男の信用
鉄音通りから一本横道に入った元倉庫現孤児院の裏手で、隠れるように開業するベデラツィ商会。
経営者は違法な薬を販売しているつもりなので、その入り口は非常にひっそりとしている。
薄暗い店の奥、その地下、また奥で、商会の主であるベデラツィは商売を放棄するため、資産をまとめていた。
「まさか、レオ・マフィアが出てくるなんて……」
ベデラツィは取りあえず持ち出せる財産を、引っ掴みバッグに突っ込みながら呟く。
「ザルガラがいないときに、手を出してくるなんてなんてやつら……。いや、いないからか」
ため息をつきながら、それでもいままでよくやれたと内心では満足していた。
外部に貯めた金や隠した金もある。しばらく金には困らない。充分、元は取った。むしろ想定以上に儲かった。
後ろ盾が水軍に呼ばれ、王都に不在。ザルガラがいなければ、治安組織に渡りをつけるのも難しい。脛に傷を持つベデラツィは、間接的に味方とわかっていても巡回兵に助けを求めることができなかった。
「しかし、ちゃんと各所に話をつけておいたのに……いきなりなんで? というかなんであいつら出てきたんだ? あいつらは富裕層の社交サークルの元締めだろ!」
レオ・マフィア。
王都でも富裕層へ利権を食い込ませている団体である。社交サークルを活動の隠れ蓑にしているが、とにかくいろいろまともな連中ではない。
レオ・マフィアと揉めた組織は、みな彼らの狂気をまず語る。
彼らはその悪評に反して、どういうわけか一部の富裕層から受けがよい。貴族などのスポンサーはいないが、資産家がレオ・マフィアのバックについている。
ベデラツィは王都に存在するさまざまな組織に、金銭や利権にといろいろ配慮を重ねてきた。
敵対しないまでも、活動のお目こぼしを貰うためだ。
薬品製造を主とする錬金術師組合からは、高めに試薬や材料を買い付け、段階的に痩身薬を卸す契約をしておいた。付きあいで、売れもしない薬を商会で扱う商品として購入したこともある。
ウイナルはその売れない薬を、挨拶代わりにとばら撒いていた。
「そう……そうだ! ウイナルだ! あの野郎が……」
荷物を抱えながら階段を昇り、ベデラツィは共同経営者気取りな営業のウイナルに悪態をついた。
ウイナルのずうずうしさは販売に必要な才能だが、行き過ぎると面倒を購入してしまう悪癖だ。
「どうせあいつが勝手に販路を広げようとして、レオ・マフィアの縄張りに入り込んだんだろう!」
あながちベデラツィの推測は間違いではなかった。
ウイナルは自分の取り分を抜くため、販路を勝手に広げていた。それがレオ・マフィアの癪に障ることになった。
だが、ベデラツィに責任がないわけでもない。ウイナルの手綱を握らず、その能力に頼った事。そしてなによりレオ・マフィアの「利権」を詳しく調べなかった事。これらには多大な責任があった。
ベデラツィはいら立たしく地下室の扉を叩き開けた。
「……その結果がこれか」
その結果が、レオ・マフィアからの脅迫だ。
ウイナルの営業について回っていた孤児のバトが、レオ・マフィアに捕まってしまった。
しこたま痛めつけられたウイナルはとっとと逃げ出してしまい、孤児院へバトを預かっているとレオ・マフィアから連絡があったわけだが……。誘拐犯であるレオ・マフィアの言い分は、「こちらで迷子になって汚れていた子を保護し、着替えさせて暖かい食事をあげて迎えを待ってますよ」なのだが、明らかに「返してほしかったら……わかってるな?」という脅しだ。
「相手が悪い……」
多少は魔法の才と腕に多少覚えあり、というベデラツィだが、レオ・マフィアはそこらのチンピラとはわけが違う。
「さて後は逃げるだけ……」
取るものもとりあえず商会の裏口から飛び出すと、目の前へ縛られたウイナルがべしゃりと倒れてきた。
「ウ、ウイナル!」
逃げたはずのウイナルが、なぜか捕まってここにいる?
