被害者たちの困った事情
ザルガラ・ポリヘドラがフモセと仲良くケンカを終え、特になんの成果も得られなかったころ。
王都の南側、いわゆる庶民的な家がひしめき合う区画のとある家庭で、一人の少年が父親に食って掛かっていた。
「なんでだよ、オヤジ! 裁縫士も返事くれたって言ったじゃないかっ!」
少年が地団駄を踏み、床板の隙間から埃が立ち上がる。
「お……おちつけ、ドット。もともと決定ってわけじゃなかっただろう? ほかにも話は来ているんだから……」
「ほか? ほかって? そのほかこそ望みが薄いってオヤジが言ってただろ! 裁縫士関係……ここなら大丈夫だって!」
父親は、五人目の息子……末っ子のドットをなんとかなだめようとしていた。
王国の一般家庭で五男ともなれば、もうほとんどいてもいなくても同じである。とはいえ、可愛い息子のため、父親は徒弟としてやっていける働き口を探し出していた。
地区は違うが裁縫士が弟子を取るという話があり、父親は少ない仕事の関係者と交友関係を当たって、なんとか色よい返事をもらっていたところだった。
幸いドットは篤志家の下町を対象とした一斉援助下で、区内の初等学校を卒業しているため、さほど働き口に困らない立場である。そのはずだったが、今回は運が悪かった。
どこかの貴族がコネを使って、ドットの採用枠をかっさらってしまったようだ。
裁縫士を目指していた息子をぬか喜びさせてしまい、かえって残酷なことをしてしまったという気持ちになった。
地下に眠る古来種の遺産、魔具への無尽蔵な供給が行われる魔力プールの再稼働によって景気が良い今、仕事先そのものがないわけではない。
しかし、ドットの将来の夢は裁縫士だ。才能も親のひいき目を引いてもあった。ところが運悪く、枠が埋まってしまった。
だからといってまた来年目指せばいいじゃないか、というわけにはいかない。
区画ごとに数の決まっている街士と、彫金士や裁縫士などの魔法使い補助職である士業職人は採用枠がもともと少ないためだ。
彼が裁縫士になる手段は、実のところまだ残っている。
エンディアンネス魔法学園の魔具製作科への編入などの中途入学と、いくつかの基本的な製作技能を習得できる王国技術大学校への進学だ。しかしそこへ行かせる財力は、下町暮らしのこの家庭にはない。
仕方なくドットの父は、説得で理解してもらうことにした。
「仕方ないだろ、ドット……。こういうのは時の運もあるもんなんだよ……なんていったかな? 最近……そのなんといったか、そう、エン? とかいう――」
「あの人の伝手があるから大丈夫って言ったじゃないか!」
父親の役にたたない言い訳を遮り、ドットは怒鳴りつける。
「すまない、ドット。これはあの方よりずっと上の方から、どうしてもって……」
「ちくしょう……、なんだよ上って誰だよ! 貴族様かよ!」
「まあいいじゃないか、話によると孤児院の子って言うしここは譲ってやっても……お、おい! ドット! どこへ行く!」
父親は殴って怒鳴って誤魔化すような強権を振り回す親ではなった。
それが社会的地位で負けた父親の弱さと相まってみえ、ドットは衝動的に家を飛び出した。無計画な勢いだけの家出だ。
試作の裁縫を施した魔具だけを握りしめていただけなので、夕飯……おそくもいつも寝る時間までには帰るような家出である。
そんな状況でも、勢いがあったためだろうか?
ドットは今まででもっとも遠くに家出をするという記録を樹立した。
南地区から低空飛行船を乗り継ぎ、大きく離れた西地区まで半日かけて移動した。
目的があったわけではないが、ドットの未来を奪った孤児院が西地区にあると聞いていて、勝手に足が向いてしまった。かといって見知らぬ西地区である。見知らぬ道の片隅で、ドットは途方に暮れていた。
少し冷静となり、ドットはぐるりと周囲を見回した。
エンディアンネス魔法学園があるため開発が早くから進んでおり、南地区と比べこの辺りは古臭い街並みだ。それなのにどことなく若々しい。やはり学生がいるためだろうか?
