄を真似をしたくなるほど肉親へ気持ちが向き始めているようだ。
ベデラツィは現在、ザルガラの里帰りに同行していた。
手紙のやりとりで、彼の父と連絡しあってはいる。だが、やはりきちんと挨拶しなくてはならないと、ベデラツィは商人の顔でポリヘドラ領へと入った。
道中の支払いはほとんどベデラツィが持っている。なにしろ儲かって仕方ない。事業を拡大したならば、どれほど金が集まるかわからない状況だ。結果、金払いがよくなる。
しかし気になる――。
ベデラツィは馬車から顔を出し、屋根の荷物の上で寝転がる貴族の子息に声をかけた。
「……あのー、なんで外にいるんですか?」
「オレ、馬車嫌いなんだよ」
天井に設置された荷台には荷物が積まれている。その上の方が中の椅子より快適だと彼は言う。
とても貴族とは言えない物言いと、馬車嫌いというわけのわからなさ。
なるほど、これがザルガラか。とベデラツィは改めて納得した。
そこ知れぬ怖い少年に食い下がるのもなんなので、ベデラツィは「そうですか」と納得してみせて車内に頭をひっこめた。
屋根に貴族の少年、車内に商人。雇われ御者は関わらぬよう無言。護衛の騎士が前後に控え、馬車は低木の緑の合間を進んでいく。
やがて馬車はポリヘドラ領の領都へとたどり着いた。
そこは緑の要塞。
深緑の低い壁が、城と街を幾重にも囲っていた。
その緑の壁とは、みな茶畑である。
常緑である背の低い茶木が城と街を幾千と守る壁、といった様相で、見る者に緑の要塞を思わせるのだ。
作業をする人々は紋章入り馬車を見つけると、最初は驚き、屋根に乗ったザルガラを気がつくと、怯え慌てて膝をつく。
ザルガラは気にしているようすもなく荷物の上で横になったまま、頭を下げる領民へ気怠そうに手を振って見せた。位置が悪く頭を下げた領民に、手を振る姿など見えない。
見事なまでの、対人交流失敗であった。
今の茶畑は繁忙期ではないようで、作業をする人たちは少ない。
沿道にひたすら緑の壁が重なる街道。その先に見える街は、伯爵領の領都としては大きくない。領民たちの家が少ないため、岩山に築かれた特徴的な城が刺々しく感じる。
人口はそこそこあるが交通の要所でもなく、茶以外の大きな産業がないため、どうしても華々しさにかけていた。
ザルガラという人物の印象に、あまり合致しない領地だ。
――いや、芯は硬く外へ向かって生命力が旺盛というところは、まさに茶畑城の子……といったところか。
馬車の上にいる偏屈な少年を、ベデラツィは内心でそう評した。
「ザルガラ様。門が近くなりました。そろそろ馬車の中にお戻りください」
鎧姿のティエが、後方の馬上から主に進言した。
「へいへい」
ザルガラは素直に従う。下品にも足で馬車のドアを開け、くるりと回転しながら車内に飛び込んできた。前方席に座るベデラツィの膝の上を飛び越え、馬車の後方席へふわりとそのまま座った。
ドアは半開きだ……。ベデラツィは内心で「今更だが本当に貴族の子かよ」と思いつつ、ぶらぶらとする馬車のドアを閉めた。
そのさい、鎧姿のティエが申し訳ないと首を竦めて見せた。ベデラツィは愛想笑いをして、車内に首を引っ込める。
(彼女がまさか騎士とは、ね)
ベデラツィは彼女を使用人と思っていた。そのため王都出発時にティエが騎士姿で護衛として現れたときは、思わず声を上げて驚いてしまった。
彼女はいつものことで慣れていると言ったが、権威へ一定の畏れを抱くベデラツィは恐縮するかぎりである。
緊張を解き座り直すと、街を囲む城壁が近づいてきた。
城壁は古い造りだが、古来種の時代ほどではない。前帝国時代のものだろう。堀はなく壁近くまで茶畑が迫っていた。
平和な今時らしく不用心に開け放たれた門をくぐり、門番たちに敬礼をされて街の中へと馬車は入る。
どことなく蒸された茶の香りが漂っている。この香りだけで気分が落ち着く。
