iff.
隣の席から消えてくれ。
そう思ってた時もあったが、わりと本気じゃなかったと気が付いて、オレ自身が驚いた。
カタラン伯をかばい、棘付き鉄球の一撃を受けて吹き飛ぶヨーヨーの姿を見て、オレは自分の本心ってのを理解した。人の好き嫌いが激しいと思っていたが、オレって意外にも「アイツ嫌い」と言っても、実はそうでもないらしい。
一度、壁にぶつかり床に転がるヨーヨー。
かなり危険な痙攣をし、床の上をのた打ち回っている。
内臓を痛めてどこが痛いのかわからないのか、傷を庇う以上に激痛がひどすぎて暴れてしまっているのか、どちらかだろう。
惨劇を前にして、騒然とする乗客たち。
ああ、なんてこった。
オレの油断がこんな事態を引き落としてしまった。
だがオレは反省などしない。
反省は、今更だがやることをしっかりと念入りに終わらせてからだ。
いくつか魔法への魔力供給を閉ざし、手にした懐の新式手帳を取りだしばらまく。前もって背表紙のノリと糸は切り取ってあり、いきおいよく投げれば自然と散らばった。
手帳にはどれも単純で一番簡単な攻撃魔法用の新式魔法が、正三角形陣で描かれている。
それら魔法陣へ一気に魔力を流し込み、すべてを同時に発動させた。
『子供部屋の大人はすべて敵だ! 【眠れとうるさい侵略者をやっつけろ!】』
手帳に描かれた魔法陣内を魔力が走り、オレの魔法に呼応して【子供部屋より野蛮な世界】内にある全ての物質が、モーニングスターを振り回すネーブナイト夫人へと襲い掛かる。
空間内の物質をすべて支配下に置く【子供部屋より野蛮な世界】を前提条件とし、発動するトドメの魔法だ。
もっと物があふれてる方が効果が高いのだが、人を1人倒すならこれでも十分である。
通路の花柄が美しい壁紙が剥がれ、ネーブナイト夫人に巻き付き拘束する。なかなかお似合いの姿だ。
壁かけの燭台が折れて飛び、ロウソク刺しが動けない夫人に突き刺さる。
床板の白木が、はぜてめくれて裂けて危険な杭となり、動きの止まった彼女に突き立つ。
タルピーによって破壊されたゴーレムも例外ではない。辛うじて人型を保っていたゴーレムが、ネーブナイト夫人を押しつぶす。
そこへ殺到する床板と壁板の雨。刺さった白木の板が、何度も何度も突き立てられる。
襲うため自壊する装飾の破壊音に、ネーブナイト夫人の悲鳴すらかき消されているようだ。ひたすら壁や床が壊れ、彼女に襲いかかる音しか聞こえない。
あとは延々と、オレが魔力を失うか魔法を解除するまで、ネーブナイト夫人は破壊されたガレキの破壊行動に晒され続けるだろう。
投影された防御魔法陣が物質に対してほぼ無敵だろうと、それでもその強度には限度があるし、投影する者の魔力的限界がある。
壁紙の中で執拗なガレキ攻撃を受けるネーブナイト夫人の姿を見下し、完封を確信してオレは【子供部屋より野蛮な世界】から飛び出した。
「ああ……なんてことだ」
カタラン伯が何かを呻いていた。それはヨーヨーのことか?
それともオレが残虐攻撃を喰らい続ける死に体のネーブナイト夫人のことか?
まったくどうしょうもない大人だ。オレに命令しないだけだけマシだが、周囲に尊敬できる大人がいなくてホント困るぜ。
突き飛ばされて腰でも痛めたのか、カタラン伯が床に這いつくばっていたが、そいつを跨いでヨーヨーのもとに駆け付ける。
「はぁはぁ……」
顔を赤くさせ、ひどい汗をかくヨーヨーを抱き起し、すぐさま治療魔法の胞体陣で包み込む。
「おい、大丈夫なのか?」
かなり苦しそうだが、意外と平気そうだ。しかし先ほどのジタバタっぷりは、心底肝を冷やしたのだが……どういうことだ?