見知らぬ土地を歩き、噴水を見つけるとぐるりとその周囲を回って、ささくれた道の一つを選んで進む。
やがて耳に届く鉄を叩く音。
騒がしいがリズミカルな音と熱に誘われ、ドットは階段を避けて坂道を下っていく。
やがて鍛冶屋街の入り口にたどり着くと、好奇心にかられていくつかの鍛冶屋の看板を眺めて歩く。
「……おれの知ってる鍛冶屋と違うな」
それもそのはずである。南地区など他の地区にある鍛冶屋は、地域に密着した道具家事や野鍛冶だ。武器防具や魔具を製作するここ――鉄音通りの鍛冶屋とは別物である。
やがてドットは煙突と金づちの音に不釣り合いな施設を見つけ、興味を惹かれた。そこからは子供の甲高い声が聞こえてくる。
家出中ということもあり、ドットは大人を避け、子供の近くに行きたくなっていたのかもしれない。
「ここは……」
噂に聞いたあの鉄音孤児院ってやつか、と特に思うところなく裏手に回って中を覗いてみた。
そこは思っていた世界と違っていた。
広い庭の一角で、騎士らしき壮年の男性が孤児たちに剣を教えている。背の低いエルフの少女が教鞭を取り、真新しく綺麗なテラスには石板が並べられ、コンパスの使い方を幼児たちに教えている。裏手には工房が見え、そこではドワーフが少年たちに指示を与えながら木工具製作していた。
「な、なんだよ、ここは?」
ここでは……孤児院ではドットが通っていた初等教育施設より、はるかにすぐれた教育が行われていた。
実際のところは、親や親戚の庇護ないゆえになにがあっても1人立ちできるようにと、手厚く教育されているだけだ。互いに助け合うにしても、孤児たちは行き先がバラバラになりやすい。
結束は強くも、血族とはやはり違うのだ。
「なんだよ……おれより……いいじゃないか」
両親が健在という幸福を忘れ、不満がドットの心の中で膨らむ。
黒い念が渦巻く彼の手には魔具があった。耐熱耐火の新式魔法陣が描かれたハンカチ。火種を包んでも燃えることはない。
これをうまく利用すれば、時間差で発火させることもできるのでは?
悪用方法が脳裏に浮かぶ。
この時のドットの心情を表すならば、魔が差したとしかいう他になかった。
(ここは前に火事なったっていうじゃないか……。それならまた――)
だから火事が起きても不思議じゃない。もしかしたら不始末が多いと、裁縫士の弟子になるという内定が流れるかもしれない……。
非論理的な理屈がドットを突き動かす――。
* * *
「さて、困りましたねぇ」
ベデラツィは商会の事務室で、深く椅子に座り込みながら独り言を呟いた。
このところ上がり調子の彼を、悩ませる事案二つが目の前にあった。
一つは喜ばしい悩み事である商業手形。手形の中でも、特に換金が容易な手形束である。大衆娯楽本程度の厚みの束だが、これだけでかなりの財産だ。
また大貴族が署名してある手形は、別の信用も生み出す。大貴族と直接取引があると、手形という現物が視覚的に証明してくれるからだ。
もう一つは大したことではないが、悪い意味で悩ましい贈り物。孤児院の子供たちからもらった、実にくだらないプレゼントだ。
似ていないどころか、意味もなくまちまちの色でのたくった歪んだ似顔絵とか、素人仕事どころか子供仕事の飾り箱など、ベデラツィにとってはゴミの山である。
仮に、子供たちにとっては貴重な筆記用具を消費し、宝物同然の花紙やガラス玉がふんだんに使用されていたとしてもだ。
「ふう……。こんなもの、誰がもらって喜ぶというんだ?」
社会的な盾となり目くらましとなり、労働力となる孤児とは良い関係を継続したいため、ベデラツィは笑顔で贈り物を受けった。
素体となっている箱は普通の出来だが、外装は紙粘土で無駄にごてごてとなり、無意味にガラス玉が埋め込まれ、花色紙で無秩序に彩色が与えられた箱だ。これを宝箱だといって、子供たちは渡してきたが――。
「ふむ、宝箱…………か」
ベデラツィは一つのアイデアがまとまった。
手形の束を整理してまとめ、ゴミのような宝箱の中へ放り込む。
それを事務用品の並ぶ棚の片隅にスペースを作り出し、そっとそこへ置いてみた
