1つの思惑と、1つの解決
「おおむね……おおむねだが、思惑通りだな」
もっとも重要な事柄に大きな弊害があったが、だいたいはティコ・ブラエ侯爵の思うままにことが運んでいる。
大湖の暗闇の中に浮かぶ大型船の中で、ブラエ侯爵は早めの祝杯を1人で挙げていた。
その後ろをパタパタとリマクーインが走り横切る。
通信室として新たに設けられた広い部屋だったが、彼女の持ち込んだ魔具やら整備の道具で散らかってすっかり手狭になっていた。
「東進する古竜の脅威と、古来種様の残した呪いの残滓が町を襲撃。それによる大規模な損害。否応にも古来種様のご威光へ縋る者たちが、あの王国で増えることだろう」
同志である吸血鬼モノイドからの援助が停止したが、それでも王国内の招請会は一定の勢力を持っている。
その彼らが勢いづくことは間違いない。
そしてその招請会が「事態の解決には古来種様の力がいる。ふたたびこの地を統治してもらおう」と呼び訴えれば、古竜と呪いという眼前の恐怖を見た王国の人々も賛同するだろう。
知識人や利権を持つ貴族は賛同しないだろうが、貧しく弱い民はわかりやすい脅威を前にたやすく考えを変えるだろう。その数は多くはないが、少なくはないはずだ。
ほくそ笑むブラエ候。
その背後を再びバタバタと、駆けて横切る慌てた様子のリマクーイン。
「あの目障りな女も、思った通りの暴走をしている。ふふふ……。カタランに執着するだけの使いにくい女だったが、これであの地も思いのままになるだろう」
ブラエ候にとって、ネーブナイト夫人は不都合の多い存在だ。
表面上は友好関係を築いているが、ブラエ候にとって彼女は利権と思惑がぶつかり合う共和国内部の敵である。
とにかく彼女はカタラン領、ひいてはカタラン伯にこだわりすぎる。
なまじ独自の裁量を持つ辺境伯であるがゆえ、行使できる権限が多い。できる範囲で行えるカタラン領に対する彼女の戦闘活動を、やめろと共和国議会は強く言えない。
私怨とはいえ、彼女は立派に辺境伯の仕事をしている。
直近では、カタラン領から領地を削り取るという偉業まで成し遂げた。
勤勉すぎて議会が文句を言える筋合いがない。
まして、彼女の家は共和国に残った最後の栄光ある辺境伯だ。
他の辺境伯は、政治闘争に負けてその地位から退いたか、もしくは10年前の王国への東進で失われている。
このようなことから古い貴族たちの間で、最後に残った栄光とネーブナイト夫人に好意的な者が多い。議会の中にも、共和国の誉れと思う者すらいる。
「だが、私には邪魔だ」
辺境をもっと議会の思うが儘に。もっと南部の権利を中央の近くに。なにより即応性が欲しい。
「もっと彼女がまともであったなら……」
栓の無いことを考える。
ブラエ候は個人的にネーブナイト夫人を嫌ってはいない。たんに邪魔なだけだ。
彼女がまともであれば付き合えただろう。
だが彼女はまともではない。
才能も精神も、だ。
さて、ところで――ネーブナイト夫人に子供はいない。
近しい跡取りもいない。
彼女さえいなくなれば、あとを継ぐものはいない。
ともなれば、重要な辺境地を管理するため、共和国中央が乗り出さねばならない。
もしも、そのまともでない面倒な狂人がいなくなったらならば?
弱体化した辺境伯領は、そのまま共和国軍の管理下に置く。
ネーブナイト陪臣たちは抵抗するだろうが、当主もおらず弱体化している状態では纏まって対処はできない。実際、すでにネーブナイト家にはブラエ候に呼応する家臣たちが多くいる。
すでに下準備は終わっており、あとは当主が不幸にも討ち死にすれば、すぐさま旧家臣追い出しと共和国軍の招き入れが始まる。
カタランにこだわり、大局的に動かないネーブナイト夫人は消え、辺境伯の特権と軍事権を横からかすめ取る。
無謀な突出をしたネーブナイト夫人を始末するのは、仇敵カタランか、それとも謎のザルガラか、それとも強大な古竜か?
