それは素にして原初と言えるのか?
「ごめんなさい」
「うちの子が申し訳ありませんでした」
ベデラツィと孤児たちが、商会を掃除をしているところを訪れ、保護者オティウムと元凶エト・インが糖蜜タンクを破損させたことを謝った。
あの古来種と思わしきオティウムが、下位種の孤児たちに頭を下げる姿はなかなか痛快な姿だった。
『……性格悪い』
性格悪いもん。
ディータが当たり前のことを言ってきた。いまさらなにをいってるんだい、ディータ姫。
「いいよー」
「だいじょうぶだよー、エトちゃん」
「おそうじおわったら、みんなであそぼうね」
孤児たちは意外にも、あっさりとエト・インたちを許した。
「まあ被害はさほどではありませんので、お気になさらずに」
書類を選別していたベデラツィが、事も無さげに言ってのけた。
どういうわけか、すでに商会内はほとんど片付いている。汚損した書類の整理や、壊れた窓ガラスなどの片づけを行っているだけだ。
糖蜜があふれたらこんなもんじゃすまないと思うんだが……。
「ところで糖蜜そのものはどこにいったんだ? いくらバスタブ数個分の容量とはいえ、あれが流れ出したら片づけるのは骨が折れるだろうに」
「はい。アンズランブロクールのご子息がたまたまいらっしゃいまして、魔法であっさりと片づけてくださいました」
へえ、イシャンが来たのか。
どうやったんだろう。まだいるなら聞いてみるか。
「いやぁ、でも意外ですね。こうしてあやまりにこさせるとは」
掃除の手を休め、額の汗をぬぐうベデラツィ。もしかしてオレが黙っておくと思ったのか?
「そりゃ悪い事したら謝るもんだろ?」
「え゛っ!!」
当たり前のことを言ったら、ベデラツィが顎が落ちそうなほど口を開いてびっくりした顔を見せた。
なんで?
そんなに驚くことかよ。
「え゛ってなんだよ」
ちょっとイラッとしたので、ムッとした態度をしてみせると、ベデラツィはいえいえいえいえと否定を繰り返して後ずさった。
まあいいや。なにか勘違いしてたようだが、これを機にベデラツィもオレを普通の子供として見てくれるだろう。
『……性格悪いのに普通?』
性格イイもん。
なにをあたりまえのことをいっているんだね、おひめさま?
「ザルガラ、ザルガラ、おいザルガラ」
「ん? なんだ?」
ウーヌのヤツがオレを呼ぶ。あの士族六派の元悪ガキは、どういうわけかオレに対してなれなれしい態度をしてくる。まあ今のオレは11歳だし、ウーヌは18歳だ。オレが貴族とはいえ、子供同士で幅を利かせる年功序列で考えれば当然か。
オレが不遜な態度を取ってもウーヌは嫌がらないし、お互いさまだ。
「あの箱、オレが作ったんスよ」
「……はあ」
知ってるよ。箱だけ作って、子供たちが飾りつけたんだろ。オレも貰ったよ。
「ベデラツィさんね、取るモンも取りあえずなのに、真っ先にあれを掴んで逃げ出したんだぜ」
「ほう……」
「事故起きる前なんて、飾ってある箱見て、悪くないとか言ってたし」
「ほう……」
「いえいえ、違いますよザルガラ様! それはちょっと事情が違います!」
オレとウーヌがニヤニヤしていたら、ベデラツィが必死に否定してきた。
「うん、わかってるわかってるって」
「いえ、ですから違うんですよ~」
必死なベデラツィに、形だけ理解しているという態度を見せておく。納得できないのか、まだ否定してくるが大丈夫、大丈夫。わかってるって。誰にも言わないよ。ウーヌは言いそうだが。
「あ、オティウムさん。あれオレが作ったんスよ」
さっそく言いふらしてるよ、ウーヌ。
「あら、そうなの? 素敵な箱ね」
「そうでしょう」
オティウムが話を合わせてくれるだけなのに、ウーヌはウーヌで、なにを箱くらいで得意になっているのか。呆れたもんである。
掃除を続ける彼ら彼女たちをその場に置き、オレはイシャンがいないかと孤児院へ足を向けた。
そこでは――。
孤児たちに刷毛で糖蜜を塗りたくられるパンイチイシャンがいた。
シートを広げ、中心でなぜかイシャンがポーズを取り、子供たちはワイワイと楽しそうに糖蜜を塗りたくっている。
「おい、みんな。パンはパンでもそんなパンイッシャンを食べたら腹壊すぞ」
「たべないよー」
「たべないよー」
「たべないってばー」
子供たちに食べない合唱を返された。