まさかレオ・マフィアがここに来たのか! と、ベデラツィは身構えた。
「この腰抜けのへなちょこ野郎っ! 面倒みてる子供を置いて逃げるなんて、とんだ見下げた男だぜ……おや? ベデラツィさん。どうなさったんで?」
縛られたウイナルへ、どうしたと問う前に、白い集団が逃げ腰のベデラツィに声をかけた。
白い集団は士族六派の元不良。白柄組リーダーのウーヌ・ヒンクだ。今は白いコートではなく、白い作業着姿である。
逃げ出すところを見つかってしまったと、ベデラツィは身構えた。
「そんな荷物も抱えて……まさか」
怪訝な顔をするウーヌは、身構えるベデラツィを指さし眉を顰める。
「え、あー……その、こ、これは……」
まずい奴らに見咎められた……と、ベデラツィはうろたえつつ必死に言い訳を考える。ウイナルをひっ捕らえたウーヌたちは、孤児院の女管理者アマセイのために子供を連れ戻すため、商会の2人をレオ・マフィアに引き渡すかもしれないと身を固くした。
「それは身代金ですかい、ベデラツィさん!?」
「へ? あ、ああ」
ウーヌの早とちりに、ベデラツィは思わず生返事をしてしまった。
「さすがベデラツィさんだ。このウイナルとは違う」
「だ、だまされるな! ベデラツィだって逃げるつもりだったんだよ! みろ、あの目を! 逃げる目だ!」
「うんなわけあるかよ、逃げのウイナルさんよ。見てみろ、ベデラツィさんが持ってるあの手荷物程度のバッグ。お前みたいに一切合切持って逃げる姿とはぜんぜん違うだろうが!」
「そうだ、そうだ。商会の資産はみんな置きっぱなしじゃねーか」
屋内を覗いた白柄組のメンバーはそう断言したが、商会内を綺麗にしておいたのは、逃げ出したと思わせないように、少しでも追跡を遅らせるためだ。
それに普段から後ろ暗いので、外に隠し資産があるのだが――と、ベデラツィは言えない。
「ベデラツィさん。今回は、オレらが出張ってやりますんで、安心してください!」
ウーヌはなぜか胸を張っていった。その手には彼らの代名詞となっている、白柄の剣が握られていた。
「おう! いくぜ、みんな! アマセイさんトコのガキンチョに手を出したことを後悔させてやる!」
「だなっ! へっ……レオ・マフィアがなんだってんだ!!」
よく見れば白柄組の全員が、剣を携えている。
どうやら彼らはレオ・マフィアと一戦を構えるつもりらしい。
「任せておきな、ベデラツィさん」
「久々に暴れてやりますぜ」
「おう! 士族六派白柄組! いまだ健在ってことを、王都の連中に見せてやる!」
「このところ舐められぱなしでしたからね!」
「ここらで俺らの力を見せてやらねーとな!」
――悪くない。
ベデラツィは白柄組の行動を喜んだ。彼らが騒動を起こしている最中に、逃げ出すほうが効率的だろう。隠し資産をゆっくり運び出せる。
勝手に盛り上がる白い集団。そんな彼らを冷静に見ながら、ベデラツィはどこで抜け出すかを考え始めていたら……。
「なあぁぁにしてやがる! かぁ~っ! こんのバカどもがっ!!」
白柄組の気勢を吹き飛ばす、乾いた怒鳴り声が飛んできた。
その場にいた全員の視線が声に主に飛ぶ。
初老の男がそこに立っていた。
河港の荷卸し労働で鍛えられた筋肉と、太い口髭と眉が特徴的な親方がそこにいた。
「お、おおお、親方っ!!」
「なんでここに!」
「ばぁ~っきゃろぃ! あぁんだけ大騒ぎでウイナルのヤツ探してたら……あっ、掃除もしてねぇ詰まった耳の穴ン中にも聞こえてくらぁっ、へっ! こんチクショウッ!」
のっしのっしと歩いてきた親方は、白柄組の面々たちの頭をポカポカと殴りつけていく。
「まったく……。すぅぇっかく貯めた、まっ……正直てぇいう信用を、捨てた暴力ってぇ昔の信用を振り回して、え、叩きつぶすつもりか、この脳無しがっ!」