判然としない未来は、「夫人のトドメを刺すのは誰か?」それだけである。
「どれが彼女を亡き者にしようとも、私の行うことは変わらない。……あのザルガラとかいう者の【劇場】に
友人のコールハースがいないのは、予想外だったが――」
唯一、思惑通りでなかった憎たらしい少年の顔を思い出し、ブラエ候は口元をゆがめて酒杯を強く握りしめた。
酒杯の装飾がこすれる音を鳴らす。
そんな不機嫌な侯爵の後ろを、魔具やら道具を抱えたリマクーインがばたばたと走る。
「さっきからなんだね、リマ? ……気が散ってしかたないのだが」
傾けかけた酒杯を持ち直し、ブラエ候は走り回るリマクーインをたしなめた。
「で、でしたらちゃんと客室でくつろいでいてくださいよ~」
技術者にすぎないドワーフが、侯爵にとんでもない口を利く。しかしブラエ候はそんな彼女を咎めない。
彼女はまともではないが、そういうものだとわかって使えば十分まともに働くからだ。
「……なにかあったのかね?」
彼女がブラエ候を遠ざけようとするときは、なにか自分の仕事の範囲内でトラブルがあった時だ。
理解のあるゆえに、リマクーインの発言と行為も把握している。
「ぐ……」
案の定、ぶ厚いメガネの下で目が困惑の色を見せる。
「報告したまえ」
「え、あ……あの~、その~……実はゴーレムの一体が、どうしても反応がなくて」
「破壊されたのかね?」
「いえ、活動できないっていうくらいの半壊程度なんです~。ちゃんとこちらの呼びかけには反応してるのに、ゴーレムとして反応がないんです」
「……よくわからないが、そういう壊れ方もあるのではないのかね?」
「いえ、壊れたとしても、ゴーレムとして反応しないというのはありえないんです」
「ほう……? ふむ」
リマクーインの報告を聞いて、ブラエ候は顎を撫でて考える。
彼は魔法の才能も高く、魔具への理解も深いが、製作技術そのものは習得していない。
しかしそれでも魔具の製作には、さまざまなトラブルがあると理解していた。
理解力のある上司だ。
トラブルが起きたら、なんでも頭ごなしに怒鳴るような人物ではない。
なにが起こってるいるか技術的なことはわからないが、そういうときにかける発破の言葉は知っている。
「あれは開発中の試作品で、実験中のゴーレムだ。そういうこともあるだろう。ちゃんと原因を究明して今後に生かし、もっと素晴らしい物を作りたまえ」
「わかりましたー!」
ブラエ候の理解に、リマクーインは満面の笑みで返事をして仕事へと戻った。
魔具開発にトラブルはつきものだから、次はさらに良いものを作れという高い要求だが、開発者のやる気を潰さない配慮をブラエ候は知っている。
開発者や研究者というものは、言われなくても……やめろといっても開発や研究にやる気を出しまくる存在だ。
そのやる気を潰さないだけでいい。
リマクーインは社会の一員としてはまともでないが、ブラエ候はこの程度のまともでない者を扱う術を知っている。
だが、ブラエ候は知らない。
まともでない人物は、ネーブナイト夫人とリマクーインだけでないことを。
そしてそんなまともでない人物たちが出会ったらどうなるか、を。
さらに――。
まともでない者たちが、1人や2人ではないということも知らない。
* * *
大湖周辺を襲う災厄の一つが、最後の時を迎えようとしていた。
亡者が闊歩する北の港町で、前に出るべきではない騒動の中心人物が傷を負って自嘲を浮かべている。
その者に対峙する若き騎士。
街の命運は、この二人に握られていた。
「……ふふふ、やるではないか」
十字のゴーレムを背負う満身創痍のディヴイ・ディッドヴァイタイムと、無傷で立つ――立ち尽くすステファン・ハウスドルフ。
そんな2人を離れた位置で見守る避難民たち。