数歩下がって、腕をこまねき眺めてみると――。
「ふむ、悪くない」
満足げにうなずいて言った。
子供たちからもらったガラクタの中に、大切な高額手形が入っているなど思わないだろう。不出来であったため、手形を忍ばせる隙間も多くあった。いざ取り出すときは、叩き割れば手早く取り出せるだろう。
出来の悪い箱だからこそ、悪くないアイデアだ。
「なにが悪くないんですか?」
「おわっ!!」
いつの間にか、事務室の中に真っ白な服を着た人物がいた。白柄組のリーダー、ウーヌ・ヒンクである。
「ななな、なんだね! ど、どうしたのかね!」
「え? ……ああ、いや貯水タンクの修理が終わったんで知らせようと」
作業着とはいえトレードマークの白い服を汚し、ちゃんと仕事を終えたウーヌがいつの間にか報告に来ていたようだ。
ベデラツィ商会は活動を始めて間もないが、借りている建物は古い物なのでいろいろガタが来ている。
白柄組に修理を頼んでいたことを、ベデラツィはすっかり忘れていた。
ウーヌたち白柄組は現在、王都の各所でその白い服を汚して懸命に働き、小さな信用を積み重ねている。
ただ真面目に生きて働くだけでない。時には迷惑をかけた相手へ詫びに出かけ、冷たい対応をされたり痛い目にもあっているようだ。被害者である相手も無抵抗である彼らに暴力を続けて、一転し加害者となって度量の無さを露見させるわけにもいかないようで、いまのことろ白柄組はうまく更生を続けている。
「あ、ああそうか。うん、ありがとう」
「ええ……」
ねぎらいの言葉を受けたウーヌの目線が、ちらりと宝箱へと向けられる。
不思議そうにしていたウーヌが一転し、ニヤニヤとし始めた。
「ああ、なるほど。悪くないっすね」
「な、なにを言ってるのかね?」
手形を隠す様子を見られたのでは? と心配して誤魔化そうと宝箱の乗る棚を身体で遮る。
それを見てウーヌは、子供のプレゼントを大切にしているという事を隠すテレだと判断した。
「いえいえ、何も。ああ、そうそう。ついでなんで糖蜜タンクの方も様子見ておきますか? 使う道具は同じなんで、不具合があったら直しますよ」
ウーヌは得意げにくるくるとレンチを回しながら、糖蜜タンクが収まっている隣の小屋へ指さす。
「いや、入れたばかりで見て調べてみたけど別に不具合は――」
2人の意識がたまたま糖蜜タンクに向いた、そのとき。
バンッ! と何かが弾ける音がして、小屋のドアから糖蜜が飛び出してきた。
補充したばかりの糖蜜は、注ぎやすいように熱せられていた。熱で緩くなっていた糖蜜は、雪崩を打って事務室へと押し寄せる!
「あぶねぇっ!」
あっという間にウーヌが逃げ去り、迷いながらベデラツィは宝箱を引っ掴んで屋外へ飛び出した。
重く粘性のある糖蜜だが量はさほどではないため、小屋のドアを破壊し、裏庭と事務室を汚損させるだけで済んだ。
開け放たれたままの事務室を眺め、なんてことだとベデラツィは肩を落とした。
その手には幸い、大きな財産である宝箱が握れている。
手形の入った箱に目を落とし、ベデラツィはせめてこれは無事だったか……と安堵のため息をついた。
一目散に逃げ出したがバツが悪そうに戻って来たウーヌと、騒動に気が付いてやってきた孤児たちが数人が商会を覗き込む。
そこには落胆しながらも、宝箱を見て微笑むベデラツィがいた。
「うわっ! なんだよこれ! ハチミツか?」
「これはとうみつっていうんだよ!」
「ぐちゃぐちゃだよ、これ掃除するの大変だなぁ」
「あ、それたからものー」
「へぇ……」
商会事務所の惨状に最初は驚いていたが、宝箱を大切に抱えるベデラツィを見つけ、ウーヌはニヤニヤと笑い出し、子供たちは目を輝かせた。
「たいせつにしてくれてありがとー」
「ありがとー!」
子供たちは何を勘違いしたのか、もっとも大切なものとして宝箱を持って逃げ出したと勘違いした。
その中に彼が大切にする手形……本当の宝が入っているなど、純粋な子供たちはつゆほども思わない。
「あ、いや、その違うんだが……」
否定して手形が露見しても困るのだが、ベデラツィはつい違うと言ってしまった。
だがどうする?