「え? あ、はあ」
叩かれた頭を撫でながら、ウーヌを始め白柄組を理解できないと目を泳がせている。
「お前らは最近、真面目にやっとるな。 つぅことは、だ。おめぇらのことを、なめてかかる奴らもいるだろう? 足をあらったこいつらはもう腰抜けだ。自分の居場所を守るため、もう暴力なんて振るってこねぇだろう。つぅことを考える奴らが」
「は、はあ」
確かにそうだが、どういう話なのだろう? と、白柄組の面々は互いの顔を見合わせる。
「だがな、なめられる……って、それもぉまた一つの信用だ。もうむやみに暴力は振るってこないだろう、ていう信用だ。これも信用ちゃぁ信用。だから、お前らを受け入れてくれる大人がいる。いいか? そういう大人はな、おめぇらをなめてるんじゃねえ。信用してんだよ。暴力を振るわないって、安心して信用してんだよ。たしかにまあ……そりゃぁまだ信用してない奴らもいるだろぉが、それはそういうもんだ。お前らは信用を一つ、やっと積み上げたばかりだ。信用してねぇやつがいてもしかたねぇ。吹けば飛ぶような信用だが……おめぇらが暴れたら、あ、こりゃ吹っ飛ぶどころか、暴れる奴らって信用がまぁた増えちまうだろうが! もう次の真面目を積んでも、信用はされねぇぞ?」
「…………」
白柄組の若者も、何人か察しのいい者は親方の話に合点がいったのか、神妙にうつむいていた。
「大人ってのはぁなぁ、良いも悪いも、きれいもきたねぇも、人さまから頂いた評価ってのを一つづつ積み上げていくんだよ、わかるかぁ? そいつが石ころになり、やがて岩みたいに、ついにはやっと山ぁみたいになり、どしぃっとした誰が押してもびくともしない本物の信用ってモンになるんだ。それが社会では力となる。それが大人の力だ。だから今から、この俺様のぉ積み上げてきたぁその信用ぉってのを見せてやる!」
「は、はい!」
任せろと親方が胸を叩くと、白柄組の面々が背筋を正した。
「おう、ベデラツィさん。悪いがあんたにも付き合ってもらうぜ」
「え? ……え?」
なんだかわらからないうちに、なんだかわからない男の意地と信用と汗が飛び散る鉄火場に、連れて行かれることになってしまった。
「ど、どうして……。私はいらないのでは?」
「なぁに言ってんだ、ベデラツィさんよぉ。保護者つってもぉ、あ、女のアマセイさんはつれていけん。なら、ガキの保護者はアンタだろ? 俺様たちじゃ、あ~、ガキも安心できんだろうさ。お、そうだウイナル。お前もこい」
こうしてベデラツィは、やたらと盛り上がった男の集団と共に、行きたくもないレオ・マフィアの拠点へ向かった。
* * *
王都の平民区画でも、富裕層が集まる場所がある。
木々の多い貴族たちの住む区画とは違い、どことなく狭苦しい。路地に面して庭のない大きなお屋敷が自己主張してひしめき合っているためだ。
その一角に、悪名高きレオ・マフィアのマンションがある。
白い外壁に派手に真鍮装飾が取り付けられた趣味の悪い5階立てだ。
その最上階で、レオ・マフィアの幹部たちが集まってベデラツィと親方、そして白柄組の面々を出迎えた。
「よーーーーこそっ! みなさまがた! 健康と輝く汗と爽やかな笑顔の殿堂へ!! さぁーどうぞ! そちらにお座りください!」
まあるい丸い笑顔の男たちが、汗と振りまき足を高く上げて歓迎の声を上げた。
レオタード姿でっ!!
マフィアの幹部たちはみな、レオタードと呼ばれる身体にフィットしたぴっちりタイツを身に着けている。そんな恰好で男性が足を上げたら、男性自身が主張してやまない。
しかも汗でぴったりのレオタードだ。なおのこと強調している。なぜ、彼らは待っているだけで、汗だくになっているのか?