「一方的じゃないか! 我らが騎士様は!」
「やれー、やっちまえ!」
「みんなの仇を取ってー!!」
ボストたちや宿の主人、町娘たちからステファンに声援が飛ぶ。
ディッドヴァイタイムは自ら望んで敵中にいるとはいえ、彼らの声援をこれほど苦々しく思ったことがなかった。
無傷の敵に対して、ディッドヴァイタイムは軽傷とはいえ全身が傷だらけである。
自らの額から滴る血が床に落ちる様子を追って見て、その視線を外へと向ける。
要塞跡の宿屋の壁に大穴が開いているが、ゾンビの襲来は町の住人たちで押し返している。飾りとはいえ武器が潤沢にあったからだ。
いくらゾンビが数で襲うとも、ディッドヴァイタイムたちが作り出したその存在はオリジナルと比べて脆弱だ。
ゾンビ化の呪いを擦り付ける能力が封じられれば、腕に覚えがある者たちの敵ではない。
この光景を見て、怪我をしながらも、いまだ冷静なディッドヴァイタイムは状況を推測した。
「ふふ、そうか。救援待ちか?」
積極的に攻撃を仕掛けてこない騎士姿のステファンを睨み、一つの予想をぶつけてみた。
「…………」
「図星か?」
答えないステファンを見て、ディッドヴァイタイムは早合点してしまった。
このとき、ステファンの考えていたことは――。
(謝るタイミングを逃してしまった……)
――であった。
満身創痍で戦意満々のディッドヴァイタイム。そんな姿に至らせたのは、他ならぬステファンであった。
もうどう謝っても、誰も許すはずのない状況である。
いったい彼らに何があったのか?
ディッドヴァイタイムが名乗りを挙げた直後、ステファンが行ったまず最初の一手。
ステファンは当初から謝ろうとした。
そう、最初から彼は土下座を選択していたのである。
ザルガラにも見せた華麗な土下座を披露するため、剣を置いて降伏しようとしたその瞬間、ディッドヴァイタイムが十字ゴーレムを回転させて突撃した。
偶然にも置こうとした剣の先が、猛烈に回転して通過していくディッドヴァイタイムの腕を斬る。土下座をしようとしていたので、屈んだステファンはその突撃を見事に回避した。
実情はともあれ、見事なカウンターである。
カウンター攻撃でバランスを崩したディッドヴァイタイムは、酒が並んだカウンターに飛び込んだ。
カウンター攻撃を受け、カウンターへ突撃である。
飛び散るグラスと酒瓶の破片。
一瞬にして満身創痍のディッドヴァイタイム。
一方、しでかした? ことに顔面を蒼白とさせるステファンだが、持ち前の彼の整った顔は、困惑の顔を冷静で余裕の真顔という印象を見るものに与えてしまう。
「すげぇっ! あの攻撃を躱した!」
「見たか!? しかも反撃してたぜ! 俺には見えたぞ!!」
「さらにカウンターに自爆させる!」
「見ろ! あの余裕! ちっとも慌てちゃいないぜ! 我らが騎士様は!」
盛り上がる避難民とボストたち。
ぶっちゃけステファンは特に何もしていない。最初から最後まで、ディッドヴァイタイムの自爆である。
どうやって降伏しようかと悩むステファンに対し、盛り上がる避難民たち。
この浮ついた状況に、ディッドヴァイタイムが先に冷静さを取り戻した。
共和国最下級の有氏族という立場ながら、貴族の戦いとして挑んだディッドヴァイタイムだったが、もはや彼の頭から貴族の誇りは消え去っていた。
ディッドヴァイタイムは冷徹に卑劣な手段を選ぶ。
「ただじゃすまさんぞ……」
首をふって目に入り込む血を払い、ステファンを睨みつけた。
――このとき、彼がまともに真正面から戦っていれば、確実に勝利したであろう。そしてステファンの名声を挙げることも無かっただろう。
「ふっ、騎士の苦悩を味わえ! 【愛に弓引く恋人!!】」
待ち構える――立ち尽くすステファンは、ディッドヴァイタイムに使う隙を与えてしまった。