活気はあるがどこか地味な中規模な街の中を抜け、馬車は奥まった山の裾のへと向かう。
城は険しい岩山の上。馬車も途中までしかいけないだろう。これを登るのはしんどいぞ、と困った顔で見上げていたら――。
「安心してくれ。屋敷は馬車で登れる3合目あたりにあるから。文官家系のウチには過ぎたとしか言いようのないあの城は、拠点としてはいいが住まいや行政所としては、まったくむかないからなぁ」
察したザルガラが説明し、運動不足商人の不安を解消してくれた。なるほど、武官を務める家系であれば不便な城住まいを良しとしただろうが、王国初期から文政に携わってきたポリヘドラ家においてはその限りでないようだ。
あっさり城生活から切り替えているようである。
「あ、ああ……やはり山城は不便ですか」
「そうなんだよ。昇ったり降りたりがなぁ……。空飛ぶのだって面倒だ。第一、山城は狭いんだぜ。ほとんど砦か要塞か、って代物だ。部屋より階段のほうが多くて、あそこに住むなんて考えたらゾッとするぜ。それこそ毎日、移動や飛行の魔法で生活するだろうよ。ま、引っ越しのおかげで管理費増えて、ただでさえ痩せこけた財政へ痛打を与えてるわけだが」
たまったもんじゃない、と実家のことながらザルガラは悪態をつく。
城とは別に普段住まいの屋敷をふもとに構える。贅沢かもしれないが、切実な事情があるのだろう。
唐突に街並みは途切れ、山城の城壁が迫る。外周の壁に比べると高さはあるが、厚みは感じられない。代わりに壁の一部は岩の山肌を借りて、より堅牢となっていた。
城壁周りに堀はなく、完全に岩山を守りの要としているようだった。
内門を抜けて緩やかな山肌を廻るように登り、やっと馬車はポリヘドラ家の屋敷へとたどり着いた。
岩山と山城の裾に取って付けた箱。
――と、表現するような飾り気のない屋敷で、道楽者と評判の先代には似つかわしくない趣きである。しかし、山頂付近まで続く城と比べれば遥かに華があり、他領の屋敷に負けない大きさを持っていた。
ここより高い位置に築かれている城は、いびつな蛇が岩山に巻き付いたかのような細長い石積みの古臭い建造物だった。ザルガラが砦と称したが、あながち誇張ではないのだろう。
「おや、父上さん自ら出迎えかよ」
屋敷の玄関へ続く緩やかな馬車ランプの先に立つ、1人の男性を見つけてザルガラが呆れたように言った。
やや低い身長で、頭髪が寂しい恰幅の良い男性だ。大きな口以外はあまりザルガラとは似ていない。だが彼がポリヘドラ伯だとベデラツィは見た。
左右に使用人を従え、馬車の到着を今や遅しという顔で待っている。
間違いない。彼がザルガラの父親、ノーマン・ポリヘドラだ。
華々しく家人を並べたりはしていないが、たとえ息子の帰郷であろうと、領主自らが屋敷の外まで出迎えるなど珍しいことだ。
援助しているとはいえ、たかが出入り商人候補のベデラツィにこんな出迎えをするとは考えられない。ではそれほどザルガラという次男の帰郷を待ちわびていたのか、とベデラツィは考えいたる。
「よく戻ったぞ、我が息子よ」
ポリヘドラ伯は待ちわびていたと、馬車から降りたザルガラに抱き着いた。
反抗期真っ最中という印象のザルガラだったが、どこか諦めたような表情でハグを受け入れている。
「いろいろ聞いているぞ、よくやったな。まさかカタラン伯殿から、娘との婚約の申し入れが――」
「あー、それ、向こうの先走りだから。本気にしないでくれよ、父上さんよ」
「そ、そうなのか? いやしかし正式な申し込みだから話し合いは――」
「悪いがその話はあとだ。財布の寂しい我が家にとって、紹介しなくちゃいけない大切なヤツがいる」
しばらく2人は家族の会話を交わしていたが、ザルガラが無理に割ってベデラツィの紹介に転じた。
「こちらがウチらの財布……じゃねーや、ウチらの救世主であらせられるベデラツィ商会のベデラツィだ」
今、財布って言ったよね?