「皆さんが来る前に、一汗かかせていただきましたよ! はははっ!」
流れる汗も拭かず、レオ・マフィアの幹部たちはソファに座った。
なぜ人を出迎える前に、一汗かいているのか?
それを問うと、彼らは関を切ったように我田引水して、自己主張が立て板に水を流すごとく、洪水となって止まらなくなる気がしたので、ベデラツィは鉄の意志を口をつぐんだ。
とにかく目と精神に悪い。
「だから……いやだったんだ……こいつら」
ベデラツィは小さくなって頭を抱えた。
悪名高きレオ・マフィア。
その正体は社交界の健康サークルである。
富裕層の不要な脂肪を、健康的に燃焼させようという団体だ。
一見するとその姿格好はともかく、これはこれでまっとうな組織に思える。だが、それは早計である。早合点である。彼らの苦行ともいえる過激なダイエット方針を聞けば、誰もが慄くことだろう。
噂では熱した油風呂とかいう、苦行というより拷問か処刑のようなダイエットまであるらしい。あくまで噂、だが。
とにかく各方面に過激な団体だ。
女性のアマセイがいなくて本当に良かった。
レオ・マフィアの幹部たちのぴっちりレオタードから目を逸らしつつ、ベデラツィはそんなことを考えた。
「おい、あんちゃん。ガキはどうした?」
ソファの真ん中にどっかりと座る親方が、まず孤児院のバトの安否を問いただした。
「ええ、迷子の彼はちゃんと預かっておりますよ」
タンッ! とマフィア幹部の1人が、まっすぐ跳ね飛ぶようにソファから立ち上がって、顔の横でパンッと大げさに手を叩いた。
その音を合図として、隣りの部屋から1人の男がバトを連れてくる。
「う、うわぁ……や、やめてくれぇ……、見るなぁ……」
「ああっ! バトッ!」
「バト! なんて姿に!」
白柄組の面々は、バトの悲惨な姿に腰を浮かせた。
哀れにも少年バトは、ぴっちりしたレオタードを着せられていた。
思春期の少年には残酷な仕打ちだ。孤児院男子全員の憧れの的、アマセイがいなくて本当に良かったとベデラツィは同情した。
騒然とする白柄組に対し、親方は冷静に、そして低く唸るように声を出した。
「さぁて……で? あんたらの要求はなんだい?」
「ええ。これを期にして、あの無粋な痩せ薬を扱うそちらの方々に、うちの正しく美しい伝統的な健康的な痩せ方を理解していただきたいのですよ」
幹部たちの視線と悪意を浴び、ウイナルがびくりとした。
彼らの収入源は痩せる技術を提供することだ。確かに仕事はかぶっている。
しかし彼らが相手しているのは富裕層とはいえ、その富裕層はベデラツィが痩せ薬を売りつけている貴族様ではない。商家や資産家など相手だ。売りにして狙っている効果は同じだが、顧客層が違う。
「ふふふ……。最近、私たちの顧客の間で、あなた方の薬が話題でしてね……」
彼らの説明によると、貴族や富裕層では最近、とても珍しい菓子や料理が人気となっており、それに伴って手っ取り早く痩せられるベデラツィ商会の痩せ薬が話題となっているという。
苦行ともいえるレオ・マフィアの痩身健全?プランから離れ、易きに流れる顧客たちの態度に、彼らはいら立ちを覚えていたのだ。
彼らの悪意を察し、ベデラツィも内心では動揺したが、親方を信用して静かに待った。
その信用に応えるかの如く、親方が切り出す。
「ほぉう。この俺様には用はねぇってわけか? のわりにゃぁこうして歓迎してくれてるようだが?」
「いえいえ。なにしろ、河港組合の親方さんがいらしたら、そこは無碍にはできませんので……」
レオ・マフィアも門前払いできない。これが信用を背負って社会の生きてきた男の力か、と白柄組は唸る。
「しかしながら、ベデラツィ商会の方々には、どうしてもうちのプランを体験して頂きたいものです!」
苦行と噂されるレオ・マフィアの痩身プラン!
