日常に潜む闇 1
『オティウムさまー』
オレの肩で踊っていたタルピーが、朝帰りしてきたオティウムを見つけるとその胸へと飛び込んでいく。その姿はとてもうれしそうだ。
飛んで行った小さいイフリータの背を見つめ、朝の茶を飲むと少し寂しく感じられる。いつもオレにべったりだったタルピーが、最近すっかりオティウムの虜だ。
上位種としてデザインされた彼女は、もともと古来種の支配を受けた存在である。たぶん古来種であるオティウムの力に、支配され……てるような姿には見えないな。
どちらかと言えば、子供が母親に甘えている様子に見える。
『ザル様、大丈夫。わたしがいる』
「ディータはオレから離れられないだけだろ」
『……そうともいう』
右肩に居座るディータが慰めてくれようとしたが、残念ながら悲しい事実を知るオレには通じない。
普通の男子ならば、お姫様と離れられない運命なんて嬉しいだろう。しかし、そんないいもんじゃない。
とにかく早くディータとは離れ離れになりたい。
別にディータのために、自由になる肉体をあげたいというわけじゃないぞ。オレが自由になりたいからだ。
タルピーは最近、エト・インやオティウムの方へ行くし、ディータがいなければオレは自由に1人を満喫できるんだよ。
決して、ディータのためじゃない。
「おはようございます。婿殿」
「あん? 古竜の洞窟で婿生活するつもりはないんだが?」
オティウムの穏やかな挨拶に、不機嫌を山盛りにして返す。
万が一にも、あのマザコン古竜という舅との同居生活など、心底本当に勘弁願いたい。
「そうね。そういえば、習わしだけのお話でしたね。ふふ、残念ね」
「とぼけた振りして、オレの本音を探ろうっていうんだろ? ふん、狡いね」
目の前のオティウムしかり、孤児院の男誑しアマセイしかり、どうもこういう手合いは肌に合わない。アマセイはまだそういう生き方しかできなかった、という意味で理解できなくもないが、オティウムは古来種かもしれない存在だ。
そんな生き方しなくても自立できるだろうに、なんでそう男に取り入る手を使う?
……男っていっても相手は、古竜か。これはこれで事情が違うな。
「ザッパー……おはよう……ぎゃぁおぅ……」
「ああ、おはよう」
オティウムに続いて寝坊した破棄予定の婚約者エト・インが、眠気まなこをこすりながらテラスに出てきた。
この古竜の娘は、最近オレをザッパーと呼んでくる。ザルガラとパパが混じったようだ。
しかしまあ、人前でパパと言われるよりは、ザッパーは愛称ぽくてまだいい。
『エトおはー』
「おはー」
タルピーとエト・インが軽い朝の挨拶を交わした。
これを見てオレは改めて思う。やっぱりエト・インの精神は、竜の気質に大きく傾いていると。
タルピーがオティウムに抱き着いているのを見て、エト・インは特に反応を示さない。自分の母親を取られているようなものなのに、嫉妬などの様子を見せない。
もちろん、あとでエト・インはオティウムの胸へ抱き着きに行くのだが、それでも子供特有といえる肉親への強い独占欲がないのだ。
親子の情が薄い。
あの「信頼の証」とかいうつるつるだっことかいうのも、そんなことを繰り返さないと、どんどん冷たく心が離れてしまうからかもしれない。生来の気質とはいえ、思えば可哀想な生き物である。
だが逆を言えば、オレに懐いたエト・インを引き離したとしても、それほどひどいことにはならないということだ。2年の形式だけ終えれば、婚約破棄楽勝か。
寂しいような、気楽なような、うれしいような、微妙な気持ち……いや寂しくない。
「ザルガラ様」
小さなエト・インに続いて、女性としてはやや大柄なポリヘドラ家の騎士兼メイド志望のティエがテラスに現れた。朝食はとうに済んでるので、なにか用事だろうか?