「ん? これは……ヨーヨー。オマエが投影した自前の防御魔法か」
ヨーヨー自身の防御魔法の痕跡があった。元は胞体陣だったのだろうが、砕けて平面陣となって残っていた。
息も絶え絶え、腕の中のヨーヨーが答える。
「だ、大丈夫です。……これは、衝撃と……痛みを……はぁはぁ……、はぁん……快感に変換する防御魔法なの、がっ!!」
「この性社会のクズがっ!!」
オレはヨーヨーを投げ捨てる。
「あっあん!!」
「変な声出すなっ!」
床にぶつかった衝撃で、ヨーヨーがつやっぽい声を挙げてうごめきまわる。
「な、なんて魔法だ」
「苦痛を快感に変換……。なんて才能の無駄遣い」
「あんな魔法をザルガラ少年は使えるのか?」
乗客たちが何か変なことを、ひそひそとささやき合っている。
「オレの使った魔法じゃねーよ! この変態の独式魔法だよ!」
「いえ……新式魔法に落としました……」
「変態魔法を新式に堕とすなよ!」
親族や部族などのローカルな符丁や、個人でしか理解できない秘密の合言葉や隠語で構成される独式魔法なら、よほどの天才でもないと解読できない。古来種由来の古式魔法なら、古来種の文化や魔法に詳しいものなら大体解読できる。
しかし誰でも使えるようにと、ありきたりな数式と図形で描かれた新式にしたら、チラ見とちょっとの労力と能力で、サクッと盗めてパッと広められるじゃねぇか!
なんとしてもこれは拡散防止せねばならん。
この魔法が新式魔法として、一般化した社会を思い描き身震いした。
両軍の兵士たちが傷つけ合い、互いに快感で身悶える阿鼻叫喚な戦場など、カタランやイシャンが全裸で戦うより地獄絵図だ。
……いや、後者もひどいな。
どっちもがひどい?
ええい、どっちでもいいっ!!
「とにかく意外に怪我は大したことがなさそうだ。頭は手遅れだが」
「はぁん……、そこぉ……」
「ツッコミで叩いたり踏みつぶすと気持ち悪いな。どうしたらいいんだ、コイツ?」
思わずヨーヨーの頭を叩いてしまったが、ご褒美になってしまったようだ。
「しかしよくあの攻撃を耐えられたな」
いくらヨーヨーが優れた魔法学園の生徒とはいえ、ネーブナイト夫人の乾坤一擲の一撃を防げるとは思えない。
魔力弾に棘付き鉄球と攻撃魔法を組み合わせたあの一撃は、カタラン伯ですら耐えきれるか怪しそうな攻撃だった。
「ボク、ボクです! ボクが防御魔法陣を投影したんですよ!」
あっちのほうで全滅させたゴーレムを解体しながら、アザナが自分の功績と主張してきた。
「ああ、そうか。オマエはそっちでゆっくり解体作業しててくれ」
一応、感謝はするがそれをおくびにも出すわけにはいかないので、ちょっとアザナを突き放してみた。
「ひどい! お礼も無しなら上の解体されたゴーレムもボクのものですよ!」
「なんでだよ! 礼をいうのはヨーヨーかその親御さんだろ!」
どんだけ貪欲なんだよ、アザナくん。オレは自分のミスを棚に上げて、アザナの要求に対しそれは無いと責めた。
などと、いつものようにアザナと乳繰り……いや揉めて、ってこの順番で言うとなんか胸揉んだみたいだな。と、とにかくアザナと言い合っていたら、娘よりネーブナイト夫人を心配していたかのようなカタラン伯が顔面蒼白とさせて、【子供部屋より野蛮な世界】の見ていた。
そういえば、攻撃の音が終わったな。
【眠れとうるさい侵略者をやっつけろ】は、対象がひき肉になっても攻撃を止めない魔法のはずなんだが、まさか……?
「ま、まさか……」
カタラン伯がオレの心の言葉を代弁した。
「おいおいマジかよ」
満身創痍のネーブナイト夫人が、ほぼ全壊状態のゴーレムを背負ったまま這いつくばい、【子供部屋より野蛮な世界】の効果範囲より抜け出していた。
乗客たちの間から悲鳴が上がった。
敵が無事であることからの悲鳴か、それともネーブナイト夫人の形相への悲鳴か――両方か。
いや、オレも下手すると悲鳴を上げかねない光景だ。
怪我なく無事な個所はない、と言えるほどネーブナイト夫人は傷を負っているのに、この女は無事な顎と首を使って、床の上で何度も頷きながら魔法の効果範囲から這って出たようだ。
いくらオレが【子供部屋】の効果範囲から出たおかげで、結界の効果が弱まったとはいえ恐ろしい執念だ。
ほぼ全壊状態で、素体すらぼろぼろのゴーレムに突き刺さる数々の杭状に裂けた白木の板。よくみればネーブナイト夫人に突き刺さる白木の板が少ない。
変だな。ゴーレムに刺さってる量が多すぎる……。
一般人である乗客はもちろん、冷徹だが勇猛なリザードマンの水兵たちも、オレもカタランも、マトロ女史やワイルデューたち、ディータもタルピーですらも、這い進むネーブナイト夫人から目を離せず言葉を失う。
アザナも……って、キミはなんでまだゴーレムの解体してるの?