体験と称して拷問をする気かと、ウイナルとベデラツィは身を強張らせた。人質を取って拷問し、どちらが優位かを知らしめるつもりなのだ!
あのレオタードを着せて!
あんなレオタードを男に着せて、なにが楽しい!?
「いえいえいえ、申し出はその、なんですが、わたくしたちはこのように痩せてますので」
「さ、最近は腹も出てきたが、酒はやめよーかなーって思ってたんだ。大丈夫、大丈夫!」
ごめん被ると、ベデラツィとウイナルは、必死に両手を振って差し出されるレオタードを断る。
「さあ、そんなことをおっしゃらずに。迷子になっていた子供に、我らがレオ・マフィアのプランはちょっときついでしょう? だからあなたたちが代わりに……。きっと輝く汗を見て、見失っていた新しい自分を見つけられますよ」
かえって見失う。見つけてしまったら、戻れない。
ウイナルとベデラツィは必死に断る。
「汗は輝かないって! 俺たちおっさんの汗なんてレオタードに吸われて、ベタっと汚れるだけだって!」
「わたし、かかりつけの医者に辛い物とレオタードは、心臓と脳と将来の妻に悪いからと止められてるんです!」
「そう遠慮なさらずに。ただで帰っていただいては、当方の面目丸つぶれです。せっかくきていただいたからには、ひとつは体験していただかないことには……付き合いだと思って。汗は社会の潤滑油ですよ」
「わたしの知ってる社会に、そういう潤滑油は必要ないと固く信じております」
「汗が潤滑油になったら、そのレオタードがズレるだろ……」
「……ええ」
「それはやだな……」
「ベアリングのタマが汗で滑って出るってことか……」
ウイナルの冷静な指摘に、ベデラツィと白柄組が動揺する。
「実際は汗でまとわりついて、あそこにやんわりぴっちりフィット感が、ピッチリ強めフィット感となりますので、その心配はございません! さぁっ!」
「待ちな!!」
ついに親方が割って入った。
余裕を見せていた幹部たちも、親方の態度に警戒する。
「この俺様を無下にできねぇっ……てなら、だ。まずはその伝統的な、つぅ~痩せ方ってのをこの俺様が、あ、試させてもらおうじゃねぇか」
「え? あー構いませんが……」
幹部が目くばせすると、マフィアの構成員がぴっちりレオタード姿で、きびきびぴちぴちと準備を始めた。
あっという間に応接室の中央に、窯といびつな底をした鍋が用意された。屋内で窯はどうかと思うが――、一応は排煙が考慮されている。
まさかアレが油風呂? と、ベデラツィが戦々恐々したが、よく見ると鍋には白い固形物が平らに収まっていた。
「これが我がマフィア名物! 蝋を満たした鍋風呂! 蝋鍋風呂です!!」
「ロ、ロウッ!」
「あの白いのは全部が蝋なのか?」
白い集団が白い物体の正体を知って、顔面を蒼白にさせた。
「まあ我々にとってこの痩身プランは遊びみたいなものですが、まずはあの上に座っていただき、下で火を焚きます。するとだんだんと蝋が溶けて……」
幹部が説明しながら、耐えられまいというあざけりの笑みを親方に向けた。
「さらにとっぷり浸かったところで、冷却することにより蝋が固まり、固めフェチにも対応してます」
「なんだよ、固めフェチって」
ウーヌが動揺しながら聞いた。しかし幹部は首を振る。
「それは我がマフィアでも、まだ未対応の分野ですのでいずれまた……」
余裕の笑みを引き攣らせ……、まさに顔を硬めてこの話はマズいと流す。
「さあ、どうですかな? これは大変素晴らしい汗がかけると思いませんかな? どうですかな? どぉですかなぁ?」
どういう結果になるかわかるが、それでも挑戦しますかな? という挑発をしてくるマフィアの幹部たち。
白柄組の面々は、こんなことなら俺たちの暴力で片づけてやる。という空気を纏い始めた。