「やあ、ザルガラくん。お邪魔してるよ」
指先だけ動かし、糖蜜だらけのイシャンがオレに挨拶してくる。
「なにをしているかと思ってるのかね? 糖蜜の消費に協力しているだけさ。ちゃんと買い取って、みんなにも駄賃を払ってるポゥッ!!」
刷毛が敏感なところに触れたのか、語尾が炸裂音になっていた。
よかった、炸裂音で。これが嬌声だったら強制的に意識をカットするところだ。
「こうして零してしまった糖蜜も、ムダ毛処理には使えるからね。再利用だよ」
「ああ、公衆浴場でよくやってるあれな」
浴場内でムダ毛抜きを請け負う者がおり、軽く熱した粘性のある蜜蝋や糖蜜を身体に貼り付け、少し固まってから剥がし、ムダ毛を抜くといういささか乱暴で根性を鍛えるアレだ。
庶民の女性はよく1人でやるとは聞くが、男でやるとなるとあまりいない。
『……顔のパックにも使います。お化粧のノリが違うそうです』
ディータがオレの知らない女性事情を暴露してくれた。
なるほど、毛穴の汚れも取れるわけか。
「こうして肌を晒すことが多いからね。つねに身体を磨いておかなくては」
「心構えは立派だが、脱がなければいいんじゃないかなぁ?」
「脱がないなんてとんでもない」
「ああ、わかってた」
言ったオレがバカだった。
まあ無駄になった糖蜜が、イシャンの役に立つなら本望だろう。思うところもあるだろうが迷わず逝けよ、糖蜜たち。
「ほうっ! とうっ! いたッ! ポゥゥッ!」
やがて固まったところから、子供の容赦ない無慈悲な手によって糖蜜が剥がされ、イシャンが悲鳴をあげる。だがなかなか耐えている。
大の大人でも辛いだろうに。
「く、苦痛のたびに全裸に近づく。こ、これは新しい世界が見えてきた」
「これ以上見えるようになってもマズいから目隠ししたら?」
「全裸に目隠しっ!!」
「あ、ごめん。いまの失言」
余計なことを言ってしまった。もっと変な世界に気が付くきっかけになったら、オレの責任になってご両親に謝りにいかねばならぬ。
「で、それ。いつまでやるの?」
「剥がして全裸になって、オシマイだっ!」
「そりゃオシマイだな。死ぬなよ」
パンツを履いてるから、子供の教育にもギリギリセーフだ。
「わー!」
「きゃーっ!」
「ま、まて! 順番、というかあちこちに引っ張るなあたたたたっ!!」
しかしまあ、子供たちは楽しそうに残酷に剥くな。
固まったところが我先にと、剥がし始める子供たち。見ようによっては拷問だ。
革命によって打倒された貴族が全裸に剥かれ、糖蜜を塗って剥がされるという誰得の拷問である。
こうして一斉に固まったところから即剥がされるので、まだ柔らかいところは時間待ちとなった。
悲鳴も一段落したようなので、ちょっと訊ねてみる。
「掃除がほとんど終わってるようだけど、イシャン先輩。どうやって掃除したんだ?」
糖蜜を零したとなると掃除が大変だ。床の上くらいならお湯と雑巾で掃除すればいいが、隙間や家具の裏に入り込んだ糖蜜は手ごわいってもんじゃない。
熱制御に関して、これ以上ない能力を持つタルピーがいれば簡単に処理できるが、孤児院の子供たちやベデラツィたちでは持て余したはずだ。
それがここまで片付いているとなると――。
「ああ、簡単さおぅっ痛いッ!!」
背中の糖蜜を剥がされながら、イシャンが答える。
「胞体陣で部屋ごと包み込んで、水蒸気を発生させれば糖蜜は緩くなる。あと固形物だけを弾き、胞体陣を狭めればさらに過熱されて糖蜜は緩くなって、自然と互いを集め合うというわけさ」
ことも無さげにいったが、糖蜜散乱という珍しい状況を見て、すぐにそんな対応を魔法でできるとは見上げたものである。
やっぱりイシャンは優秀だ。飛びぬけた能力を持っているわけではないが、器用かつ応用と対策が長けている。
クラメル兄妹のような得意技の力押しはせず、ヨーヨーのように理解力の速さと記憶力(とエロへの探求)だけで応用がたりないということがない。
とにかくできる人物だ。
もし魔力と計算能力が高ければ、オレに匹敵する魔法使いになるだろう。
「ところで、なんでまたここに?」
オレが孤児院に管理に名前を貸していることは、イシャンもちゃんと知っている。開院時に顔を見せにきたりと何度か来たこともあるが、偶然にふらりと来るなど珍しい。