「おお、こちらがサイフ……いえ、当家に助力してくださっているベデラツィさんですか。いやはやうちの息子が迷惑をかけてないかと――」
財布って言ったよね。
ベデラツィは確認を取りたかったが、ある意味事実なので確認するまでもないと呑み、スラム育ちながら見様見真似でまずは挨拶を済ませる。
美辞麗句を並べてみたが、特にポリヘドラ伯の反応は薄い。
やはりつけ焼き刃の挨拶では、好印象を持たれないようだ。
「これはご丁寧な挨拶、ありがとうございます。ところで暑くありませんでしたかな?」
「いえ、穏やかな気候と風光明媚な道中に癒されながら参りました」
「そうですか。では寒くありませんでしたかな? 暖房に火を入れましょうか?」
「いえ……」
暑くないかと訊ねられた直後に、寒くないかと訊かれてベデラツィは困惑し固まった。
「おお、では喉は渇いておりませんか? 道中のお食事はどうでしたかな? 何事もありませんでしたかな? お腹は好いておりませんか? 茶など一杯どうですかな? お酒がよろしいかな? あ、足元をお気をつけて。ああ、近い部屋が良かったですかな? 奥の方が暖かいのですが、それとも暑いですかな? あちらにいけば軽食をすぐにお出しできますが? それとも何か歌でもどうですかな? 先代からうちには楽士がおりましてな。それとも騒がしいのはお嫌いで? ところで喉は渇いておりませんかな?」
「う、え……ええ、いえ」
矢継ぎ早に気を使われ、ベデラツィは対応に窮した。
それを察したのか、それとも父親の様子に耐えられなくなったのか、ザルガラが手を振り割って入る。
「だーかーら、父上さんよ! その全方位に気配りやめろよ。役にも立たない薄い好意をまき散らすなって!」
「う、薄くないぞ! まき散らしてもいないぞ!」
「だ、誰も髪の毛の話なんてしてねーよ」
薄いという言葉に反応して、ポリヘドラ伯は慌てて頭頂部を押さえた。なぜか彼の息子であるザルガラも、その動きに反応して自分の頭頂部を気にするように手を伸ばす。
悪意はないが正しい気配りがわからず、いつも空回り。どうもポリヘドラ伯は、そんな人物であるようだ。
ザルガラの様子をみるに、どうも父親のそういう性格が合わないらしい。
(彼は気難しいからな)
多少だがザルガラのひととなりを知るベデラツィは、ポリヘドラ伯の父親としての問題を見抜いた。
ザルガラは突き放すと拗ねるが、かといってまとわりつけば反発する。そういう面倒な人間である。父親はそんな気難しい息子との距離感を掴めず、ただひたすら思いつく「好意」を提案するのだ。
他人であるベデラツィにすらそうなのだから、息子相手だと相当にしつこいことだろう。
言い争う親子を見て、ベデラツィは内心でため息をついた。
やがてついてくるなとしつこい父親を拒絶し、ザルガラ本人が屋敷内を案内し始める。
それでも食い下がるポリヘドラ伯と、無言で目を伏せついて回る使用人たち――。これでも貴族の家庭なのか、とスラム育ちのベデラツィは疑問を持った。
「貴く畏き王の元へ諸人集いし都の香り携え、我が血族の帰還か?」
わいわいとポリヘドラ親子が騒ぎ進む廊下の先に、真っ黒な青年が立っていた。
顔は良いのに黒いマントと服で身を固め、なんとも不気味な雰囲気を漂わせている。
「夕映えを跨ぎ黄昏の到着しそなたが古の盟約を携えし商い人か。頂きの明主に代わり礼を申すぞ」
黒い青年がなにかを言った。
「……は? はあ」
あまりにも何を言っているかわからなかったため、生返事をしてしまうベデラツィ。