しかしそれを察した親方が、若い白柄組の面々を手で制した。
「面白れぇ。こりゃいい汗をかけそうじゃねぇかぁ~」
ことも無さげに言い切ると、親方はすっくと立ちあがって、そのまま鍋の白い蝋の上にどかりと座り込んだ。
親方の思いっきりの良さを見て、尊大な態度のままだが感心した様子で幹部たちはふむと頷く。
「さあ、火を入れな!! 都っ子は熱い風呂じゃねぇとなっ!」
「親方! やめましょう!」
「こんな奴ら、俺らがぶっ飛ばして、バトのヤツを……」
「だぁまっとれっ! 暴力なんざぁ、いらねぇよ! 俺様がぁ、どういう人生を重ねてここに座ってるか、今から見せてやる!」
親方の叱り声を合図に、窯に火がくべられた。
乾いた景気のいい音を立て、薪が赤々と炎を噴き出す。
ベデラツィは自分があんな目に合わずに済む方法を、あれこれ考え始めたころ、ふつふつと蝋が溶け始めた。
ツルりと滑らないように、鍋の底がいびつになっているようだ。
だんだんと親方の巨体が、鍋の中へと沈んでいく。
熱せられた蝋が上げる煙で、室内にいた男たちがむせる。
「……やめるなら今のうちですよ」
幹部の1人が、あなたのためですよという偽善の顔で警告するが――。
「黙っとれい! ガキども、見さらせっい! 本物を……本物のコレを見せてやるっ!」
ついに親方の身体が、蝋の鍋に沈んだ瞬間!!
親方の筋肉が怒張し、丈夫な麻の作業着が吹き飛んだ。
全裸になった――かと、思われたが、筋肉の怒張に耐える服が作業着の下に残っていた。
それは――!!
「見さらせッ! これが本物のレオタードの着こなしじゃ~~~~~っ!!」
親方は作業着の下に、レオタードを着こんでいた!!
破壊的な筋肉に耐えながらも逆らわぬ、すべてを包み込む優しい繊維の合成繊維のレオタードがっ!!
蝋と汗で親方の肉体に張り付くレオタード!!
蝋の煙と相まって、ベデラツィの目に悪いッ!!
「なっ! なんだと!」
「われわれ以外にレオタードを……その身に纏う男がいるだと!?」
人質と組織力で優位に立っていると思っていたマフィアの幹部たちが、一斉に動揺して腰を浮かせた。
「軟弱、軟弱、あ~~軟弱ッ!! ダイエットぉ~~? 汗をかいて笑顔で健康ぉ~~? レオタードってのはなぁ、育つ男の筋肉を受け入れ、汗を吸い、着る主を妨げぬ、よくできた妻のごとき存在だ!! たるんだ脂肪の塊がこいつぉ着るなど……10年早いわ!!」
「ひいっ!」
啖呵を浴びて、鍋の近くにいた幹部が委縮する。
「ま、まさか……あれが……」
後ろにいた幹部の1人が、親方の口上を聞いて何かを思いだしたようだ。苦虫をかみつぶしたように、脂汗をかいている。
「知っているのか!? デンデン!」
もう1人の幹部が尋ねる。どうやら何かを思い出した幹部の名は、デンデンというらしい。唐突に名前が出てきた。何も知らなそうな名前である。
「むうぅ! 聞いたことがある……。かつてレオ・マフィアは……ある男が作り上げた、男が男を互いに高める集団だった……と」
「で、ではあの方が……」
「うむ。レオ・マフィアの創始者!! 聞いていた姿……そのお言葉……、間違いない!」
「な、なんだってーっ!!」
「お、親方がっ!?」
マフィアと白柄組が、デンデンの話を聞いて浮足だった。
反して親方は、汗にまみれて自嘲を浮かべている。
「ふ……。恥ずかしい話じゃねぇか。ウーヌ。俺様もおめぇらみたいに、昔はぁイキがった組織を作って悪い信用を重ねちまった。いまはそれを脱ぎ捨て、こぉぅしてまっとうぉな信用を重ねて、しっかりと河湾の親方をやってるがな。ふふ、長かったぜ」
「下に昔の悪い信用を着たまま重ねてません?」
ベデラツィの弱弱しいツッコミは、アツアツの親方に届かない。