「本日の予定をうかがっておりませんでしたので、確認をさせていただきます。アザナ様のところへ行かなくても、よろしいのですか?」
馬車の用意の都合があったのだろう。馬車なんて嫌いなんだが、ベデラツィ商会が納入してくれた馬車が立派なので、ティエやら家令のマーレイやらその他の使用人が、舞い上がってその馬車をオレに使わせようとしている。
御者の給金はベデラツィ商会持ちなんだから、貧乏性みたいにそんな無理やり使わなくても……って金の出所をいちいち考えるオレが貧乏くさいな。
「今日は孤児院に行く。あー、アザナのヤツはオレに人工琥珀の作り方教えてから、なんかオレを避け……じゃない、忙しいそうでな。アリアンマリとどっかに行ってるらしいぜ、ってなんでそこでアザナが出てくる?」
「いえ、ここ数日、あまりアザナ様と会ってないようなので心配に……心配になりまして」
「心配って2回言うな」
ティエが目を伏せて、ことさら心配そうに言ったの突っ込んでおく……いや普段から目を伏せた感じで、前髪に隠れているが、なんとなくそういう仕草をしたとわかる。
「せっかくできた友達なのに、疎遠にならないかと心配で」
「しつこいな……。ちょっと会ってないだけだろ! あとまだペランドーとか、ほらあとイシャン先輩とかなんかいるし」
心配アピールを繰り返すティエに、心配ないアピールするオレ必死すぎる。
落ち着け、オレは冷静。客観的に見て、かっこ悪いので座りなおし、お茶をゆったりと飲み干す。
「きょうは、なにしてあそぶの?」
エト・インが椅子によじ登り、テーブルの上に上半身を乗せる。オティウムは娘の不作法を、自然な動作で正した。この辺りにただの古竜の妻と思えない何かがある。
古竜の妻が、「ただの」ってこともないが。
「ねぇねぇ、なにしてあそぶ?」
オティウムの誘導で、椅子に座り直したエト・インが再びオレに訊ねてくる。王国の使う暦を丸暗記して、学園が休みということを知ってるので、コイツもなかなかにしつこい。
「悪いが今日は用事があってな」
「よーじ?」
「今日は孤児院に行く予定だから、オマエとのあそびは無しだ」
「こじいん?」
「そ、孤児院」
「こさいん?」
「なぜ余弦になる」
「こじいんってなぁに?」
『なーに?』
エト・インが首を傾げる。隣りでオティウムに抱きかかえられたタルピーも首を傾げた。
孤児院の説明を求められるのは何度目だ?
タルピー。オマエは何度も孤児院に行ってるだろ?
「孤児院ってのは、パパやママがいない子供たちを、保護して守って食事を与えて育てて、簡単な教育するところだよ」
オレは孤児院について、簡潔に説明した。もともと地頭のいいエト・インなら、これで納得してくれるだろう。
「ぎゃお? ……みんなママがいない?」
目をまんまるくして、エト・インが尋ね返す。
「そうだ」
「パパがいない?」
「そう」
エト・インのような情の薄いトカゲの親分である古竜でも、育ての親がいないことが驚きになるのだろう。
古竜は子育てするし、親が子を育てられない環境に違和感を――。
「うわきで、かていほうかいなの?」
「おーい、オティウムさん! あんたン家の家庭事情どうなってんの?」
とんでもエト・イン発想なので、保護者オティウムに話題を振る。
そういや初めてあった時にも、そんなこと言ってたな。浮気が日常なのか、古竜世界。
「妻と娘を簡単に預けたり、プレイ内容から察してください」
「あー、察した。というか子供の前でプレイとかいうな。いやオマエラのプレイとか興味ねぇから」
「あら」
あらじゃない。あんまり深く突っ込んでも子供の手前マズいので、エト・インには孤児院への勘違いを訂正だけをしておいた。
『パパとママがいないなら、あたいも孤児だね!』
なんで嬉しそうなんだよ、タルピー。
……笑えねぇよ。
* * *
結局、オレは徒歩でティエと出かけることになり、エト・インたちは遅い朝食をとってから馬車で孤児院に来ることとなった。
ティエは荷物持ちであるが、特に荷物はない。孤児院へのお土産くらいしかない気軽な外出である。
あいもかわらずディータはふわふわとオレの頭上にいるが、街を物珍しく眺めることはなくなった。だいぶ慣れてきたのだろう。
いずれはこの石畳の上を歩かせて、人と同じ目線で王都を見せてやりたい。
タルピーは……オティウムにべったりでここにいない。最後は裏切るんじゃねーか、アイツ。相棒だと信じてたのに――。いやまだ信じてるけどね。
残った裏切りのタルピーに腹を立てていたら、オレと同じように孤児院へと向かうペランドーを発見した。