「カ……カタラァン……」
どやってその口で言葉を出したのか、怨敵の名を絞り出すネーブナイト夫人。
さすがにゾッとした。
余裕や油断ではなく、恐怖からトドメの手が出せない。
その時、ゴーレムに内蔵されていた発声胞体石が小さく点滅して――。
『もうよすんだ、イチゴ……』
シャァベッタァー!!
しゃべったよ、おい、このゴーレムッ!!
いやちょくちょく叫んでたけど、これは違う。明らかに違う。ぜんぜん違う。
全壊状態のゴーレムがはっきりと、まるで人間のようにしゃべり始めた。
ゴーレムの声ではない。人間――だれかしらないが、だれかの声だ。
ネーブナイト夫人はその声を聞いて、目を見開き怨嗟の声を飲み込んだ。その顔から狂気が剥がれ落ちていく。
傷で凄惨だった顔が、傷で痛々しい顔に見えてくる。
ずいぶんと印象が変わるものだ。
『ば、ばかなっ! ありえない!』
後ろの方でアザナに取りついている上位種の誰かが叫んだ。
振り返り見てみると、数々の最上位種と上位種たちがアザナの周囲に現れ、動揺した様子で叫んでいる。
さすがのアザナも頭上がうるさいのか、ゴーレムたちを解体する手を止めた。
『あの程度のゴーレムにっ!!』
『ちっぽけな宝石と奇石の組み合わせただけの胞体石でできてるんだぞ!』
『人がっ!』
『高次元体がっ!』
居並ぶ50に及ぶ上位種たちが、口々に否定の言葉を並べた後、口をそろえて叫ぶ。
『アレに宿るわけがないっ!!!!!!』
驚愕の上位種たち。
そうだ、上位種たちが言う通りだ。
アレはただのよくできたちょっとお高いゴーレムに過ぎない。
発声装置だって不完全だった。
なのに、しゃべった。
流暢に自然な発音で、不愉快な不協和音も立てずに。
「ああ、あなたなの?」
『そうだよ』
倒れたままネーブナイト夫人は、全壊のしゃべるゴーレムに抱きしめられたまま、信じられないという表情で会話を始める。
「本当に」
『イチゴと呼ぶのは僕と君だけの秘密だったろ?』
「でも……い、いままでどこに?」
『ずっと、そばに』
「本当なの?」
『本当だよ』
短いセンテンスを紡ぐ会話を茫然と聞くしかないオレたち。一方、アザナに取りつく上位種たちは騒然としている。
あ、アザナくんは解体再開です。もうオマエはありのままでいいよ。
『我々はアザナを介して、上位の世界……高次元と繋がって無尽蔵に演算処理装置を間借りしているから存在できるのだ』
『どうやって今まで?』
『どうやってあの小さな演算装置の中に!』
オレは隣りに浮かぶディータをちらりと見上げて思い起こす。
そういえば……、ヨーヨーの話ではネーブナイト夫人の旦那さん――えっと、名前なんだっけ?
オーラだっけ?
そうだ、オーラ・ネーブナイト伯だ。そいつもディータやヴァリエと同じように、聖痕があったという。
もしかしたら、ディータと同じような高次元物質への置換効果を持った聖痕だったのかもしれない。
『……エッチ』
なんでだよ。
見つめていたらディータが身を捩って胸を隠した。
オレが一つの推測にたどり着いたとき、アザナに取りついている上位種たちは、まだ信じられないと騒然とした。
否定する言葉ばかり並べている。
ありえない、ないない、そんなはずはない、とうるさい。
オレとディータにタルピーなど、その上位種がうるさいとわかるのは少数だが……。
どうやらあのゴーレム=オーラは、ディータや上位種たちの姿に気が付いているようだ。
やはり中身はディータと同じ状態なのか?