「あー、あんまり気にすんな。この黒いのはオレの兄でハイベアーだ。とにかく兄上さんのいうことは、難しいだけで言ってることの最後だけで意味を判断していいぞ」
ザルガラは言葉を投げ捨てるような態度で、兄の発言をそう断じた。
「お、お初にお目にかかります……」
慌てて礼をすると、ハイベアーはマントを払って胸を張った。たぶん、マントを払った意味はない。
「血と共に与えられし名はハイベアー。曇天を払い天陽差す道中、その身に不便多き事と想――」
「はいはい。大変だったよ」
兄はさらに難しい言葉で語り掛けたが、ザルガラは適当に相槌を打ってその前を通り過ぎた。
「い、いいんですか」
「いいんだよ。それに廊下で話し込んだら長いしな。ああ、もし兄上さんと話したいってなら、ちゃんと通訳つけるから」
「通訳いるんですか……」
ベデラツィは戦慄した。
同じ言語をつかっている相手に、通訳がいるとは――。
愛想笑いも消えうせ、ベデラツィの表情が強張る。
「ザルガラ様。まずはベデラツィ様にご休憩していただいては?」
まだ騎士姿であったが、使用人に切り替えたティエが提案をしてきた。他人であるベデラツィがいるため、照れから父親や兄へ拒絶を見せている。ベデラツィはそう解釈していた。
ティエもそう考えて休憩と称し、ベデラツィとザルガラを別れさせるつもりかもしれない。
「いや……母上に挨拶してくるから、ベデラツィ。あんたも付き合ってくれ」
ザルガラはティエの気遣いを無駄にした――。いやもしかしたら、別に照れてなどいない。あの突き放した対応が、不器用なザルガラの親族との付き合い方なのかもしれない。
ずんずん廊下を進むザルガラ。それを追うベデラツィ。
そんな中、先を進んでいたポリヘドラ伯と従っていたティエは、ある通路の途中で立ち止まってしまった。
どうしたのかとベデラツィは思ったが、それを問い正す間もなくザルガラは扉を開く。
見たことない硬い表情で、ついてこいとザルガラは身振りしてみせた。
ベデラツィは「これは普通の挨拶ではすまないな」と、覚悟を決めてザルガラの後に続き扉をくぐった。
そこは灌木と花で囲まれた簡素な裏庭だった。
小さな街と広大な茶畑を望む、緑多く花の色どり少ない寂しい庭だ。
柔らかい風が冷たく感じられる。
そんな庭の端の椅子に、1人の貴婦人がこちらに背を向け座っていた。
隣りで静かに控えるメイドがいるが、その使用人より寂しく存在の希薄な女性だ。質素なドレスに飾り気の少ない装飾具。色があるのに色が薄い。
背中をみるだけで、ベデラツィにそんな印象を与える女性……。
ザルガラはその希薄な貴婦人に歩み寄る。
通路の焼きレンガをわざと踏み鳴らし足音を立てている。それでも貴婦人は振り返るどころか、意識すら向ける様子がない。
隣にザルガラが立っても、貴婦人は微動だにしない。
「ただいま戻りました。母上」
ザルガラは女性を母上、と呼んだ。父上と兄上に『さん』をつけ、距離感を露骨に表すザルガラが、だ。
裏庭の道半ばで、ベデラツィは立ち止まった。
見えない壁と溝が、そこかしこにあるかのような錯覚を持ったからだ。
「母上、ただいま戻りました!」
同じ言葉だが順番を代え、ザルガラは叫んだ。
控えていた使用人がビクリと肩を震わし、ベデラツィも金縛りから解けた。
ゆっくりと貴婦人の首が動く。
緩慢に横を向き、ついにその顔がベデラツィにも見えた。
――なるほど、確かに良く似ている。彼女がザルガラの母、ミラー夫人か。
常日ごろから爛々するザルガラの目から、険と輝きを奪うとこうなるであろうと心で感じられた。彼女はひどい目をしている。