「私もそろそろ卒業だろ? 鎧を一つ新造することになってね」
「ああ、そうか。おめでとうございます」
アンズランブロクール家は士族系では大家の貴族である。無位無官の士族じゃ新造というわけにはいかない。
通常、先祖代々の鎧などは跡継ぎに下げ渡されるが、三男となると新造するか倉庫の中から引っ張り出すことになる。そこは大家、新造とは驚きだ。
「しかし、イシャン先輩が鎧を着るとは」
先輩のことだ。鎧などいらぬと、式典や凱旋も全裸で通すかと思ったが……。まあ考えてみれば、学園ではだいたい制服着てるな。だいたいだが――。
「我が家で鎧無しとあっては、主家と道を違えるというようなものだからね。全裸で言えば、脱いでもまだ靴下が残っているような状況だ」
「突っ込むべきなんだろうか」
「武人の家で成人の儀となれば、鎧の一つも飾ってお披露目せんといかんからね」
「そうか。てっきり全裸の上に着れる鎧でも特注したのかと……」
「っ!」
イシャンの反応を見て、またうかつなことを言ってしまった後悔した。が、時すでに遅し。
「しまった! 全裸でも着れるように、裏当てを加工してもらうべきだったか! さすがはザルガラ君!」
オレの一言で余計な着想を得てしまったようだ。ご両親にどう説明したらいいだろうか。
「まあ慌てなさんな、イシャン先輩。そんな鎧をやっつけで作ったらいろいろ問題が出るだろうから、ゆっくり研究してからでいいだろう」
「言われてみればそうだな。私が図面をひけるわけでもなし……協力してくれる職人を探すところからか」
よし押し通した!
時間稼ぎはできた。
しかしイシャン人気だな。孤児院の子供に全裸が人気だ。
子供って好きだよな、こういうヤツ。
人気者イシャンの拷問を見るのもお腹いっぱいなったころ、刺繍の得意なフミーがオレの袖を引いてきた。
「ん、なんだ?」
「ザルガラさま。これ見て」
いつも抱いている人形ではなく、持っていた粗末なハンカチをオレに差し出してきた。
これを受け取ってみると、なんとなく糖蜜の匂いがした。
「新式魔法の刺繍か。よくある耐火の魔法だな。でもこれはフミーの作ったもんじゃないな」
フミーの刺繍は堂に入っている。オレと競える段階だ。このハンカチはいかにも練習中といった出来で、失敗を直した跡などが見える。
「とーみつのある小屋のうらに落ちてた」
「へえ」
「うちのこどもじゃない子が、そこから出ていったっていうの」
「ふ~ん……」
孤児院はちょっと変わった教育も行われており、のぞき見する近所の子供がいるという。そんな子が糖蜜タンク崩壊に巻き込まれたんだろう。
可哀想に、いまごろ糖蜜まみれで親から怒られてるんじゃないか?
同情しながらハンカチを調べる。ハンカチはなにかの切れ端を加工したもののようだ。売られている上等なものではない。刺繍はオレやフミーより下手だが、まあまあの出来だ。
「名前も書いてあるな。ドット。……ドットかぁ~。ありふれた名前だなぁ」
よくある名前だ。ドットとかラインとかスクエアとかキューブとか、古来種の残した言葉由来の名前ではありふれすぎている。この孤児院にはたまたまいないが、区画の子供を集めたら両手で数えるほどいることだろう。
「これだけで探すのはちょっと無理――」
と、思っていたら住所が書いてあった。
古来種時代、この街を区画分けしていたときの住所だ。現在は使われてないが、一部では名残りがある。ハンカチに描かれた記号は、その一つを書き示していた。
今では使われていない数列なので、デコードしてメモを手渡す。
「これは、たぶん南区の……低空飛行船の発着場のあるあのあたりだな。そこでももしかしたら2、3人ほどドットくんがいるだろうが、こいつがあればなんとか見つかるだろ」
「うん、あとで探してかえしにいく」
「ごくろうなこった」
南区へ一人で行かせるわけにもいかないから、誰かについていってもらった方がいいだろう。ウイナル……はちょっと不安だから、事務方とはいえ元巡回兵のグッドスタインか白柄組の誰かあたりにでも頼もう。
「ところでイシャン先輩。原初素衣研究会として、脱毛という行為は素にして原初と言えるのか?」
「っ!!!!!!!」
オレの素朴な質問を受け、イシャンは糖蜜を剥がされる悲鳴ともアイデンティティ崩壊の慟哭ともつかぬ声を上げた。