「If and only if.」
やっと解体作業を止めて、アザナが立ち上がり古来種の言葉を口にした。それを聞いて、騒然としていた上位種たちも静かになった。
『iffか? それがなんの関係がある。アザナ?』
上位種の中で百鬼将軍が代表し、主人の言葉の真意を訪ねる。
「あのゴーレムがただのゴーレムである場合、ネーブナイトさんの愛称を知らない。知っているから、あのゴーレムがオーラである場合、ただのゴーレムではない。あのゴーレムをただのゴーレムと、ネーブナイト夫人が認識しないならば、それはただのゴーレムではない。ただのゴーレムでない場合、それはオーラである可能性がある。そしてその可能性を証明する愛称を知っていて口にしている。なによりネーブナイト夫人はゴーレムをオーラと認識していて、ゴーレムは肯定し……」
「あー、はいはい。わかったわかった、はいそうかよ、そういうことね」
オレは頭をかいてため息をつき、アザナに同意してみせた。
「……?」
アザナのややこしい発言に、尋ねた上位種たちだけでなく、近くで聞いていたワイルデューやテューキーも首を傾げる。
どうやら理解しているのはオレだけらしい。
「えっと、どういうことかしら、アザナさん?」
おい、マトロ女史。アンタ教師だろ?
なんで生徒に質問してんだよ。
「ゴーレムがオーラであるならば、これらの条件を満たす限り、ゴーレムの中でのみオーラと同値である」
尋ねられたアザナははっきりとは答えない。
なにやらわけのわからない理屈を並べている。
仕方ない。オレがフォローに入ってやるか。
「おい、アザナ。オマエの方が不確かになってんぞ」
「……す、すみません、ザルガラさん。ボクもちょっと動揺してしまって」
アザナに変わって、オレがマトロ女史や上位種たちに説明してやることにした。
「アザナは古来種の残した同値を求める論理的証明を使って、屁理屈いってるだけですよ、マトロ先生。要するにいま起きている現象は、天才アザナが論理的に、いろいろ屁理屈を言いたくなるくらいの――」
オレの説明を聞き入る上位種たち。マトロ女史やワイルデューなど学園関係者だけでなく、乗客たちもオレに注目している。
その視線を浴びながら、オレは言いたくない言葉を使って断言する。
「奇跡ってことだよ」
一瞬、みな何を言っているんだという顔を見せた。
やがて言った意味を理解したのか、幸せそうなネーブナイト夫人とゴーレム=オーラの姿を見て誰もがわかったと頷く。
「奇跡……」
「そうか、奇跡なのか?」
「あの子の旦那様ってことなの?」
「ゴーレムの姿で彼女を守ったというのか!」
なにやら感動している乗客たち。事情を人伝手に聞いて泣き出しているものもいた。
――イライラする。
マトロ女史も感動して泣き出しそうだ。
なんかムカつく。
テューキーやフモセは泣き出している。
……ふざけんな。
オマエらのそんな様子が腹立たしい!
「黙れっ!! バカどもがっ!!」
一括して、浮ついた学友たちと乗客を黙らせた。
「ど、どうしたの? ザルガラくん?」
迂回してきたペランドーがオレの剣幕に驚いている。こういうとき、オレに話しかけられるのはアザナとペランドーくらいだ。素直にうれしいが、いまオレが矛を収めるわけにはいかない。
幸せそうにゴーレムを抱きしめるネーブナイト夫人を睨めつけ、彼女を委縮させる。あれだけ勇猛だったネーブナイト夫人が、ゴーレムを奪われまいという恐れの目で、必死に抱きしめる。
そんな姿も気に入らない。
さっきまで、指一本になっても相手を絞殺し、視線だけで人を殺そうとしていた女の姿か?
買いかぶりだったな。
なるほど、よくわかった。
後追い自殺もせず、カタランに突っかかっておきながら、倒しきれず死にきれず、結果が何もかも中途半端。
ネーブナイト夫人はどれも選ばず、中途半端な事を目指して「一生懸命」だったわけか。
「金貨入りのおひねり投げたくなるくらいの奇跡が見れて、このオレもワクワクさ。でも、だ。それでもアイツは敵だ! この騒動の実行者なんだよ!」
外ではまだ護衛の船と、ネーブナイト夫人の指揮下にある船が戦闘中だ。恐らく水兵に死人が出ていることだろう。
犠牲者がすでに出ている。
めでたしめでたしじゃもう終わらない。
オレはそれを理解させるため、きょとんとしているネーブナイト夫人に言い放つ。
「夫が帰ってきました、ヤッターラッキー超ハッピー。で、終わりのいいお話じゃねぇんだよ! そこに直れ! そして首を差し出せ! ネーブナイト夫人!!」