見知らぬ相手へ警戒をする様子もなく、久方ぶりに合う息子へ向ける目でもない。
突き放す目。
そう称するべきか。
ついに貴婦人の小さな口が開く。長く空気が吐き出され、ミラー夫人の肩が静かに静かに下がる。
「…………そう」
興味ない、とザルガラの母親ミラーは視線を街へと戻した。ザルガラが何かを報告しようと、そのままうつろな瞳で街を眺め続ける。
その姿はまるで、眼下に広がる領都の棟数を数えているかのようで――。
そしてザルガラが一方的に話す奇妙な光景が始まった。
息子の近況報告など聞くに値しない、というように、ミラーの視線は街の外へ向けられている。
その姿まるで、街の外に広がる茶畑の木の本数でも数えるかのようで――。
「そう」
「別に……」
中身のない相槌。彼女から発せられた言葉はそれだけだった。
ベデラツィを紹介されても、目線すら向けない。とても貴族の夫人……いや、まともな人間とは思えなかった。
何一つ、手ごたえのない挨拶を終え、ザルガラとベデラツィはティエたちが待つ屋敷内へと戻った。
振り返って見れば、ミラーは未だ街を眺めている。息子たちが立ち去ったこちらなど、もちろんまったくぜんぜん気にしている様子はない。
「驚くだろ、あれでオレの母親なんだぜ。いや、さすがオレの母上と言うべきか」
ザルガラはよく自嘲するが、いつもはお道化る意味が強い。だが今日のソレはひどく痛みがある。
「時々思うよ。母上は……この世界を満たすために必要な砂粒でも数えているのではないのか、とね」
――砂粒の数、と来たか。
ベデラツィは内心、その表現に舌を巻いた。
短い時間、ミラーを観察したベデラツィには、せいぜい棟数や茶畑の木の本数程度に思えた。だが、長年にわたってあの母親の姿を見ていたザルガラにとっては、世界を満たす砂粒を数えきるほど彼女は無位な時間をすごしているように感じるわけである。
こいつは――、想像以上にすごい家へ肩入れしたぞ。
ベデラツィは今更ながらに、自分がとんでもない人物に関わったと実感した。
所詮、ザルガラは悪童だ。それに比べてミラーから流れ出る茫漠とした気配のなんと恐ろしいことか。
異常さに当てられ、ベデラツィはめまいを覚えた。
額を押さえ尋ねる。
「……なぜ、あの方を私に紹介したのですか?」
普通ならば、アレを客人の目から隠すであろう。それを一介の商人ベデラツィに晒すとは、どういうつもりなのか。
「決まってるだろ、ベデラツィ。オマエの吐き出した金は、わかれて巡って形を変えて、オレの母上の腹にも呑みこまれているんだ。だったら、知っておいてもらわないといけないだろ」
一介の商人などとは思っていない。言い回しはザルガラらしい偏屈極まる表現だったが、ベデラツィは正しく理解した。
そしてこれ以上関わり当家に金を入れるならば、その相手がそれぞれどういう人物か覚えておけ。そういう意味もあるのだろう。
わかりましたと目で頷くベデラツィを見て、ザルガラは良かったというように短いため息をついた。
「あーあ、全く同じ数えるならさ……。砂粒じゃなくて、貨幣を数える者だったらまだマシだったのに」
「…………さながら砂粒を数える者ですか。はは……、果ての無い相手と比べたら、まだ守銭奴にでもなっていたほうがマシ……、とでも?」
そういうことだ、と無言で表情も見せずザルガラは背を向けた。
「……なんだよ、父上さんよ。待ってたのか?」
裏庭から屋敷の中へ戻ると、通路ではポリヘドラ伯とティエの2人が大人しく待っていた。
ポリヘドラ伯もミラー夫人が苦手なのか。それとも息子とミラー夫人の邪魔をしたくなかったのか?