手形が入っているなどと口が裂けてもいえないため、言い訳が続かない。
「いやいや、照れないでくださいよー。見てましたよ、棚に飾って満足げに見てたの」
「な! ば、ばか! そんなことはない!」
ウーヌが突如、暴露した。手形の話を隠してくれるのはいいが、もしかして手形を隠すところをやはり見たかのかと、疑うベデラツィは慌ててしまった。
「ほんとー?」
「へへー、いいもんねソレ」
お世辞にも出来のいい宝箱でもないソレを、いいものという子供たち。
「ベデラツィさん。それって飾りは下手でガキっぽいけど、箱そのものは良くできてるでしょ? それ、オレ俺が作ったんスよ」
なぜかウーヌも嬉しそうだ。
「そんな情報はいらないんだが……」
「いやぁ、はははっ。なんか俺もうれしいでッスよ。それを大切にくれるなんて」
「ちーがーうーのーだーがーっ!!」
宝箱を大切に抱え、叫ぶベデラツィに説得力は全くなかった。
* * *
「くそー、ひどい目にあったぜ」
糖蜜に汚れたドットが、ふらふらと路地を歩く。甘い匂いに驚いて通行人が数人振り返るが、子供がお菓子でも食べているのかと思ってすぐに興味を失って去っていく。
火種を用意して、放火をしようとした瞬間。彼の背にあった小屋の窓から糖蜜が飛び出して、彼は慌てて逃げ出した。火は糖蜜の中に飲み込まれ、念入りに裁縫を施したハンカチも失われた。
ドットはひどい目というが、犯罪を犯さなくて済んだのも事実であり、見方を変えれば運も良かった。
続く運は、悪いのか悪くないのか――。
「やあ、ドットくん」
見知らぬ土地で突然、名を呼ばれたドットは跳ねるように驚いた。家出中とこともあり、見つかったという気持ちも大きかった。
「あ、ああ。ロ、ローラードさんですか」
ドットの就学資金を援助してくれた、ローラードという事業家だった。メガネとちりちりの髪が特徴的な中年男性で、南地区だけでなく各所で商売をする顔の広い人物だ。
「ところでドットくん。どうしてここに?」
「い、いえ、その友達の家にちょっと……」
南地区に住むドットに、西地区の友達がいるわけがないのだが、思いつきの言い訳を口にした。
「ふうん、そうか……。ところで話を聞いたんだが」
つたないウソで家出がバレてしまう――いや、そもそも話とは家出の話かと思ったが、ローラードの言葉は意外なものだった。
「ひどい話じゃないか。いくら人を育てるとはいえ、建前を優先してごく普通の家庭の子をないがしろにするなんて。ドットくんは優秀なのにねぇ」
「え? あ、はい」
反故にされた弟子入りの話だった。ドットは安心しながら、改めて現実を思い知らされて消沈する。
そんな少年の見下ろし、ローラードはにやりと悪意を秘めた笑みを浮かべた。
「……ところでこうは思わないか? 古来種様がいらっしゃれば、と」
「え?」
意外な話にドットはハッと顔を上げるが、そこに悪意の笑みはすでにない。
「古来種、様……ですか?」
歴史の遺物に触れることがいい魔法使いや冒険者でもドットにとって、古来種様などおとぎ話だ。
「そうだ。1万年前のように、みなが等しく古来種様の使用人。富かつ貴きもない。平等な世界。いいと思わないかね?」
平等という誘惑がドットを捉える。眉間にしわを寄せながら、ローラードの言う世界を想像してみるドット。
脈ありと判断したローラードは、さらなる言葉を叩きつけた。
「そんな夢のような世界を目指すいい組織があるんだ。君も入らないか? 招請会統合派【終焉開発機関】に」
ローラード「友達だって一杯できるぞ」
ザルガラ「友達がいっぱいだって!」ガタッ
ローラード「え? だ、誰、キミ?」
ザルガラ「いいから説明しろ!」ドンッ!