鉄音通りの鍛冶屋の息子であるペランドーは、露店で船菓子と呼ばれる庶民的な菓子を購入してる最中だった。
「よっつ! よっつください!」
「ふたつで十分ですよぉ」
「よっつ……あ!」
「よう、ペランドー! うまそうだな。オレにもくれよ」
少しでっぷりしたペランドーの背に寄りかかり、肩越しに船菓子を一つ奪い取る。左手はフェイントで、右手で獲物を奪うという高等テクを披露までしてやった。
「あっ! ひどいよ! ザルガラくん!」
普段はおとなしいペランドーが、やめてくれと抵抗したが、すでに船菓子はオレの手中である。食べ物となると事情が違うようだ、さすが食いしん坊。でも、よっつは多い。ひとつはオレが貰ってダイエットだ。
船菓子とは、小麦を溶いて焼いた皮を船に見立て、赤エンドウ豆を詰めて黒蜜を垂らした庶民的な甘味である。貴族子息ながら、オレはこの塩気のある赤エンドウ豆のぼそぼそ感と黒蜜が好物で……。
「あ、これ白蜜じゃねぇーか」
一口食べて落胆した。
つまらないところを高級にしてやがる。南方のエイスター連合産黒蜜にしろよ。
「勝手に食べて、勝手に文句いうなんて本当にひどいよ!」
「わはは、わるいわるい。後でアイデアルカット印の菓子をおごってやるから」
最近、王都に出店した商売好きの公爵様の菓子店アイデアルカットジェリー。アザナがアイデアを出し、ユスティティアの父親が出資し製造販売されている、およそ「この世の物とは思えない」お菓子の数々。
宝石の取り扱いで有名なアイデアルカット公爵らしく、見た目も楽しめる宝石のような菓子から、素朴な外見に似合わず口の中で繊細に輝く美味な菓子の数々で、天下に名を轟かせている高級菓子の店だ。
「え? ほ、ほんとう! こ、これはつまらないものですが!」
庶民では到底手が届かない菓子店の名を聞いて、ペランドーは献上品とばかりに残りの船菓子を差し出してきた。
「いらん、いらん。それはオマエが食え」
黒蜜ならもらったがな!
などと、ペランドーとのくだらないやりとりをティエとディータに暖かく見守られつつ……なんで鼻息荒いんだよ、ディータ。とにかくこうしてオレたちは鉄音孤児院へ向かう。
「これからどんどん寒くなるっ!」
道中、通りの隅で演説する男の声が聞こえてきた。
「この寒さは一時的じゃない! どんどん寒くなるっ! しかし、安心するのだ! われわれを暖かく導く古来種様が再臨される! みなのもの、謙虚になり待つのだ!」
演説はどうも空回りしているらしい。あまりうまくないし。
物珍しさから立ち止まる人もいるが、大体の人は無視して通り過ぎている。
「最近、多いよね……。巡回兵の人を呼んでも、あんまりおっぱらってくれないんだよ。ひどいよね」
庶民であるペランドーは、オレよりよく見かけているのだろう。古来種再来を待ちわびる、あの集団を。
下手な騒音に辟易としているのだろう。
オレは友人の愚痴に付き合う。
「ああ、招請会だな。オレの方からも言っておくか。巡回局とか騎士団に」
「たしか【週末の予定機関】だっけ?」
「【終末開発機関】な」
『【終焉開発機関】じゃないですか?』
そう、それな。
ペランドーの覚え違いを訂正しておきながらディータに突っ込まれつつ、オレはふと妙なことに気が付く。
「……おかしいな。あいつらって、そんな活動活発だったっけ?」
オレは未来から戻ってきている。10年後からだ。
【終焉開発機関】などという立派な名前だが、お前らがもう終焉だろと揶揄されるほど弱い組織だったはずだ。巡回局だってお目こぼしをしてた、という意味で積極的に取り締まりしていなかっただけである。
少なくても、活発な活動をしていた記憶はオレの中にはない。
古竜の騒動から確実に感じていることがある。
古来種に関係する事柄で、大きく歴史が変わっている。オレが原因だろうが、オレの責任ではない。
だが、気にかけて置いたほうがいいだろう。再来する古来種は、アザナと敵となる存在だ。
オティウムを監視しているのだって、そういった理由がある。もしかしたら、あのマザコン竜に会いに行く振りをして、【終焉開発機関】に接触してるかもしれない。
そう思って対処したほうがいいだろう。
いや、あの古来種らしきオティウムだけに注目するのは危険か。あらゆる可能性を考えないと。
「……いったい誰が協力して資金でも出してるのか?」
オレの独り言は、ペランドーの同感を得ただけで答えはまだ出ない。
仕事の都合でネット環境に不都合が出ています。
一週間ほど感想返しが滞りますが、あとでまとめて対応させていただきます。
追記
執筆はできるので更新はできます。