「一度、マイナスに重ねちまった信用。それをゼロにして、またイチからいままで……人に過去をあれこれどうこうと言われねぇで、今は人に差配できるほどの信用。俺様のわがままな声を、街の奴らが無視できないってまでの信用。それを重ねるってぇ~のはな……。大変なことよぉ。だから、それは力ってものになるんだよ」
「はい、親方!」
何に感化したのか、白柄組が興奮して親方の語りを聞いている。
白柄組が親方に心酔するのは勝手だが、彼らにレオタードは着てほしくないとベデラツィは心底思った。白柄組は間違ってもレオタードを着てはいけない。白は透ける。白いぴっちりレオタードは、社会の常識に対して攻撃力が高すぎる。
白い柄の剣を持つ白柄組が、男性的なシルエットを持つ白柄組になってしまう。
ちなみにこの時、ちゃっかり騒動に隠れてウイナルは逃げ出し、下の階でマフィアに見つかってボコボコにされていたが、それは別にどうでもいい。
「は、早く火を消すんだ! 創始をお助けしろ……」
「待て~~い! ぁああん~? た~す~け~る~~~~ぅ? なぁ~にをいってやがんでい!」
創始者だと気が付いたマフィアたちは、鍋の火を急いで消そうとしたが、茹でられている親方は叱ってそれを止めた。
「やっといい蝋になってきたんじゃ。これからが本番じゃねぇか? お前らもどうだ? 付き合わんかい!」
「い、いえ私たちは……」
優位を信じていたマフィアたちも、やっと相手が悪いと悟ったのだろう。及び腰になって親方の誘いを断った。
気勢を制し、勝負は決まった。
もはやマフィアたちは精神的優位を持ち合わせていない。
親方が創始者という過去の栄光だけを持ちだしただけならば、マフィアはこれほどまで動揺しなかっただろう。親方の意地と根性を見せつけられたうえで、創始者を苦行に追い込んだ負い目に気付かされたからこそ、マフィアの気勢を呑むことができたのだ。
しばらく蝋の風呂を堪能した親方は、ことも無さげに鍋から上がると、にかりと笑って幹部たちを見下した。
腰の低くなったマフィアは、その視線を頭上から浴びる。
「いい蝋だったぜっ!」
マフィアたちを圧倒させた親方は、蝋で白く固まりながら血管を浮きだたせつつ笑ってみせた。
卒倒しそうなバトをちらりと見て、今度は優しく微笑んで見せる。安心させようとしたのだろうが、確実に少年の心に傷をつけた。
「バトが世話になったなぁ、え? おめぇらぁ~?」
「は、はい! あ、あのレオタードは、そのバトくんの服が汚れていたからでして、その……」
「おお~~そうかい、そうかい。ほうほう。じゃぁ~、あとでちゃぁんと礼を持ってくるからなぁっ!」
「いえ、そんな創始者様から……」
「遠慮すんじゃねぇよ。だから、これからは仲良くしよ~じゃねぇか? なぁ~~? そこのベデラツィの商会と一緒に、だ!」
「は、はい! あ、そのいえ、それは……」
「ああん?」
固まった蝋を筋肉で弾き飛ばす親方に睨まれ、完全に呑まれているマフィアの幹部たちは一斉に背筋を正した。
「いえ、なんでもありません! 競合してるところがちょ~っとありますが、これからは仲良くいきましょう! ね、ベデラツィさん! 」
「え? ええ……」
幹部たちが差し出す即興の提案に、生返事をするしかないベデラツィ。
今日、ベデラツィは一つ、大きなことを学んだ。
「……信用ってか、取り引きじゃその場の勢いとかごり押しとか相手を呑む方が重要なんじゃないかなぁ」
それはあながち間違いではない。
しかし、親方の示し方は社会的人間として、道を踏み外しているとベデラツィは思ったが口には出さなかった。
親方の名前はジュールにしようと思ってたのですが、別のキャラにうかつにも与えてしまいました。
ジュール・レオターr……。