ザルガラの父、気配り下手のポリヘドラ伯は通路で息子を健気に待っていたようである。
「いや、まあ……その……、ザルガラよ。ミラーは相変わらずか?」
「ま、当然だな」
「そうだろうな……」
「そりゃそうだ」
触れたいが触れられない、もどかしい短い会話をする父子。
「ミラーにはいろいろ報告してはいるんだがな、お前の活躍やらめでたい話を」
「それで反応してくれるようなら、オレが学園に行くときになにか言ってくるさ」
「それもそうだな……。ミラーはあの痩せる薬の話にも反応しなかったし……」
「母上は太ってもいないしな。そりゃ普通の女性なら食いつくだろうが」
ベデラツィ謹製痩せ薬の話題を上げたその時、ザルガラがはっと何かを思いたようすで沈んでいた顔を上げた。
「そうだ、たしか痩せ薬が欲しいって言ってたよな、父上さん」
「お? おお、たしかに言った。最近、ちょっと腹の周りが、な」
「あんまり個数は無いけど、土産として持ってきたぜ」
「おお、本当か!」
「ええ!? 本当ですか!?」
喜ぶポリヘドラ伯に対し、ベデラツィは信じられないと声を上げた。
「え、ど、どうしたベデラツィ。いきなり声を上げて」
「あ、いえ、その――」
驚いたベデラツィに、ザルガラたちも驚いていた。
しどろもどろになりながら、ベデラツィは状況を整理した。
痩せ薬。
あれは麻薬である。
それを土産と、父親に気軽に渡すなど信じられない。
仲が悪いわけでもないだろうに、危険物を父親に飲ませるなど――。
ここで1つの疑念が浮かぶ。
ベデラツィは、まさか……まさかまさかという言葉を飲みこんで尋ねた。
「あの、もしもですが……」
「ん、なんだ?」
「もしもの話ですが、ザルガラ様ご本人が太られた場合、その薬……お使いになりますか?」
「そりゃまあ程度にもよるが、頼るかもしれないな」
ことも無さげに答えるザルガラ。
確信。
ベデラツィは確信した。
吹き飛ぶ誤認識。
つながる情報の数々――。
いつまでたっても中毒症状の話が出ず、逃げ出す準備を整えながら、どういうことかと考えていたベデラツィだったが、ついに疑問が氷解した。
「あ、あの……ザルガラ様。これを機会にちょっと伺いますが……あの痩せ薬……。もしかして全力を尽くしましたか?」
「当然だろう。このオレを誰だと思ってる!」
「誰って……」
ああ、ちょっと間抜けな方なんですね――――私もですが。
ベデラツィは肩を揺らし自嘲気味に呟いた。
「資産を分散させるため、手間暇かけたあの苦労はなんだったんだ……」
さらに付け届けや賄賂……それらに使った金銭と無駄を数え、ベデラツィはため息を吐く。
真っ当な商売をしていると思っていたら、実は悪事に手を染めていた。という話は聞くが、まさか悪事をしているつもりでびくびくしていたら、天地に恥じない真っ当な商売をしていたとは……。
ベデラツィはめまいを感じ壁に寄りかかり、長道中で疲労困憊したとザルガラたちから勘違いされることとなった。
これ以降、ことあるごとにベデラツィは「ちょっと悪事を働いてみませんか?」と提案し、ザルガラを戸惑わせることとなる。
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「ちょっとちょっとザルガラ様。ここで1つ、ばーーっと悪いことしてみませんか?」
「はあ? なんで? つかどこを目指してるんだよオマエ! 疲れてんのか?」
なぜこんなに長く……