悠然と待ち構え――いや、茫然と立ち尽くしていたステファンの顔色が変わる。
彼は信じられない物を見たという表情で、握っていた剣を手放す。
主の手を離れた剣は、床の上を転がった。
尋常ならざるステファンの様子を見て、ボストたちは慌てる。
「た、大変だ! な、なんだ? なにがあった? あの……魔法のせいか!?」
「正気に戻ってください! ハウスドルフさん!」
空虚な応援をするだけのボストたち。
横やりが入らないことを確認して、ディッドヴァイタイムは立ち位置を変えながらほくそ笑んだ。
横へ移動するディッドヴァイタイムを、見つめて離さないステファン。その目は異常なほど見開かれていた。
【愛に弓引け恋人】。この魔法は自分の姿を、対峙者に最愛の人物と錯覚させる幻影魔法だ。
恋人か、それとも肉親かは、魔法を使ったディッドヴァイタイムにすらわからない。だが、ステファンの顔色が変わるのを見て、魔法が効果を成したと判断した。
まさか愛しい人に果断な攻撃などしてこないだろう。一瞬でも判断を鈍らせる。そんな卑劣な魔法である。
怯んだ一瞬に、十字ゴーレムの質量を生かした回転突撃で始末をつける!!
ステファンが避ければ、その背後にいる街の避難民たちを巻き込む。まず、よけることなどできない。
もしも避ければ、勝負は決まらなくも、救援を待つステファンの思惑は打ち砕ける。
ディッドヴァイタイムはそのつもりだった。
「届かぬ愛に身構えたまま死ねっ!!」
背負われた十字ゴーレムが唸りを挙げ、ディッドヴァイタイムの身体と共に回転し、立ち尽くすステファンに向け突撃した。
「ゥアァザァァナキュゥゥゥウッン!!」
「なっ!?」
ステファンは盾で突撃を防ぐどころか、真正面からディッドヴァイタイムに飛びつく。怯んだディッドヴァイタイムの重心が崩れ、回転が大きくブレてあらぬ方向へと吹っ飛んでいく。
その姿は、避難民たちの盾となり、ステファンがその身を犠牲にして庇ったかのようだった。
飛ぶ方向が定まらなくなったディッドヴァイタイムは、ステファンに抱き着かれたまま轟音と共に壁を破壊し、外へと飛び出した。
そして十字ゴーレムの角で、ガラガラと街の石畳を引きはがしながら転がっていく。やがて家屋の壁にぶつかり停止すると、ディッドヴァイタイムはステファンを突き放して大きく引き下がる。
しかし浮遊が足りず、十字ゴーレムの下部が路面に食い込み、思いのほか後退できずに停止した。
「くっ……おのれっ! 【喰らって砕けろ!! 飽食者!!】」
ふらふら立ち上がる真正面のステファンに向け、魔力弾を立て続けに放つ。だがステファンは軽快なステップ――目が回って、倒れないように足を差し出すだけだが――で、魔力弾の雨を回避した。
「きゃわした!?」
「ウァアザナァキューーーンッ!」
謎の掛け声一つかけ、ステファンが文字通り躍りかかった。
「ひぃいっぃ!」
ステファンに狂貌を見出したディッドヴァイタイムは、地面に食い込んだ十字ゴーレムを無理やり浮遊させようとした。しかし思い通りに動かなかったため、ぐらりと前に向かって倒れ込む。
そこへ向け、目が回って身体も回るステファンの裏拳が飛ぶ。
パカン――と軽い音が鳴り響き、ディッドヴァイタイムの意識が刈り取られる。白目を向き、自らの移動を補助する十字架の下敷きとなった彼は、そのまま動かなくなった。
十字架と交差し、その脇を回転して抜けたステファンは、愛する者の姿を見失い、わけもわからずその場で立ち止まる。
その姿は――。
必殺の一撃が入ったと確信し、もはや周囲にあだなす者はいない。
そう言っているような姿であった。
ヨーヨーの件は引っ張ります。
ヨーヨーだけに。
…ザッピングしすぎですかね?